第4話 前兆・その1

 僕がこんな事態を招いたのには、何か決定的な前兆があったのだろうか。

 僕は数日に一度、美月の帰りが遅い日など、自宅での一家団欒の夕食をあきらめ、外食で済ませている。だが別に暴飲暴食をしているわけじゃない。近所のラーメン屋や鉄板焼の店、あるいはコンビニで売っている夜食ぐらいのものだ。

 普通の日は家で食べている。普段食べないような豪勢な食事なんて、月に一度くらい、東京に行ったときに食べるささやかなご馳走ぐらいのものだ。(秋葉原の『肉の万世』のロブスターは特にお気に入り)

 妻はかつて、僕がポテトチップスを食べるたびに渋い顔した。塩分の取りすぎだと。確かに一袋に一グラムの食塩は多すぎる。最近、僕はその悪癖をあらため、いっぺんにポテトチップスを食べないことにした。

 甘いものが昔から好きだ。医師から血糖値が高いとよく警告されていた。だが常人に比べて何倍も高いわけじゃないし、血糖を抑える薬も飲んでいる。何にせよ、いきなり破滅的な影響が出るとは考えにくい。

 それに僕は酒も煙草もやらない。信じられないほど健康な人間のはずなのだ。僕より不健康な暮らしをしている人間はいくらでもいる。


 しかも僕は、今年の一月、吹田市の国立循環器病研究センターで、レントゲン、CTスキャン、MRIなどで徹底的に検査を受けた。脳などの機能に異常がないことを確認してもらうためだ。

 そう言えば、テクネシウムシンチという珍しい検査も受けた。テクネシウムという特殊な放射性元素を血管に入れ、詳しく調べるものだ。テクネシウムの半減期はきわめて短く、たった一日で使えなくなってしまう。シンクロトロンなどで作ったものを運んできて、その日のうちの使い切るのだそうだ。そんなに半減期が短いということは、たちまち他の元素に変わってしまうので、安全なのだ。

 しかし、テクネシウムシンチを行っている部屋に気になるところがあった。部屋の入り口には「RI室」と書いてあるのに、RIとは何の略なのか書いてないのだ。ラジオアイソトープ(放射性同位元素)の略に決まってるのに。

 それに看護婦が血管に注射する時に、「お薬の注射を入れます」としか言わなかった。世の中には科学にうとい人もいる。「放射性同位元素を入れます」と正直に言うと、不安に思う人もいる。それを警戒したんだろう。

 僕みたいに、『日経サイエンス』を毎月読んでいて、テクネシウムシンチなんて言葉を知ってる人間の方が少数派だろう。放射線は大量に浴びると危険だが、X線など医療に用いる程度の量なら心配はいらない。僕などはむしろ、あまり聞いたことのない珍しい元素を体内に入れられると知って、わくわくしてしまったのだが。

 何にしても、精密検査では何も発見されなかった。

 脳梗塞は医師にも予知できない突然の出来事だったのだ。


 だが、僕にもある種の予兆はあった。あとから思い返すと、不気味な前兆は数ヶ月前から忍び寄っていたのだ。


 このところ妙に物忘れが多いということは、内科の診察でも訴えていた。日常生活でふと固有名詞が出てこないことがあるとか、小説を書いていて登場人物が思い出せなくなるとか。

 それ自体はたいしたことじゃない。誰でも日常生活でよくあることだし、分からなければ、ネットで検索するか、自分の小説なら過去のデータを読み返せばいいことだ。だがやけにその件数が増えてきていることが気になってはいた。

 小説家は頭が資源だ。何か頭に重大な異変が生じている前兆ではないのかと疑ったのだ。

 だが医師は僕の訴えを無視した。「年を取ると忘れっぽくなるもんですよ」と。


 そして体調に異変が生じた。

 身体に生まれた異変の最初のものは、異常な疲労感だった。その日の執筆の仕事が一段落し、仕事場のマンションから帰ると、なぜか奇妙に疲れている。二階への階段を昇るのさえ一苦労で、時には最後の数段を這い昇らねばならない時もあった。

 イベントで東京に行った時のこと。会場がやけに狭い階段で、三階まで昇ったところにあるのだが、僕はノートパソコンもっていったせいで、情けないことに途中でギブアップ、パソコンをスタッフの人に運んでもらったことがある。

 ひどい恐怖を味わったこともある。台風の近づいた風の強い日のことである。たまたま近所を歩いていた僕は、吹きすさぶ強風になぜか歩調を合わせ、風に合わせて全力疾走していることに気付いた。

「ちょっと待て!   僕は何で風に合わせて走ってるんだ!?」

 わけがわからなかった。しかし、危険な行為であるのは確かだ。通行人にぶつかったら怪我を負わせてしまうかもしれない。僕はただちに風に立ち向かうのをやめ、自宅に帰ることにした。

 この謎はしばらく解けなかったが、後になって病院でリハビリを受けるようになって判明した。両足の機能が麻痺し、リハビリをしなくてはならなかったのだが、その際、気がついたのだ。悪くなった脚は、常識とは逆に反射的に小股になり、歩調はそれに合わせて速くなるという事実に。

 つまり、風に強く吹かれた際に、僕は悪くなった脚に負担をかけまいと、自然と歩調を風に合わせて歩くことにしたわけだ。もちろん、歩調を風に合わせて速くするのにはそれなりのエネルギー消費がともなうのだが、当時の僕の無意識にとっては、身体に無理をかける行為を何より嫌ったのだろう。

 今になってみれば、あのおかしな不条理な行動は、身体の異変に僕の脳が先回りして気付いていたことの証明である。全身の機能が麻痺しはじめていることに。

 脳はしばしばその人自身が気付かないことに気付く……それは僕が自作『僕の光輝く世界』で書いたことである。しかし僕自身がそれを理解していなかった。僕は脳が発していた異変の前兆を無視したのだ。

 いやまったく無視していたわけではない。僕が前述の国立循環器病研究センターで精密検査を受けたのも、度重なる異変が何か兆候ではないかと危惧したからだ。だが最先端の医療設備でも、何もおかしな点は発見できなかったのだ。

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