第9話暴力男から幼妻を護衛任務(7)

 繋ぎ場で止めていた馬に跨がり、山道の入り口までやって来ると市蔵は下馬し鶴余と、レイラを待った。

 先にやって来たのはレイラの方だった。裸足になりながらも一生懸命、掛けてくる小さい姿が遠くの方に見えた。


 レイラは到着すると膝に手を当て腰を折ると、息を切らしながら市蔵に語りかけた。

「行けたら行くわ。的な感じじゃったから、わらわは来ないと思っていたじゃろ?」

 市蔵は悪びれもなくレイラに答えた。

「万一捕まっても、十の子どもに私的な事で、キツイ罰はないだろうからな」

「イチは建前を知らんのか。本音をぶつけてどうする? こういう時は『俺はレイラを信じてたよ。レイラ可愛い。レイラ最高』とか、言うのじゃろ」

「お前こそ、下らない本音は閉まって鍵かけて、その鍵を無くして、一生自分で言えない様にしとけ。 先日、レイラを守る。とは言っただろ。ちゃんと捕まらずに逃げて来られる様、サンザに頼んで一人、凄腕を専属護衛として付けていたはずだが?」


 息が整ったレイラは、今度は腕組をしながら考えるように話した。

「凄腕? 知らんが、おそらくそいつは寝坊で遅刻して、ギリギリ間に合い、惜しくも破壊神になったのじゃな」

「破壊神? 腕は立つし、頭も切れる奴だから問題ないと思っていたが……」

「あぁ。二階級特進で、神話の世界へと語り継がれる事になるじゃろうから問題ない」

 レイラは祈りを捧げるように両手を合わせた。


 二人は、少しの間雑談を交わしていると、ようやく鶴余がやって来た。

「遅くなりまして、すみません」

「鶴余よ。無事じゃったか。お主の島田髷しまだまげは疲れる、良く毎日してられるのう」

「もう、慣れましたから」

 レイラは気付いたように、鶴余の頭を指差し

「先程は、気付かなんだがそのかんざしは、見事のよう。美しい」

「亀の甲羅で作られてまして、美緑姫から頂いたものです。お金に困ったら、それなりの値で売ることも出来ると」

「女狐も憎いことをやるのう」


 レイラが話し終わると、市蔵は鶴余を気遣った。

「気にするな。こっちも護衛を鶴余に付けると、バレて厄介な事になるから、一人で行動させてしまって申し訳ない」

「イチよ。わらわには付けたじゃないか」

「本当に捕まった時の保険と、あくまで囮として時間稼ぎして欲しかったからな。これが終わったら金平糖を好きなだけ食わしてやる」

「良かろう。許可する」

「早いとこ向かうぞ。レイラは俺の前に乗れ、鶴余は後ろに乗ってくれ。レイラも鶴余も軽いから大丈夫だろ」

 少しの間じゃが頑張ってくれと、レイラは優しく馬の頭を撫でた。


 山道を入ると鐘の音が聞こえ、時刻は朝五ツ(午前8時)を告げていた。

 山道は薄暗く霧が立ち込め始め、だんだんと視界が悪くなっていき、暫く見えない視界の中を掛け上がっていくと、途中で馬を止めてひと息付いているのか、深編笠ふかあみがさをした武士の姿が見えた。

 馬は突然現れた武士に驚き速度を遅めると、市蔵は警戒しながら武士の横を通り過ぎようとした。そのときである、武士は深編笠を取り市蔵の乗っている馬の前に出ると膝まつき、鶴余は驚いた声をあげた。

「父上様! なぜここにいらっしゃるのですか?」

 深編笠を取った武士は鶴余の父であった。

「鶴余、我らは昔から続く名家故に官職名を名乗らせて貰い敬われているが、お前の知っている通り実情は歴史だけがある、お金に苦しむ没落武家だ。お前の婿殿は、将来は藩の中枢を担う人材として、筆頭家老含め奉行衆の覚えもめでたい。我らには勿体ない相手だ」

「父上様、私より家名が大切なのは分かります。暴力を振るうのも耐えられませんが、それ以上に私の事を一切愛してくれず、いまだに一度もねやを共にした事も御座いません。私は人形の様にそこにいて、気紛れのまま暴力を振るわれるのが我慢出来ません」


