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――吐き気が込み上げてきた佐羽は思わず口元を手で覆う。この男は――見覚えがある。両親が事件を起こしてしばらくの間、大勢のメディアが佐羽に取材を申し込もうと、一時期身を置かせてくれた親戚の自宅までやって来た。その中に、この男はいた。
突如として甦る記憶の奔流が、頭の中を激しく揺さぶる。視界が歪み、身体の震えが止まらない。
「駅で起きた事故、実は目撃しちゃいましてねえ……確かに、死なない人間であれば、ああいった正義感溢れる無茶苦茶な行動も問題なしですよねえ。いやはや、不死というんですかね、そういう力って。実に興味深い。電車を一本逃して正解でした。こんな特大スクープが手に入るとは」手帳とボイスレコーダーを取り出し、實樹は舌なめずりをする。「強盗殺人犯の娘はまさかの不死人間! 正義の味方のように颯爽と迫り来る電車から女の子を救い出す! ……売れますよ、これは。さあ、取材をさせてください。是非」
「やめてください」と、澤渡が叫ぶように言う。涙目になっていた佐羽は、無意識に、じりじりと席を離れようとする。
「例の飛行機に乗り合わせた方でしたね。いやいや、そんなに怖い顔しないでください。俺はただ取材をしたいだけですよ」
「その取材が彼女の心の傷を抉る行為なんです。わからないんですか? 彼女は」
「わかっていますよ?」薄ら笑い、實樹は指先を舐めて手帳を捲る。「小さい頃から両親から虐待を受け続けて、さらにその両親が殺人犯になって親戚中をたらい回しにされた挙句、こうして死にたくても死ねない身体になってしまっている。状況はわかっていますし、過去もそれなりに調べ上げてきましたから……ああ、しかし、死なない身体というのは、何とも複雑なものでしょうね、彼女にとっては。だってそうでしょう?」
手帳を閉じ、靴を鳴らす。人を人として見ていない目と言葉に――佐羽は言葉を失う。
「ご両親に殺された女性は生き返ることはない。そのご家族はずっと恨みを抱いて今も尚、憎悪の嵐に巻き込まれ続けている……なのに、殺人犯の娘であるこの子は死なない人間なうえに、こうしてあなたのようなお優しい方に手を差し伸べてもらっている。これを被害者のご家族はどう思われますかねえ?」
逃げろ。
そう誰かが言った。
それは紛れもなく自分の声で、突如走り出した佐羽は喫茶店を飛び出す。
「待てよ!」と實樹が追いかけてくる。澤渡も追いかけてきているが、佐羽の速さには二人共追い付くことができない――自分は求めてはいけない人間だ。死ぬことができない、無慈悲で残酷な現実。これが神様の悪戯であるのなら――今すぐ喉元を掻っ切ってやる。物騒な怒りに反して、表情は悲壮感に覆われている。
走り、腕を振る度に涙をこぼして置き去りにしていく。澤渡の優しさは嬉しかった。純粋に嬉しかった。だが、現実は最悪、澤渡の優しさは、きっと彼自身の人生を狂わせる。こんな人間に関わってはいけない。関わっても良いことなどない。だから。
(もう、何も求めない)
走り疲れ、徐々に速度が緩まる。後方には必死の形相で駆けてくる澤渡と、汗だくになりながら走ってくる實樹がいる。逃げられない。こんなことなら体力付けておけば良かった、などとくだらないことを――考えていた自分に、呆れる。
「――佐羽ちゃん!!」
時間が止まったかのような感覚の中、澤渡の声が響く。気付けば佐羽は――道路に飛び出していた。目の前には、乗用車。運転手が仰天している。このままだと――いや、どうせ自分は死なない。どうせ勝手に身体が動いて助かる。だから何もしない。しなくていい。そう思っていた佐羽の身体に、軽い衝撃が走る。
(え?)
澤渡の手。肩を押されて、佐羽の身体が前へ飛んでいく。鈍い音とブレーキ音が響く。騒めき、叫び声が入り混じり、転がり倒れた佐羽が振り返った直後、乗用車が縁石を乗り上げ、近くのコンビニの壁に衝突する。阿鼻叫喚、地獄絵図のように乗用車が炎上、頭から血を流した運転手が慌てて運転席から飛び出し、直後に爆発。黒煙が上がる中、佐羽は少し離れた場所に転がる人間――澤渡の変わり果てた姿に呆然とした。
「澤渡……さん?」
よたよたと、四つん這いで澤渡に近付く佐羽。血まみれで、腕は拉げ、真っ白な骨が見えている。おびただしい血液が流れ出し、血だまりの中に澤渡はいた。遠くで實樹が顔を真っ青にさせて立ち尽くしている。ああそういうことなのか、と佐羽は澤渡を見る。
(私は死なないけれど……死のうとしても、死に方次第では他の誰かを無理矢理巻き込んでしまうんだ)
駅のホームで女の子が落ちたのは、偶然じゃない。死のうとした佐羽が『死なないために必要な犠牲』として選ばれたのだ。つまり澤渡も――。
「さ、う、ちゃん……」
涙をぼろぼろと流す佐羽に、澤渡が何かを言おうとしている。口元に耳をやっても聞き取れない。徐々に呼吸が落ち着いていく。そうじゃない、と佐羽は静かに瞼を下した澤渡に向かって、感情に身を任せて叫んだ。
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