第10話暴力男から幼妻を護衛任務(8)

 小雨の中、ようやく市蔵らは駆け込み寺への入り口の近くへと辿り着いた。喜びからか、レイラは馬上からくるりと前転して飛び降りた。

「前から思っていたが、レイラは身体能力が良いな」

 市蔵は珍しく素で感心していた。

「わらわは比較した事がないので分からんが、反射神経は抜群だと、老母に言われていたな」

 得意気にレイラが話していると、木陰の中から物音がして、五人の男たちが出てきた。

「鶴余。遅かったじゃねぇか。ここまで来たってことは、親父の方は説得に失敗したみてぇだな」

 にやけ顔した鶴余の旦那の成堅なりかたである。鶴余は成堅が話し出すと震え、変わりに横に付いていたレイラが叫んだ。

「そこをどけるのじゃ」

「なんだチビ。その横の女は俺の嫁だぞ」

「何が嫁じゃ。暴力ばかり振りおって」

「良いか、チビ。鶴余の親父が結婚してくれ、うるせーから結婚したが、古いのが自慢なだけの貧乏武家じゃねぇか。俺にとっちゃありがた迷惑だったんだよ。だが、嫁に逃げられた。と、なっちゃあ、さすがに罰が悪いんでな」


 そう述べると、成堅たちは間合いを詰めてきた。市蔵はレイラと鶴余を自分の後ろに隠し、竹光を持って身構えると、成堅のうすら笑いと共に従者の嘲りと野次が飛んできた。

「これは傑作だ。藩主様の親類縁者だった者が竹光とは、落ちぶれましたなぁ」

「お前らの二本指しは飾りだろ? 扱えない物をぶら下げて偉そうに。そっちの方が傑作だ」


 成堅が、従者たちに叫んだ。

「一宗様は遊んで欲しいようだ。殺さない程度に遊んで差し上げろ」

 成堅以外の四人の男は市蔵に斬りかかった。市蔵は後ろで、かばっていレイラと鶴余を片手で押し出すと、四人と刃を交えた。

 数回ほど鍔迫り合いをし、市蔵は笑いながら従者たちに言葉をかけた。

「やはり、お前ら刀で対峙した事はないようだな。稽古はちゃんとやっていたのか? 間合いも姿勢も悪い。ただ刀を上下左右に振るうだけではないか」

 従者たちは、圧倒的な実力の差に焦りの色を隠せずにいた。

「何、四人もいて苦戦してんだよ、情けねぇ。四方に別れて、同時に突っ込めよ」

 従者たちは、市蔵を四方で囲むと一斉に斬りかかった。


 市蔵は、向かってくる切っ先を巧みにかわすと、素早く従者達の柄を握る手に竹光を当て、一瞬で四人の刀を地面に叩き落とした。

「だから、間合いもなく姿勢も悪ければ何人同時に来ても、呼吸も合わねぇし意味ないぞ。結局は一対一で戦っているようなもんだからな」

 従者たちは、立ち竦んだまま動けずにいた。その間にレイラと鶴余は駆け込み寺の門まで走り近付いていたが、それを見逃さなかった成堅が反転し、レイラを捕まえた。

「おっと。捕まえたぜチビ」

「レイラ!!」

 市蔵がレイラを助ける為、反射的に飛び掛かろうとしたが、成堅は腕をレイラの首に廻し短刀を白く細い首もとに突き付けた。


 成堅は、声を押し殺し笑うと市蔵を見た。

「動くな! あと、竹光をこっちに置いて下がれ。鶴余も落ちぶれ侍の横に下がれ」

 市蔵は竹光を放り投げ少し下がると、門の近くまで来ていた鶴余も市蔵の横まで下がった。

「わらわの事は気にするな。鶴余、後少しなのじゃぞ。下がるな! 走るのじゃ」

 レイラが叫ぶと成堅は首に廻した腕に力を込めた。レイラは苦しそうに呻いた。

「成堅様、辞めてください。レイラさんを離して下さい」

「お前がこのまま、家に帰るなら離してやるさ」

「駄目じゃ。鶴余、ここまで来たんだ。帰っては駄目じゃ」

「うるせーぞ、チビ」

 成堅は短刀をレイラの首に押し当て、少しひくとレイラの白い首筋から少量の血が流れ、雨と混じり地面に溶けていった。

「成堅ーー!!」

 叫ぶ市蔵をみて成堅はほくそ笑み、市蔵を見つめて言った。


「俺はあんたが嫌いだ。没落し追放されても城下町を闊歩出来て、慕う仲間がいる。何故だが分かるか? あんたが藩主様の血縁だからだよ。それだけの己の力とは無関係で、生まれ持った運命だけであんたは今後も生きていられる。不公平とは思わないか? 俺があんたに生まれて来たら上手くやって、今頃は俺が藩主だっただろうな。なのに、俺は只の町民の倅って理由だけで実力以下の仕事しか出来なかった。鶴余と結婚するまではな」

