第2話 放牧羊の夢
壁掛け時計の針は6時48分。
とある病室のベッドの上で座り込む少年。久遠彼方。
異世界スフィアに転送された地球人。
ベッドの横には薄い水色の病衣が畳まれており、
衣服に着替えている彼方はただ黙って胸に掛けたネックレスを右手に載せて見詰めていた。
ネックレスに装飾されたハート型の宝石が黒く点滅を繰り返しているからだった。
彼方はただただ虚ろな目でその黒い光を呆然と見詰めている間に、
時計の針が50分を過ぎた頃、病室の扉がノックされた。
「カナタさん…………?起きていますか?」
女性の声だった。
聞き覚えのあるその声にはっと意識を取り戻した彼方は、黒い宝石から手を放して「はい……!」と返事をした。
了承を得た声の主は直ぐに扉を開けると、
童話に登場する魔法使いの様な格好をした男性と金髪の少女が入ってきた。
「おはようございます。」
それはルル・フィリアという名の魔法科学研究所に所属する研究員と、
童話に登場する魔法使いの恰好をした中年の男性だった。
ルルの挨拶に対して見知らぬ男性に目を向けた彼方は2人を見て、
人懐っこい笑顔を見せると「おはようございます……!」と挨拶を返す。
しかし、入室した2人の研究員が彼方の首に掛かった宝石が黒く点滅している様子を見ると思わずぎょっと驚いた顔をして深刻そうにルルは駆け寄りながら言った。
「カ、カナタさん……!?大丈夫ですか……!?」
神妙な顔つきになった男性もゆっくりと歩み寄っていくと、
ルルは彼方の宝石を見詰めて「アレセイアが………黒く、点滅して……!」と動揺する。
「……えっ?…………いえ俺は、大丈夫なのですが……。」
その反応に彼方は戸惑った様子を見せていると、
彼方の前に立った男性は「もしかして……寝ている間に何あったのかい?」と訊ねる。
「えっと……そうなんですけれど、何と説明すればいいのか……。」
呼び掛けに彼方は顔を上げると、男性は頷きながら落ち着いた口調で言った。
「いや、良いんだよ。最近ね。
この病院でもそういった患者さんが増えているんだ。
寝ている間にいつの間にかそうなっていて、
中には何があったのか記憶を見せてくれないぐらいに、
日常生活が嫌になって現実逃避する人が増えているんだよね。
中には人目を気にせず奇行に走る人までいるんだ。
だから、原因を突き止める為にも、
心当たりがあるのなら正直に言って欲しいんだ。」
中年の男性の穏やかな口調と優しい笑みになかなか口を開けないでいた彼方は、
「いえ……!そういう精神的な理由じゃないと思うんですけれど……!」と慌てて返事をした。
「変な話なんで……信じて貰えるか分からないんですけれど、実は……。
さっきまで、夢の中…………というか、記憶の中で人と話をしていたんです。
それで俺の寿命だとか、この世界に何故来たのかっていう話をしていたんですけれど……。
その時に………何というか、変なものに襲われた気がして……。」
「変なもの……?」
男性は首を傾げてしまうと一度、考え込んだ様子を見せてから「一応、記憶だけでも確認させて貰ってもいいかい?」と、袖を捲りながら訊ねた。
腕の青いハートの宝石で装飾されたブレスレットを見せると、
彼方はそれを見て「あっ……!はい。お願いします。」と素直に従った。
終止穏やかな様子の男性は「ありがとう。」と礼を言って微笑むと、
黒く点滅する石に青い宝石を近づけて光を放った。
すると情景は次第に暗転し、移り変わる記憶の中へと入っていく。
暗い、暗い意識の中。
どこまでも続く真っ暗闇の情景の中で、
一点に明かりが灯ったかの様に見えてくる景色があった。
「あれ……?何だ?」
真っ黒い空間の中でそう呟いたのは白い鎧の怪人。
久遠彼方が怪人に変化した姿だった。
見渡す限り、埋め尽くした黒い景色の中で鎧の身体を見て狼狽える。
「何処だ?ここは?…………何で今、こんな姿に……。」
そんな怪人を無視するかのように、目の前で映像が唐突に流れ始めた。
まるで今は兎に角それを見ろと言わんばかしに映像が流れている。
それは白い鎧の怪人と蜘蛛の様な姿の怪人が、感情的に言葉をぶつけながら殴り合っていた。
酷く醜い争いだった。
双方に暴力でしか訴えることの出来ない野蛮で愚かな争いがあった。
(「だったら!お前等が世界を平和にでもしてくれるってのかよぉお!!!?
