佐羽は病院側に退院日を誰にも伝えないように頼み、退院日はこっそり従業員用の出入り口から病院を後にした。親戚の家以外に佐羽が向かう場所はないが、今、佐羽には確認しなければならないことがある。

 帽子を深く被って駅に向かう。この人混みを利用すれば確実に実行できる。駅のホーム、人々の声の嵐、けたたましいベルが鳴る中、佐羽は電車を目視で確認、タイミングを見計らう――避けられないタイミングであれば、と佐羽は電車を見る。

(さあ、どうなる?)

 電車がホームに滑り込んでくる。あと数秒待って飛び込めば――と、人混みが、突然佐羽の身体を押した。タイミングがずれた、と舌打ちした佐羽は抵抗することなくホームへ倒れ込む。その佐羽の視界に――ホームから、今まさに転落している小さな女の子が入った。

(あ)

 身体は、勝手に動き出す。ホームに着地したのと同時、地面を勢いよく蹴った佐羽は、落下してきた女の子を両手でキャッチ、迫る電車の大きなブレーキ音と警笛に顔をしかめながら、ホーム下の避難スペースに飛び込む。

 まさに一瞬の出来事。電車が佐羽の背中ぎりぎりを走り、ゆっくりと動きを止める。ざわつく構内、泣き始めた女の子を抱きかかえる佐羽は唇を噛み締め、その場で身体を震わせる。


 佐羽は救出されてすぐに姿を眩ませようとしたが、警察や救急車、レスキュー隊まで出動する事態に佐羽は駅員室のパイプ椅子に座って怪訝な表情を浮かべる。やって来た警官が駅員に訊ね、佐羽のほうへとやって来る。帽子を深くかぶり、顔を隠す。不審がられたのか、いくら女の子の命を救った人間であろうと関係なく彼らは訊ねてくる。

「どうされました?」と無理矢理顔を覗き込もうとしてくる警官に、「何でもないです」とぶっきらぼうに答える。『確認』はできた。ここに居ても意味もない。「トイレ、良いですか? ずっと我慢していたんで」と佐羽は言う。警官は少し躊躇ったが、さすがに引き留めようとはしてこなかった。婦警が付き添ってくるようで、佐羽はトイレに入る直前、タイミングを見計らう。そして――一瞬の隙をついて、走り出す。足には自信があるが、持久力はない。しかし、逃げ切るまで緩めない。追い付かれたら最後、捕まる。何も悪いことはしていないが、捕まってしまう。

「――こっちだ!」

 え? と疑問符が頭の上に浮かぶ。走っていた佐羽の手を誰かが掴み、通路の陰に引きずり込む。婦警が息を切らしながら応援を要請、周囲に警官が集まり始める。「行こう」と男が佐羽の手を引いて、警官の姿がない通路を進んで行く。



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