学校

 朝食を食べ終わり、僕は申し訳なさげに二人分の食器をキッチンへ持っていき、洗う。母親は仕事に行く準備をしている。母親はなんだか疲れているように見える。それもそうかもしれない。僕自身のことをここまで一人で育ててくれたのだ。僕はそのことにすごく感謝していて、なるべく学費のかからない都内の国公立の大学を目指していた。

 学校のレベルはある程度の進学校だ。中学の受験期は塾にも通わずに独学で勉強していい成績を取りこの高校に入った。たまに東京大学に一人か二人行くような学校だった。生徒は皆真面目だ。

「じゃあ、仕事行ってくるね」

 母親はそう言って家を後にする。僕はなんだか申し訳なくなる。こうやって生活ができているのも母親のおかげだった。

 時刻は午前中の七時だった。僕もそろそろ学校へ行く準備をしないといけない。私服の公立高校だったので、普通の服を着た。とくに無頓着に服を選ぶ。正直服なんかどうでもよかったし、自分の容姿を格段気にしているわけでもなかった。どうやら僕には思春期というものがなかったみたいだ。普通に女子にも気軽に声をかけることができる。学校に行くまでの時間を僕は勉強に費やした。なんだかすらすらと頭の中に参考書の内容が入ってくる。不思議だなあと僕は思っていた。

 八時になると学校へ向かうため、2LDKの団地の家を出た。この辺りは都心から少し外れたところにあり、学校までは電車で、一本で通うことができた。僕はクラスの中では真面目な生徒だ。授業もちゃんと聞くし、ノートには欠かさず黒板に書かれた文字を写した。

 僕は歩いて駅まで向かい、電車に乗る。電車の中は比較的空いていた。学校は都心とは逆方向にあったのだ。

 数駅で学校の最寄り駅に着き、僕はそこから歩いて学校まで向かう。途中同じ学校の生徒が前を歩いているのを見つける。女子生徒の二人組は仲がよさそうに歩いていた。

 学校の校門まで着くと、先生が校門の前に立っていた。遅刻してくる生徒がいないか監視しているのだ。僕は教師というものは僕らよりずっと早く学校に来て、授業を行う大変な職業だなと思った。

 学校の教室まで向かい、僕は教室のドアを開ける。みんなが楽しそうに会話している。僕と仲がいいのは比較的一人で過ごしている生徒だった。

 彼らは隠れてゲームをやったり、本を読んでいたりして、僕と気があった。僕は大人数でいるよりそうやって彼らと地味に過ごすことを好んだ。

「圭介、何やってるの?」

 僕は机に座りながらゲームをやってる友達に声をかける。

「最近流行りのゲームだよ。お前は知らないの?」

「知らないなあ。あんまりゲームは得意じゃないし」

「お前は本当に恵まれてるよな。成績はいいし、もう少しでインターハイにテニスで出るところだったんだろ?」

「まぁ、そうだけど」

「お前、隣のクラスの沙織と付き合っているんだろ」

「そうだけど」

「いいよなあ」

 そんな話をしていた。僕はなんだか自分の承認欲求が満たされた気分だった。

 ホームルームが始まるまで圭介と話をしていた。圭介はゲームをやりながら僕の話をなんとなく聞いている。いったい僕とゲームどっちが大事なんだろう。そんなことを考えた。

 始業のベルがなり、同時に先生が教室に入ってくる。先生は教壇に立ち出席を取り始める。

 僕の名前を呼ばれると僕は「はい」と静かに返事をした。

「お前は偉いな。三年になってから遅刻したことないだろ」

「そうです」と僕は言った。

 極力高校では目立たないように努めていた。高校に入学してからというものとりあえず国公立の金のかからない大学に進学するために一生懸命勉強し、一生懸命部活動に取り組んだ。それで一年生の時、偶然同じクラスになって隣通しの席になった沙織と今でも付き合っていた。

 沙織は物静かでクラスの中でも一人でいることが多い生徒だった。それで僕はそんな彼女と何か特別な親和性を感じるようになり、付き合うことになった。

 朝のホームルームが終わり、皆が休み時間にそれぞれグループになって話をしている。時折話しかけてくる人がいたりしたので、僕はその相手をしていた。奴らは社交的で内向的な僕とは正反対の性格だった。野球とかサッカーとかバスケをやっていて、なんだかいいなとも思っていた。

