第2話 少女が魅せた夢





「い…っぅ……。」


 痛みに目を覚ましてゆっくりと身体を起こす少年。


「痛ったぁっ……。」


 思わず手に触れた傷跡。それを覆い隠す感触に視線を向ける。


「あれ……何だ、これ?」


 いつからか着せられていた薄い水色の病衣。

 その胸元からはだけた身体には包帯が巻かれている。


「いつの間に、こんな……。」


 思わず見渡す白い壁一面で覆われた清潔感のある部屋。


 手摺のついた病院施設用のベッド。

 枕元に設置された棚とテレビ。照明と呼出ボタン。


「病院だ……。」


 彼は病室で眠っていたことを認識する。



 状況の整理が儘ならず思わず声を出してしまうと、

 ベッドの横から「痛みますか……?」という女性の声が聞こえた。


 すぐさま横を振り向くと黒いコートを羽織った金髪の少女が椅子に座っており、顔を覗き込む様に様子を窺っていた。


「……ん?ええっと、大丈夫です。」


 唐突に呼び掛けられて思わずぎこちない笑みを浮かべた。



 翡翠の様に透き通った緑の瞳に金髪の長い髪。


 少女は長い髪を左右の中央で纏めた髪型をしており、 膝につばの広い帽子を乗せている。


「看護師さ………っ。……魔法使い……、さん?」


 一瞬。彼女を看護師さんと呼びそうになった彼は、 独り言の様に童話に登場する魔女の様な風貌を見詰めて呆然と呟いた。


「何か……さっきも、魔法の世界の人達と会ったような…………。」


 見覚えがありながらも釈然としない彼の様子に金髪の少女は、

「はい。私達はその関係者です。」と落ち着いた口調で返事をした。


「これでやって来られた方ですよね?」


 そう言って少女は懐から黒い円状の装置を取り出す。


「あっ!そうです!それです!」


 ゴルフボールの様な形の装置を見せられた彼は指をさした。


「それで何か、凄い大きな、黒い玉みたいなものに吸い込まれて……!」


 子供のような大仰な素振りとその純粋に反応。

 それを見た少女はくすくすと可笑しそう笑って言った。


「お元気そうで良かったです。


 私、ルル・フィリアと申します。


 地球から来られた方ですよね?」


 自己紹介をした落ち着きのある少女の言動を見て、

 気が動転していたことを自覚すると溢れ返った気持ちを静めて答えた。


「あっ……はい。そうです。


 あの、すいません。名乗りもせずに。 俺は久遠彼方と言います。


 えっと、ルルさん……ですね?


