第22話 胡蝶は天才なんだと思うの(瑪瑙談)

 昨日は遅くまで瑪瑙めのうから、廓言葉や瑪瑙が付いている姉女郎の話を面白く聞いていたレイラだったが、昼過ぎになるとレイラと瑪瑙は一緒に鈴蘭から文字の読み書きを教わっており、レイラがすでに読み書きは出来る事を知ると鈴蘭は眼を丸くした。



「なんだい。胡蝶は読み書き出きるんじゃないの」



「わらわは小さい頃から本の虫じゃったからのう」



 隣で瑪瑙は尊敬の眼差しを向けながらもクスクスと笑い出した。



「胡蝶は今でも小さいじゃん」



「ぐぬっ。さらに小さい瑪瑙に言われとうないわ。ほれ、その字はなんじゃ? 」



 レイラが指差すと瑪瑙は下を向き頬を膨らませた。



「だって、字なんて書いた事なかったもん」



 苛立ちを含みながら鈴蘭が両手を二回合わせた。



「ほら、ほら。お前たち口を動かさずに手を動かしな」



「わらわは読み書きは一通り出来るでな。夕霧姉さんから終わったら座敷に来い。と言われておるので行っても良いかのう?」



 手を顔にやりながら、ため息を吐くと鈴蘭は行ってこい。とばかりに顔から手を離し、シッシッと出口へと払った。恨めしそうに見てくる瑪瑙の肩をポンと叩くとレイラは部屋を出て夕霧の座敷へと向かうと座敷からは三味線の音が聞こえた。



「夕霧よ。入っても良いかのう? 」



「胡蝶ね。どうぞ、お入りなさい」



 夕霧はレイラが座敷に入ると三味線を畳に置き、座布団を手前に置いてはポンポンと座るように促した。



 レイラは座布団にちょこんと正座をすると置かれた三味線に目を向けた。



「三味線と言うのをこんな間近で聴いたのは初めてじゃ。悲鳴の様な呻きの様な、悲しい音色じゃのう。心が掻き乱されておるわ」



 夕霧は細長く綺麗な指で置かれた三味線をさすると、少しだけ微笑んだ。



「そんな風に言う人は初めてよ。胡蝶にはそう聴こえるのね……」



「しかし、こう言うのもなんじゃが。目が見えなくても弾けるのじゃな」



「不思議なもので耳や舌は優れてるのよね。で、胡蝶は鈴蘭姉さんから逃げてきたの? 」



 レイラは勝手に足を崩すと、両足を伸ばした。



「わらわは読み書きは出来るでな。ついでに簡単な計算も出来るので習う必要はなかろう」



「へぇ~ 凄いわね。胡蝶って不思議ね。親に売られたり、他の遊女の子ども。って感じもしないし……誰かに騙されたり拐われた? 」



 レイラは腕組みをしながら眉間にシワを寄せた。



「それがのう。今、思えば騙された様な気がしないでもないのじゃ。上手く乗せられてしまったような。あの破戒僧め」



「破戒僧? 」



 レイラは慌てて顔の前で手を振ると早口になった。



「あ あぁ可哀想めー。って、言ったのじゃ。ま まぁ来たものは仕方なかろう」



 その言葉を聞くと夕霧は昨日と同じく煙管キセルを取り出すと、刻み煙草を詰めては火を付け、ゆっくりと吸い込むと上に吐き出し見えていないであろう、ゆらゆらと消えていく煙を目で追っているようだった。

