ぐらのわる

@iichiko

第1話

「グラスフレート! しっかりしろ!」


 頬を叩かれる衝撃で意識が覚醒する。

 父の大きな手のひらが触れた部分は炎で焼かれた背中よりも熱い。

 背中の火傷はと二の腕に刺さる矢が鼓動と共に痛みを伝えてくるが、そちらは徐々に遠いものになり始めている。痛みに慣れてきたのか、それとも痛みすら感じなくなってきたのか。


 まどろみの様な現実感の無い中で、銃声が時折聞こえてくる。

 埃臭い乾いた匂い。納屋の中だろうか。


「人間の正しい歴史を取り戻す。そんな宣言をしていたらしいな」


 父さんの声が遠くから聞こえてくる。



 王が崩御したのは半年前の事だった。

 そして本来は第一王子が継ぐはずだった王位は第二王子が継いだ。

 第二王子は『グラノワル』を持っていたのだ。


 グラノワル。それは歴史が大きく動く時に現れるという神器。

 剣であったり、槍であったり、時にはチャリオットであった事もある。神が与えるのだとも伝えられている偉大な力を持つ権威だった。


 銃の姿のグラノワルを手にした第二王子は、王国の新たな繁栄の時代を告げ、自らの兄を排斥したのだ。


 村に突如現れた紅い鎧の一団は、火術系統の戦略規模魔法と思われる『炎の壁』で村をかこった後、村の狩人たちが持つ銃よりもはるかに射程の長い新型銃で村人を撃ち殺していった。何の説明も口上も無く。


 いつかは来ると言われていた。この村は獣人の血を引くものが多く住んでおり、新たに即位した第二王子は純血の人間を優遇する政策を宣言していたのだから。

 だが、だからと言って、何の通告もなくまるで獣を狩るように……


 ああ、奴らにとっては獣なのだな、と理解した。母さんも俺も。幼馴染のマギノワールも。体の一部に獣の相を宿し詠唱も無しで魔術を行使する獣人は魔獣と同じで、人では無いのだろう。

 そこまで考えて、この場に父さんしかいない事に気づいてヒヤリとする。


「母さんは?」

「死んだ。母さんが『結界』を張っていたから真っ先に撃たれた」


 妻の死を告げるにしてはあまりにもあっさりとしている。

 感情が壊れてしまったのだろうかと思う。

 もしもグラスフレートが今の父の顔を見ていたのなら、そうは思わなかっただろう。

 唇を噛み破り、ギョロリと浮き出た眼球は血走り、およそ生きている人の表情とは思えないありさまだったのだから。


「グラスフレート。お前は逃げなさい。マギの『血療術』があれば傷は癒えるだろう」

「父さんはどうするの?」

「お前の『風乗り』ならマギを連れて逃げられる。お前たちの顔までは覚えられていないだろう」


 父さんは質問には答えてくれなかった。ぼやけた視界の中、父が剣を握っているのが見えた。

 純血の人間である父ならば生き残る方法はあるだろう。でも、きっとその方法を取るつもりはないのだ。


「父さん。マギはどこにいるのか知ってる?」


 身体を起こしながら尋ねる。血で張り付いた服の残骸が引っ張られて新鮮な痛みを伝えてくる。痛みがないよりは良い。


「知らん。悪いが俺は自分の妻を取り戻しに行く。お前の嫁は自分で取り戻せ」

「いや、嫁じゃないって」


 こんな時だというのに、いつものからかい文句に笑みがこぼれる。

 マギノワール。狐のように大きな耳と尻尾という二つの強い獣相を宿している幼馴染。自らの血と引き換えに大きな傷をも癒す力は有名で、近隣の村から怪我人が運ばれてくる事も少なくなかった。


「牙もあわせて三つの獣相だよ」


 使える力は『血療術』と『保護』だけの癖に、本人は小さな八重歯を見せてそんな事を言っていた。

 獣相を隠す村人も多い中で、その姿を隠すこともなく人助けの為に振るう彼女は村の英雄だった。その尻に敷かれて時にはつかいっぱしりにされる俺は『マギノワールの嫁』と仇名されていたのだ。


「守ってやるんだろう?」


 父さんの声は震えていた。


 王国の騎士だった父さんは母さんに一目ぼれして、どんな時でもあなたを守るとプロポーズしたのだそうだ。村中の噂好きのおばさん達から何度も聞いた。

 その噂を聞いたマギノワールは、二人で遊んでいたおもちゃの木剣を掲げて俺に誓わせたのだ。

 恥ずかしさで嫌がる俺を叩きのめして言わせたのも関わらず、その言葉を告げたマギノワールの赤く染まった顔はハッとするほど可愛らしく。俺は、初めて暴君ではなく女の子なのだと知った。


