僕はしにたくなったのでスベスベマンジュウガニを捕獲しにいくことにした
ささやか
僕はしにたくなったのでスベスベマンジュウガニを捕獲しにいくことにした
【終】
朝がきてしまった。僕は今日もいきている。それはとても悪いことのように思えた。スマートフォンでネットニュースを確認すると人が死んでいる。理由はよくわからない。
ほほをなでる。無精ひげがひっかかる。今日はまだひげをそっていなかった。いや、今日じゃない。もう昨日のことだった。
太陽が顔を出したといっても空はまだ夜の色をしている。これから全てがはじまっていくのだろう。夜明けの住宅街は静かにそのときを待っていた。期待のない僕は足音をひきずって住宅街を去る。
「ねえねえ、知ってた?」僕のよこを浮遊するアレクタリヤさんが無邪気に笑う。「スベスベマンジュウガニっておいしいんだよ。」
僕はふうんとだけうなずく。知らなかった。
「***くんは食べたことないのかあ。残念だな、こんど食べたほうがいいよ。絶対におすすめ。」
「そもそもスベスベマンジュウガニってどんなカニなの?」
アレクタリヤさんはこっぱみじんにはじけとんで驚きを表現する。
「え、知らないの? 日本の国民食だよ。海にいっぱいいるじゃないか。」
僕はふうんとだけうなずく。知らなかった。だけど僕は非国民みたいだし、しかたないと思った。日本なんて好きでもなんでもない。どうししてそんな馬鹿げたものを好きになれるのだろうか。よくわからないものも僕を嫌う人も僕は好きになれない。
住宅街をぬけると急に自動車が多くなった。胸いっぱいに排気ガスをすいこんでみる。ちょっとだけ寿命を消費できた気がした。
「ねえ、これからどうするの?」
アレクタリヤさんは無数の触手で僕にからみつく。
「どうしようか。」
「ばかだなあ。何も考えてないんだね。そうやっていきてきたんだね。」
「まあね。」
「郵便ポストがどうして赤いのかわかる? 手紙にこめられた思いがはずかしいからだよ。」
僕はふうんとうなずく。知らなかった。
「ねえ、どこかにいこうよ。」
「どこに?」
「どこでもいいよ。ここじゃなければ。」
アレクタリヤさんはペルシャ猫のように快活に笑う。どこかにいったとしても、どうせすぐにそこがここに変わるのだろう。それでも僕らはどこかにいきたい。そうしないとどうにかなってしまいそうなのだ。
「そうだ、太平洋にいこうよ。ついでにスベスベマンジュウガニを捕まえて食べよう。」
海か。それも悪くないと思った。そういえばちゃんと海にいった記憶がない。
アレクタリヤさんの触覚が車道を流れるタクシーを示す。
僕の前でタクシーがとまる。僕の右手があがっていたからだ。タクシーのドアがあいたのでそのままのりこむ。
「どちらまで。」
「海がみたくなって。太平洋。だからここからいちばん近いとこに。」
「へえ、そりゃ青春だね。いいね、そういうの好きだよ。まかせときな。」
運転手がおかしそうに笑ってタクシーを動かす。
「べつにそういうわけじゃないですけど。なんとなく。」
「いや、それが青春だよ。間違いない。」
「じゃあそうなんですかね。」
「アハハハハハハッアハハハハッ。青春、青春だって。ねえ青春だってさあ!」
トノサマバッタのようにとびまわるアレクタリヤさんの嘲笑が耳にひびく。
「おっかしいなあ。ほんとおかしいなあ。そうやって誰かの不幸も悲しみもぜんぶぜんぶ美化されるんだよ。なにが青春だ、馬鹿らしい。しねばいいのに。そんな綺麗なセリフは満ちたりた過去をもつ人間だけのものだよ。おまえら全員しねばいいのに。」
アレクタリヤさんが運転手の首をしめながら問う。
「ねえ、しあわせってなんだろうね。よくわらないね。だってあたしたちは最初からもってないんだもの。」
僕はふうんとうなずく。そうかなと思った。
【終】
運転手にカードで代金を支払って、タクシーの外にでるとたしかにそこは海だった。暗い青色のかたまりがぶよぶよと醜くうごめいている。これのどこが素晴らしいのだろう。よくわからなかった。
海辺の空気はなんとなく臭かった。太陽がわがもの顔で空にうかんでいる。まぶしい。とてもまぶしい。僕は目をほそめた。
防波堤のむこうがわに砂浜があり海があった。防波堤をのりこえて砂浜にいってみようかと思った。だけどやめた。めんどくさかったからだ。
