第9話 心の実存
「昨日の怪人に刺された時……、
胸の骨が折れて肺に刺さっていたみたいなんだ……。」
4床室の窓際のベッドで眠る母親を見詰めてカズラはそう言った。
11時41分。メルフィオナ学院付属病院 8階 呼吸器外科306号室。
穿通性外傷による気胸だった。背中から折られた肋骨が肺に刺さったのだ。
肺に空いた穴から漏れた空気が心臓や肺を圧迫すると、心肺停止に陥る危険性がある。
「看護師さんが……手術したからもう大丈夫って言っていたけれど、
薬のせいで暫くは眠っていないといけないんだって……。」
口や脇腹辺りから呼吸器具を付けて眠る母親を目の当たりにした彼方は、
目を見開いて立ち尽くすと思わず蜘蛛の怪人に背中から槍を突き刺された光景が脳裏を過った。
人質に取られた彼の母に魔法使い達がたじろぎ、
制止しようと声を掛け、武器を捨てる中で背中から腹に刺又の様な槍が貫通したのだ。
その場にいた誰もが絶望し、少年は泣き叫びながらも怪人に訴え続けていた。
だが幸いにも、刺されて直ぐに病院に運び込まれた彼女は救急処置を施された。
彼方はその光景を思い返し、医療用カーテンをそっと閉める。
「それで……今朝のニュースで見たんだ。昨日の怪人が地球人だって……。
だから思い出したんだ。
昨日……お兄ちゃんが怪人になった時……あの蜘蛛の怪人が地球人だって、話をしていた時のこと……。」
ぽつりぽつりと呟く様に発言するカズラは顔を見上げながら、「お兄ちゃんもそうなんだよね?」と訊ねる。
巨大な蜘蛛の巣の上で白い怪人に変身した姿を見た蜘蛛の怪人は、
彼が地球人であることに気が付いて言い争っていた。
その目の当たりにした光景が記憶違いではないか確認する為に聞いたのだ。
紛れもない事実に彼方はカズラの目を見て「………うん。」と小さく頷く。
自分の世界の、同じ国の人間が殺傷事件を起こしていた。
それに加担にしていなくとも関係がないわけがない。
同じ地球人として、問われたからには答える義務があるのだ。
「……詳しいことは俺にも分からないけれど。今、地球でも怪人が現れていて。
人を殺すことで願いを叶える魔法を創っているみたいなんだ。
その事件に関わった人達が怪人になって……この世界に来ているから、
それを伝えるようにこの世界から来た人に頼まれたんだ。
だから俺も……地球人で、怪人なんだ。」
自分が地球人であることを告げた彼方が俯いた途端、首から黒く点滅した宝石のネックレスが垂れ下がる。
「……………。」
それを見たカズラは納得した様に頷くと複雑な笑みを浮かべて言った。
「……僕、お兄ちゃんには感謝しているよ。だって助けてくれたから。」
綻んだ口元に対してどこか憂いを帯びた表情。
それが無理に作った笑みであることぐらいは久遠彼方にも理解出来ていた。
カーテンに囲われた病床では視線を向けなくとも、
寝たきりの状態にある彼の母親の姿が視界に入り込むからだ。
「でも、お兄ちゃんも地球人なのに……。
それなのに……。同じ地球の人が殺されたって聞いて……。
その時、僕は……すごく嫌な気持ちになったんだ。」
「嫌な気持ち……?」
どうしてそう思ったのか聞き返す彼方に、
カズラは再び母親の寝顔を見詰めながら「うん……。」と頷いて答える。
「僕が……街で戦っていた怪人や魔法使いの人達を止めようとしていたのは…………。
僕の父さんが魔法使いで……、人の心を守る為に怪人と戦って死んじゃったからなんだ。
それなのに父さんたちが皆の居場所を命懸けで守った意味を無駄にされているみたいで、
それが凄く虚しくて、悔しくなってきて段々、我慢できなくなくなっていたんだ……。」
そう言ったカズラは母の顔を見詰めたまま、
「だから僕は、怪人が許せないと思っていたんだ。」と上擦った声を震わせる。
「でも……あの怪人も、お兄ちゃんも地球人だって知ったら……。
今までの怪人だって皆、地球人だったかもしれない……って思ったんだ。」
徐に顔を上げた彼は目に涙を溜め込みながら唇を噛み締めて、
感情を抑え込もうと必死に言葉を紡ぐ。
「昨日の怪人みたいに何か訳があって暴れていたのかもしれない……。
それで……もしこれからも昨日の怪人みたいに地球人がこの街で暴れていたら、
また魔法使いの人達に殺されちゃうかもしれない。
本当は……地球の人達だって、
自分の居場所がないから辛い思いをしていたのかもしれない――――って。
