あぶだくしょん・こめでぃ
若葉 葵
第1話
「……っ」
ふと目が覚めると、手足に痺れるような痛みが走った。
視線を下に落とすと何故か俺の手足は両方共、縄のようなものでがっちりと締められていた。少しばかり外れないか試してみるも、手足が痛いばかりで縄が緩くなるような事すらなかった。手足を封じられている為、身動きはほとんど取れないが、どうやら顔だけは動かせるようだった。
仕方無く辺りを見渡す。明かりは乏しく薄暗かったが、籠に入れられた大量のサッカーボールや積み重なった石灰など、どこか見覚えがあるものを発見出来た。というより、この場所自体見覚えがあった。
「ここは……体育館倉庫?」
何回か入った事があるから間違いない。ここは学校の体育館の側にある体育館倉庫だ。体育館倉庫はその名の通り、体育の授業で使う物をここに積み込んでいて、必要な時に必要な物をいつでも取り出せるようになっている場所だ。決して寄り付かない場所とは言えないが、体育の授業がない限りはこの場所に近付く事はないはず。
どうして俺はこんな場所に? それも手足を縛られた状態で?
ここにいる経緯がどうにも思い出せず、直前の記憶を探ろうとしたその時だった。
不意に倉庫のドアが開いた。外の光が漏れ出し、反射的に俺は目を瞑った。次に目を開くと、すぐ目の前にブレザー姿の
「目が覚めた?」
首を傾げながら、節木が俺に向かって呼びかける。
「ああ」
一瞬、はっとしかけたがすぐに俺は答えてみせた。
どうしてここにクラスメートである節木が、とは思わない。節木の姿を見た瞬間、どうして俺がこんな場所にいるのか、何故俺が手足を縛られた状態なのか、節木がここにいる理由も含めてその全てをたった今思い出したからだ。
「昨日の事は覚えている?」
「勿論、覚えてる。……一応確認するが、あれは夢とかじゃないよな?」
「夢じゃない」
表情を変える事なく、節木は頷いた。
そうかそうか。やっぱりは幻覚とか俺の妄想の類ではなく、現実のものだったか。実は今の今までその可能性を捨て切れなかったんだが、張本人に言われては納得せざる得ないな、うん。
あっはっはっは。
「……私の正体を知った以上、貴方をこのままにしてはおけない」
いつ間にか節木の手にはそれはとてもとても鋭そうなナイフが握られていた。それで俺の身体を刺したり切ったりしたらそれはとてもとても痛そうなんだが一体、節木はそれを何に使うんだろうか? 俺にはそのナイフの用途がさっぱり分からなごめんなさいすみませんお願いします何でもしますかあちょっマジでやめっ誰か助けてええええぇぇぇぇっ‼
**
エイリアン・アブダクションをご存知だろうか?
誰しもTVとかで一度はお目にかかった事はあるんじゃないだろうか。どこからともなくUFOと呼ばれる謎の円盤がやって来て、人間や動物を吸い込むように攫っていくアレである。
勿論、UFOなんてものはこの世に存在しない。TVに映るエイリアン・アブダクションを撮影した映像もCGか何か加工されたもので、現実に起こった出来事を映してるわけじゃない。つまりエイリアン・アブダクションなんてものも実在しない。これが一般論、というわけではないがほとんどの奴はそう思っているに違いない。俺もそうだった。だった、という事は今は信じているのかと言うと、まぁ信じてる。それは何故か?
