第21話 遊女は粋じゃのう(レイラ談)

 レイラが答える事が出来ずに黙っていると、夕霧太夫はレイラの顎を掴み顔を近づかせた。どんどん迫ってくる夕霧太夫の美貌と緊張からレイラは唾を飲み込んだ。



 チュッ



「…………な なんじゃー! 」



 突然の事で一瞬呆然となったレイラは頬を押さえ叫んだ。



「ふふ。柔らかい頬っぺたね。ここは夢現の世界、胡蝶も現実を忘れ溺れましょう」



 レイラの顎から手を離すと夕霧太夫は人差し指を立て、ぷっくりとした唇に紅を引いた情欲的な口に当てると、艶やかな笑みを見せた。先ほどの拒絶と怒りを含んだ表情とは全く違い、蠱惑的で挑発しているような表情にレイラはまたも唾を飲み込み独り言のように呟いた。



「あの狐よりも化け具合は上じゃのう……」



「ん。何か言った胡蝶? 」



「な 何でもないのじゃ。荷物を置きたいのじゃが」



「荷物? 禿の雑魚寝部屋には置けないの? 」



 レイラは背負っていた荷物を畳に置くと、腕を背中に回しトントンと叩いては息を吐き出した。



「ふぅ~ 中々に背負ってるのは大変じゃ。わらわが持ってきた荷物はちょいと大きくてのう。あの雑魚寝部屋とか言うところでは邪魔になるでのう。ここなら屋敷と座敷が一緒になっておるので広々として置けそうじゃ」



 夕霧太夫はクスッと笑い、座布団をレイラに手渡すと窓框に腰を掛けた。夕霧太夫の膝元には漆塗りの煙草盆・朱羅宇しゅらうの煙管が置かれ、慣れた手付きで刻み煙草を取り出すと煙管に詰め始めた。

 その一連の様子を見ていたレイラは目を輝かせ、興奮気味に口を開いた。



「くうぅぅ。粋じゃのう、その長煙管とお主の細長く白い指は絶妙に合うのう」



 夕霧太夫は詰めた煙管を口に加えて火をつけたかと思うと、煙管をレイラに手渡してきた。レイラが興味深けに煙管を眺めていると夕霧太夫はまたもクスッと笑った。



「胡蝶。『吸い付け煙草』よ。本来は好感の持てそうな男性にするものだけどね」



 レイラはおそるおそる煙管を受け取り眺めてから、意を決した様に口に加え吸い込むとゆっくり煙を吐き出した。



「何かよう分からん味じゃのう」



 眉間にシワを寄せ煙管を口から離し、レイラは吸い口を見ると、夕霧太夫の紅がうっすらと残っていた。



「か 間接キッスではないか!? 」



「えぇ、そうね。胡蝶はこれから、このタバコを吸う度に私との接吻を思い出すのよ。火を付けたからか少し暑くなってきたわね」



 夕霧太夫は口角を上げレイラから煙管を受け取ると障子を開け放ち、外からは客引きや下足札を鳴らす音が聞こえてきた。



「今日も夢現の世界は賑やかね……」



 窓框に腰かけて煙管を吸う夕霧太夫の後ろには満月が覗いており、煙は満月に吸い込まれるようにゆらゆらと消えていった。

 レイラは月明かりに照らされた神々しく輝く夕霧太夫の顔を見つめた。



月読命つくよみは女じゃったか」



「神様でもないし、神様は信じてないわ……だっていないもの」



「わらわは天照大神でもあるがのう 」



 夕霧太夫は上を向くと煙をゆっくり吐き出してから、レイラに顔を向けた。



「それじゃあ 胡蝶姉さん。って言わないと」



 2人は笑い合うと。鈴蘭が夕霧太夫を呼びに来た。



「夕霧太夫。お客様の入り時間になるよ。準備は大丈夫なのかい? 只でさえ盲目なのに振袖新造も禿も付けないで」



 夕霧太夫は顔だけ鈴蘭に向け、レイラが座っている付近に手を伸ばした。



「鈴蘭姉さん。今までも1人でやっていけたし、必要な時はいつも言っているじゃない。これからはこの子もいるし」



「はぁ~ 今や遊女では日本一と言っていい夕霧太夫に、こんな白銀の禿しかいないなんて、福来屋の名が廃るよ。良いかい? お前も必要な時以外は禿の雑魚寝部屋で生活するんだよ。分かったら戻りな」



 鈴蘭はレイラを見るなりキッと睨み付け、言い終わると踵を返した。

 レイラは鈴蘭を追いかけると、段梯子を下りていく後ろ姿にあっかんべーを長めに取った。気配を感じたのか鈴蘭が振り返ると、慌てて何食わぬ顔をし鈴蘭に片手をひらひらと振った。



「胡蝶、今夜はもう良いわ。芸事はそのうち教えるから、明日からは言葉遣いや計算からね。読み書きは私は教えられないから鈴蘭姉さんに教えて貰いなさい。終わったら、ここに来なさい」



 座敷に戻り告げられたレイラは読み書きも計算も出来たが、夕霧太夫が忙しそうにしていたので、返事だけをして雑魚寝部屋へと戻った。



「な なんじゃ? 凄いジロジロ見て来るではないか。そんなにわらわは、おかしいかのう」



 雑魚寝部屋にはレイラと同じ年齢位の女の子が数人おり、その中でも年少であろう少女が駆け寄りレイラの手を取った。



「うんうん。その長い白銀の髪とか透き通る様な白い肌が羨ましい。って、みんなで話してたんだ。あっ 私は『瑪瑙めのう』って言うんだよ」



「ふむ。分かるものには分かるのじゃな。仙十郎には、白銀の髪をババァみたいだ。とか白い肌を病気か? と、バカにされておったからのう」



 瑪瑙はレイラよりも年齢も体格も小さく、取っていたレイラの手をぶんぶんと上下に揺らした。



「え? 仙十郎君。って、だれ? だれ? 胡蝶の想い人?」



「瑪瑙よ、腕が外れる。仙十郎は、わらわの下僕じゃ」



 レイラと瑪瑙が話していると、廊下から鈴蘭の怒鳴り声が聴こえてきた。



「お前たち静かにおし。お前たちの姉さん方が必死に頑張ってんのに、なんだい、お前たちは煩くてかなわんよ」



 レイラと瑪瑙は目を合わせ静かに笑い合った。

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