第20話 遊女は大変じゃのう(レイラ談)
夕べに降っていた雨は止んでおり、澄みきった青空のもと市蔵とレイラは旅籠屋から集落へと戻っていた。
「レイラ。必要なものは言ってくれれば俺が取りに行ったし、1日だけなのだから、わざわざ戻らずとも良かったんじゃないか? 」
「女心がイチはホント分からんのじゃな。女は準備がかかるのじゃ」
レイラは部屋を駆けずり回ると、
「荷物は最低限だけにしろ。遊郭にいるのは長くても一・二週間だけだぞ」
レイラは市蔵の言葉を無視しては、金平糖が入っている袋を手に持ち、遊郭に持っていくかどうか悩んでいた。
「おい、レイラ。行楽じゃないんだぞ」
「そうじゃ。今朝がた道休に念を押されておったのじゃ。源爺の所にも行かないと! 金平糖は諦めようぞ」
金平糖の入った袋を床に置くとレイラは駆け足で屋敷を後にし、暫くすると小さな布袋をいくつも抱え戻って来た。
「道休に何か言われていたのか? その布袋は何が入ってるんだ? 」
大事そうに布袋をまとめ、意味ありげに微笑みながらレイラは口を開いた。
「ふふん 秘密じゃ。よし、これで良かろう」
「くれぐれも余計な事はするなよ。荷造りが終わったら旅籠屋に戻るぞ」
2人は旅籠屋に戻り道休の部屋にレイラが着くと、その姿を見た道休は薄笑いした。
「レ レイラ殿。屋敷が火事にでもあったのですか? 私が言ったものはそんなに大きくはないでしょ……」
「源爺にもしかと聞いてきたからのう、これは必ず役に立つものじゃ」
「はぁ。ま まぁ良いでしょう。私の方もサンザ殿に伝え、サンザ殿から夕霧太夫がいる妓楼の楼主に将来有望で珍しい白銀女童を入れないか?と、伝えた所、楼主も乗り気で上手く夕霧太夫と同じ妓楼に潜り込めそうだ。との事です」
レイラは腕組みをすると満足そうに頷いた。
「ふむ。後はわらわが夕霧太夫に接触して、外まで連れ出せば良いのじゃな? 」
「そうですが、そんな簡単には行きませんよ。妓楼には
レイラは眉尻が下がりため息を吐いた。
「めんどくさいのう。わらわは三味線や舞が出来ればそれで良いのじゃが」
緊張感のないレイラを市蔵は睨んだ。
「だから、行楽か。レイラ、気を抜くなと言っているだろ」
「まぁまぁ市蔵殿。四六時中監視されてる訳ではありませんし。明日、私が遊郭にレイラ殿を連れて行きますので、市蔵殿には別な事を頼みたいのですが」
「別な事? 」
道休はいつもの飄々とした笑みを浮かべていたが、目は冷たく凍り付いていた。
翌日、暮れ六ツ(午後6時)になると旅籠屋を道休とレイラは後にして、遊郭への入り口となる大門を目指した。
「道休よ。イチは何処に行っておるのじゃ? 」
「秘密です。ですがレイラ殿が万が一危機の際は、必ず市蔵殿は駆け付けますから安心してください。それよりその荷物、私が持ちますよ」
レイラが背負ってる布袋を道休が指差すと、レイラは道休に振り向き布服を遠ざけた。
「これは大丈夫じゃ。イチの出番がない位に、わらわがしっかりやるから、安心するのは道休のほうじゃ」
「それはそれは心強いお言葉をありがとうございます」
2人は堀に囲まれた遊郭に入るべく、橋を渡り大門をくぐると、煙草を吹かしながらサンザこと
「よぉ。レイラ久しぶりだな」
「コホッコホッ サンザ! 何をするのじゃ! 」
「前に俺の団子を食った仕返しだ。食べ物の恨みは怖ぇぞ」
「何と、図体はデカイのに小さい男じゃのう」
三左衛門は満足したのかレイラの頭に手をやると、しゃがみ込みレイラと目線を合わせた。