俺の代わりに誰1人傷付けることなく、
この世界みたいに地球を今直ぐにでも平和にしてくれるのかよぉおお!!!?」)
それは赤紫色の蜘蛛の怪人が言い放った言葉だった。
白い怪人の身体を何度も何度も殴りつけながら涙を流す彼の姿が過っていた。
それはまるで子供同士の喧嘩の様に一方的な感情をぶつけている光景だった。
(「じゃあお前はぁっ!あの世界で生まれて来た奴は皆死ねばいいって言いたいのか!?
俺達なんて生まれてこなければ良かったとでも言いたいのか!!?」)
怪人は2体とも人間だった。そして何よりも、双方は地球人だった。
顔や胸や腹に。身体中を乱暴に。ただただ我武者羅に。感情的に殴り付けている。
あの世界を人間が生きていられる様にしてくれと。
人間として生きていたいのだと。
大人ではなく、子供同士で言い争っているのだ。
大人しくそれを見ていた白い怪人は思わず俯いて、殴り合っていた自身の両手を見た。
思い詰めた様に震える拳を握り絞める白い怪人にとって、
遣る瀬無い想いをぶつける蜘蛛の怪人の涙を流して戦う姿が印象的だったからだ。
そして何より、その怪人は最後に後悔を残して消えていったのだ。
思わず白い怪人を殴り返した自身の両手を見る。
いつの間にか震えていた両手の甲を見詰めていた。
震えを抑える為にぎゅっと手を強く握り込むと、ふと呟いた。
「あれで……良かったのかな……?」
しかし、震える拳を握り込むほど、記憶が蘇り、
カズラという少年の母親が目の前で刺されてしまった光景を思い返した。
(「何でぇええ!!!!何でこんなことをするのぉおおお!!!?
母さんにぃいい……!母さんがぁああっ!!!!何をしたっていうんだぁあああ!!!?」)
涙声で怪人の腰に掴み掛かりながら必死に訴え掛ける少年の泣き顔と、
不安や困惑による動揺でパニックに陥った様子を思い返した。
その時の彼方は歯を食い縛って見ていることしか出来なかったからだ。
その光景にふと我に返ったかの様に肩に入った力が抜けた。
悩み、考え込む白い怪人は呆然としていく内に握った拳から力が抜けていた。
そして開いた手を下しながら「でも……。」と呟いて俯いて再び言った。
「でも…………どうすれば良かったんだろう……。」
鋼鉄の手の平を見詰める怪人は呟きながら、
ふと思い出した蜘蛛の怪人と少年の姿に思い詰める。
(結果的に……あの人を止めないと……。
カズラ君の様に辛い思いをしてしまう人が増えるだけだった。
でも、この世界は……人の心を傷付けていけない世界なのに………。
同じ地球人を止める為に、同じ様に暴力を振るって止めることでしか解決できなかった。
例え……人の心も、身体も傷付く手段を選んで、問題が解決できたとしても。
暴力を正当化することで、この世界の人達を苦しめるだけじゃないのか………?