 助けてくれてありがとうございます……!」


 落ち着きを取り戻して名乗り返す彼は、 一先ず介抱してもらったことに対して礼を言った。


「いいえ、無事で何よりです。」


 首を振ってと返事をする少女は、 寝台横の棚に用意してあったプラスチック製のポットと硝子のコップを両手に持つ。


「どうぞ。まずはお水を飲んでからお話ししましょう。」


 そう言った彼女は水を注いでコップを手渡した。


 起き抜けに水を貰った彼方は「ありがとうございます……!」と、

 無邪気な笑みを浮かべながらコップを受け取ると直ぐに飲み干す。


「一晩中眠っていましたからね…。」


 空になった容器を見てそう言いながら両手を差し出してそれを返してもらう。



「それで……さっそく本題に入りたいのですが…。」


 棚にコップを置いて、そう切り出したルルはゆっくりと口を開いて静かに言った。


 「実は、貴方がどうしてここに来たのか。


 そして、ここに来るまで何があったのか。


 その理由を私達はもう知っているのです。」


 脈絡も無く予想だにしない言葉に「えっ……?」と戸惑う彼方。


 頷いたルルはコートの袖を捲り上げると、 右腕に通ったブレスレットを見せる。


「これに、見覚えがありますよね…?」


 まじまじと見詰めたブレスレットには、

 ハートの形をした青い宝石には左右に金属で鳥の翼を模した装飾が施されている。


 見覚えのあるその装飾品を見て「あれ……?」と不思議そうに声を洩した。

 真っ先に地球で出会った白いドレスの女性が脳裏に過ったからだ。


 思わず首元を両手で探ると全く同じ形のネックレスが掛けられていた。


 何故か首に掛けられたままのネックレスとそのブレスレットを交互に見て、

「これ……!確か女の人から貰ったんです。お守りだとか言っていて……。」と言う。


「これは私たちにとって、人の心を守るために役立てる御守りの様なものです。」

「心を、守る……?」


「はい。そうです。詳しいことは後ほど説明しますが、

 端的に言うと人の記憶を見ることが出来る魔法の道具なのです。


 記憶の全てではなく、あらゆる物事において最も重要な過程の部分を断片的に見ることが出来るのです。


 なので、説明をしなくてはならないのは私達の方なのですよ。」


 記憶を見ることが出来る魔法の道具。


 突拍子もない単語と説明に何と返事をすればいいか分からない様子の彼方。


「記憶の……過程的な部分……?」


 しかし、自分から話をややこしくするわけにはいかず、 理解できる範囲で返事をする。


「えっと……ということは、俺が眠っている間に記憶を見たから説明の必要はないってことですか?」


 すると両手を前に出して慌てる様に彼女は、

「そんなことはないですよ!事情が分かった程度なので……!」と言ってブレスレットを見せながら説明を始めた。


「まず、勝手に記憶を見てしまってごめんなさい。


 これはたしかに人の記憶を見るものではあるのですが……。


 正確にはその人の人生に影響を与えるような、

 感性に訴える程の僅かな記憶しか見られないのです。


 本来は人の願いや祈りなどの情念を集めて、 魔法の力を具現化するものなのですよ。


 私達はこれをアレセイア……と呼んでいます。」


「……そういえば街で襲われた時、 怪物が願い叶えるだとか、なんか言っていましたけれど……。


 これで願いが叶うってことなんですか?」

「はい、その通りです。カナタさんが地球で目撃した怪人が集めていたものがこれです。


 ですが私達が持っているアレセイアは、その1部分に過ぎません。


 ほんの一握りの願いごとしか叶えられないぐらいに、 小さな力しか発揮できないものなのです。


 だから願いを叶えるための前提となる祈りや願望、

 その人の欲望となる必要な記憶だけを見ることが出来るものとなっているんです。


 つまり、何でその人はこういう人生を今まで歩んできたのか…、というきっかけになる過程を見ることは出来ますが……。


 どのようにして努力してきたのかという具体的な全ての過程までは見ることは出来ないのですよ。」


 端的な説明から入ったが為に語弊を招いてしまった彼女は結局のところ詳しく補足する。


「えっと………それって要するに。


 人にとって重要な記憶しか見ることしか出来ないから、

 人の私生活の全てを見ることが出来る訳じゃないってことですよね。」


 話の内容のニュアンスを漸く理解し始めた彼にルルは、

「そうですね。そういうことになります。」と相槌を打つ。


「だからと言って安心して下さい……とは一概に言えないのですが、

 私たちはカナタさんがここに来た上で説明することに必要な記憶しか知りません。