 鶴余の父は、ちらっとだけ市蔵を見ると、膝まついたまま話した。

一宗かずむね様。お恥ずかしいですが。これはお家の問題です。鶴余を渡して頂けませんでしょうか?」

「その名前は捨てた。今はただの素浪人だ」

「私は貴方の父君より受けた恩は忘れておりません。貴方様の派閥争いでは何も出来ずに、歯痒い思いをしておりました」

「あれは、もう良い。仕方のなかった事じゃ。

 恩を感じているなら、今返して貰おう。鶴余は渡せん」

「それとは別でございます。鶴余には我が家の一人娘として、婿殿の男児を産み、御家繁栄の役目が御座います。鶴余、復縁をしなさい」


 それまで黙っていたレイラが馬上から口を開いた。

「黙って聞いておれば家名の為、御家繁栄の為と、当の鶴余の気持ちは置いてけぼりではないか? うぬは先程から鶴余の顔を一度も見てないではないか? 一度も閨を共にせず子どもが産まれる訳がないこと位、この『子ども』のわらわでも分かるわ。婿とやらは、鶴余を愛しておらず、出世の道具としかみとらんじゃろ」


 鶴余の父は、膝まつき目を伏せたまま鶴余に向けて言葉を口に出した。

「鶴余、出世の道具としか見られてないのは、こちらも御家繁栄の為の道具としか見てないからだ。鶴余は十五歳になるのだぞ、もう少し立てば、婿殿も振り向くであろう。御家のため我慢してくれ。数百年続く先祖から代々受け継いだ、大切な家名を私の代でなくすことは死んでも出来ん。死んでも出来ん。……」

 繰り返し呟く鶴余の父をレイラは馬上から降りて、叩こうとしたが鶴余が止めた。

「レイラさん、辞めて」

 レイラが驚き、振り向くと鶴余は何故か、涙を流しながら笑みを浮かべていた。


「父上様、良く分かりました。私の我が儘で御座いました。市蔵様、私は戻ります。ここまでしてくださったのに、申し訳ございません」

 鶴余の涙に誘われたのか、レイラも泣きながら答えた。

「な、何を言っておるのじゃ、鶴余。 駆け込み寺に行かなくては、鶴余の気持ちはどうなるのじゃ? 人形のままで良いのか?」

 馬上から降り、父のもとへ向かう鶴余の留袖の裾をレイラは掴んだ。

「レイラ、離してやれ。鶴余が戻ると言っている以上、俺たちに止めること出来ない」

「なんじゃ。それは? なぜじゃ? イチもおかしいとは思わんのか?? 戻ったとして鶴余が幸せになれるとは思えん」

 鶴余は裾からレイラの手を離すと、その手を優しく握り、しゃがみこみ目線をレイラに合わせた。

「レイラさん。私のために泣いてくれてありがとう」

 鶴余は握っていた手を離し、レイラの頬を伝う涙をその手で拭うと、父のもとへと歩み寄った。


 鶴余を馬に乗せる為に鶴余の父は再度、片膝を地面に付き馬に跨がせようとした時である。鞍に手を掛け下を向いた鶴余の腫れている目が合うと、鶴余の父は片膝もろとも崩れ落ち地面に伏した。

「鶴余……すまない。もう良い。戻らなくて良い。駆け込み寺へ向かってくれ。お前の顔を今日、初めて見て気付いた。何年か経てば婿殿はまた見付かるかも知れんが、お前の変わりはいない。家名に固執して、大切な事を見落としていた父を許してくれ」


 鶴余は地面に伏している父を起こすと、父は鶴余を抱き締めた

「すまなかった。お前だけに辛い思いをさせてしまい、あまりにも重い荷を背負わせてしまった。寺へ行き調停が上手く行くことを願っている。こっちの事は心配するな。お前は何があっても、私の可愛い子どもだ」

 鶴余の父は市蔵に頭を下げ、隣に佇むレイラにも深々と頭を下げた。

「レイラ殿と言ったかな。鶴余と君が出会えた事を八百万やおろずの神に感謝したい。迷惑掛けて申し訳ない。ありがとう」

「良いぞ、わらわは天照大神じゃがな」

 レイラは無邪気に微笑むと、鶴余の父も初めて口許を緩ませた。

 鶴余の父は、そのまま馬に跨がると山道を下っていった。父の姿は霧ですぐに見えなくなったが鶴余は暫く見送っていた。


 鶴余が見送る間に霧雨は小雨へと変わっていった。

「よし、先を急ごう、追手がやってこないとも限らない」

 三人はまた、馬に跨がると小雨の中、駆け込み寺へと向かい、山道を掛け上がっていった。

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