第3話 決定事項
午前9時20分。
棚に実験器具が揃った一室。
三角帽子に外套のようなコートを纏った金髪の少女が部屋の中央に並べられた席に座って、
各々がパソコンのディスプレイに向かって作業を行っている。
中央魔法科学警察研究所。
その施設にある一室の扉をノックする者がいた。
「失礼します。」
入室した黒に近い焦げ茶色の長い髪の少女。
魔法使いのアヤ・アガペーだった。
席に座る研究者の少女ルル・フィリアが彼女の声に振り向くと、
「アヤさん。分析結果、出ましたよ。」と呼び掛ける。
席に近づいたアヤにルルは実験用の真空パックを手渡す。
「お疲れ様です。どうでしたか……?」
渡されたパックの中には扇形の青く透明な欠片のようなものが入っており、
アヤは欠片のひび割れた間の黒ずんだ染みのような部位に視線を送って訊ねた。
ルルは頷きながら「はい。やはり、これは血液でした。」と答えると、
コンピューターのマウスを操作して画面を切り替えながら言った。
「主成分は白血球の多さから人間の血液と同一で特に変わった点はありません。
構成そのものは人間の血と断定できます。
ですが、これ自体は組織上、人間のものではありません。」
話ながらマウスをクリックして円グラフのデータや画像が表示された画面に切り替わる。
円グラフの中には主成分がコラーゲンやカルシウム、
ハイドロキシアパタイトなどの単語が円の中で主な数値として占めている。
映された画像は偏光顕微鏡で観察された拡大図で、美しい干渉色の鉱石の様なもの表示されていた。
しかしながら、それが何を示すのかを理解できない魔法使いの少女アヤは、
「……何の成分ですか?」と呟く様に訊ねる。
頷きながら直ぐに「これは魚の鱗です。」とルルは答えた。
「鱗?」
思わず声に出したアヤは渡された真空パックの中に入った青く透明な欠片を見て、
「こんなに大きなものが……。」と言った。
5㎝ほどの大きさのあるその扇形の破片を見て漠然とした様子を見せるアヤに、
ルルは画面の円グラフを指さしながら説明する。
「それは主に骨や歯を形成するハイドロキシアパタイトと呼ばれるもので自然界では鉱物や生体の構成成分で出来ています。
詳細はこの後、会議で配布する資料に目を通して下さい。」
そして再びマウスの操作で画面を切り替えていくと、今度は人間の血液の割合を表したグラフや、何かの細胞のようなものを拡大した画像を表示して言った。
「問題はこの血の塊が出来た部分から血液成分を検出した時に、血腫になった人間の皮膚が吸着していたことです。
勿論、外傷によって付着した皮膚ではなく、この鱗の内側から剥がれ落ちた物です。
これに汗腺の多さや皮下組織まで確認できたことから、
恐らくこの鱗が人間でいう表皮に当たる部分だと思われます。」
釈然としない様子で画面を見ながら説明を聞いていたアヤは、
人間の表皮という言葉にはっと驚いた表情をして言った。
「これが内側から剥がれた物で……体組織が人間の、皮膚なら……。
じゃあ……これは――――」
説明を終えて、今度は椅子を半回転させたルルは、
アヤと向き合って鱗と呼んだその青く透明な物体に指をさしながら言う。
「そうです。これは魚の姿をした人間。
怪人の体組織と見て間違いないと思います。」
10時4分。中央魔法署。
縦長の机を部屋の中心に設置した会議室。
垂れ幕には魔法犯罪関連事件 特別捜査本部と掲げられている。
視聴覚室のように部屋の奥には大きなスクリーンが展開されており、
魔法使いと呼ばれる黒い制服を着た人々が資料の置かれた席に着いて、映し出された映像を眺めている。
流れる映像は数時間前に久遠彼方という少年の記憶から見えた映像を録画したものだった。
ドレスの女性と白い鎧の怪人が黒い炎に呑み込まれたと同時に映像は続けて切り替わった。
すると今度は昨日に宝石の少女が巨大な蜘蛛の巣の上で対峙した、
蜘蛛の怪人との対話している光景が映し出された。
するとスクリーンの手前の席に座っていた金髪の少女ルル・フィリアは、
リモコンのボタンを押していったん映像を一時停止させると立ち上がって、
「先程までの映像が、地球から転送された方の記憶です。」と全体を見渡す様に視線を送る。
「そして、現在映されている記憶の映像が装着員のアヤ・アガペーさんによるものです。
今回の事件で漸く怪人が人間の言葉を話せること。
つまり、人間が何らかの方法を使って怪人に変身していたことが覗えます。
地球探査研究員のミカ・プラグマ氏が唱える一説のように、
この世界が未だに洗脳され続けているのならば……。
地球を調査した1年前からこの星に怪人が出現した半年前の期間の間に、
何者かが何らかの方法でこの世界の洗脳を受けることなく、
地球人や怪人を利用して事件を引き起こしていると推測できます。」
自分たちが洗脳を受けている。
正確には自分たちが説明されていた常識とは別に、
普通だと思い込んでいた日常の中で意図しない非常識が介入していたのだ。
貴方たちは誰かが創った舞台の上で踊らされている操り人形なのだと――――。
何の脈絡もなく、唐突に突拍子もない話をされて戸惑う一同。
「犯人だけ、どうやってこの世界の洗脳から抜け出せたんだ……?」
「そもそも今更どうしてそんなことをする必要が!?」
「それが本当ならとんでもない!