 なのでまずカナタさんには、 この世界がどういう星なのか知ってもらうための話からさせて頂きます。


 今後のことに関する具体的な話はそれから話し合っていきましょう。」


 納得した彼は「なるほど……。」と2度頷きながら返事をした。


「分かりました。それじゃあ、よろしくお願いします。」

「いいえ。こちらこそよろしくお願いします。」


 互いに小さく頭を下げると、ルルは直ぐに説明を始めた。


「まずこの星は地球ではありません。


 スフィアという惑星でして、 カナタさんのいた地球より遥遠くに位置する星なのです。


 この時点で地球から来た貴方を混乱させるような説明になるのですが、

 この世界は地球とは違い、魔法というものが存在します。


 魔法の発見によって科学技術が大いに発展し、 自然を保護しながら文明の発達へと躍進させた星なのです。」


 そう言った少女は手に持った円状の黒い装置を見せながら、

「ちなみにこれは転送装置と呼ばれるもので、重力レンズを応用し固定された場所への量子テレポートを可能としています。」と付け加える様に説明を続ける。


「カナタさんがこの装置でこの世界に移動できた様に、

 私達は宇宙に進出することを試みた結果、およそ2年前から地球を観測し、 近年には実際に生態調査を行っていたということです。」

「2年も前から……!?


 じゃあ、地球であの変な怪人がいたのも、その調査が原因なんですか?」


 頷いた少女は「はい……。その通りです。」と言って深刻な顔をして言った。


「その調査中、ある研究者の行動が原因で事件は起こりました。


 彼の名前はロック・チャイルドといいまして。

 魔法科学研究所の一員で地球の調査隊員なのですが……。


 彼は地球の社会情勢があまりにも異常な管理社会である事を知り、

 魔法の力で世界を平等に改変しようとしたのです。


 それをきっかけに、秘密裏に地球人と接触し、魔法の力を地球人に使わせていて………。


 あの鎧の怪人もその力の影響を受けてしまった地球人の1人なのです。

 恐らくは今頃、地球の各地で怪人による無差別殺人が既に拡大していると思います。


 現在は調査員と連携し、ロック氏の捜索が続いていますが…………。


 もしも、今以上に捜査が困難であると判断されれば、捜査は即打ち切りになる方針です。」


 深刻な表情を浮かべて言い切った彼女に対して彼方は思い詰めたように俯くと静かに語り始める。


「…………俺……、仕事が休みだったんで、収容区の外を見に行こうとしてたんです。


 外にはまだ、開拓されていない綺麗な場所が多いので。ツーリングに。


 それであの時…………街で怪物が……。

 ……怪人が、暴れ回っているのが見えて、あっちこっち見まわっていたんです。


 逃げ回る人を追っ掛けて。淡々と襲っているのを見て。我慢できなかったんです。

 でもあの怪人にバイクで突撃しても全然、駄目でした。


 あの時――――首を絞められて、全く抵抗も出来ないまま殺されたのに何故か生きています。


 それなのにこの世界に来て今更、魔法なんて信じられないとは思いません。


 ただ、いくら怪人の力や魔法の力が凄くてもあのまま地球の人達の考え方が変わるというのは、無理があると思います。


 俺も含めて……あの地区にいる人達は、今の社会で役立つ為に生まれてきていますから。


 多分、それぐらいのことはあの怪人だって分かっているでしょうし、

 何か……そのロック・チャイルドっていう人との目的と怪人の事件の関係って合ってない様に思います。」


 彼方のどこか落ち着いた物腰と返答に彼女は同意する様に深く頷いた。


「私達もそう思って調査しています。


 実はこの世界でも同じ様な事件が起きていまして……。


 ちょうど5年程前から動物のような姿をした人間が、

 人を襲う事件が多発している様でして、それ以来その存在を公式に怪人と呼んでいます。


 特に小さな子供を持つ家族ですとか、 努力で大きな成果を上げた人々が狙われるケースが多いのです。


 今までそんな前例が無かったので、

 もしかしたら……この一連の事件はロック氏が関わる以前から起こったことなのかと憶測が立てられています。」


 内容だけでは類似した事件ではあるものの、

 1つの憶測による不安から様々な疑惑を想像させるばかりであった。


「ただ、私達も怪人に関しては情報が不明瞭な点も多く、あくまでもただの憶測でしかないので……。


 今のところは可能性として留意しておいて下さい。」


 確証のない話を異界に来たばかりの彼に投げ掛けても仕方のないことである。

 思わず彼女は話を脱線させてしまったことを自覚して詫び入る。


「……すみません。話が大分、逸れてしまいましたね!