ぶっちゃけると昨日、俺はそのエイリアン・アブダクションを目撃した。
委員会の仕事で遅くなり、街灯に虫が群がるような時間帯での帰り道。
河川敷で両手を上げながら空を見上げる節木
そんな場所で一体何をやっているのかと思わず足を止めてしまった俺は悪くない。賭けてもいいが、その場にいたのが俺じゃなくともクラスメートの奴なら誰だって俺と同じようにしたはずだ。
節木は一ヶ月前にうちの学校に転校してきたばかりの転校生だった。それもただの転校生じゃなかった。節木は超が付く程の美少女だった。女に興味がある奴なら誰でも一度は目を奪われるんじゃないだろうか。そして節木は超絶に無口かつ無表情だった。基本、首を縦に振るか横に振るかで会話(?)をして、何をしても何をされても表情一つ変える事はなかった。名前の通りの不思議ちゃんぶりに大体のクラスメートは距離を取った。が、逆に興味を持って近づく稀有なクラスメートもいた(大体は節木の容姿に惹かれて近づいた男子だった)。かくいう俺も節木という女子生徒に一見興味がないフリをして、どこかで会話が出来ないだろうかと機会を待ち望む少数派だった。これはもう仕方ない事で、可愛い女の子に近寄りたいというのは男子高校生の性だ。
そしてその機会が遂に来たのだと舞い上がった俺は急いで河川敷の坂を滑り降りて、節木に話しかけようとした。だが、それは叶わなかった。突然、節木の身体がふわりと風船のように浮かび上がったからだ。あんぐりと口を開けて俺は節木を見上げた。見上げるとフリスビーのような灰色の円盤としか言えない何かが空高く浮かび上がっており、それに向かって節木が吸い込まれるように浮かび上がっているのだと分かった。
非常に情けない事に俺は腰を抜かした。目の前に映る光景が信じられなかったし、その存在そのものに圧倒されてしまったからだ。ただただ浮かび上がる節木を見送っていると、浮かび上がっていく節木と確かに目が合った。そして、節木はすぐに目を逸らした。まるで見てはいけないものを見てしまったかのように。続いて俺も目を逸らした。俺が見ていたのは間違い無く『見てはいけないもの』だったから。
俺が目を逸らしている間に謎の円盤も節木もいつ間にか居なくなっていて、空を見上げれば満天の星だけが見えた。ゆっくりと俺はその場で立ち上がって、頬を三回つねって、一度グーで殴った。頬が痛いだけでベッドの上で目覚める、なんて事にはならなかった。なって欲しいとその時程思った事はないだろう。俺は何もなかったかのように河川敷から離れて自宅に帰った。この事を誰かに話そう、なんて考えすら浮かばなかった。起こった事が現実離れし過ぎていたからだろうか。どこか頭の中がふわふわとして何も考えられる状態じゃなかった。
そんな状態での次の日。普通に登校した俺を教室で待ち受けていたのはこちらじっと見つめる節木だった。
「……」
めっちゃ見てる。超見てる。
節木は何を言うわけでもなく、黙って俺を見つめていた。教室に入った時からずっとこの調子である。見つめ続けられる俺は気まずい思いで節木から目を逸らし続けた。流石に授業中までは見つめてこなかったが、休み時間など自由な時間帯では節木はずっと俺を見つめ続けた。こうもなると、嫌でも昨日のアレを思い出してしまう。間違い無く節木は俺がアレを見たと疑っている……というかほぼ確信してるだろう。目合ってたし。
そもそも、だ。一体、アレは何だったのだろうか。
少し想像というか妄想を巡らせてみる。
あの謎の円盤が実はUFOで人体実験などを目的にその辺にいたごくごく普通の一般人である節木を狙い、哀れ節木は抵抗も出来ずに宇宙人によって連れ攫われ、何かやばい事をされたのち、何か普通に自宅へと帰された……。
……絶対にないな。ツッコミどころが多数だ。