もし、また怪人が現れてこんなことが続くのなら………。
俺は………地球の人間として…どうするべきなのだろう……。)
思い詰めた様子で悩み事をする白い怪人は仮面の中で眉間に皺を寄せ、俯いた様子で足元に広がる暗闇を見詰めた。
「――――貴方は間違ってはいません。」
それは黒い空間の何処からか突如聞こえてきた声だった。
「貴方は人として正しい判断をしました。
ですが……争いで物事が解決させることが正しかったのかと言えば別の問題です。」
その声に思わず顔を上げた怪人は「だ、誰ですか!?」と驚いた様に声を上げる。
見渡す限りの黒い空間は彼に返事をするかの様に真っ白く発光した。
瞬く間に真っ白い光の空間へと包み込まれると、辺り一面には水面が広がっていた。
揺れる水面の上には無数の睡蓮の花が浮かんでいる。
文字通り、足元に水が溜まっているのだ。
白い睡蓮の花と伴に揺れる水の奥から、
ピチャ……ピチャ……と水音を響かせながらゆっくりと歩み寄る者がいた。
白い情景の中で姿を現したのは長い金髪を下した赤目の女性が現れた。
それは以前、地球で久遠彼方を救った白いドレスの女性だった。
純白のウェディングドレスの様な服装に反して腰回りには白い宝石で石留めされた同一のベルト。鎖で携えた同じ形状の直剣。
互いに同一のベルトを装着した者同士が対面し、
白い鎧の怪人は身動ぎをする様に後ろに数歩下がって、女性は静かに近付く。
光に照らされた白いドレスの女性は片足を後ろに引いて、
もう片方の膝を曲げて背筋を伸ばしたままお辞儀をした。
「初めまして。」
両手でスカートの袖を持ち上げてお辞儀をする動作は、
ヨーロッパのカーテシーの様な挨拶だった。
「――――とは言えお会いするのはこれで2度目になります。
私はミカ。……ミカ・プラグマ、と申します。」
挨拶をされて思わず白い怪人は「ど、どうもご丁寧に……。」と緊張した様子で自己紹介をした。
「俺は久遠彼方って言います。
地球で俺を助けてくれた人……ですよね?
あの時は、ありがとうございました……!」
動揺した様子で頭を下げながら救って貰った礼を言う白い怪人に対して、
ドレスの女性は少し寂しそうな表情を浮かべながら言った。
「いいえ……こちらこそ巻き込んでしまってごめんなさい。
でも、こちらとしては大変、感謝しています。
この世界の人々との価値観の違いを受け入れてくれたこと。
この世界の人々の感情を思い遣ってくれたこと。
そして人々の心を守ることを優先して行動を示してくれた、その信念に感謝をしています。
やはりあの時、地球でこの力を託した人が貴方で良かった。そう思っています。
本当に、ありがとうございます。」
その話を聞いて白い怪人は俯いて再び悩んだ様子を見せるが、
「……あの。俺は――――」と口を開いて静かに質問をした。
「俺はこれからどうすれば良いのですか?
どうして確りした大人の人じゃなくて、俺みたいな子どもにあんな力をくれたんですか?」
その質問に頷いた女性は真面目な顔つきで静かに語り出した。
「ええ。まず、初めに。知って貰わなくてはならないことが3つあります。
1つは、まず貴方も…………そして私も一度は死んでしまっている存在です。」
女性はバックルの白い菱形の宝石を掴みながら説明した。
「つまりベルトの力によって身体の機能していない全神経を繋ぎ止めている状態なのです。
だからもしこのベルトを外してしまったら、
貴方は死んでしまいます。私の様にもう2度と生き返ることは出来ません。
……何が言いたいのかと言うと、
つまりこの力は生き返る為の都合の良いものではなく、ある制限があります。」
「制限……?」
首を傾げる怪人に女性は「はい。」と返事をして続けた。
「時間が無いので端的に説明すると、このベルトは魔法の力を使うことが出来ます。
ですが、使えば使うだけ、貴方の寿命が縮まります。
ベルトの力で変身するだけなら問題ありませんが、
魔法を使わなくても、持って10年しか生きられないと思って下さい。
余命は約10年。魔法は1回使うごとに1年分の寿命が縮まると思って下さい。
それが貴方の生き返った代償です。」