 全く無関係の地球の方々を巻き込んでしまっているのに、自分たちの心配をしてしまいました……。


 そもそも魔法なんていう曖昧で非科学的なものが存在することを前提に、 詳しく説明もせずに話を進めているものですから……。


 余計に不安を煽るようなことを言ってすいません。」


 話を戻そうとする彼女に対して、 真面目に話を聞いていた彼方は首を振って言った。


「いいえ……!別に関係のない話でもなさそうですし謝らないでください。


 聞いた感じだと全然、他人事に出来る話とも思えないですし。


 それに……それって、 この世界の事件にも地球人が関わって可能性だってある、ってことじゃないですか。


 そんなの、この世界の人からすれば不安になるのは当然ですよ。」


 苦笑交じりにそう言った彼にも実感できる話ではあった為、

「だから気にしないでください。他人事にしていい話じゃないので。」と言葉を添えた。


「……そう言ってもらえると助かります。


 ですが、それよりも今はカナタさんの事が最優先です。


 一先ず。地球で起こった一件については、こちらで起こした問題なので我々に任せて下さい。


 このまま地球にカナタさんを地球に帰す訳にはいきませんので、 今後についてお話ししたいのですが……。


 私達には地球人とは違った価値観や倫理観があります。


 ただ、価値観については地球人である貴方にとって少々ややこしい話になるので、それを含めて後々説明しますね。」

「……価値観の違い、ですか……。


 でも……今も結構、ルルさんとは普通に会話できている気がするのですが…………。」


 呆然と呟くような彼の返事にルルは頷きつつも、 次第に何処か寂しそうな表情を浮かべていた。


 優しく浮かべた微笑みを価値観の違い1つで表情を曇らせる。


 感情が入り交じった複雑な笑みで話を一区切り付けるようにルルは言う。


「そうですね……一先ず、 きちんとしたお話をする為にも私の研究室に移動しましょうか。」





 病衣から衣服に着替えて廊下に出た彼方。


 先導するルルに置いて行かれない様に後ろを歩きながらふとした疑問を投げ掛ける。


「さっき――――ここの研究室、って言っていましたけれど。


 やっぱりルルさんも研究員なんですか?」

「はい。…………と言っても私は魔法学院の管轄下にある研究員なのですよ。」


「学院……?大学の研究機関みたいなところですか?」

「そうです。 ここは学院付属病院で、先程の病室は特別に借りていました。


 学院の研究所以外にも、魔法科学研究所と言う警察の科学研究所が隣接されていまして、

 学院に在る魔法の知識や科学技術を応用して新しい兵器や魔法のテクノロジーを生み出すのが今の私の仕事なのです。」


 廊下を渡った先にあったエレベーターを利用して地下から1階へと向かうと、

 駆動するかご室の中で彼女が本来の研究員という職務とは別件に仕事を掛け持ちしていること知る。


「今の――――ってことは…。


 じゃあ、普段は学院の研究所でお仕事されているってことですよね?」

「ええ……。ただ、今は怪人関連の事件の影響で、警察の合同捜査による協力要請を受けています。