「ねえねえ、知ってた?」アレクタリヤさんが僕の影にもぐりこんであそぶ。「トマトが赤いのは人の血をすってそだっているからだよ。」
僕はふうんとうなずく。知らなかった。
「ほらほら、ぼさっと立ってないで歩こうよ。あたしたちはいつだって前に進んでないとゆるされないんだから。」
アレクタリヤさんといっしょに防波堤ぞいの道をだらだらと歩く。たまに車がよこぎるくらいで人どおりは全くといっていいほどなかった。
「***くん、スベスベマンジュウガニを捕まえて食べよう。」
「捕まえるってどうやって。」
「君には両の手があるじゃないか。」
「仮に捕まえたとしてもどうやって料理するのさ。」
「なにをいまさら。そのために包丁をもってきたんだろう。」
手さげバッグをのぞくと真新しい包丁が入っていた。いつのまに僕は手さげバッグなんてもっていたんだろう。いつのまに僕は包丁なんて入れたんだろう。
「しあわせになりたいね。」
アレクタリヤさんはメデューサみたいにすすり泣く。
「しあわせになりたい。こんなに願っているのにどうしてあたしたちは不幸なんだろう。」
「そうだね。」
「こんな人生なんてほんとつまらないね。」
「そうだね。」
「そうでしょ?」
「そうだね。」
僕はうなずく。人生なんてちっとも楽しくないし、ぜんぜんしあわせじゃない。どうしてみんな笑っているんだろう。夜にねむれるのだろう。どうしようもなく不安になって叫ばないのだろう。明日を信じているのだろう。未来を信じているのだろう。
それはきっと自分を信じているってことだ。だけど僕は。
「……ほら、あれがスベスベマンジュウガニだよ。」
アレクタリヤさんがゆびさす。こちらにやってくるスベスベマンジュウガニは僕の想像よりも大きかった。
「いち、にの、さん、でとびかかろう。大丈夫、スベスベマンジュウガニくらい君でも捕まえられるよ。大丈夫、君にはその権利があるんだ。人生がつまらないだろう、どうしようもなくさみしいんだろう。なら、いまだよ。」
アレクタリヤさんがささやく。波音のようにうるさい。僕はうなずいた。ぎゅっと包丁の柄をにぎる。
「さあいくよ。いち、にの、さん!」
アレクタリヤさんの合図で僕はスベスベマンジュウガニにとびかかった。いきおいよく包丁をふりかぶる。驚いたスベスベマンジュウガニが声もあげずに逃げだそうと後ろをむく。
「逃がしちゃだめだ!」
そうだ、逃がしてはいけない。僕は固くにぎった包丁をスベスベマンジュウガニの背中につきさした。
スベスベマンジュウガニが悲鳴をあげる。包丁をにぎる右手がとまる。生き物をころすのは悪いことなんじゃないだろうか。そんな僕の躊躇をさとったアレクタリヤさんがそっと手をかさねる。アレクタリヤさんが誰かのようにやさしく微笑む。僕はうなずきかえしてから、スベスベマンジュウガニの胸に何度も包丁をつきさした。彼女はほどなく息絶えた。
大きく息をはく。僕はまっかになっていた。
「やったね、***くん。」
狂喜するアレクタリヤさんはおどりながらくちばしをパカパカさせる。
僕はスベスベマンジュウガニの死骸をゆびさしてたずねた。
「アレクタリヤさん、これってほんとにスベスベマンジュウガニなの?」
「そうだよ、たぶん小学生。」
僕はふうんとうなずいた。
もう一つアレクタリヤさんにたずねる。
「ねえ、アレクタリヤさんは現実なの?」
「現実ってなあに? たとえ現実だろうとそうでなかろうと、そこにどれだけの価値があるの? 何かが違えばそれで君は救われるの? きっとなにも変わらないよ。」
「そうかもしれないけど、でも、」
「ああ、そうだ。忘れてた。スベスベマンジュウガニってね、」
アレクタリヤさんが僕をさえぎって言う。
「毒があるんだって。食べたらしんじゃうらしいよ。」
アレクタリヤさんは霧のようにうすくなって消えてしまった。
【終】
「今日はとてもいい天気ですね。とてもいい天気です。あの日もそんな天気でした。太陽がまぶしかったのをおぼえています。だからもしかしたら太陽のせいかもしれません。僕は太陽が嫌いなんです。あんなにまぶしく光ってずるいと思いませんか? 世界のいたるところでしあわせがたりてないのにあんな光って。
ああ、でも宇宙って寒いんですよね。じゃああれくらいまぶしくないとだめなのかもしれないですね。とめどない孤独のなか絶対的に明るくなければならないのと、暗がりでとどかない陽光を求めるのと、いったいどちらがしあわせなんでしょう?
