おかしな考え


 足早に、それでいて騒音にならない程度の歩速で僕は出口を目指す。

平日の館内はやはりどこも人気がない。だからこそ、自分の足音に重なるもう一つの足音がしっかりと耳に届いていた。

「………」

ちらりと後ろを確認する。やはり、少女が付いてきている。

狭い通路の左右に立ち並ぶ水槽、彼女はその表面を撫でるように手を滑らせていた。

「……中の魚が驚くからできればやめたほうがいいと思うよ」

「心配ありませんよ。この区画にいる魚は全部映像ですから」

「なんだって?」

 僕は思わず足を止め、近くの水槽を凝視してしまう。そこでは色鮮やかな熱帯魚が悠々と泳いでいる。この全部が映像? とても信じられなかった。

「生態系保全の一環で全国の水族館で密かに導入されているらしいです。展示内容を一新しやすく便利だとスタッフには好評だそうですよ」

「それは外に漏れるとまずい話じゃないのか? 一体誰から」

「館長さんです。嬉々として語ってくれました」

話し相手がいなくて寂しかったのだろうか。それでも話す相手は選ぶべきだったと思う。

それはともかく、僕は彼女と正対してしまった。話し合いの席に着くつもりはなかったけれど、こうなっては仕方ない。

「……質問が二つほど」

「なんでしょうか?」

「まず一つ目」

 僕は少女の右目を指さす。その目は今も、銀色の輝きを放っていた。

「その目は義眼?」

「ええ」

 少女は頷きを返した。

「小さい頃に片目を傷つけてしまったんです。それ以来お世話になっているんですが――」

少女は言葉を切ると、注目と言うように人差し指で右目を指さす。その直後、

「……え?」

銀の目が瞳を伴う元の眼に戻っていた。劇的な一瞬の変化に目を瞠ってしまう僕に構わず、少女は言葉を継いだ。

「命令一つで通常の眼球にカモフラージュできるんです。視神経との接続もされていますから普通の眼としての機能も有していますし。中々の高性能なんです」

「確かに普通の眼と見分けがつかないな……」

「そうでしょう。私自身しばらく気づかなかったぐらいですし」

 ――気づかなかった?

 最後の言葉は少し気になったが、とりあえず脇に置いておくことにする。今はもっと大事な質問が先につかえていた。

「じゃあ、二つ目の質問だけど……いつまで付いてくる気なんだ?」

「私の質問に答えてくれるまでです」

 答えが即座に返ってきた。どうやら彼女の中でそれは確定事項であるらしい。

「悪いけど君の質問に答えるつもりはない。他を当たってくれ」

「真剣に考える必要はありませんよ? 軽い質問ですから」

「いやだから――」

「スナック感覚で答えてくれればいいんです。それで私は満足しますから」

 言葉を言葉で強引に遮ると、少女は再び質問を繰り返した。

「人間とアンドロイド。私はどちらに見えますか?」

 呆れを通り越して感心してしまう。少女の非常識にではない。世間のタブーに堂々と触れる彼女に対してだ。

アンドロイド。

長きに渡って娯楽目的の見世物という役回りしか与えられなかった存在は、AIおよびエレクトロニクス技術の急激な発展に伴い、社会における様々な場面で活躍の場を与えられた。疲れを知らない働き手として目覚ましい成果を上げ続けた結果、彼らは融通の利く便利な道具という大変不名誉な地位を手に入れることとなったのである。

 そんな存在で人を表すことなんてできるわけがない。

そう笑って答えられる時代は――当の昔に過ぎ去っている。

 だからこそ思わずにいられなかった。

――この質問には何か裏がある。

 このままうやむやにしてしまうのが一番。それは重々承知しているし、実際そうしようとした。ただ、

「………」

 少女は僕に視線を送り、じっと答えを待っている。今の彼女を前にして最初の目標達成はもはや絶望的。売店のアイスをつけても結果は変わりそうにない。

 ならば、仕方ない。

「分かった。答えるよ」

 瞬間、少女の表情がかすかに華やぐ。しかし、

「ただし一つ条件がある」

「……なんでしょう」

 先とは一転、彼女の表情が曇った。今までで一番分かりやすい変化だった。

「その質問にこだわる理由を教えてくれないか。訳を教えてくれるのなら答えても構わないから」

「別にそんなこと気にしなくても」

「悪いけど、ろくに背景も知らずに口にできる答えは持ち合わせてないんだ」

「………」

 観念したように少女が小さく息を漏らす。

すると、彼女は一歩踏み出して僕の方に身を寄せる。そして、流れるような動作で僕の手を握った。突然の行動に僕は一瞬どきりとしたが、少女のひどく機械的な質問がすぐに僕を我に返らせた。

