○
「頑張れ! すぐに引き上げる!」
(澤渡さん!?)
澤渡が身を乗り出し、歯を食いしばりながら佐羽の腕を掴んでいる。「皆、手を貸せ!」と他の乗客が叫ぶ。佐羽を助けんと、乗客が動き始める。これでは――澤渡だけではない、他の乗客まで死んでしまう。『違う運命』が、澤渡達を殺してしまう。
「澤渡さん! 手を離して!」
どうして名前を? そんな戸惑った表情を一瞬だけして見せた澤渡だが、手を振り払おうとした佐羽に、彼は叫んだ。
「生きることを諦めるな!!」
瞬間――乗用車に轢かれた澤渡の記憶が蘇る。彼は最期――この言葉を言おうといていたのだろう。
最期の最期まで、佐羽に気にかけてくれていた。違う未来に居ても、同じように――最悪な人生だった。呪われた人生だった。死ぬこともできない。希望もない。だったら、
「……諦めよう」
死ぬことを、諦めよう。
力を振り絞り、佐羽は澤渡の手を必死に掴む。他の乗客の力も加わり、一気に佐羽の身体が機内へと戻される――まるで、満塁ホームランを誰かが打ったかのように、耳を劈く歓声が上がった。
「お嬢ちゃん! ありがとう!」
ありがとう。
そんな言葉を佐羽に多くの乗客がかけてくる。中には「無茶したらいけないだろうが!」と怒ってくる人もいた。それでも、佐羽は怖くはなかった。皆の目に浮かぶ涙が、恐怖しか感じることのなかった怒声を霞ませてくる。最後には頭を撫でてくれて、抱き締めたりもしてくれて――温かさが全身を和らげ、身体から力が抜けていき、佐羽は床に座り込む。
同じように床に座り込み、肩で息をする澤渡が声をかけてくる。佐羽は、彼が何を言おうとしているのか、手に取るようにわかった。
(ありがとう、きみは僕の恩人だ)
「ありがとう、きみは僕の恩人だ」
(僕の大切な家族を救ってくれた。本当にありがとう)
「僕の大切な家族を救ってくれた。本当にありがとう」
澤渡は笑顔を浮かべ、彼に歩み寄ってきた老夫婦を見た佐羽は、静かに微笑んだ――最悪な人生でもいい。呪われた人生でもいい。死ぬことができなくたっていい。未来に希望なんてなくたっていい。みっともなくてもいい。格好悪くたっていい。
「もう諦めませんから」
佐羽は澤渡にそう言って袖で涙を拭った。澤渡は一瞬だけだが、何かを感じ取ったかのような目をして見せた。それを見て、佐羽はくすくすと笑い出す。
テロリストは縛り上げられ、興奮冷めやらぬ中、機長がアナウンスで最寄りの空港へ緊急着陸をする旨を伝える。開きっぱなしの扉、後方の席へ移動することとなった佐羽達。その途中、佐羽は振り返って扉の向こう、雲海を望む大空を見渡す。
過去を暴かれようと、世間の目と戦って打ち勝ってやる。英雄という言葉にすり寄る親戚なんて無視してやる。過去を掘り返す新聞記者? 何度だってかかってこい。全部撥ね退けて慄かせてやる。死ねない? だったら、惨たらしく生き続けてやる。
生きることを諦めないと約束したのだ。
だから、今の自分には強い勇気がある。
「負けないよ」
そう言葉を残し、佐羽は踵を返して扉に背を向ける。
運命になんて負けてたまるか、と拳を握り、今まで息を潜めていた灯火が、佐羽の瞳に揺らめいた。
『命の灯火』了
命の灯火 黛惣介 @mayuzumi__sousuke
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