そう考えるようになっていたんだ。」
心境を打ち明けるカズラは徐に首に掛けた黒いハートのネックレスを見せて言った。
「母さんの手術が終わって……念の為だから検査を受ける様に言われたら病院の先生が僕にこれをくれたんだ。
昨日は……僕のせいで沢山の人に迷惑を掛けて、母さんも僕の代わりに傷付いたから……。
だから先生は僕に……母さんの為にも元気になって欲しいって、言ってくれたよ。
僕もそう思っているし、そうなるべきなのは分かっているんだ。
自分を大切にすることが他の人たちを大切にすることだから、自分を責めないで欲しいって言ってくれたけれど……。
……でもそんなの。僕が自分の気持ちから逃げているだけで、本当は何の意味もないんだ……。」
次第にじわりと浮かび上がる滴に目を僅かに潤わせる彼だったが、それは流れることはなく確りと顔を見て伝える。
「だって……!
この世界の皆が人の心を守る為には……、
皆が自分の居場所を守らなくちゃいけないから……!
なのにっ、怪人も。魔法使いの人達も……!
皆の居場所を……!心を守る為に戦っている筈なのに、
どっちかがいなくなるまでずっと戦わなくちゃいけないから……!」
感情的に上擦った声に彼に思わず彼方は、「カズラ君……。」と呟いて心配そうに視線を送る。
「このままじゃあ……また、何も変わらないまま、生きていることが辛いだけの世界になってしまうから!
そしたらまた……皆の居場所も。心も。人が生きる意味も、全部……!
全部……!意味が無くなってしまうから……!
このまま……っ!また誰かが傷付け合って、皆の心から……!
生きる意味が無くなってしまうのは、もっと嫌だから……!」
それは、彼の様な子供にとって残酷な真相だった。
「……人の居場所も。人が生きる意味も……無くなる…………。」
どこまでも純粋に平和を願う彼の気持ちを尽く覆したのだ。
当然、悔やんでいるのは彼だけではない。
異世界スフィアの人間達にとって、心を守るという宗教的な価値観の根底が崩れ去ろうとしている。
地球人という虚無主義の唯物論者に覆されているからだ。
「そうだよ……。だからお兄ちゃんの石も黒くなっちゃったんだよね?
昨日みたいに地球で居場所が無くなった人が出てきたら、また地球の人たちと戦う事になるかもしれないから……。
そうなったら……お兄ちゃんだって、
お兄ちゃんの夢も。心も。居場所も。生きる意味が、無くなってしまうかもしれない。
地球の人達だって同じだよ。きっと……。」
人間を強弱や優劣でしか存在を証明できない地球人とは違い、
彼らには心という自己存立が居場所という存在基盤を確立させている。
彼らの思想と行動理念は一見すると感情的で短絡的だが、無思考でない分、実存的でより複雑なのだ。
(そうだ……。今の地球人には……、はっきり言って生きる意味なんてない。
俺みたいな失敗作に認定された人や新人類に成れた人だけじゃない。
管理する側の。普通の人間として生きている人達だって政府の言い成りになっているだけだ。
この世界の人達は心を守ることで、皆の居場所を守ることが出来るから、
人がそれぞれ生きる意味を自由に持つことが出来ているけれど……。
でも地球人には……、何も無い。
生きる喜びも。分かち合う幸せも。人との繋がりさえも……。
あるのは与えられた役割だけで。自分から望んで手に入れられたものなんて何も無い。
何も……生きる意味がない…………。
生きることに一生懸命にならなくても良い世の中になってしまっているからだ。)
対して神や宗教を否定しておきながら他者に存在意義を求める支離滅裂な地球人には何も無いのだ。
(何でもかんでも人任せにして……、現実からも逃げて……。
自分達で自由も守れないから……生きる意味も無くなってしまったんだ……。
だからそれを、人から奪うことで自分の居場所を作らないと、自分の心を守ることすら出来ない……。
他人を傷付けることでしか……自分を維持するしか出来ていないんだ……。)
その言葉に聞き覚えのあった彼方の脳裏には、
カズラという少年と出会った時のある言葉を思い返される。
それは蜘蛛の怪人による紛争の只中で戦いを治めようと訴える少年に、
彼方が危ないから逃げようと呼び掛けた時の光景だった。
(「でもこのままじゃ!建物が壊れて、皆の家がなくなっちゃうよ!