まず節木はごく普通の一般人とはかけ離れている存在だ。それこそ『実は私は宇宙人だったんです』と告白されても「あーそうだったんだ」と納得出来るくらいには。仮に節木がちょっと、かなり変わったただの人間だったとしても流石にいきなりアブダクションされれば眉の一つも動いてもいいはずだ。だが、節木は瞼すら動かさなかった。俺を見た時の方が反応があったぐらいだ。更に言えば、その反応は「やべっ、見られた」といった感じの反応で決して「アブダクションされてるやべぇ助けて」とかそういうのではなかったと思う。あと、そんな事があって普通に学校に登校してるのも幾ら何でも不自然過ぎる。
まだ節木が実は宇宙人的な何かで、昨夜の事は拠点であるUFOに何かしらの理由で帰還しようとしたところを偶然にも俺に目撃されてしまったとそう考えるのが自然な気がする。きっとそうに違いない。根拠たるものはないが、節木がごく普通の一般人とはどうしても思えない。
問題は節木が本当に宇宙人的な何かだったとして俺に何が出来るかという話だが。
如何に無口な節木であっても、そのうち何らかの形でコンタクトを取ってくるだろう。その時俺はどのように対応するのが正しいんだろうか。
誤魔化すか? 「UFO? エイリアン・アブダクション? 何の事だか。昨晩? 自宅で優雅にコーヒーを飲んで過ごしていたよHAHAHA!」……いや、流石に無理があるだろう。
なら、見なかった事にするというのは? 「俺は何も見なかった。だから俺は節木が本当は宇宙人だって事も知らないし、UFOが意外に平べったい形をしてるという事も知らない。だから節木は安心して学校生活を送るといい」……それも何か違う気がする。
いっその事、「昨日、UFOに連れ拐われなかったか? というかお前宇宙人なのか?」と訊ねてみるのはどうだろう? ……それはそれで絶対ヤバい事態になる。
結局、俺は特に何の対策も考えつかないまま、昼休みを迎えた。
そこでついに節木は俺の席までやってくると、教室の外を指さして、言った。
「来て」
ここで俺は初めて節木の声を聞いたのだが、そんな事はどうでもいいくらいの恐怖に俺は襲われていた。気分はヤンキーに学校裏に呼び出されるそれである。ただヤンキーはある程度理解出来る存在ではあるが、節木 千夜という存在は得体が知れず理解の範疇を超える存在である事は間違い無い分、ヤンキーなんかとは比べ物にならないくらい恐ろしい。
取り敢えず、言われた通りに教室の外へと出ると節木は何も言わずに階段を降りて行った。ついてこい、という事だろうか。淡々と歩いていく節木の後ろ姿を抵抗する事もなく追い、やがて体育館の裏までたどり着いた。
そこで節木は足を止めて、真正面から向き合った。
軽く周りを見てみるが人の気配は感じられない。この場には俺と節木の二人きりだ。男女二人が人の気配のない体育館裏で向き合っている。次に節木が「好きです、付き合って下さい」なんて言ったら素敵な告白シーンになるのだろうが、多分そうはならない。おそらく節木が次に言う台詞は「正体を知られたからには生かしておけない死ね」か「アレを見られてしまっては困るんだ。ここで君には消えてもらう死ね」かの、どちらかに違いない。しかし俺の予想を裏切るかのように節木は次の言葉を発した。
「取り敢えず、眠ってもらう」
「え?」
**
そこからの記憶を全く思い出せない。思い出せないのだが……。
この状況を察するに何かしらの要因で俺は気絶し、節木によってここへ連れ込まれたと考えるのが妥当じゃないだろうか。普通だったら節木のような女子生徒が俺を気絶させるなんて事は思わないだろうが、俺は節木が普通ではない事を知っている。きっと、宇宙的な何かで俺を気絶させたのだろう。宇宙的な何かが何なのかは俺には説明する事が出来ないが、それはもう凄い技術なんだろう。知らんけど。まぁ、それは置いておいて。
「待て、話し合おう。普通に考えてナイフはまずいって」