 市蔵は静かに答えた。

「そんなもん知らん。周りがどう思おうが俺は俺だ」

「まぁ。今のあんたは、ただのゴロツキと変わらねぇがな」

 市蔵はため息をついた。

「はぁ~。だから藩主の血縁だ、ゴロツキだ。言って、拘っているのはお前らで、俺はどの立場になっても俺だ。したいことをする。レイラを助けて、鶴余を寺に連れていく」


 成堅は険しい表情になり、いっそう力を込めて市蔵に言葉を発した

「状況みて言ってるのか?」

 市蔵は成堅を無視して、隣の鶴余の耳元で何やら囁き始めると鶴余は面食らっていたものの、頷いていた。

「おい、何勝手にこそこそ喋ってんだよ! こいつがどうなってもいいのか?」

 市蔵は、ひょうひょうと喋り出した。

「良くはない。そいつ俺が守らなきゃいけないんでな。レイラ、俺の目を穴が開くほど良くみろ」

 レイラは市蔵の目だけを見つめた。

「黙れ、もう面倒くせぇ。鶴余、この状況でお前に選択肢はない。俺と帰るぞ」

 鶴余は覚悟を決めたように、首を横に降ると髪に挿していた美緑姫から貰った簪を抜き、レイラの頭を目掛けて投げた。


 レイラは向かってくる簪を首を引っ込めて間一髪で避けると、後ろにいた成堅の頬をかすり通過していった。成堅の頬から血が一筋流れた。

「鶴余、てめぇ何すんだ。このチビは殺されてもいいって事だな。ならお望み通りに殺してやるよ」

 成堅は怒りに任せ、短刀を突き刺そうとした瞬間、後ろから制す声が聞こえ、成堅は振り向いた。


「待たれ。門柱に簪が刺さっておる。よって、この簪を投げた物を保護する。旦那はお主か? お主には追って町役人から寺法書が届くであろう。届き次第、速やかに離縁状を書くがよろしい」

 門から出てきた尼僧は事務的な声で告げた。

 成堅は門柱に目をやると、亀甲簪は見事に刺さっていた。

「なんだと。こんな事は認められん。鶴余、帰るぞ」

 成堅はレイラを押し退け、鶴余の腕を取ろうとした。

「ならん。幕府によって、担保されており寺社奉行の強制力もある。お主は死にたいのか?」

 尼僧はまたも事務的な声で答えた。

 成堅が膝から崩れ落ち、脱け殻のようにしていると、市蔵は寺へと誘うように鶴余の背中を押した。

「やったのう。鶴余。わらわに簪が飛んできた時は寿命が縮んだがのう」

 レイラが笑うと、鶴余は謝罪して門へと入っていき境内へと向かって尼僧と歩き始めた。


「待ってくれ、鶴余」

 成堅は覇気のない声で鶴余に話し掛けた。

「うぬもしつこい男じゃのう。諦めよ。鶴余自身が寺まで入らずとも、身に付けていた物が門柱に刺さった時点で、駆け込み寺に着いたと判断されるのは知っているじゃろ」

 レイラの抗議は耳に入らずに、成堅は鶴余に追い縋るように、門の前で泣いて頼み込んだ。

「鶴余、俺が悪かった。もう殴ったりしない、謝るから頼む、この通りだ。一緒に帰ろう」

 成堅は雨で濡れた地面に土下座をした。

 鶴余は、駆け寄ろうとしたが我慢し、気丈な声で告げた。

「武士が女子に土下座など、何たる恥辱。顔をお上げくださいませ」

 成堅は顔を上げ、鶴余に懇願した。


「俺はお前がいないと、駄目だ。今まで仕事しかして来なかった俺は、年齢差も一回り違う故、女の扱い方も分からず、お前を避けていた。その癖、名家で器量も気立ても良いお前に引け目を感じ、自分を強く見せようと暴力を振るった。本当はお前が、軒先に居着いた猫に時折みせる笑顔が好きだ。毎朝、起こしてくれるお前の優しい声も好きだ。俺は離縁に承諾などしない」

 レイラは、遮るように叫んだ。

「鶴余、信じては駄目じゃ。こやつは自分の立場しか考えておらん。一度、暴力を働いた奴は一生治らん」

 鶴余は、ふぅ。っと、一呼吸すると、成堅の好きな優しい声音で言葉を掛けた。


「私たちはお互いが臆病者でしたね。もっと、お互い本音でぶつかっていれば、楽しい家庭を築けたかもしれません。成堅様、離縁に承諾しなくても結構です。私は二年ほど、この寺で自分の弱さを克服します。成堅様は代官やお奉行様に離縁に承諾しなかった。と、こっぴどく叱られ、出世も望めなくなりますよ」

「出世よりも、お前が大事だと今更ながら気付いた」


 鶴余は優しく微笑んだ

「ほんとに今更ですね。約束してください。私が自分の弱さを克服するまで、成堅様も他の女子に指一本触れずに過ごすこと。そして、二年後また会えましたら、二人で父君に御家繁栄は次の世代に託しますと、謝りに行きましょう」

 鶴余は晴れやかな顔で言い残すと、そのまま尼僧と境内へと消えていった。

 雨はいつの間にか止み、空には雲一つなく、お天道様だけが笑っているようであった。

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