「今、あなたの手は私によって握られています。その感触が本物かどうか、あなたは答えられますか?」

 あまりにも自明な質問だった。答えなんて考えるまでもない。

「無理だ」

「ですよね」

 少女も当然のように頷いた。

「私たちの認識は常に弄られています。アンドロイドと人間、その境界を曖昧にするために」

 少女の握る力が強くなる。その感触は確かに人のそれ。けれど、それが現実なのか造られた感覚なのか、確かめる術を僕は持っていない。

アンドロイドの自我獲得と人権付与、そして、それに伴う社会構造の変化。急に速度を上げた時代の流れに人々の価値観はついていくことができなかった。結果、引き起こされた数々の社会問題によって世界が荒廃していく中、人々は自分自身を改革することに決めた。

アンドロイドと人、両者の違いを強引に曖昧にしたのである。

「私たちは自分がどちらに属する存在なのか知ることができません。人は生まれた時から脳に電極を埋め込まれ、アンドロイドは自分が人間だと思い込まされている。肉の身体を持つ人間と機械の身体を持つ人間が入り混じったのが今の社会です」

「……社会に不満が?」

「いえ、現実は現実ですから。そこは仕方ないと割り切ってます」

「なら問題はどこに?」

「ここに」

 少女は自身の右目を指さした。

「この眼がいつも問いかけてくるんです。私は一体どちらなのかと」

 それは今を生きる人間であれば一度は抱く疑問だ。僕自身考えたことがある。

 ただ、大半の場合、時が経つにつれてその疑問に対するこだわりは薄れていき、やがて考えることをやめてしまう。答えを知らずとも適当に生きていける、そんな生温かい世の中が今は広がっている。しかし、彼女の場合、どうやら事情が違うらしい。

「実は私、この目の存在を知ったのはつい最近なんです。体育の授業で負傷した時、この眼が偶然動作不良を起こして」

「でも、ついさっき小さい頃からの付き合いだって――」

「あれは全て母から聞いた話です。私が尋ねると母は先の事情を告白し、私がもっと大きくなってから話すつもりだったと弁解しました。今まで黙っててごめんねと言い添えて」

「弁解って……優しいお母さんじゃないか」

「ええ、私を気遣ったが故の行動だったとは理解しています。ただ、優しいからと言って嘘をつかないとは限りません。母の気遣いが本当に言葉通りだったのか、私は疑問なんです」

「……よく分からないな」

「要するにですね」

 少女は人差し指を一本立て、静かに言った。

「この眼は新たに加えられたものではなく、元からあったんじゃないか、さらに言えば、私の身体に最初から生身の部分はなかったんじゃないか。そう考えているんです」

 ……なるほど、やっと話が見えた。

「つまり、自分がアンドロイドじゃないかと疑っているわけか」

 少女は無言で頷きを返した。

「私はずっと自分を人とみなして生きてきました。しかし、その考えは脆い足場の上に成り立っていました。それを自覚して以来、自分が本当はどちらなのか気になって仕方がないんです」

 僕は今、自分を人間だと信じている。しかし、それは自分が人間であることを否定する要素が周りにないからこそ。その後ろ盾を失った現在の彼女には難しい話だった。

「というわけで、私はこの中途半端な状態を私は終わりにしたい。はっきりさせたいんです」

 その結論はとても自然だ。何も間違っていない。しかし、一つだけ問題がある。

「でも、はっきりさせようにも」

 言うに及ばないと示すように少女の掌が僕の口を止めた。

「ええ、知ってます。それが認められていないということは」

 人間かアンドロイドか。その事実確認をすることは現在、法レベルで禁じられている。それを目的としたあらゆる行為は社会のタブーとされ、実行はもちろん、計画が露見した時点で全財産を没収されるに等しい厳罰が下されることになる。その事実を少女の方も了解しているらしい。