誰か助けて下さい。
ナイフを片手に俺を見下ろす節木に俺は説得を試みてみたが、反応は薄い。返ってきた反応は軽く首を横に傾げる動作のみだった。
「取り敢えず、落ち着こう。な?」
「私は落ち着いてる」
ああ、知ってる。落ち着いていないのは俺の方である。昨日あんなもの見て、いきなり体育館倉庫に手足を縛られた状態になっていて、ナイフを持ったクラスメートが目の前にいるんだ。それで落ち着ける奴がいたら是非見てみたいものだ。至って俺の反応は正常なものだろう。
ナイフの刃が俺の首へと押し当てられる。節木が少しでも力を入れれば、俺の首から噴水のように血が吹き出すだろう。
「私の質問に嘘偽りなく答えて。分かった?」
この状態で俺に拒否権など存在しない。ああ、と短く返事をした。
「まずはもう一度確認する。貴方は昨日の事を覚えている?」
「昨日の事というのが河川敷での出来事だとするならばっちりと脳裏に刻まれてしまっているが……待て、どうして手に力を込める⁉ ナイフが刺さってる気がするんだが⁉」
質問にはちゃんと答えてるはずだぞ⁉
「つまり、私が宙に浮かぶところも見たと……?」
「アブダクションされてるところなら見たな。ついでに節木が俺から目を逸らしたところも痛い痛い痛い! これ絶対どっか刺さってるって!」
「やっぱり見られてた……っ!」
絞り出したような声と共に、節木の身体がぷるぷると震え出す。
あの節木がこんなリアクションをするとは……やはり俺が見たのは『見てはいけないもの』だったらしい。
「っ! この事を誰かに話した……?」
「いや、話してないが」
そもそも話したところで病院を勧められるのがオチだろう。
「そう。安心した……」
「ところで節木」
「何?」
「お前はその、宇宙人……なのか?」
我ながら間抜けな質問をしたとそう思ったんだが……。
「……見られた以上は仕方がない」
あろう事か節木はしっかりと頷いた。
「そう。私はこの惑星では宇宙人と呼ばれる存在。私は生態系の頂点に立っている生物、『人間』がどのような生き物なのかを調べる為に独自に潜入調査を行っていた」
何か知らないが、聞いてない事まで節木は喋り始めた。俺の知る節木はこんな饒舌ではなかったのだが、隠していたのか、喋る必要がないと思ったのか。
「潜入の方は上手くいき、私はごく自然にスムーズに社会に溶け込めた」
「え? 何だって?」
「私はごく自然にスムーズに社会に溶け込めた」
「あれで溶け込んでいたつもりだったのか……」
無口無感情の節木は少なくともクラス内では思い切り浮いていたんだが、その事を指摘してもいいんだろうか。
「そのおかげで『人間』という生き物について多くの情報を得る事が出来ていた」
碌に会話も出来ていなかったというのに逆に何の情報を得られたのかが気になる。それとも宇宙人にはテレパシー能力でも備わっているのか。
「調査は順調で、あと数日で潜入を終わりにしようと私は思っていた」
思って、いた?
「しかし、貴方にこうして正体を知られてしまった」
節木は俺の首からようやくナイフを離し、それをその辺へと放り投げた。
「宇宙にも地球と同じように法律のようなものがある」
「法律?」
「『惑星へと潜入する場合、秘密保持の為、惑星内の知的生命体に自らの正体を明かしてはならない、または知られてはならない』。これを破った事がバレれば私の身柄は直ちに確保され、然るべきところへと収監される。その後は最悪……死刑」
死刑。つまりは殺される。
ゴクリと俺は生唾を飲み込んだ。死という言葉に怯えたからではない。何故節
木がこんな人気のつかない場所にわざわざ俺を連れ込んだのか、その理由について俺は薄々は察していたのだが、それが確信に変わったからだ。
「節木。俺がお前の正体を知った事はまだお前以外の誰にも知られていない。そうなんだな?」
首を縦に振る節木。やはり、そうか。