そうしたら……街も人も滅茶苦茶なる!
皆が大切にしている人や場所や物だって……!
こんなことが起こる度に皆の生きる意味が無くなるだなんて!そんなの間違っているよ!
それなのに…………見ているだけなんて、嫌だよ……!」)
掴み掛かる様な凄まじい剣幕。
その言葉が彼方を衝き動かす程の決定打となったのだ。
だが、カズラという少年は蜘蛛怪人を懲らしめて欲しかった訳ではない。
亡き父を想い、悲劇を繰り返してはならないと訴えていたのだ。
対して、それを止める手段は暴力による誤魔化し。偽善による欺瞞。
光の弾が無数に飛来し、飛び散った鮮血と伴に、叫びが。嘆きが。涙が。
トラウマの様にその陰惨な光景が再び脳裏を掠める。
(……何もかもが、カズラ君の言った通りだったんだ。争いだけでは、何の解決にもならない。
昨日の蜘蛛の怪人みたいに……。
また地球を平和な世界に変えようとする人達が現れて……魔法使いの人達が戦わなくちゃならないのなら。
人の心も。居場所も。幸せも。全部犠牲になってしまって、
本当に、人が生きる意味なんて……何も無くなってしまう…。
そうなれば……自由になりたい地球人が皆いなくなるまで、
同じことを永遠と繰り返さなくちゃならないんだ。)
同じことの繰り返し。
彼の意見に沈黙する彼方の脳裏では、
先程までハヤシという男からカウンセリングを受けていた時の光景が過る。
(「カナタ君。問題を先送りにするということは、
現状を受け入れているということなんだよ。
それじゃあ同じ過ちを永遠と繰り返すだけなんだ。
人が自由や平等の中で生きるということは何もしないということじゃないんだ。
人が平和でいられる仕組みを守らなくちゃいけないんだよ。
それを守る為には人の心が正しくなくちゃいけなんだ。」)
しかしながら、地球人には平和という仕組みと守るべき自由を既に放棄してしまっている。
自分達で物事を考えず、誰かの言った通りに行動するということはとても楽なことだ。
地球人たちはそうすることで生きることを保障されることで自由を手放す形に成った。
云わば彼等は自由を担保にすることで、生き永らえることを保険に掛けてしまった。
そうすることで人間社会そのもの維持する為のサイクルが生まれてしまった。
しかしながら、意味や目的も無く生き永らえることで、
高齢化した老人たちは財産を貯め込み続けることで、経済が循環するサイクルは停滞し、破綻した。
結果、子どもという未来の財産へは受け継がれず、新しい世代は生まれない代わりに、
彼等の土地は海外の人間達がより住みやすい条件の整った土地へと瞬く間に変わった。
そしてまた、経済が発展し、人工知能の発達と導入により、
今度は人間そのものに非人道的な変化を求められるようになった。
それは血を吐きながら続ける悲しいマラソンの様に。
永遠と繰り返されるものではあってはならない筈だった。
「……それは、俺もそう思うよ。
このままじゃ…………誰も幸せになんてなれない……。」
物事には必ず限界があるからだ。
全ての物事には必ず因果という何かの意図が潜在している様に。
今そこで行われている事象は全て、
その限界を迎えてしまった地球人たちの怠慢に過ぎないのだから。
「昨日……俺は、君に逃げるだけじゃ意味がないと言われて、
自分と同じ思いをさせたくないから君の……その気持ちだけは守りたいと思った。
でも……それは……俺が、自分が後悔したくないから、
勝手にそう思い込もうとしていただけなんだ。」
そう語り出した彼方の脳裏には、ふとあの日憧れた少女の夢が呼び覚まされる。
(「私たちみたいな親と離ればなれの子供に安心させてあげたり、
