晦明たる所以3

 ――時を遡って名も無き昼下がり。まだ賑わいがざわめきに変貌していない鮮やかな街並み。街一番を誇れる丘の上にある立派な桜の木は穏やかな風に揺られているだけ。街の様子は活気に満ちたまま、様々な人間の声が入り交じっている。

 値引きを交渉する声、子供達が駆け回る音、遠くから聞こえる水の音。時刻を告げた鐘の音は余韻を残したまま、賑わいを見せる街の中へと消えていった。

 風が吹く度に丘の上からやってくる桜の花弁は道行く人々の心に癒やしを届けて、落ちていく花弁を掴もうと手を伸ばす子供達は少なくはなかった。

 市場は程々に、然れど人の数は上々で。昼時という理由から数を増していく人の中に身を隠すように、黒衣をまとった男は悠然と歩いていた。

 一目見れば誰もが異色だと思うほどの黒だった。暖かい日差しがあるというにも拘わらず、厚手のコートの、ファーがついたフードを目深にかぶり、両手をポケットに入れていて、袖に刻まれた白い逆十字の模様が一際大きく存在を放っている。

 ――そんな異質な存在だというのにも拘わらず、擦れ違う人間は黒衣の男に目もくれず、子供の手を引いては笑って街を歩いている。その様子はまるで幻想物語に出てくるような魔法にでもかけられたように、誰もがそれを可笑しいとは思わなかったのだ。


 光明のルフラン――街の規模は大きく、最早国と言っても差し支えがないほど。しかし、他国との公な交流は見えたものではない。閉鎖的な街だというのに異様に明るく、活気に満ち溢れているというのに、他所との交流が全くないのだ。

 ルフランにあるのは市場に広場、噴水に教会と聳え立つ時計塔――街のほんの少し離れには桜の木と、大きな屋敷がひとつだけ。

 街に足りないのは治める為の王――または土地を治めている領主だろうか。


 そんな街の中を黒衣の男は悠々と歩いていた。日差しが苦手なのか、住人の髪が日の光を反射する度に忌々しいと言いたげに目を細める。

 遠くに聞こえる子供達の声と水が流れる音――噴水が存在する広場では子供達が遊び回っているのだろう。

 陽気な日差しの中のルフランは季節に合わせてか、市場の賑わいは平常よりも一際大きく、四方八方から競り合いの声が響く。時には花弁が飛んで来ることがあるからだろうか――桜だ、と呟く人々の声が聞こえた。

 丘の上にある木の花が街にまで届くのはそう滅多にあることではない。余程の事がない限り――それこそ、強風でも吹かない限り届きはしないのだ。

 男はひらひらと舞い落ちる花弁を見つめ、徐に手を伸ばす。すると、花弁は吸い寄せられるように黒い手袋をつけた男の手のひらに落ちる。淡い桃色に彩られた柔らかな花弁は人々にとってそれはそれは珍しいもので、春になる度に色を変える木がとても気に入っているようだ。

 かく言う男もまたその一人であって、鮮やかなその木を遠目で見る様はまるで子を持つ親のような心持ちであった。

 ――不意に男の足元に小さな重みと痛みが迸る。

 見れば人が行き交う中で運悪く男にぶつかったであろう少年がこちらを見上げていて、初めて男を認識したかのように目を丸くしている。それに反し男は厄介なものを見るような目付きで――微かに子供を睨むように目を細め――それを振り払うように、逃げるように花弁に気を取られ止めていた足を動かした。

 男の後ろから泣き喚くような声が上がったのは言うまでもない。それが嫌で嫌で、男は人通りが少ない道だけを選んでいく。

 燦々と晴れた春の陽気、行き交う街の人々、周りの緑に心惹かれる小鳥達は暢気に歌を口ずさんでいやに楽しげだった。


「……何も知らない呑気な奴ら……」


 皮肉を込めるように男は小さく口を洩らして黒いコートの襟から覗く口に布を宛がう。

 第三者から見て金を彩った左目には縦に傷痕が入っていて、忌々しげに赤と金のオッドアイを細める様は威圧的以外の何ものでもない。

 「こんな不快になるなら外になど出なければ良かった」と男は口を洩らす。先程よりも人通りが少ない筈の街中なのに、誰もがその言葉を聞いていないかのような素振りを見せ続けていた。

 認識されない為の工夫――それを駆使して認識されないよう黙々と街中を歩いている。一度止まれば先刻のように不意に誰かがぶつかって認識されてしまうかもしれない。

 ――それだけは避けたかった。男が後にいう〝終焉の者〟だからだ。

 大事になれば街中の混乱は免れないだろう。それどころか厄介な者達がぞろぞろと躍り出て男を取り囲むに違いない。


 ――やはり日中の外出は避けるべきだった。


 男は手袋をつけた手で顔を覆いながらはあ、と溜め息を吐くと、何故日中に外に出てきたのかを考える。

 説明がつくとは言えないが、一言で表すなら「呼ばれた気がした」からだ。普段からできるだけ人目を避ける男であるが、この日だけは妙に日中の街中が気になり、当てもなく外出をする。

 予想通り街は人で溢れ、息苦しいと言っても過言ではなかった。目が眩むような降り注ぐ日差しも、行き交う人間の足音も男にとって耳障りなものでしかない。――それでも何故か外へ出ようという欲求が抑えられなかったのだ。