「誰にも知られていないからこそ、お前は俺を……」
声が震える。恐怖のせいか言葉が突っ掛かる。
「俺を、殺すつもりなんだな」
「? 私は貴方を殺すつもりはない」
「だろうな……え? 殺さないのか?」
完全に殺される流れだと思ったんだが。
「殺さない。そもそも許可なく知的生命体を殺める事は自らの正体を明かす以上の重罪。罪に罪を重ねる事は合理的ではない」
「じゃあ、お前は俺をどうしたいんだよ」
「貴方には昨晩の記憶を失ってもらう」
「記憶を?」
「そう。宇宙の技術は地球を遥かに上回る。その中に知的生命体の記憶を消す術もある。そして貴方の記憶を消してしまえば全て解決する」
「それはそうだが……それだったら俺が黙っておくだけでいいんじゃないか?」
「駄目。私個人、貴方の事を信用していない」
はっきり言うなオイ。しかし、仕方がない事か。今まで節木との会話や交流はなかったわけだし、信頼関係も何もあったものじゃない。その俺を信用しろというのも無理な話だ。
「まぁ殺されるよりはマシか。それでどうやって記憶を消すんだ?」
「少し待って」
言うと、節木は部屋の隅に置いていた鞄を漁り始める。少しして、節木は紫色の液体が入った注射器のような器具を持ってきた。
「これは地球ではまだ開発されていない薬。これを投与する事で約一日分の記憶が消去される」
「便利な薬だな。宇宙中にそんなのがあるなら、悪用されたりしないのか?」
「使い方次第」
それはそうかもしれんが……って、ここは突っ込んだら駄目なところか。キリがなさそうだし。
「薬を打たれる前に一つ聞いてもいいか?」
「構わない。が、薬を投与すれば聞いた事自体忘れる」
「それでもいいから聞かせてくれよ。……俺は今までお前の事を無口な奴だと思っていたんだが、今は普通に話してる。学校でほとんど口を開かないのは何か理由があるのか?」
「転校生というものはそういう存在だから」
「……すまん。何だって?」
「とある文献に書かれていた。突然やって来た転校生はミステリアスな雰囲気を醸し出す、所謂キャラクター性のある存在」
そう力説する節木の目は心なしかキラキラしていた。
「私は限りなく無個性だった。だから口を閉ざす事で自身のキャラクター性を補おうと考えた」
「とある文献が何なのか気になるところだが……つまりお前はキャラ作りの為に無口無表情キャラを演じていたと?」
「そう。だが表情が変わらないのは肉体の仕様」
「頭が痛い……」
さっきから薄々思っていたのだが節木はどこかずれている。宇宙人というのは皆、こんな存在なのか。
「あー……正直、お前はそのままでも十分キャラは立っていると思うぞ」
「無口で無くともミステリアスな雰囲気が出ると?」
「ミステリアスというよりは電波系だが……こだわりがないなら素で問題ないと保証してやる。何より無口キャラじゃ何かとやりにくいだろ?」
「……そう。なら、明日からは普通に話す事にする」
「ああ、そうしろ。そんでもって今度からは俺も含めてクラスメート達と会話するようにしてやってくれ。お前と話したい奴は結構いると思うし」
少しばかり私欲が混じってはいるが、散々な目に遭わされたんだ。このくらいは別にいいだろう。
「礼を言う。貴方のおかげで更に人間を知る事が出来た」
「礼なら表情を変えてから言って欲しいもんなんだが……」
「先程も言った。肉体の仕様上、不可能」
「なら、仕方ないか」
節木が俺の前に座り込んで注射針の先を近づける。注射針が刺しやすいように袖を捲れたら良かったんだが、あいにく手足が縛られている為、それも出来ない。
「しかし……不気味な色の薬だな。記憶を消す以外に人体に影響はないんだろうな?」
「大丈夫。低確率で頭がパーになるリスクはあるが、命の危険性は皆無。何より投与すれば百パーセント一日分の記憶を失う」
「なるほど。そうか……」
んん?
