第5話 バタフライ効果、って知ってる?
あたしの気晴らしに、四条は何も言わずに付き合ってくれた。我ながら「どっか連れてけ」ってのはまぁ無茶よね、とは思わなくもないんだけど、四条は全然気にしてないようだった。それどころかいつもどおり、何か食べたい? とか。何が見たい? とか。いろいろ聞き出してくれる。
そしてその日、あたしたちが来たのはあの川辺だった。
初めて逢った日の、あの、川辺。
「あー、気持ちいいー」
ぐうっと腕を伸ばして息を吐く。空は青空と黒雲とが点在していてちょっと不思議な様相を見せている。どっちつかずだけど、それも悪くない。
「うん。やっぱここが良かったんやね」
「なんでここに連れてきたの、四条?」
満足そうに頷くものだから、多少疑問が生まれた。四条は少しだけ困ったように笑ってから、傍のベンチに座る。
「なんか阿野さん、悩んでそうやったからなぁ。そういう時は、こういう自然っぽい場所がええかなって」
――悩んでそう?
突然の言葉に、あたしは思わず瞬きをした。
「そんな風に見えた?」
「うん。なんかあったんよね? ほんまは近藤さんが良かったんちゃうかなぁて思うけど、僕誘ってくれはってちょっとほっとしとるんよ」
……えーい。この草系め。何でそんなほわほわしてるんだ。なのに何でそんなことをさらっと言えるんだ。そしてあたしは、四条にも沙羅にも見抜かれるとか、そんな判りやすい顔してるんだろうか。
口中でもごもごうめいてみるが、四条は気にした様子もなかった。
「僕で良かったら話してみいひん? 嫌やったらええよ」
「……嫌じゃないけど」
別に悩んでるわけじゃない。ただなんとなく、もやもやしているだけだ。あの日、四条と初めて逢った日と同じように、なんとなく胸の中がすっきりしないだけ。ただそれを上手く説明する自信はない。だけどまぁ、嫌、って訳でもないんだよなぁ。
言うべきか言わざるべきか。しばらく空を睨んで考えこんでから、あたしは結局口を開いた。
「夢をね、見るんだ」
「ゆめ?」
「うん。ただの夢。良く見る夢なんだけどさ」
「それが悩み?」
首を傾げる四条に、同じように首を傾げてしまう。
「悩み……ではないかなぁ」
「そう?」
「困ってないもん。ただなんか、気になるだけ」
なんとなく手持ち無沙汰になって、そのあたりに落ちていた木の枝を拾った。川に投げ込む。
「どんな夢? って聞いてもええかな」
「そこまで気つかわなくていーよ。ちょっと鬱陶しい」
「ごめん。性分や」
困ったように笑う四条の顔が、それでも嫌な気分にはならなかったので小さく笑い返してみせる。
「……湖の夢。夜と朝の間の時間に、熱そうな太陽が、湖の向こうから昇る夢。浮島から食い入る様にそれを見てて、風がすごく冷たいの。そういう夢」
断片だけの言葉は、本質を伝えない。夢の意味。それを四条は汲み取れない。だってあたしがイネスだったことを知っているのは、沙羅だけだから。
「それって、チチカカ湖?」
「さあね」
軽く肩をすくめてみせると、四条は子どもじみた笑顔で大きく頷いた。
「たぶんそうやんな。ええなぁ。僕もたまに見るよ、池田屋の階段から落ちる夢とか」
それは縁起悪くないか。
「阿野さんはほんま、インカ好きやねんなぁ」
――好きだから、夢を見る、か。単純な理由だ。ただそれだけだったら、こんな複雑な気持ちにはならなかっただろうに。
だけど何故だろう。言葉にしたからか、ほんの少しだけもやもやは軽くなっている。あたしはそっと、四条の隣に腰を下ろした。
「――四条はさ、なんで歴史が好きなの?」
不意に口をついた問いかけに、四条はぱちくりと瞬きをした。心底、驚きました、というような顔をしている。
「……何?」
「あ、いや。ごめん。阿野さんが僕のこと聞いてきたの初めてやなぁと思って」
「そう?」
困ったな、と四条が小さく呟く。
「いや、色々、聞いてはきてくれるんよ。キープについての考え方とか、コンキスタドールについての考えとか。でもほら、インカのことか、阿野さんのことか、近藤さんのことか、やん? 僕のことは聞かへんって思ってたから」
言われて初めて気がついた。確かにそうかもしれない。そしてそれはたぶん、沙羅が言うところの「あんたは他人に興味なさすぎやねん」ってところなんだろう。
――まぁ、その自覚は多少ある。ある、けど。
「別に、四条に興味が無い訳じゃないよ」
「え」
「? 何?」
なにかおかしな事でも言っただろうか。一瞬硬直した四条に首を傾げるが、四条は慌てて「何でもあらへんよ」と笑った。おかしな奴だ。
それから、ふっと短く息を吐いて空を見上げた。眼鏡の奥の目をほんのり細めて。
「――バタフライ効果、って知ってる?」
「聞いたことはあるよ。アマゾンを舞う一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる、ってやつでしょ?」
「うん」
四条がこくんと頷いた。ようは、どんな小さな出来事も重なりあって大きな事象を動かしているって考え方だったはず。
「僕、歴史ってようはそれの積み重ねや思うねんね」
「ピサロがインカを滅ぼしたから、今のペルーがある、みたいな?」
「それもまぁ、ひとつやろうけど、もっと微小な単位での話かなぁ」
例えば、と四条は自分の鞄をポンっと叩いた。
「あの日、僕が本を読むのをここやなくてスタバとかにしてたら、たぶん阿野さんに僕は今も認識されてへんよね」
「……かなぁ」
だって四条、ホントにしゃべらないと地味なんだよ。影が薄いんだよ。しゃべるとすっごい楽しいんだけど。
「それで、阿野さんと僕が知りおうた。もしかしたらそのことで何か変わるかもしれんやん?」
「かな」
「可能性の話な。でも僕らはたぶん、今んとこ、歴史に残る人物とはちゃうと思うねんね。でも僕らが知りおうたことによって、ちょっとしたことが何か変わって、何か変わって……って繋がっていくかもしらん。たぶんほんまの歴史って、英雄とか、革命家とかが作ったんちゃうくって、そういう普通の人たちが作ってきたもんやと思うんや。ピサロかて、そうやん? お母さんは確か、召使とかちゃうかったかな?」
「あ、それ知らない」
「あ。ほんま? うん。確か召使やったと思うんや。召使さんが生んだ人が、一つの大きな国を滅ぼす……って考えたらすごない?」
すごい――んだろうか。どっちかというと、むかつく、っていう感情のほうが先に湧いてしまうのだけれど。
「僕はたぶん、歴史を知ることで僕が今ここでこうしてるのが、なんかすごいんやって、奇跡なんやって、知りたいんやろなぁ」
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