 ファーがちらつくフードを目深にかびり、両の手をポケットに入れ、街の散策をする。一度厄介な者に見付かれば面倒事は避けられないだろう――そんな注意を払いながら。


 しかし、外へ出たいという欲求など気の迷いだったと言いたげに男は至極うんざりとした顔で――しかし表情は一切変わらず――ゆっくりと歩を進める。できるだけ建物の陰に隠れるよう道を選びながら、それこそ路地裏でも歩くような面持ちで市場へと向かう人の波に逆らい続けた。


「――何してんだこの役立たず!」


 そんな怒号と共に微かに届く地に倒れる音。小さくざわめきを覚える人の波だが、どうにも声がする方へと目線は向けていかない。それどころかそそくさと向こうへと駆けていく者まで居るのだ。

 男はその様子を見て――いや、声色からして、声の主が〝商人〟であると認識した。

 光明のルフランとは言うが、それは表向きの話だ。明るく活気に満ちた街である反面、〝商人〟と呼ばれる人間が人間を売りに来ることも少なくはない。横暴な性格をした〝商人〟が多いもので、誰も彼も彼らに逆らおうとはしないのだ。

 それは夜になればなるほど、闇に紛れるかのように活発化していることから、一部の住人は〝光明のルフラン〟改め、〝晦明のリフレイン〟と呼ぶことがあるのだ。

 ――その光景は夜に限り見られるものではない。日中でも人通りの少ない場所で人知れず行われるのだ。人通りの多い所で行われるとすればそれは〝商人〟にとって確実に売り付けたいもの――所謂「目玉商品」が存在するくらいだろう。

 声のする方からして彼らは街の中心部へと向かうようだった。恐らくとっておきの目玉商品があるに違いない。

 「売る方も、売られる方も等しく無に還るのにな」なんて言って、男はその姿を一目見て同情とも言える眼差しを向けてやろうと振り返った。

 それがいけなかったのだろう。――いや、男は彼らを、彼を見るべく外に赴くように仕向けられたのだろう。

 得体の知れないものに呼ばれる感覚というのも信じてみるものだな、と男は目を見開いた後、自分が呼吸というものを忘れていることに気が付いた。


「………………」


 人通りの多い方へ向かおうとする商人とその奴隷は、遠巻きに見る野次馬達に囲まれていることが長身である男からは見て取れる。――いや、長身でなくともぐるりと辺りを見渡せば彼らを避けながらも囲む住人が確かに居るのだ。

 男が呼吸を忘れてしまうほど驚いたのはその光景ではない。あくまで彼に驚いたのだ。


 ――怒号を飛ばされて尚言い返すこともなく、無様に地面に投げ飛ばされた体を徐に起き上がらせる。俯いていて顔はろくに見えやしなかったが、白い毛髪が何より特徴的に思えた。手足に施された拘束具と首にあしらわれた首輪は彼の抵抗の意思を取り除く為のようにも思え、見ていて機嫌が悪くなるかと問われれば「不愉快だ」と答えたくなるような風貌だ。

 そして、彼がゆっくりと顔を上げると、ろくに見えなかった顔立ちが露わになる。

 白い毛髪に色の反転した瞳――冬の夜空のように輝く紫と、月のような輝きを持つ金色が一ヵ所に留まっているという独特な瞳が、白い毛髪によく映えているような気がした。目元の逆三角形を描く模様は誰をどう見ても施されてはいない――つまり、彼の象徴とも呼べるだろう。


「奴隷の分際で手を煩わせるなよ……!」

「……!」


 土を抉るように放たれた鋭い蹴りが彼の脇腹を捉えた。薄い布切れ一枚だと言っても過言ではないその青年に対し、商人の足には造りのいい靴が履かれている。

 誰がどう見ても一方的な暴力に顔を逸らしてはそそくさと足早に立ち去る者が居たが、「奴隷」の一言で彼へ向ける目を変える者も居た。

 軽蔑と同情、恐れと好奇心、憐れみと嘲笑――その渦の中でたった一人、目を逸らさず軽蔑の色すら見せず、彼らを見つめていた者が居たのは言うまでもない。

 脇腹を擦りながら青年はゆっくりと立ち上がった。首元にあしらわれた首輪に繋がれた鎖を商人の男は手綱のように引いていて、「早く来い」と言わんばかりにカラカラと音を鳴らす。

 それを青年は感情も光も宿さない瞳で見て――不意に、目を逸らした。

 何気なく逸らしただけだった。その視線の先に黒衣をまとう男――〝終焉の者〟がこちらを見ていたのだ。

 瞳に表れる感情は軽蔑でも同情でもない。確かな怒りと明確な殺意が宿っているのだ。先程の無感情など欠片も思わせる素振りもなく、じっと青年――ではなく、商人の男を見つめている。あからさまに、それもほんの少し嫌そうにだ。

 だが、青年は何の興味も持てないかのように静かに目線を戻すと覚束ない足取りで商人の後ろへと付いていく。まるで抵抗する意思を剥奪された――例えるなら人形のようで、見ていていたたまれない気持ちになってしまう。

 ――それでも巻き込まれたくない住人は見て見ぬ振りをして、何事もなかったかのように振る舞い始めた。


 ――ただ一人を除いて。


「……何故…………」


 ゆるりと重い足を動かした男は一直線に彼らが歩いて行った後を追う。その方向が先程まで自分が嫌がっていた街の中心部へと続いていると知りながら、郊外を歩く足は止められなかった。

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