16

 それは、最悪のタイミングだった。


 バッタリ。

 頼子とあたし、そして…真音と、ボーカルのナッキーさん。

 頼子は…すごい目で真音を睨みつけてる。


 …動こうにも動けない。

 なぜなら…それは満員電車の中だから!!



「有名人だから電車なんて乗らないのかと思ってたわ」


「ちょっと…」


「今のトゲのある言葉、もしかしておまえに言ってんじゃねーの?マノン、遊びも度を越すと痛い目に遭うからやめろよ?」


「……」


 真音は、無言。


「ま、良かったわ。るーの相手は『英雄ポロネーズ』が弾けないとダメなんだものね」


「…何それ」


「あんたのパパが言ってたわよ?」


「そ…そんなの冗談に決まってるじゃない」


 あたしは頭を抱える。

 どうか、今の会話が真音に聞こえていませんように…



「あっ、君、もしかして『はじめてちゃん』じゃない?」


 あたしの顔をのぞきこんだナッキーさんが、そう言われた。


「は…はじめてちゃん…?」


「お…おい、ナッキー…」


「当たり?マノン、会えて良かったじゃないか」


 固まってるのは、あたしだけじゃなかった。

 真音も…



「あ、誰かと思ったら…よ…うぐっ。」


 突然、ナッキーさんが頼子に口をふさがれながら、この満員電車の人の中を泳ぐように移動して行く。


「よ…頼…」


 わざとらしく、電車の音が響く。

 どどどうして…どうしてこんな状況にするのよーーー!!



「…元気やった?」


「は…はい…」


「…あん時は…悪かった。」


「……」


「俺に関わったら、ああいう目に遭うんやな…って、ショックやった」


 顔を上げる。


「ああいう目って…」


「ひどい事言われたりするやん」


「……」


「マリは…ナッキーの女やねん」


「…え?」


「都合のええように、俺の女って事にしたりすんねんけど…」


「…都合のいいように…って、どうして?」


「ガードのためっちゅうか…」


「……」


 何となく、分かったような分からないような…

 ただ、一つ感じたのは…

 世界が違うって事。


 ガードのための彼女。

 あたしは、何もかもが初めてだから、きっと…珍しかったのね。



「…次のライヴ、来てくれへん?」


 真音が、あたしの顔をのぞきこんだ。


「…頑張って下さいね…朝霧さん」


 うつむいたまま、あたしは答える。


「るー…」


「楽しかったです。色々」


「……」


「あたしにはないものばかり持ってる朝霧さんに、憧れました。キラキラした目が…素敵だなって」


「るー、聞いてくれ」


「世界が、違うんです」


「…るー…」


「あたしは、確かに初めてばかりだけど…それでも、一生懸命で…」


「……」


「朝霧さんには必要な、ガードのための恋人っていうのも…要らない世界だし…」


「るー、それはちゃうねん。マリは確かにガードやったけど、それは俺にちゃんと好きな女ができるまで…」


「あたしで試さないで下さい」


「試しとらんわ。俺は、おまえが好きやねん」


 驚いて顔を上げる。

 目が、合った。

 見詰め合ったのは、一瞬なのか、数秒なのか…

 だけどあたしの心はすぐに折れてしまった。



「…世界が違うわ…」


 泣きながら、人の波を潜り抜ける。


「るー」


 真音の声を無視して、あたしは電車を下りた。



 苦しい。

 好きと言われたのに…

 苦しい…。


 * * *


「るー、るー?」


 知らない駅で降りてしまったあたし。

 駅の外にある広場、死角になってる植え込みのそばでうずくまって泣いていると…頼子の声。


 だけど、今は会いたくなかった。

 頼子にも。



 …はじめてちゃん…って…

 真音、ナッキーさんに…あたしの事、そんな風に話してたんだ…


 好きって言われたのに…何だろう…

 嬉しい気持ちは、微塵もない。

 ただ…悔しい気持ちと…悲しい気持ち…


 あらためて、真音の隣にいたあたしが、周りから見てどれだけ滑稽だったのか…って…気付いた気がする。



「るー」


 続いて…真音の声も聞こえてきた。

 …電車、降りたの…?



「なあ、もういいじゃないか」


「ナッキー、先に帰ってええよ」


「何だよ。物珍しいから落としたいだけだっつってたじゃん。まさか、本気なわけ?」



 物珍しいから…落としたいだけ…

 もう、十分傷付いてるのに…

 失恋って…これ以上に辛い物なの?



「……」


「あれれー?何で黙るの朝霧君?マリが悲しむぞ?」


「…マリはナッキーの女やんか」


「俺が何も知らないとでも思ってんのか?」


「……」


「俺がいない夜、おまえらヤってんだろ?」



 耳をふさぎたくなった。

 あたしはどうして、こうも間の悪い女なんだろう。



「はじめてちゃんなんて、マリを自分から離すための口実だろ?」


「ちゃうわ!!」


「はーん。じゃ、おまえの好み疑うな。マリの後があれじゃ、誰も納得しねーよ」


「てめ…」


 真音がナッキーさんに掴みかかろうとした瞬間。


「や…やめて下さい!!」


 あたしは、立ち上がった。


「る…」


「はじめてちゃん…」


「……」


 嫌な空気が流れた。


 あたしは大きく息を吸って。


「ありがとうございます。今から、あっと驚かせるような女になります」


 ナッキーさんを見据えて…そう言った。


 こんな時なのに、目も逸らさず、一度もどもらずに言えたあたし、すごいよ。って…自分で自分を誉めた。


 そして…


「…さよなら」


 真音には、それだけ言って…駅に向かって走った。



 …もう、会わない。

 会う事なんてない。

 そう思うと、涙が溢れた。


 あの、数回の木曜日は…あたしにとって、どれだけ宝物みたいな時間だったんだろう。

 …写真…もらえなかった…

 それだけ…少し残念……なんてね。



「ちょっと、るー」


 改札で待っててくれた頼子が、あたしの腕を掴む。


「どうしたの?何があったの?」


「頼子、髪切りに行くから、付き合って」


「え?」


「バッサリ切っちゃうの。あたし、変わるから」


「るー…」


「大丈夫。それでもう…真音の事は忘れるの」



 あたしの頭の中で、ナッキーさんの言葉が繰り返された。


『おまえの好み疑うな。マリの後があれじゃ、誰も納得しねーよ』



 きっと…マリさんは、美しい人なのだろう。

 星高の人達も言ってた。

 憧れだ…って。


 髪の毛切ったぐらいで、太刀打ちできるはずないって…分かってる。

 分かってるのに…切ってしまいたかった。

 真音に触れられた、あたしの三つ編み。

 きっと、周りから見たら…不釣り合いだった、並木のベンチに座ったあたし達。

 …何もかも…

 切り捨ててしまいたかった…。



「…大丈夫。髪の毛なんて切らなくても…忘れられるから」


 頼子に肩を抱き寄せられて、頭をポンポンってされた。

 あたしは震える唇をかみしめて…ギュッと目を閉じた…。




 悔しかった。

 何もかもが。


 何より…





 磨きをかけていない自分が。

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