楽しいことや嬉しいと思えることを沢山教えてあげられる人になりたいんだ。」)
「俺にも……夢があったんだ……。
人の優しい心を支えられる様な……。そんな人に……。」
漸く顔を上げて心境を語り出す彼方は、
カウンセリングでは語ることのなかった自分自身の悩みと向き合い始める。
(「この世界は間違っているから、せめて私達みたいに何も知らない子ども達に何が正しくて、
どうすれば良いのかを教えてあげられる先生みたいな人になりたいんだ。」)
その声はまるで彼方の言葉と呼応するかのように脳裏に響き渡り、
彼が何を成すべきなのかという本来の目的を思い出させる。
「……その夢をいつまでも叶えられずに。
そうやって後悔ばかりして、ずっと何者にも成れないままでいたから……。
だから……せめて、君の想いだけは守りたいと思ったんだ。
昨日……君のお母さんにお父さんの話を聞いた時から、俺と同じだと思ったから。
でも、それも違った。君と俺は全然同じなんかじゃないんだ。」
それは母の前で、そして彼の涙に見せまいと、
現状と向き合い続けるカズラという少年に同情している訳ではない。
それどころか、カズラは出会った頃からとっくに目の前の現実と向き合っていたのだ。
そして今現在も尚、現状を見据えた上で悲惨な状況を理解している。
他でも無い、自分が受け止めた現実を、自分の意見で伝えることが出来ている。
このカズラという少年の主張こそが彼自身の向き合うべき現実なのだ。
「俺が……。勝手にそう思い込んでいただけなんだ。
だって……カズラ君は…………。
君は、出会った時から皆の心を守る為に正しくあろうとしてくれていたのに。
……皆に悲しい思いをさせない為に立ち向かってくれたのに。
……それなのに俺は。
君の気持ちも……。あの怪人だった人の気持ちも無視して、
結局は自分の心を守る為に……。自分の心が傷付かない様に戦ったんだ。
昨日の怪人が苦しみながら、悲しみながら死んでいく姿を見て……、
こんなこと間違っているって……それは分かっていた筈なのに……。
暴力だけ振るって…………何も出来なかった。」
そう言った彼方は再び俯いて震えた手をぎゅっと強く握り絞めると、
「見ているだけで……、何もしなかったんだ。」と訂正する様に言い換える。
「どうしようもないと……心の何処かで決め付けて、また繰り返そうとしていたんだ。
それしか止める方法がないって……勝手に決め付けて……、
そうやって自分の意見を押し付けて……、自分勝手な言い訳をして。
俺は……今もそうやって、自分の嫌な気持ちから逃げているんだ。」
震える拳を抑え込む様に、脱力する様に声量を小さく絞って、
ゆっくりと手を開きながら再びカズラを見て話を続ける。
「……でも、それじゃあ……やられたらやり返しているだけで、
俺もあの怪人だった人と同じことをしているだけなんだ、って君と話して分かったんだ。
そんなのは……誰かのせいにして、自分だけを守っているだけなんだ――――って。
だから君の言う通り、何の解決にもならなくて……。
また何かが起こる度に皆の苦しみが、永遠と続いてしまうだけなんだ。」
思わず彼方は頭を下げた。
「ごめん……。俺は……君の想いや気持ちを、利用していただけだった。
君を守るどころか、君の気持ちを思いやることさえ出来なかったんだ……。
結局……カズラ君にまで自分の意見を押し付けて……。
昨日俺は確かに……君を守ると、言った筈なのに……っ。」
唇を噛み締める様に悔やんだ表情を浮かべる彼方。
君を守る。そう彼に言った彼方の行いは果たして何の意味を成したのか?