違いますよ刑事さん。僕はそんな理由で×××ちゃんをころしたんじゃありません。ん、警部さんでしたっけ? 警部補でしたか、そうですか。すみませんね、物覚えが悪くて。え、理由? ああ、理由。理由、理由ねえ。理由ってそんなに必要ですかね。ほんとうに大事なのは結果ですよ。現実としてあらわれたことがいつだって問題なんです。だけど僕は現実が嫌いですね。ええ、嫌いです。気があわないんですよ。いきづらい。
包丁をどこで買ったかなんておぼえてないです。生活ってそんなものじゃないですか。無意識と埋没の死体によじのぼって必死で水面に鼻をだして呼吸しているようなものです。
人生だってほんとうに退屈ですよ。苦痛です。もちろんいくつか好きなものはありますよ。だけどそれは僕の人生じゃない。いきること自体はこんなにもつらいじゃないですか。誰だって手をはなせば暗がりにおちるしかないんですよ。
はい、愛されたいですし愛したいです。でもなぜかできなかったんです。不思議ですね。きっと愛すると愛されるってのはごく一部の人間しかできない行為なんですよ。それがさもみんなできて当たり前のように広められているからこうやって不幸がいっぱいなんだと思います。
ニュースをみればだめだだめだの大合唱で三年後自分がどうなってるのか全くわからなくなります。ええ、不安でした。こどもをつくる夫婦はこどもが将来しあわせになれると思うからつくってるんですよね。すごいなあ、うらやましいなあ。やっぱり結婚してこどもをつくるような人間は愛に満ちあふれててずっとしあわせになれるんですかねえ。僕は無理ですけど。こどもが将来しあわせになれないと思っててもこどもを産むことは罪にならないんですかね? 検察官さん、僕はそれこそ死刑にすべきだと思います。
そうだ、僕は死刑になるんですか? あ、たぶんならない。そうですか。じゃあ×××ちゃんの遺族は僕を死刑にしたいと言ってますか? やっぱり言ってますか。まあでも死刑にしたいと思っていたとしても自分でころそうと思ってるわけじゃないんでしょうね。あいつはしぬべきだと声高に主張するくせに自分の手をよごさずに死刑を望むってのはずいぶん調子のいいことだと思いませんか? それなら自分でころせばいいのに。
アハハ、冗談ですよ。そんなに怖い顔をしないでください。わかってますって。僕にそんな価値はないです。自分たちの生活を壊してまで僕をころそうなんてわりにあわないですよね。×××ちゃんのご両親には毎朝みそ汁をのむくらい健やかな平凡がおとずれることを願っています。
最後に言いたいことはあるかって? そうだなあ、スベスベマンジュウガニには毒があって食べたらしんじゃうらしいですよ。どんな味がするんでしょうね。ああ、しあわせになりたかったなあ。」
目をさます。四角い部屋のなか僕はひとりだった。
僕はしにたくなったのでスベスベマンジュウガニを捕獲しにいくことにした ささやか @sasayaka
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