 その捜査の過程で私達、学院側の研究員も科警研の仕事に携わっているのですよ。


 だから当分の間は離れにある警察の科学研究所の研究員ということになりますね。」


 扉が開いて病院の大きなロビーに出ると、 そのまま真っ直ぐに出入口の回転扉を通り抜けて外に出た。


 外に出て見上げる青い空。晴天だった。


 水仙の花が咲く手入れの行届いた病院の庭を抜けると、 見渡す限りの水路が街中に通っていた。


 煉瓦調の玉石舗装路が続き、 それらの石で外壁を積み上げて造られた建築物。


 一言で言い表すのならば潟に杭を打って煉瓦を積み上げた街。


 眼前に見える広場の住宅街は茶色やオレンジ色の三角屋根がずらりと並んで街を彩り、

 格子のついた二重、三重の窓。左右対称で正円アーチや直線の多用の佇まいが見受けられる。


 しかし、建造物の主要部分はルネッサンス様式が取り入られている。


 対して、遠くに見える程に聳え立つ細長く尖った建物。


 時計塔や教会には尖塔群と飛び梁、扉や窓枠を囲う尖頭アーチ等のブリックゴシック様式で形成されている。


 要するに建物の殆どは煉瓦造りが主流の街であった。


 水路沿いや運河沿いの住宅には水平の屋根の上部に滑車付きの大きなフックを備えたコーニスが正面に対してやや傾斜した形態を保っている。


 遠くに見えた住居では3階の窓からフックに吊るされたロープを伸ばして、

 停船したゴンドラから結んだ積み荷をウインチで引き上げて窓まで搬入している住人の様子が伺える。


 基本的に折衷主義的な建築で構成されていながら、 随所に歴史主義建築が取り入れられた街並み。



 病院前のアーチ橋を渡り、海に面した街並みと、軒を連ねる住宅街に通った途方のない水路。


「海だ……。海の街なんですねぇ!実際に海を見るのは初めてです…………!」


 物珍しそうに辺りを見渡す能天気な彼を他所に、

 その行先で異彩を放つ様に一筋の太い糸の様な物が住宅の壁に付着している様子が窺えた。


「ん……?」


 思わずその対照的で不自然な白い糸を目で辿って伝っている場所を見る。


 その場所には噴水を中心とした広場があり、

 更にその真上には街を覆うほどの網目状の白い線が張り巡らされていた。


「ルルさん……。あれって———」


 遠くの空に巨大な蜘蛛の巣が出来ていたのだ。


「……………あれは!


 あれは……恐らく、昨夜から目撃されていた蜘蛛の様な姿をした怪人の仕業です。」


「やっぱり蜘蛛の巣なんですね……!でも何でこんな街中であんなものを……!?」


 先程この世界の脅威になっているという話を聞いた矢先に、その一端が早速眼前に現れてしまった。


 動揺した辺りを見渡す彼方。


 広場を見通すとその前方には既に白と青の車が数台止まっている。


 パトカーだった。巣の下から黒い制服の人々が拳銃で光の弾を空に向かって撃ち上げる。


 空中に作り出された蜘蛛の巣の上で怪人が移動する度に、

 パトカーから降りた黒い制服の人々が次々に銃を発砲している。


 その傍らでは避難誘導や通路の封鎖に人員が割かれ、 火災現場や瓦礫に埋もれた住民の救出に専念している。


「あれは……警察……?