人を守るということは、自分の意思を押し付けることではない。
彼らにとって人を守るとは、人の心を尊重することなのだ。
「なのに……俺は…………。俺が……君の心を傷付けていたんだ。」
人を救うということは、誰かの為に戦うことではない。
人の心を思いやり、その人の生きる意味を。生き様を。
受け入れるのではなく、分かり合うことなのだから。
「そうやって俺は……君の気持ちを利用して……、自分の心を……。
自分の居場所だけを守ろうとしていたんだ。」
しかし、蜘蛛怪人の奪われた命に対して、罪の意識を持つだけでは意味がないように、
カズラの命を守ったところで、その思いは果たされてはいない。
「ごめん……。カズラ君。」
この久遠彼方もまた、誰かを守ることで自己の存在意義を。
生きる意味を、他者に求めていただけに過ぎない。
役割同一性に嵌り込んだ他者への依存。心の仮託による思考停止。
現状維持という名の現実逃避も、時間の流れという限界からは逃れられない。
「…………僕はお兄ちゃんに利用された、だなんて思ってないよ。」
深く下げられた頭に向かってカズラは言った。
「だってこれは……お兄ちゃんだけのことじゃなくて、僕たち皆のことなんだよ?」
そっと顔を上げる彼の目を見て、真っ直ぐに視線を向けて言った。
「昨日事件が終わってから、母さんが目を覚ました時に、僕も同じことを言われたんだ。
誰かが守るんじゃなくて皆が守っているから――――って。
自分の周りの人達が皆を守ってくれているから人を守ることが出来るんだ、って……父さんが良く言っていた言葉なんだ。
自分が魔法使いだから人を守っている訳じゃなくて、
周りの人達も大切な人達を守ろうとしているから人を守れることなんだ、って。
……僕も母さんに昨日の事で謝ったら言われたんだ。
誰かを助ける為に、誰かと協力しなきゃ、誰も助けることなんて出来ないんだってことを……。」
再び顔を伏せて思い詰める彼方は「誰かが守るんじゃなくて、皆が守っている……。」と独り言の様に呟いた。
「確かに、そうだ。今の俺に……足りないものだ…………。
いや……、誰にとっても必要なことなんだと思う。」
そうしてもう1度顔を上げた彼は納得した様に大きく頷くと改まってカズラに微笑み掛ける。
「君は……本当に凄いな……!
きっと君のお父さんとお母さんが立派な人だから、君はこんなにも心が強いんだ、と思ったよ。
そう思えば俺は……、君と出会ったことで自分の居場所を守っていたつもりになっていたんだな……。
でも本当は君と出会ったことで、君に俺の居場所を守ってもらっていたんだ、って改めて思うよ。」
何処か自嘲気味に笑う彼方に静かに首を横に振るカズラは「そんなことないよ……!」と力強く言った。
「僕にはお兄ちゃんみたいに誰かを守る力なんて無いよ。
でも……お兄ちゃんが僕を守ることで、自分の居場所を守れたなら、
僕には……僕にしか出来ないことをやりたいんだ。
だって、僕の居場所は僕にしか守れないから。
僕の夢は、僕の心でしか叶えられないことだから……!」
自分の夢は自分の力でしか叶えることができない。
それは彼方が自分の夢をカズラの願いに仮託していたが為に、
思考停止して何もせずに蜘蛛怪人を射殺される結果をただ傍観していた様に。
自己の存在基盤を他者に求めては、未来への選択肢を生み出すことができない。
(……自分の夢は……自分の力でしか、叶えられない。
……そうだ。それなら、俺の願いは……。
俺の夢は、俺にしか叶えられない……。)
カズラの実直な想いに彼方の脳裏には再び赤いカチューシャの少女の姿が過る。
(……俺は……これまでずっと、勘違いをしていたんだ……。
……あの娘の夢も……。
……まゆちゃんの夢も、まゆちゃんにしか叶えられない、ってことなんだ……。
それなのに俺は……今までずっと……、人の夢や願いに縋って生きてきたんだ……。
信じていれば、いつかは現実を変えられるんだ――――って……。
そうやって地球で死んでしまってからも、ずっと……。ずっと……!
人任せに、何の意味の無い人生を永遠と繰り返していたんだ……!)