「仕方ないさ。現実は現実だ」

「そうですね。そこに在るものは在るものとして受け止めるしかありません」

 法の壁を前に彼女が踏みとどまってくれたことに、僕はほっと胸をなで下ろす。

 けれど、それはちょっと早すぎたようだ。

「ですので、こちらで勝手に決めてしまうことにしました」

「は? それって一体……あ」

 僕は答えに辿り着いてしまった。

「ええ、既に申し上げたとおりです」

 僕の予想を歓迎するように頷くと、彼女は言った。

「私が人間なのかアンドロイドなのか。それをあなたに決めてもらいたいんです」

 これまで段階を踏んで話を進めてきたのに、最後の最後でその全てを用無しにするような結論。けれど、少女は至って平然としていて、そこに冗談の素振りなど欠片も見られなかった。

「見ず知らずの他人に私がどちらに属するのかを判断してもらい、その考えに私が納得する。それを以て私のアイデンティティとします。その判定役にあなたは選ばれたんです」

 おめでとうございます、と少女から小さな拍手が送られる。ちっとも嬉しくなかった。それ以前に捨て置けない疑問もある。

「待ってくれ。君はそれで納得できるのか?」

 彼女自身も言った通り、少女の問いはアイデンティティに関わるものだ。人がその問題から目に逸らすのは取るに足りないことだからではない。大事だからこそ目を逸らすのだ。回答の先延ばしが許される、むしろ推奨される社会の中、その重みから逃れているだけなのだ。

にもかかわらず、少女は他人の判断一つでそれを決めてしまおうとしている。常人の発想とは思えなかった。

しかし、少女はそこからさらに一歩踏み出していた。

「できるできないかは問題ではありません。するんです」

 力強い宣言。今までで一番、不必要なまでに自信に満ちていた。

「最も近しい例を挙げるのであれば信仰でしょうか。そう決められたのだから受け入れるしかない。私はありのままに教えを受け入れる敬虔な信徒となるんです」

 彼女は何を言っているのだろうか。 開いた口が塞がらない僕の耳に、少女は怒濤のように言葉を浴びせかけた。

「一つ定まってしまえば、私という存在は揺るがなくなります。きっと胸の内の蟠りも消えるはずです」

「いわばあなたは私の神になるんです」

「ですわけで答えをお願いします。適当でもなんでも構いません。私はそれを信じます。してみせますので」

 短くない時間、僕は沈黙した。やがて、一縷の望みにかけるように尋ねた。

「……本気か?」

「ええ、本気です」

 ――僕の直感は正しかった。

 一本、二本の話ではない、一桁、二桁の単位で頭のネジが飛んでいる。心をプログラムか何かだと勘違いしているのではないか、そう疑いたくなるような言動だった。

「さあ、答えを」

 回答を催促してくる少女。けれど、僕は縫い付けられたように口を開けないでいた。

 答えれば恐らく少女は僕の前から去ってくれるだろう。けれど、この問いはあまりに重すぎる。一意見として受け止めてくれるならまだしも、彼女は全幅の信頼を置くと言っているのだ。全力で。

「ちなみに回答拒否は?」

「できません。あなたは私が事情を話せば答えてくれると約束しましたから」

「………」

「ちなみに答えてくれるまでつきまといますので。お覚悟を」

「……強烈な脅し文句もあったもんだ」

 一瞬冗談かと淡い期待を抱いたが、彼女の真面目な顔がはっきりと否定していた。

 この状況を打開する手立てはないだろうか。僕は現実逃避気味にぐるりと両目で周りを見渡す。すると、柱に貼られた一枚のポスターが眼に入った。

 ――これだ。

僕はそれを指さし、少女に提案した。

「一度、場所を変えないか?」

 そこに書かれていたのは本日開催のイベント告知。開演時間はこの後すぐだった。

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