 ああやっていつも警察が対応しているんですか?」


 銃撃による防衛が数10名程度。人命救助に20名程であった。


 頷いた少女は「……はい。」と躊躇いがちに説明をした。


「正確には……魔法使いが対応しています。」

「……怪人に光の弾みたいなのを撃っている人達のことですか?」


「そうです……先程は詳しい説明を省きましたが、 この世界には警察機構に魔法使いが在籍しているので、

 こうした魔法でしか解決できない事件には出動要請が下されます。


 本来ならこの世界のことを説明してから改めて知って欲しかったのですが……。


 兎に角……私達は周辺住民に避難を呼びかけてからここを離れましょう。」

「分かりました……!」


 黒い軍服の様な恰好の人々が魔法使いと呼ばれた警察機構の人間であることを理解し、 彼も現場から離れようとした。


 するとその瞬間。


「うぅわっ!?」


 頭上で炎が直線を描くように燃え上がる。


「なっ……!何だ!?」


 真上に伸びていた糸が一瞬にして炎上した。


 マンションに付着した一本の糸に炎が走ると、瞬く間に建物の壁面まで到達した火柱が燃え盛る。


 バキリ!ベキリ!と軋む様な音と伴って、 壁面がボン!と音を上げて一気に破裂する様子を目の当たりにする。


「うわっ!?爆発、した……のか!?」


 彼方が見上げた空からは砕け散った破片が飛び散って、 雨霰の如く近隣の屋根や路面を打ち付ける。


「な、何で建物の壁まで……!?」


 民家の前に駐車してあった乗用車のボンネットに落下して、 そこがべっこりと凹んだ様子に思わず彼方は身を引いた。


 ルルは「どうやら蜘蛛の糸が熱で破裂したようです……!」と言った。


 空からは燃える糸が千切れてばさりと落ちて地面を叩き付けると、

 壁に張り付いていた糸の付着部まで振動を起こして壁に亀裂を入れた。


 そして亀裂の間の破片に炎が燃え移ると、

 マンションの出窓から消火器を持った住民が急いで燃える壁面に向かって粉末を噴射する。


「あの糸は非常に可燃性の高い性質を持っています。」


 住民による消火活動を眺めながら落ち着いた口調で説明するルルは、

 噴水の広場から空の蜘蛛の巣に向かって撃ち出されている光の弾に視線を移す。


「つまり魔法使いの方々が撃っている高熱の弾丸で、 簡単に溶解させる事が出来るのですが……。


 あまりにも熱が強く伝わりやすいので溶けた糸の中の成分が熱劣化を引き起こして、

 粘着力が強い接着部を破裂させることがあるのです。


 窓硝子程度なら直ぐに割れますし、建物の壁は僅かに罅割れてしまいます。」


 高熱の弾は再び蜘蛛の巣に着弾して、再び付着した建物へと走っていく。


「それじゃあ、糸が燃える度に街の建物にも燃え移るんじゃ――――」


 ルルの解説通り。


 見上げていた燃えた炎が壁面へと到達すると、再びギシギシと音を立てて燃える破片が飛散する。


 今度は民家の壁が燃え始める。亀裂は小さくとも木製の窓枠などは火の手が上がるのは早い。


 焦りを見せる付近の住民が消火器や庭のホースを片手に集まり始め、


 更なる事態の悪化を招いたその時。



「……やめてえぇえええ!!!やめてよぉおおお!!!!」


 噴水の広場から子供のような高く幼い声が聞きこえてきた。


「……っ!!!?」


 大仰にも目を丸くして慌てたように広場へ視線を向ける彼方。


 噴水の真下で銃撃戦が繰り広げられている最中で、 子どもが制止するように声を上げているのだ。


「ルルさん!俺!ちょっと様子を見てきます!!!!」


 あまりにも唐突に彼方は思わず駆け出していた。自然と。一目散に。


 子供の声を聞いた程度で取り乱す彼の脳裏には絵本の少女の姿が目に浮かぶ。

 地球で甲冑の怪人に一方的に嬲られていた時ですら思い返していた、あの少女。


 彼は幼き日に憧れたある少女の生き様に共感して、

 人間らしく生きていたいという叶わぬ夢を。無意味な幻想を抱いているのだ。


 だから彼は走った。たとえそれが他者から異常で奇行だと揶揄されようとも。


 脳裏に過る絵本を描いて夢を語る少女の記憶が蘇り、身体は目的地に向かっていく。


 まるで、身体にそう組み込まれているかの様に。


 このような狂った男を止めるにはそれ相応の絶望に直面させなければ現実を思い知らすことなど出来やしない。元より彼は失敗作なのだから。


「カナタさん!?」


 その突拍子もない異常な行動にルルは呼び掛ける。


「待って下さい!今近付いたら危険です!!!!カナタさんっ!!!!」


 その声を背に受けても尚、彼は走る。

 傍から見れば落ち着きがなく、唐突で脈絡のない軽率極まりない短絡的な行動だ。


 しかしながら、人の意志というものは他者がすぐさま抑制できるものでもない。


 声を受けて尚、自己中心的に。心任せに彼は走る。

 それは彼もまた、心の中で息衝く思い出を。生きる指針を。


 自由意志という尊厳を守る為に。自己の都合を思いのままに。自分が満足に生きていられる為に。





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