思わず漠然と宝石を見詰める怪人は「10年……。」と思い詰めた様子で呟く。
再びバックルに装飾された菱形の宝石に触れた女性は説明する。
「ですがもしも、魔法を使う必要のある時にはこの宝石を押し込んで下さい。
たったそれだけで体内の電気信号を制御し、加速装置が使えるようになります。
約6秒間、貴方の身体は瞬間的に見えてしまう程に高速に動き出し、
音を越えた目にも留まらない速さで行動することが出来ます。
当然、人に触れただけでも、加速した運動は途轍もない衝突になります。
如何なる時も周囲にとって自分が危険な存在に成り得るのです。
それだけ大きな力を使う事が出来ることを……それを覚えていてください。」
自身の腰に携えた宝石を見詰める白い怪人の釈然としない様子を見て、
女性は目を逸らしながらも申し訳なさそうに話を続ける。
「何故こんなことを自分に――――などと疑問が積み重なると思います。
本当に………受け入れ難いことだと思います。ごめんなさい。
ですが、現在の地球の中でも貴方は誰かを救う為に死んでしまった珍しいケースの地球人です。
現在の地球では自分が生きる為の合理的な行動に拘り、
世界政府の為だけに生涯を終えることを目的とした人々が殆どでした。
でも、貴方はあの時……他人の為に犠牲になる事に躊躇いが無かった。
貴方が地球で失敗作だと言われてしまうのは、人としての心を強く持ち続けているからだと思います。
だから、貴方を選びました…………と言えば語弊がありますが……。
正確には今の地球で人探しをするほどの余裕がなかったからです。」
余裕がない。
そう言った女性の言葉に怪人は仮面の中で思わず口を噤んでしまった。
女性も目を閉じて俯くと悲哀に満ちた顔をしてしまうが、
説明を続ける為にゆっくり顔を上ながら目を開いて言った。
「ですが、貴方も殺された時に理解して頂けたと思いますが、
現在の地球はあの事件が原因で魔法の力を使えるようになった人間達が、願いを叶えるために殺人ゲームを始めています。
このままでは貴方の居た地区だけではなく、着実に規模を広げて、
いずれは暴徒と化した人間達で溢れてしまうのも時間の問題です。」
その言葉に漸く顔を上げた怪人は、
兜の下から垣間見える白い水晶のような目で女性を見詰めながら訊ねる。
「……それは研究所の人から聞きました。
ロック・チャイルドっていう研究員の人が地球を平等な世界にする為に起きたことだ――――って。
でも、そのせいでこっちの世界でも怪人が現れています!
昨日だって怪人が…………、同じ地球人が!人として生きたいと願って人を襲っていました!
それでも俺はそんなの間違っていると思いますし。
早く何とかしないと同じ様に事件が起こって、
何の罪のないこの世界の人達が地球人を殺さなくちゃならなくなります!
だから俺に出来ることを教えてください!
この世界で俺は、いったい何が出来ると言うのですか!?」
争いによる悩みや迷いを映像として見せ付けられた矢先、
すっかり精神的に負担が掛かってしまった白い鎧の怪人は焦った様に少し急いた口調で問い詰める。
話の主旨を先に求めようとする怪人の切迫した様子に、女性は宥めることなく静かに言う。
「あの日…………私は死んでしまった地球人の欲望を利用して、
願いを叶える魔法の力を大量に生産するロック・チャイルド氏の陰謀を止めること。
それが今回の地球とこの星で起こった事件を解決する方法だと思っていました。
ですが、それは違いました。
私達は根本的な勘違いをしていたんです。」
質問に答えるように女性は真相から話を始める。
「勘違い…………?そのロック・チャイルドという人が原因じゃないんですか?」
怪人は説明や過程がよく分からずにただ相槌を打つように呟く他なかった。
ゆっくりと頷く女性は再び静かに語り始める。
「それが2つ目に知って欲しいことです。
……私がやり残したこと。それは、2つあります。
1つ目は地球とこの世界の繋がりを完全に断つこと。
2つ目はこの世界の人々を洗脳から解き放つ事です。」
「…………どういうことなんですか……?それは…………?