「ちょっと待て。今何て言った?」
「投与すれば百パーセント一日分の記憶を失う?」
「いや、違う。その前だ。その前」
「低確率で頭がパーになるリスクがある?」
「そうだ、そこ。頭がパーになるだと?」
「そう」
「そう、じゃないだろ! そこ一番重要なところだろ!」
「安心して。もし貴方がパーになったとしても社会や学校に与える影響力は限りなく皆無。貴方はいてもいなくても問題ない存在とUFO内のスーパーコンピューターもそう結論付けていた」
「聞きたくないそんな情報! 頭がパーになる確率はどのくらいなんだよ!」
「約十パーセント」
「ワンチャンあるじゃねーか⁉」
ますますもって安心出来る要素がない。そんな危険な薬を投与されて堪るか!
俺はこの場から脱出しようとするが、手足を縛られていた事を思い出し、何とか縄が解けないか試し始めた。
「くそっ! この縄硬てぇ!」
「暴れないで。手元が狂う。もし腕以外の場所に針が刺さったらどうする気?」
「もし俺がパーになったらどうする気だ!」
「大丈夫。もし貴方がパーになったとしても宇宙には『知的生命体をパーにしてならない』という法は存在しない。だから私が捕まる事はない」
「いや、誰もお前の心配はしていないからな⁉」
この状況で誰がお前の心配なんかするか馬鹿!
心の中で節木を罵倒し、俺は節木から離れるようにゴロゴロと転がった。
「? どうして逃げる?」
「パーになりたくないからに決まってるだろうが!」
「私も殺されたくない。いいから大人しくして」
じりじりと距離を詰めようとする節木に対して、俺はゴロゴロ転がる事しか出来ない。しかも体育倉庫の広さなどたかが知れてる。すぐに俺は部屋の隅へと追い詰められてしまった。
「もう逃げられない」
「くっ……普通、この構図って逆なんじゃないのか……⁉」
今更な事を叫び、俺は陸に打ち上げられた魚のように暴れてやった。最後の抵抗のつもりだった。手足を封じられた状態で暴れたところでどうにかなるとは思えないので、途中で「どうか九十パーの方でお願いします」と祈りながら。
やけくそに暴れまくっていると、縛られた手足が何か固いものにぶつかる。壁とは違ったその感触になんだろうと、目を向ける。それは石灰の入った袋、それが積み重なった山だった。
上の方からずずっと、重いものが擦れるようなそんな小さな音がした。
見上げると、積み上げられた一番の上の袋がバランスを崩しかけていた。
もう、落ちる──。
「あ」
直後、石灰の入った袋が節木の頭へと落下した。
「ふぎゅっ⁉」
奇声を発して、節木は倒れた。
倒れたまま、動かなくなった。多分、気絶したんだろう。
「……」
まさかのミラクルだった。俺自身も起こった事が信じられずにしばらく唖然とした。
……よし。悪……なのかは分からんが、取り敢えず節木は滅びた(?)。
俺は地面を這いずって、節木が捨てたナイフを手に取った。
そのまま手足を封じていた縄を切り、ゆっくりと立ち上がる。
さて……この状況、どうしたものか。このまま逃げてもいいとは思うんだが、目を覚ました節木にまた拉致されないとも限らない。というか、その可能性が大だ。俺があの薬によって記憶を失わない限りは節木は絶対に俺を襲ってくるだろう。
「……薬?」
ちらと節木を見た。節木の手元には例の薬が入った注射器が転がっていた。倒れた衝撃で割れていたりとかはしていないようだ。
少しばかり考えて、俺は注射器を手に取った。
「宇宙人に効くかは分からんが、試す価値はあるよな」
**
次の日。
「あっ、おはようございます」
「……」
「? どうしたんですか? そんな人間じゃない存在に出会ったかのような顔をして」
「……」
「さては私の声、聞こえなかったんですか? それならもう一度。もしもーし。おはようございまーす」
「……」
……誰だ、コイツ。
登校してきた俺を教室で待ち受けていたのはうざいくらいのテンションと笑顔で挨拶してくる節木の姿をした何かだった。