 休み時間が終わると授業が始まる。僕は理系のクラスに所属していた。なんとなく科学というものに強く惹かれていたのだ。

 一時間目は数学で、先生が授業をしている。そして授業の中ごろには過去問が配られ、僕は必死になってそれを解いた。答え合わせは来週ということになった。

 二時間目、三時間目、四時間目と授業を受け、昼休みを迎えた。昼休みには沙織と一緒に誰もいない屋上でパンを食べるのが日課になっている。

 屋上に向かうとそこには二人分の菓子パンを持っている沙織がいた。

「ほい」

 沙織はそう言って俺にメロンパンを渡す。近くのコンビニで売ってるやつだ。どうやら朝に買ってきてくれたらしい。

 沙織の手にはあんぱんがあった。沙織はメロンパンよりあんぱんの方が好きだ。

「なんだか疲れたあ」

 僕は沙織の前では割と本音で話す。

「何があ?」

 沙織はそう言ってあんぱんの袋を開ける。

「俺がメロンパン嫌いなの知ってるだろ?」

 僕はそう問いかける。

「えー。知らなーい。ところでそれ百円したんだけど」

 沙織はいつもそんな感じで楽観的だ。

「俺が払うの?」

「いいよ。私のつつましいおごり」

 沙織はそう言ってほほ笑む。

「なぁ聞いてくれよ。俺はもう疲れてるんだよ。なんか何もかも嫌になった。お前と過ごしてる時が一番安心する」

「またまたあ」

 沙織はそう言ってほほ笑む。確かに親近感は感じるのだけれど、やはり同じ人間ではないのだと実感する。

 心の中の寂しさも薄れてきたが、やはり沙織と一緒に過ごしている時間が一番気楽だった。

 沙織はあんぱんを食べながらぼおっと空を見上げていた。

「どう? 友達はできた?」

 僕はそう聞く。

「友達ねー。友達かー」

 沙織はそう言って曖昧な返事をするだけだった。僕にはなんだかそれがもどかしく感じる。

 他の女の子と付き合ってた時は駆け引きとかいろいろあって苦労したのだが、沙織は特にそういうのがなかった。それでいつも本音を話した。こちらには本音とわかるのだが、逆に本音過ぎて嘘にも聞こえたりする。

「ところでさー、今日どっか行く?」

 僕はそう提案する。

「どっかねー。いつものカフェに行く?」

「別にいいよ。でもお金がない」

「お金ないのー? お小遣いは?」

「月に五千円」

「じゃあしょうがないねー。公園でも行こうか」

 沙織は僕にそう提案する。

「せっかくだし海がみたいんだけど」

「ここから海行くの? お金かかるよ」

「別にいい。なんだか今日はそういう気分」

「わかった。じゃあ放課後海に行こう」

 僕と沙織はそう約束してチャイムが鳴る前に教室に戻った。教室の中は相変わらず喧騒に包まれている。僕は内心彼らの話す言葉なんかどうでもいいと思いながらも少しだけ嫉妬していた。そして僕に嫉妬している人も誰かいるのだろうか。

 僕が席に座っていると圭介が話しかけにきた。

「今日の放課後勉強しない?」

「ちょっと用事が」と僕は言った。

「またデートかよ」

 圭介はそう言って笑う。

「まぁ」と僕は言った。

 午後の授業のチャイムが鳴り、僕らは一斉に席に着く。五時間目は英語の授業だった。そしてこれが終われば放課後だ。授業の内容は英文の和訳だった。やけに難しい課題だなと思いつつ、僕はそれに真剣に取り組んだ。和訳を書いたプリントが集められて、先生はそれをじっくりと読む。

 そして僕の名前が呼ばれた。

「君、よくできるね」

 先生はそう言って僕のことを褒めた。周りの生徒は拍手をしてくれた。僕はなんだか少しうれしかった。

 そんな感じで英語の授業が終わり、僕は沙織のいる教室の前まで向かった。生徒が一斉に教室から出てくる。そしてその中に沙織がいないか探していた。

「やあ」と突然後ろから声をかけられた。

「なんだよ」

 振り向くと後ろに沙織がいた。沙織はユーモアがあってとても僕に優しかった。だから僕は恋をしてないけれど、沙織のことがすごく好きだったのだ。

「五時間目は何の授業だったの?」

 沙織は僕にそう聞く。

「英語の授業。先生に褒められたよ。和訳が上手いって」

「よかったじゃない」

 沙織はそう言ってほほ笑んだ。


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