地球と、この世界の関係を断つことは理解できますし、そういうことなら俺も協力します!
でも…………この世界の人達まで洗脳されているだなんて…………。
とてもそういう風には見えませんでした。」
説明よりも先に答えから求めた久遠彼方にも、
辛うじて1つ目の事情は理解することが出来た。
地球人は魔法の力を手に入れた途端、殺戮を始めたのだ。
だから肯定する。地球と平和な世界は相容れないのだと。
しかし、彼には理解しがたい話であった。
女性が言う2つ目の目的。
この世界の洗脳を解くこと。
即ち異世界スフィア。人が人の心を傷付けてはいけない平和な世界。
怪人が。地球人さえ関わらなければ、
人々が他者の心を思いやり、人と人が支え合って生きていける本来であれば平穏な世界。
建前上、そう聞いて理解した話ではありながらも、久遠彼方はその世界の人々と関わったことで思い知った。
怪人という脅威にさらされながらも、立ち向かえる子供の勇姿。
身を挺して人命を救おうとする魔法使いの警察。
怪人が人間であることを知って命を奪うことに悩み、思い留まった宝石の少女を。
その人々達はどうしようもなく人間臭く、感情的で、
ただ一心に人が心を満たす人生の為に生きているということを知っているのだ。
人として当たり前のことを守り抜こうとする人々に、いったい何の問題があるというのだろうか?
たとえそれが洗脳だとしても、人として本来の生きる喜びを知っている異世界の人々に何の問題があるのだろうか?
そんな疑問が触れ合った人々との思い出と伴に脳裏を過ぎる久遠彼方にとって、
彼女の望むものに疑問を持たざるを得なかった。
「…………正直、この世界の人達が地球人みたいに洗脳されていたとしても人間として生き方が全く違います。
この世界は人が幸せである為に人の心を守っているのだと聞きました。
例えそれが洗脳なんだとしてもその御蔭で世界が平和に成っているのに、
これ以上この世界に何の問題があるというのですか?」
それに比べて地球は数千数万の数多な歴史を繰り返しても争いという名の競い合いを止めなかった。
肌の色や住む環境。歴史や文化や言語。男女の差異。
数え切れない程の偏向報道や分断工作。多数決による思想と思考の誘導。
所詮は全て同じ人間だったというのに。
利益を奪い合う競争を続けて人や環境を破壊の限りを尽くしても尚、
愛や平和だと能書きを垂れ流し続けて狂気を正気だと思い込もうとする。
与えられただけの実体のない仮想のルールに縛られた彼らはたとえ同じ世界に暮らしていても、
同じ人間として仲睦まじく協力して暮らしていくことを永久に無くなった。
便利な物や生活を永遠に求め続け、自然や環境と調和すること知らないが故に、
自分と関わりのない人々を愛することをさえないのだ。
故に世界政府が発足され、共通の言語を用いた楽園の様な環境を用意することで人種や男女の分断を抑え込み、
世界中の人間達の思考を掌握するなど余りにも容易であった。
口籠もった白い怪人はいつの間にか率直に問い掛けていた。
この世界は地球人さえ関わらなければ何の問題もないのではないかと。
その問いに女性は否定する様に首を振ると、彼の名を呼んで説明するような口調で慎重に伝える。
「カナタさん。この世界は心を傷付けていけない世界と言われていますが、それは違います。
本来、願いを叶える魔法の力で怪我が治り、死んだはずの人間が蘇るなどありえません。
この世界も未だに洗脳され続けています。」
落ち着いて宥める様に伝える女性の言葉に思わず白い怪人は「えっ……?」と声を漏らした。
自分が教わったこと。その内容に齟齬をきたす言葉が彼を更に混乱させる。
認識の違いによる戸惑いを生みながらも、女性は構わずに話を続けた。
「そして今現在、地球でも魔法の力による洗脳が行われようとしています。
このままでは1年も経たずに地球もこの星と同じ運命を辿るでしょう。
洗脳を解く方法はただ1つ。
この世界で行われている洗脳の原因を突き止めて、お互いの世界を元通りにすること……。
その為には純粋な心を持つ、貴方の様な地球人の記憶が必要なのです。」
今までの説明を得て、目的の次に必要なものは地球人の記憶。
そう提示した女性に思わず怪人は「記憶……?」と疑問を抱いて呟いた。
怪人の反応と単語に頷いた女性は、「はい。それが3つ目、貴方を連れてきた理由です。」と続けて言った。
「何故なら願いを叶える魔法とは本来――――」
紡いだ言葉を結びつけようと口元が動いた。
「———————————!」
しかし、出掛けた言葉が発音されることなく、口元だけが再び動いた。
まるでその話の続きだけに存在する時間を切り取られたかのように、
声は言葉通りに音もなく聞こえてこなかった。
「………?