「あれー? 本当に聞こえていないんですか? それとも無視してるんですか? それだったら悲しいんですが。無視は良くないですよ、無視は。人はコミュニケーションをしなければ生きていけないのですから。無視、ダメ。絶対」
本当に誰だコイツ。どうしてコイツは節木の姿で節木の声で俺に話しかけてくるんだろうか。
「……お前、名前は?」
「ええっ⁉ ようやく声を発したかと思えば第一声がそれですか⁉ というかクラスメートの名前を覚えていないなんて酷くありません⁉」
「そういうのいいから」
「……何か冷たくありません? まぁ仕方ありませんね……名乗れと言われた名乗らないわけにはいきませんし。なら改めて名乗らせていただきます。私の名前は節木 千夜。二ヶ月前、この学校に転校してきた微妙に出来立ての転校生。そして!」
カッと目を見開いたかと思うと、節木はピースをしながら決めポーズを取った。
「十六歳の自称、美少女女子高校生です!」
「誰だお前は⁉」
「たった今名乗ったのに⁉」
ガビーンと擬音がつきそうなくらいに落ち込む自称美少女女子高校生。ぐすんぐすんと嘘泣きまでするところを見て、そういう事なんだろうなと察した。
「悪い悪い。節木はからかい甲斐があるからつい、な」
「からかいとかそういうレベルでした今の? 本気で記憶でも失ったのかと思ったじゃないですか」
「ところで昨日は何してた?」
「え? 普通に学校で授業を受けて、家に帰りましたけど……はっ、さては私のプライベートを聞き出そうと⁉」
「興味はあるが今はいい。次、俺に対して何か話とかない?」
「あるんですか⁉ というかさっきから質問ばっかりですね! ……いやまぁ、世間話程度で別に特別ありませんけど」
「じゃあ最後。表情は肉体の仕様上、変えられないんじゃなかったのか?」
「誰がそんな冗談を言ったんですか? 表情を変えられないなんてまるで私が人間じゃないみたいじゃないですか」
「そうだよな、あはは」
「まったくもう、冗談はよして下さいよ」
お前が言ったんだがな。
ぷりぷりと可愛く頬を膨らませる節木。表情豊かな上、昨日に増して饒舌な節木は最早別人だった。
「それで今のやり取りは何だったんですか?」
「ん? ああ、ちょっとした心理テストだ」
「へー、どんな心理テストなんですか?」
「『貴方はどれだけ宇宙人なのでしょうか?』だ」
「対象が凄い限定的な心理テストじゃないですかそれ⁉ 結果はどうなんですか⁉」
「テストの結果、お前は間違い無く宇宙人だ」
「嘘っ⁉ 今度から自称、美少女女子高校生宇宙人を名乗らないといけないんですか⁉」
「そんな付け足したような自称は要らんと思うが」
あとさっきから思ってたが美少女と女子が意味被ってるだろソレ。
うんうんと真剣に悩み出す節木の肩を叩き、自席に座るように促してやる。
「そろそろホームルームの時間だ。席に戻っといた方がいいぞ」
「あっ、そうですね」
節木は俺に軽く手を振ると、スキップをしながら自席へと着いた。
ほぼ同じタイミングで教師が教室へとやってきたので俺も自席へと移動した。
どうやら、節木に投与された薬は効いた、というより明らかに効き過ぎてしまったらしい。その為か節木は記憶を失ったり、頭がパーになるどころか、性格が激変する事になったようだ。自席で隣の席の奴と心底楽しそうに会話を繰り広げている節木を自席で眺め、薬を打たれなくて良かったと俺は心から思うのだった。しかし……。
「これはこれでキャラが立ってるなあ……」
若干の申し訳なさを感じながら、俺はそう呟くのだった。
一ヶ月後、正気を取り戻した節木に俺は再び拉致される事となるのだが……それは別の話になるので割愛する。
〜〜完〜〜
あぶだくしょん・こめでぃ 若葉 葵 @099270
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