 その約束を村中に言いふらしたと知った時は、やはり暴君だったのだと思いなおしたのだが。


 それでも、俺は彼女を守る。約束だからだけではない。

 彼女は一目でわかる外見をしている為、村から外に出たことは無いし、あの紅い鎧の……おそらくは王国の浄化騎士団に出会ったら無事では済まないだろう。


 ゆっくりと立ち上がると、足に怪我をしていないか確かめる。どうやら怪我は背中と腕だけのようだ。

 矢の刺さった腕は痛みで動かせないけれど、抜いてしまって流血が酷くなるよりはいい。


「じゃあ、父さん。俺は行ってくるよ」

「ああ、私ももういく」


 生きて脱出出来たら合流しようとも、さようならとも言わなかった。

 でも二度と会う事はないのだろうとわかった。


 何か武器になるものは無いかと、納屋の中を見回すと、干し草を運ぶためのフォークを手に取る。片手で振り回せる重さではないが、脇に抱えるようにして持ち上げた。その陰に土で汚れた木剣が転がっているのを見つけて手に取る。二人の名前が刻まれた誓いの剣だ。無いよりましだろうとこれもベルトに挟む。


 納屋の外は家々が燃える炎に照らされて明るかった。

 マギの事ならなんだってわかる。あいつはきっと逃げようとはしない。誰かが逃げる為の囮になるために中央に向かう。


 まず父さんが飛び出した。三人一組で家に火を放って歩く騎士に真正面から切りかかる。騎士の一人がとっさに下がり二人が左右に分かれて父さんを挟み込む。

 父さんは右手の騎士に剣を投げつけると、左に沈み込みもう一人の騎士の膝の裏をすくいあげた。倒れ込む騎士にのしかかるように共に倒れ、兜を押さえて首筋に短刀を差し込む。即座に立ち上がり、先ほど投げた剣を騎士の喉元から回収する。後ろに下がった騎士に向き直る頃には、こちらも終わっていた。


『風乗り』で騎士達を飛び越えた俺が、背中から農具で刺したのだ。


 戦える。そう確信を得て二手に分かれる。父さんは広場へ、俺はひときわ大きく燃える館を目指す。


 そこで目にしたものは、大槍に刺して掲げられた村人の姿だった。


 頭に小麦色の特徴的な三角の耳。見間違えることもない。


「ああああああああああああっっっ!」


 何かわけのわからない叫び声をあげて飛び掛かった俺は、騎士団の銃に撃ち落された。

 薪を割った時の様な軽い音と共に、強く胸を叩かれたような衝撃。

 ただそれだけなのに、もう立ち上がる事も、息を吸う事も出来なかった。


「かはっ」


 痛みは無い。なのに喉を何か生臭いものが塞いでいて言葉を発することも出来ない。


「なんだこいつ、これも獣の仲間か」


 騎士の鉄靴に蹴り転がされて、腕に刺さったままの矢が折れる。

 少しでも彼女に近寄ろうと無事な腕で濡れた地面に爪を立てて這い寄る。


「グラス。生きていたのね。良かった……」


 大槍に刺し貫かれて宙づりになったまま、マギノワールは生きていた。


「マギ」


 マギノワールの指先が小さく動き、俺の傷が癒えていく。


「あなただけでも逃げて。お願い」


 足元に広がるマギノワールの血だまりにふれていたお陰か、『血療術』が効果を表した。腕から矢が抜けてふさがり、火傷を負った背中に陽だまりの様な温かさが広がる。胸に空いた穴も塞がったのか、呼吸ができるようになった。


「おい、こいつまだ生きてるぞ!」


 騎士の銃が二度、三度と乾いた音を立てると、その度にマギノワールの身体が跳ねた。


「うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 瞳彩が縦に引き絞られ、獣相が俺の脚に風を纏わせた。


『お願い』


 俺は『風乗り』の力を振り絞り、高く飛びあがった。燃える館を、村を囲む炎の壁を飛び越え、ただ、逃げだした。


「絶対に殺してやる! 一人残らずだ! 誰一人生かしてはおかないぞ!」


 雲を突き抜けるほどに高く飛びながら、血を吐きながら叫んだ俺の腰で、血に汚れた木剣が小さく脈動した。

 幼い文字で書かれた『グラスフレート』『マギノワール』の文字はいくつかの文字が薄く光っていた。


『グラ ノワル』と。

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