 何回か吸ったのち、煙管を逆さにしトントンと灰吹きに灰を落とすと口を開いた。



「そうね、しょせんは夢現ゆめうつつ睦言むつごとに酔い酔わせ、夢の世界で着飾るだけ。ね 胡蝶は何を習いたいの? 」



 レイラはまたも眉間にシワを寄せた。



「むぅ~ 沢山ありすぎてのう。まず花に香りに茶は必要じゃろ。舞も琴も三味線も和歌も興味があるのう。それに化粧や着物も勉強したいのじゃ」



「ふふふ。欲張りだこと、今日は私が三味線の先生を呼んでるから無理だけど、時間はたっぷりあるし、少しずつ胡蝶を育てて行くわ」



 レイラは大袈裟に両腕を広げてから、畳に指折り着いて頭を下げた。



「夕霧姉さん。ありがとうござんりんした。胡蝶は部屋へ行きなんす」



 夕霧はレイラに会ってから初めて声を出して笑った。



「胡蝶。別に私の前では普通で良いわよ、客を取るまでに覚えてれば大丈夫だから」



「じゃが。覚えると使いたくなるのでのう。そうじゃった、瑪瑙に渡すものを持ち帰る用事でもあったのじゃ」



 頭を上げるとレイラは、座敷の端に置かせて貰っていた荷物から、巾着袋をいくつか取り出した。



「ふぅ 少し重いのう。わらわは雑魚寝部屋へと戻るでのう。何かあれば呼ぶのじゃぞ」



 夕霧はレイラの声がする方に手を振り、レイラは座敷を後にすると雑魚寝部屋へと戻った。巾着袋から取り出しのは葉や根をすり潰し漢方薬などを作る薬研やげんであった。

 他の巾着袋からも色々な葉や種等が入っており、それらをレイラは薬研の中央の窪みに入れて、中央に握り手の部分となる軸を通した円盤状の車輪を、前後に往復させ押し砕き細粉にした。



「ふわぁ やっと休憩だよ。胡蝶、疲れたよ~ 何で文字って、あんなに数があるの? 形も変だし覚えられないよ~ って、胡蝶は何してるの? 」



「瑪瑙が寝るときに話しておった姉女郎の漢方薬じゃ。ほれ、これをお湯に溶かして飲めば良くなるじゃろ」



 レイラは細粉した漢方薬を半紙に包むと瑪瑙へと手渡した。

 瑪瑙は受け取ると目を輝かせた。



「胡蝶! すご~い。漢方薬なんて調合出来るの? なんでなんで? 何その車輪みたいの? この包んである漢方は何なの? 」



 レイラは苦笑いしながら頭をかいた。



「瑪瑙よ。質問が多すぎじゃ。最後のだけ言うが枇杷葉湯と言ってな、枇杷びわの葉にいくつか生薬を混ぜて煎じたものじゃ。飲めば姉女郎の霍乱かくらんも良くなるじゃろ」



「良く分かんないけど、胡蝶すご~い。天才だよ。ありがとう、姉さんに渡して来るね」



 瑪瑙はレイラの手を取ると強く握り締め礼を言うと去っていった。

 休憩後はレイラも読み書きや計算を瑪瑙と一緒に受けたが、何故か鈴蘭に変わりレイラが瑪瑙に教える事になった。



「胡蝶はやっぱり天才だよ~ 鈴蘭姉さんに教わっても、ちんぷんかんぷんだったのに、胡蝶に教えられたらすぐに分かったもん」



 レイラは机に突っ伏したまま顔だけを隣の瑪瑙に向けた。



「わらわには瑪瑙が思ってるよりも疲労が溜まっておるがのう」



 レイラが言い終わると同時に扉が開き鈴蘭が入ってきた。



「お前たち今日はここまでにしよう。姉さん方に呼ばれてなければ、雑魚寝部屋にいても構わないよ」



 2人はヘトヘトになりながら雑魚寝部屋へと戻って行った。



「胡蝶、先に戻ってて。私は姉さんの様子を見てくるわ」



 レイラは雑魚寝部屋へ戻ると、どっと疲れが押し寄せいつの間にか寝てしまっていた。

 目が覚めると間近に瑪瑙の寝顔があり、レイラは思わず声を上げてしまった。



「うぉ! なんじゃ」


「う うぅん。あれ? 私もいつの間にか寝ちゃってたのかな……」



 瑪瑙は目を擦ると欠伸をしながら背伸びをした。


「胡蝶の寝顔見てたら私寝てたみたい。胡蝶って、睫毛が凄い長いんだね」



「睫毛なんて気にした事ないがのう」



「そうだ。姉さんも胡蝶の漢方薬飲んだら治ったって。凄い喜んでたよ、また貰うときあったら宜しくって」



 レイラは自分で調合した薬が役に立って嬉しかったのか満面の笑みで答えた。



「良かろう。必要な際はわらわに言うが良い」



 福来屋の遊女の間では、レイラの漢方は凄い効くと評判になるのに、時間は掛からず、格子や格子太夫と言っ格上の遊女からも『胡蝶』の名はいっそう知られる存在になっていった。

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