「お前にもしもの事があれば俺を殺す。と市蔵から言われてるんでね、面倒臭いけど俺もお前を守るから安心しな。良いか、レイラ。女の妬み恨みは食べ物の恨みとは比べもんになんねーぞ。心しておけ」
「ふん。食べ物の恨み以上に怖いもんなどなかろう」
三左衛門はレイラの頭を撫でると立ち上がり、道休に目をやった。
「まさか、かの有名な全盲にして唯一の太夫。夕霧がお前の妹だったとはな、俺の所は切見世だから夕霧太夫とは何の接点もないが、揚屋へ向かう時や戻ってくる時は、うちの遊女らも感嘆のため息を付いていたぜ」
「小さい頃は良く顔が似ているとは言われはしましたがね。ではサンザ殿、レイラ殿を頼みますね」
レイラは自分の胸を叩くと道休を見上げた。
「道休よ、安心せい。何としてでも妹御を政吉に合わせるのじゃ」
「レイラ殿なら安心ですよ。しかと頼みました」
サンザの少し後をレイラは付いて歩き、道休の目にはレイラが背負う布袋だけが、どんどん小さくなっていった。
道すがら三左衛門は遊郭や遊女と言った、レイラが関わるものに対して一通り説明をし始めた。
「さてと、レイラ。お前が潜り込む大見世『
「ふむ。先程から『大見世』や『切見世』と言っておるが、何なのじゃ? 」
「簡単に言えば『大見世』は高級で遊ぶには金が多くかかる。が遊女の質は高い。『切見世』は大衆向けで遊ぶ金も安い。もちろん比例して遊女の質も悪い。因みに鶴余の件で世話になっ女たちは、うちの店の遊女たちだ」
「ほぉ、わらわは高級との事じゃな。ま 当たり前じゃのう」
喜んでいるレイラの頭を三左衛門はニヤケながら軽く叩いた。
「その分、遣手婆の教育は厳しいから覚悟しとけよ」
「ぐぬぬ。まだ見ぬ遣手婆に底知れぬ恐怖を感じるのじゃ」
寒気がしたかの様にレイラは自分の体を両手で抱き締めた。
進むに連れて人通りが多くなり「お上がりなさい。お上がりなさい」と客引きの声が聞こえてくると、通りに面して立ち並んだ張り見世からは格子越しに客待ちをしている遊女が三味線で、すががきを鳴らし、その音に合わせる様に若い衆が下足札をカラカラと鳴らしていた。
「遊郭というのは、こんなにも賑やかなのじゃな。驚きじゃ」
「まぁな。因みに最前列の遊女らが格子太夫で、太夫のすぐ下だ。後列の遊女らが格子と言って、格子太夫の下に当たる遊女だ。大見世だと高級遊女しかいねーから、見世からは遊女の姿をほとんど見せない造りになっている。どうだ? 堀を隔てて世界が違うみたいだろ? 」
「遊女も大変じゃ。己の価値が分かりすぎる程に分かるのじゃな」
「『ここは
「な 何じゃ。突然、気持ち悪いのう」
「これは、夕霧太夫が馴染み客にいつも言う言葉らしいぜ。さっ 着いたぞ」
レイラの面前には一際豪華な二階建て大籬の見世が立ちそびえ、中から一人の女が出てきては三左衛門にあたまを下げレイラに目をやった。
「サンザ様。お待ちしておりました、楼主と内儀からは伺ってますが、こちらが仰っていた? 」
「あぁ。ウチみたいな切見世には勿体無い位の上玉だからな。何より白銀なのが珍しい」
女は値踏みするようにレイラを頭のてっぺんから爪先までつぶさに観察を始めた。
「私は『福来屋』の番頭新造で『鈴蘭』だよ。遣手が体調を崩しているので、今は遣手も兼任しているがね。それにしても大きい荷物を背負って、お前、年はいくつだい? 」
「我が名はレイラじゃ。年は
鈴蘭は目を丸くするとキッとレイラを睨み付けた。
「
「廓言葉とはなんじゃ? 安心せい。わらわは物覚えは良いぞ」
横で笑いを隠せずにいる三左衛門を尻目に鈴蘭はため息を吐いた。