我々がやっていたこと自体が洗脳によるものだったというのか!?」
会議室はざわめき、戸惑い、混乱した声で溢れかえる。
魔法使いが騒然とする中で会議室の中央の席に座る制服の男性は、
スクリーンの前の席に立ったルルに向かって言った。
「だがしかし、まだ全ての怪人が地球人と分かった訳じゃないのだろう?」
それは中央魔法署、本部長の言葉だった。
眼鏡を掛けた中年男性のその言葉にルルは「はい。」と返事として頷いた。
「確かに、昨夜の事件現場から発見された体組織や、
血液成分などは人間とほぼ同一のものと言って間違いありません。」
ルルの返事に静粛する一同が一斉に視線を向けて注目すると、再び全体を見渡しながら説明をする。
「ですが、今回の事件では怪人から我々への直接的な接触を図ったケースは初めてのことです。
今までの怪人に至ってはまるで動物さながらの本能的な行動や、
理性を失っている状態であった為、確証を得られたという訳ではありません。
その為には、他の怪人の体組織や記憶の分析が今後とも必要となってくると思われます。」
今後の意向について深く頷いた本部長は、全体を見渡しながら言った。
「昨夜の南区で起こった事件に続いて全区域には既に異常なまでの濃霧が発生している。
街中の水路の水位が上昇し、冠水や浸水などの水害が発生しているなどと、
周囲の各区からも次々と情報が入っている。
だが、現場からは既に怪人のものと思われる魚の体組織が発見されているものの、
行方不明者含めて怪人による目撃情報が寄せられていない。
これを機に前回の地球から転送されて来たという人物も含めて、
地球人であった怪人を全員、もう一度確認して欲しい。」
その場を統率する彼の言葉に一同は静かに頷くと、
本部長はルルに向かって「では、引き続き頼む。」と呼び掛ける。
頷いたルルは「はい。」と返事をすると、
プロジェクターに繋げたノートパソコンを操作して、スクリーンに移った映像の画面を切り替えた。
するとそこには赤紫色の蜘蛛怪人が再び映し出された。
「まず蜘蛛の能力を持った怪人です。
昨日、中央区の広場を巨大な蜘蛛の巣で拠点化し、計32人を殺害。
後に追跡した装着員により殺害されました。
具体的な目的は不明ですが、
映像記録ではアレセイアによる願いを叶える力を強化する為と思われます。」
パワーポイントのようなソフトで次のスライドに切り替わった画面が映し出されると、
そこには久遠彼方という少年が白い鎧の怪人に変身した姿が映されていた。
「そして甲冑のような白い怪人。
ご存知の方も多いと思われますが、
これは戦時中に使われていた生物兵器の一種で、
死者の身体を使って肉体そのものを変化させた男性の姿です。
各部の皆さんへの連絡で周知して頂いた通り、
彼は今回の事件で地球から転送させられた重要参考人です。」
蜘蛛の怪人と伴に映し出されたブレの激しい画質の粗い画像に切り替えたルルは、
説明をするためにマウスをクリックして再び画面を切り替える。
今度は怪人の画像ではなく、地球という星で事件を起こした主犯のロック・チャイルドという、魔法使いの格好をした研究者の青年。
そして当事者のミカ・プラグマという同じく研究者の女性が映された。
「現在はこちらで身柄を保護していますが、
ロック・チャイルド氏の捜索に向かった捜査班は未だ地球から戻っていません。
また、彼の記憶には再びミカ・プラグマ氏から何らかの情報を残される可能性を考慮して、こちらで引き続き聴取および調査を続行します。」
ルルの説明が一通り終わると、スクリーンから目を離した本部長の男性は視線を戻す。
「今後、彼のような地球人がこの星に再び転送される可能性を考慮されることとなり、
こちらでも怪人が地球人であるのか捜査する必要が出てきた。」
そう言って席を立った本部長は改まった様子で見渡しながら
「それ等を踏まえて、管区警察局からの通達を伝える。」と良く通る大きな声で言った。
机に置いて紙を持って本部長が読み上げようとすると、一同は姿勢を整える。
それは警察本部が今後の動向を定める為の命令だからだ。
聞く体勢を整えた一同に対して本部長は確りと、魔法使い1人1人に伝わるように内容を読み上げる。
「各怪人の捜査にあたり発見次第、付近の住民の避難誘導を優先し警備体制を整え、
怪人を保護および捕獲するように命令があった。」
怪人を保護、捕獲する。
その命令を受けた魔法使いアヤ・アガペーは一瞬、
何処か拍子抜けした様な顔をするが直ぐにその意味を理解すると、
どこかほっと安心しように顰めていた顔を緩ませた。
それは当然、彼女だけではなく、その場にいる魔法使い一同もどこか安堵した様に表情を浮かべている。
本来魔法使いとは武装組織ではなく、人の心を守る為に日常的な危機から未然に防ぐこと。
要するに、そもそも争いが起こることのない世界であった為、警備体制を整えた防災防護が本来の役割なのだ。
だが、突如として現れた無差別に殺人を繰り返す怪人への対応は対話ではなく、射殺命令だったのだ。
心を守る魔法使い達が漸く、殺人処刑集団のような立ち回りを終えられることに安堵していた。
「君達には全面的に怪人の保護、または捕獲を優先して貰うこととなった。」
しかし、それは束の間の出来事に過ぎなかった。
「だが……、しかし。」
安心していた矢先に本部長は間を措いて辺りを見渡しながら続きを読み上げるからだ。
「その例外を除いて。
怪人に敵意があり、こちらの要求を無視して凶行に及ぶ場合。
早急に無力化し――――」
そうして両手から用紙を降ろした本部長は、全体を見渡して短く簡潔に伝えた。
「――――徹底して、射殺せよ。」
それは魔法使い達の願いや望みを掻き消すような強い口調で突き放たれた上層部からの命令だった。
「諸君の健闘を祈る…………以上。」
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