あの……今なんて……?」
不思議そうに聞こえてこなかった声に訊ねる鎧の怪人に対して、
発される筈の声が出ない女性は慌てて口元を両手で覆った。
そして再び女性は何度も何度も口元を動かして怪人に何かを伝えようとする。
「————————!」
声が聞こえない。音が聞こえてこないのだ。
(………!?何だ……!?声が……聞こえない!?)
しかし、女性の訴えかける力強い視線。
眉をハの字にして眉間にしわを寄せた困った表情。
何度も何度も何かを発しようと開閉される口元。
(いや……違う……!ミカさんも声を出せないことに気が付いている……!)
困惑顔の女性と戸惑った白い鎧の怪人が音もなく狼狽える中で、
突如、辺りがぐらぐらぐらぐらと揺れ始める。
(何だ……!?今度は地面が揺れている……!こんな場所で……!?)
それはまるで地震のようにぐらぐらぐらぐらと睡蓮の浮かぶ水面を揺らし始めると、
唐突に空から黒い火のようなものが雨あられのように降り注いだ。
視界が上下左右に揺れる中、黒い火球が無数に空から降ってきたのだ。
白い空間を背景に黒い火が水面へと降り注ぐと、
水を弾くように黒い火球はその場に燃え広がって白い睡蓮の花々を飲み込んでいく。
次から次へと黒い火が降り注ぎ、辺りを黒い炎に浸食させていく。
すぐさま女性は白い怪人に駆け寄って両肩を掴みながら何かを伝えようと口を開閉させた。
「————————————!」
しかし、相も変わらずに女性の声は聞こえない。
赤い瞳で真っ直ぐに兜の中の赤い眼光を見詰めて必死に語りかけようとする。
「————!」
音のない空間で女性は懸命に口を動かしていると、空から降ってきた黒い火が女性に降ってきた。
瞬く間に女性の頭部から足元まで飲み込むほどの大きな黒い火球が、一瞬にしてその場から身体を消し去ると、
彼女の立っていた場所からは睡蓮の白い花片が無数に宙を舞った。
姿を消す白いドレスの女性。
ふわふわと宙を舞う白い花びら。
辺り一面は黒く浸食されていく。
思わず怪人は「ミカさん!!!?」と音のない声を上げて目の前の炎に手を触れた。
突如、女性を消し去った黒い火炎。
必死に掻き分けるように彼女を探す怪人の両手は黒く浸食されていく。
混乱の定中で追い打ちを掛けるように、
白い鎧の怪人に降り注いだ火球が直撃すると、辺りは真っ黒く染まっていった。
白い背景の中で、何処までも黒く。
黒い炎が白く閉鎖された空間を嘗め回し、不気味に穢れた混沌の黒に染め上がっていく。
儚くも美しい睡蓮の浮かぶ水面。
真相を語ろうとしたドレスの麗人。
あの光景は全て夢か幻だったのだろうか。
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