「『わっち』や『ありんす』などの、花街特有の言葉遣いの事だよ」
「わっち? ありんす? おぉ。本当に言うのじゃな。これは面白いのう」
「面白いのはお前の方だよ。良いかい? 今からお前の名前は『
鈴蘭は三左衛門に頭を下げると妓楼へと進みレイラは後を付いていった。
「我が名は胡蝶。我が名は胡蝶。胡蝶は我が名……」
「何、ぶつぶつ言ってんだい。見目は文句のつけようがないけど、中身は文句だらけになりそうだよ」
入り口を抜けると広い土間になっており、土間には台所や井戸までがあった。
土間を抜けると内証(事務所)になっており、神棚が備え付けてあった。
そして内証を通り過ぎた所で鈴蘭は立ち止まり、振り向くとレイラに告げた。
「ここがお前の部屋だよ。同じ禿がいるから仲良くやりな。そして荷物を置いたら、内証まで来るように」
部屋にはレイラと同じ位の少女が何人もいて、白銀の髪や透き通る様な白い肌が珍しいのかレイラを食い入る様に見つめていた。
「わらわは一人部屋が良いのじゃがなぁ」
その言葉に禿たちがザワザワし始めると鈴蘭が声を上げた。
「お前たち、静かにしな。胡蝶、言葉を慎みなさい」
鈴蘭の声音に禿たちが大人しくなると、段梯子から遊女が降りてきた。その遊女を見ると、また禿たちがざわめき始めた。
「うふふ 鈴蘭姉さん。随分と面白そうな子が入ってきたみたいね」
「夕霧太夫。どうしたんだい まだお客様が来る時間じゃないだろ? 新入りがやって来たんだけど、おかしな子でさ。器量は最高級何だけど、遊女は器量だけではやってけないからね」
夕霧太夫はそのままレイラの前までやってくると、手を前に出してレイラを触ろうとした。
「騒がしかったから何事かと思ってね」
「これでわらわに触れるかのう? 」
レイラはわざと夕霧太夫の手に自分の顔を当てる様に前のみりになると、夕霧太夫はレイラの顔を撫で始めた。
「まだ子どもだから、輪郭が丸いけど、鼻筋と良い瞼と良い数年もすれば売れっ子になれそうだわ。鈴蘭姉さん。この子を私付きにするわ」
その言葉に禿たちは大騒ぎになり、鈴蘭が叫んだ。
「お黙り! 夕霧太夫。初めてじゃないか? みずから妹分を作るなんて」
「うふふ。胡蝶と言ったかしら? 私が育てて上げるわ。良いわよね? 鈴蘭姉さん」
「お前に言われちゃ断れないよ。胡蝶、夕霧太夫がお客様に呼ばれてる間は、この部屋に戻ってくること。そして、夕霧太夫について身の回りの世話をしながら、遊女としての芸事や心得を学ぶんだよ」
「うむ。夕霧太夫よ、宜しく頼むのじゃ」
鈴蘭は呆れたように手を目にやったが、夕霧太夫はレイラの手を取ると段梯子を上り、自分の部屋へと案内した。
夕霧太夫は部屋に付くなりレイラに問い掛けた。
「胡蝶、この前の私の花魁道中を見てたわね?」
「な!? 目が見えないのに何故分かったのじゃ? 」
「ふふふ あんなに大きい声で『尻尾を掴むのじゃ』って面白い事を言ってたら、記憶に残るものよ。少し笑いそうになったじゃない」
「き 聞こえておったのか? 今さらじゃが恥ずかしいのう」
ずっと笑みを浮かべていた夕霧太夫が真顔になると声音も先ほどより低くなり、目には拒絶の色が漂っていた。
「で? 胡蝶は何故ここにやって来たのかしら? つい最近で、花魁道中を見学する子が遊女になるなんておかしいわ」
レイラの額からうっすらと汗が滲みはじめた。
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