2.少女

 Aコレッジの校舎内に女の子の幽霊が出るということは、昔から有名らしい。妖精だと言う人もいる。

 その少女は十歳くらいで、ボサボサの赤い髪が長く伸びている。元は青だったとおぼしき目は白濁していて、灰色の肌に血管が赤黒く透けて見える。そしてその身に着けているのは下着らしきボロボロの布で、殆ど裸同然なのだという。


 少女は校舎の南西寄りに出やすいと言われている。

 ある生徒が教室移動のため、ひとりでその方角の廊下を歩いていたときのこと。

 彼は唐突に、見おぼえのない扉を見つけた。

 ずらりと教室が並ぶ中、ぽつんと異質なドアがある。こんな扉の付いた教室があったろうか。


 それはいかにも古く、薄っぺらい板をつなぎ合わせたようなドアだった。下のほうは黒く黴びている。近寄ると、湿った木と土のにおいがした。


 彼がそれを怪訝けげんに思ったにせよ、特別驚かなかったのは、生徒が制作したものだと思ったからだ。美術の授業で立体芸術をつくるという課題が出たことがある。みんな個性的な作品をつくっていた。これもそのひとつかな、と。


 しかしブラックアイアンを打ちつけたその〝作品〟は、中世の地下牢へと続く扉を連想させた。ドア枠とドアのあいだに覗く隙間も陰気に真っ黒く見えて、正直、悪趣味だなと思った。だが来月はハロウィンという時期だったから、それに合わせたのかもしれない、とも。


 そのまま通り過ぎようとしたとき、隙間の向こうから視線を感じた。

 誰かが彼を見ている。

 反射的に振り向くと、突如、中からドアが叩かれた。ドンドンと激しく乱打している。仰天する彼の耳に、切羽詰まった声が届いた。


「出して! お願い、ここから出して!」


 高い声。とっさに下級生だと思った。声変わりもしていない新入りの。 

 悪ふざけか、いじめか、ともかく閉じ込められてしまったのだろう。


 彼はアイアンの取っ手を引いた。

 薄いドアは苦もなく全開し、中から強烈な黴と土、そして何かが腐ったようなにおいが溢れ出してきた。

 思わず鼻を塞いだ彼が目にしたのは、教室ではなく闇だった。奥行きのない、閉塞的な闇。


 その中に少女がいた。

 ドア枠に両手でぶらさがっている。

 彼と同じ目線、鼻がくっつきそうな至近距離に、汚れた顔がある。白濁した目でニヤニヤ笑っている。


 彼は大声をあげようとした。しかしその大きくひらいた口めがけて、少女が灰色の手を突っ込んできた。生臭いにおいと張りのないぶよぶよした肌の感触が口内を侵す。

 恐怖とおぞましさと気道を塞がれた苦しさで、彼は失神した。


 倒れている彼を同級生たちが見つけたとき、彼の口の中には土が詰まっていたという。彼はその後高熱を出して何日も寝込んだ。


 少女の目撃談はほかにもいくつかある。


 やはり南西側にある視聴覚室で遭遇してしまった生徒もいる。

 外国語の授業で、スペイン語のビジネスニュースを聴きながら英訳をパソコンに入力していくという作業をしていた。

 しかし彼が着けているヘッドフォンからは、急にブツッと音をたてて、スペイン人女性の声が途絶えてしまった。代わりに、ザクッ、ザクッと、土を掘るような雑音ばかり聞こえる。

 なんだろうと思ううち、スペイン語ではなく英語が聞こえてきた。

 切れ切れに、幼い声が何か言っている。聞き取ろうとしていると、心なし声も大きくなってくる。彼は注意深くその声に耳を傾けた。

 するといきなり、耳に吹き込むようにはっきりと、少女の声が言った。


『聞くな』


 同時に耳の穴に何かを入れられて、彼は跳びあがった。ヘッドフォンをかなぐり捨てると、耳の穴からパサッと赤毛の束が滑り落ちた。

 教師や学友たちが驚いて彼を見る中、いきなりうしろからグイッと彼を引っぱる者があった。


「おい、早く離れろ!」


 うしろの席に座っていた仲のよい友人だった。

 その友人に羽交い締めのようにされて、うしろの机へ倒れ込みながら、彼は見た。

 彼が使っていたパソコンのモニターに、少女が映っている。

 白濁した目でこちらを睨みつけ、灰色の両手を彼のほうへ突き出している。

 小さな手は彼を掴みそこなって、宙を掻いた。

 だが急にニヤニヤ笑って、消えた。



 ――その少女と関係あるのかは定かでないが、昔、Aコレッジの敷地内にあった店の主人が、幼い女の子に乱暴した上殺害し、遺体を遺棄したという事件があった。

 その店は南西の方角にあったという。

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