自分を大切にしない人間は、
結果的に他者を大切することができない人間となってしまうように。
自己存立の意味を他者に求めてはならない。
自分の居場所という人の生きる意味だけは、
他者の力ではなく自分の力でしか守ることが出来ないのだ。
「そうだ……。俺のやらなきゃいけないことは、俺が頑張ってやらないと終わらないんだ。」
呟く様に決心する彼方はその意味を漸く理解した。
「だからもう、こんな意味のないことは……終わりにするんだ。
この世界と地球の関係も……争いごとも。
止めるんじゃなくて、終わらせるんだ。
これ以上、人任せな世界にならないように……。」
それは、単なる自己保身から自分の信念を守る為だけに行動していたのだと自覚したのだ。
漸く調子を取り戻し、真っ直ぐに向けられた強い少年の眼差しに思わず頬を綻ばせる。
自信を持って真っ直ぐにカズラの目を見る彼は頷きながら言った。
「……俺、人を助けるよ。
今度は独り善がりにならないように。
皆で事件を解決していきたいんだ。
そうすればきっとこの世界と地球で起きった事件を止められる筈だから。」
それを成し遂げなくては久遠彼方の存在もまた、異世界スフィアに来た意味が全くない。
どうしようもなく馬鹿正直で、純粋だからこそ。
自身が信じるものだけは守り続けることが出来ていた。
純粋な心だけが、彼が彼であることをたらしめた。
即ち、彼の自身の心の傷そのものが、久遠彼方の存在意義でもあるのだ。
その宿命を終えなくてはこの世界に存在する意味がない。
「それで……今度こそ俺は、夢を叶えるんだ。
君を……、君の心を守れるように。
君の夢が叶うことで……、皆の心を守れるような――――人の優しい心を守れる人に。
そうやって今度はまた次の誰かの優しい心を伝えていくことが出来れば、
また他の誰かにこの夢を繋いでいける筈だから……!」
夢を語り、微笑む彼方にカズラは、「それが……お兄ちゃんの夢なんだね。」と確信した様に言った。
「それならやっぱり、お兄ちゃんは皆を守る為に戦ってくれたんだよ。」
頷きながら嬉しそうに優しく微笑んだ彼は、「だって昨日、僕の心を守ってくれたのはお兄ちゃんだから。」と言う。
「だから、お兄ちゃんはこの世界に来て、争いを止めなくちゃいけなくなっちゃったんだもんね。
それが……お兄ちゃんの夢で、本当にやりたかったことだから。」
それこそが、この世界において彼が存在していられる理由なのだ。
間違っても都合良く人生を取り戻す為に生き返った訳ではなければ、
自分の思い通りに人々を洗脳し、異世界スフィアを侵略する為に現実逃避しに来た訳でもないのだ。
「僕にはもう、伝わっているよ……!」
その一言で、彼方は思わず綻んだ笑顔を見せた。
「…………うん!ありがとう!カズラ君。」
彼方は思い知ったのだ。
彼という存在を通して自分という存在を再認識したことを。
カズラという少年が言う様に、
人の心を守るということが人々の居場所を守るということを。
心の実存は肉体でも、命そのものでもなく、
人の居場所という生きる意味が人間の存在意義を形成しているということを。
それは自分の未来は自分の力でしか切り開けない様に。
人々の存在意義を守る為には、超人的な他者ではなく、
1人1人の個々人が自分たちの居場所を守り合わなくてはならない。
即ち、心の拠り所とは理想の自分という半身であり、時間という記録が創り上げた心と体の一部そのものなのだ。
それ故に、実存は本質に先立つように。
決して他者が支えて出来たものではなく、
自分自身が意思から望んで作り上げた確固たる自己という存在なのだから。
「今度は俺も、それを色んな人に話してくるよ。
だから、カズラ君もカズラ君の居場所を守って欲しいんだ。
君の気持ちが、皆の心を守ることに繋がるから。」
そう言った彼方の首に下げられた宝石の黒い点滅が治まり、
澄んだ青色を取り戻すと、カズラは何処か誇らしげに確りと首を縦に振って返事をした。
「うん……!」
その返事に無邪気に微笑む彼方。
「じゃあ、またね……!また、お見舞いに来るから!」
手を軽く振って病床から離れながら退室しようと振り返っていく。
手を小さく挙げて振り返すカズラだったが、すぐさま思い立った様子で駆け寄っていく。
「お兄ちゃん……!」
呼び止められて思わず戸に掛けた手を止めて振り返る彼方に、少年はただ短くその言葉を伝える。
「ありがとう!頑張って!」
優しく笑うカズラの首飾りには黒から青に明滅するハートの宝石が揺れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます