狐の嫁入りと蝉時雨

第30話 蝉時雨

 夢芽むめも集落の生活に慣れ始め、レイラが市蔵と暮らし始めて3ヶ月も過ぎると季節は春から夏へと移っていた。そこかしこに咲き始めた百日草や桔梗が色鮮やかに集落を彩り、突き抜ける青空のもと、照り付ける容赦ない陽の光はレイラの活力を奪うには十分であった。



「おーい 市蔵いるか? 」


 屋敷の戸は開けっ放しになっていたので、三左衛門は持ってきた荷物を下に置いてから中に入ると声を上げたが返事は返ってこなかった。


「なんだよ 出掛けてるのか? 」


 面倒くさそうに呟きながら裏の繋ぎ場に廻り、馬が止めてあるか確認したが市蔵と仙十郎が日頃乗っている馬はいなかった。

 屋敷の中に戻ると三左衛門は大きな声を上げた。



「いっちぞう君~ あっそびましょう~」



 返事がないのを三左衛門は確認してから、ため息を吐くと荷物を持ち上げて式台を上がった。


「い~や~じゃ」


「うわぁ レ レイラ! いるなら最初から言え。って、お前何してんだ? 」


 式台を上がり玄関と茶の間を抜け奥座敷に入ると、床畳の上で仰向けに大の字に寝転がっているレイラの姿があった。

 三左衛門は床の間まで歩を進めると、荷物を置いてからしゃがみ込みレイラの顔を覗き込むように見下ろした。レイラは視線だけを置かれた荷物に向けた。



「おぉ サンザよ。その荷物には冷水ひやみずが入っておるのじゃな」


「んなもん入ってねーよ」


「そうじゃった。心太ところてんだったのじゃ。つるりといきたいものじゃな」


「いや。心太も入ってねーよ」


 レイラは視線を荷物から真上で見下ろす三左衛門へと映した。


「ぐぬぬ。本当のお荷物など、わらわはいらぬのじゃ」


 三左衛門はレイラのオデコを軽く指ではじくと、風呂敷を解き始め、レイラはオデコを両手で押さえた。


「ぐはっ! な 何をするのじゃ!」


「ったく。お前が『福来屋』に忘れた薬研やげんを持ってきた。っつーのに」


 レイラはオデコを両手で押さえながらも、視線だけを再度荷物に向けると使っていた薬研が姿を現した。


「おぉ でかした。だがサンザよ今は薬研よりも冷水か心太じゃ」


「この薬研で枇杷葉湯びわようとうでも作ってろ! あと、『福来屋』でもお前は夕霧の心中に連れ添って死んだ事になってるが『瑪瑙』って禿は何か知ってそうな顔をしてたぜ」



「サンザよ。荷物には薬研以外には何か入っておらなんだな? 」


「いや 薬研しかなかったが」


 レイラはようやく体を起こすと満足気な笑顔を浮かべた。


「うむ 『瑪瑙めのう』には、わらわが戻るまで荷物を見ておいてくれ。と言っておいたでな。戻らないわらわを察して手紙を読んだのじゃろ。将来に立派な花魁になれると良いものじゃな」



 サンザは不思議そうな顔でレイラを見たが、用事を思い出した様に慌てて口を開いた。


「それはそうと、市蔵と仙十郎はどうした? 」


「イチは道休と夢芽の3人で城下町に行っておるのじゃ。仙十郎は、わらわの変わりに源爺と薬草を摘みに行っておる」


「え? 『わらわの変わりに』って、お前どっか悪いのか? 」


「わらわは、陽に当たり続けると肌も赤く焼けてしまい暑さにも弱いらしく、一昨日じゃが薬草取りの際に気を失ってしもうてから、イチが朝と夕方以降じゃないと、薬草取りは駄目だと言われてのぅ……さすがにイチに言われなくても炎天下の中、薬草取りに行こうとは思わんのじゃが」



 三左衛門はレイラと目線を同じ位置にすると、顎に手をやり他人事の様に呟いた。


「だから、ひんやりとしてそうな床畳に寝転がってたのか。お前も大変だな」


「ぐぬぬ。他人事じゃからと適当な。で、サンザは荷物だけを届けに来たなら、もう帰れば良かろう。薬研は助かったのじゃ」


 三左衛門は顎から手を離すと再度レイラのオデコを指ではじいた。


「こら ちゃんと礼を言え。ろくな大人になんねーぞ! それに市蔵に伝えたい事もあったんだが」



 レイラはオデコを両手で擦ると三左衛門を睨み付けた。



「ありがとうござりんした! お帰りなんし!! 」


 三左衛門は声を上げて笑うと立ち上がりレイラの頭をポンポンとはたいた。


「レイラ。お前の白銀の髪は目立つから、もし城下町に来るときがあれば、その際は気を付けろ。市蔵には俺が寄ったとだけ伝えてくれ」


 レイラは三左衛門の手を振り払った。



「早く帰れ帰れ。オデコが陥没してしまうのじゃ! 」


「脛を蹴られたお返しだ。そしてこれでおあいこだ。まぁ 市蔵次第では、美録みろく姫の事でまたお前と仲良くしなきゃならんかも知れんから宜しくな」



 三左衛門は最後にレイラのオデコを強めに指で弾くと式台を降り屋敷を後にした。

 眉間にシワを寄せながらオデコを両手で押さえていたレイラだったが、式台を急いで駆け降り外に出ると三左衛門の後ろ姿に向かって、右手で下瞼を引き下げて舌を出した。



「おい 白銀チビ! お前の変わりに炎天下の中を薬草取りに行ってた俺にあっかんべー。するとは良い度胸だ」



 レイラが外に出ると三左衛門の姿はなく、仙十郎が戻ってきたところであった。



「あいにく度胸だけじゃなく愛嬌もあるのじゃがな」


 レイラが何事もなかったかのように屋敷の中へ戻って行くと仙十郎も後に続いた。



「サンザさんが来てたみたいだが、何か言ってたか? 」


「荷物を届けに来たのと、最後は女狐がどーのこーの言ってたのじゃ」


 仙十郎は式台に薬草を置いてから奥座敷に腰を降ろした。


「美録姫様の事を女狐と呼ぶのは止めないか」


「わらわには姫ではないからのぅ」


「そうではない。美録姫様の嫁ぎ先は十条じゅうじょう家だぞ。武家から関白におわせられる公家へと嫁ぐお姫様だ。言葉は慎んだ方が良い」



「十条家……どっかで聞いたことある名じゃのう」


「そりゃあ、関白様だから聞いたこと位はあるだろ」



 レイラはしばらく目を閉じ思い出そうとしていたが頭を横に振った。


「何か懐かしい響きなのじゃが思い出せん。まっ 思い出せない位の何でもない様な事なのじゃろ」



 外からは耳をつんざくほどの蝉時雨が聴こえてきた。本格的な夏が始まると共に、集落の周辺でも騒がしさがやって来るのであった。

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