第8話暴力男から幼妻を護衛任務(6)

「ぬわぁぁ。やはり高下駄というのは走りにくいのう」

 レイラは最初こそ勢いそのまま走り抜けられたが、だんだんと速度は落ちていき、ついには二つ目の辻(交差点)で追い付かれ、男達の一人に腕を捕まれた。

 少しは時間稼ぎが出来たから良かろうと諦め掛けたが、突如右手の方から一人の遊女が駆け付けて、レイラを捕まえていた男の腕を掴むとそのまま背負い投げで地面に叩きつけ、今度はレイラの手を引っ張り、逃げ出した。


 レイラは遊女の顔を見て、走りながら感謝を述べた。

「おぉ。礼を言わせてもらうぞ。お主は恩人じゃ。たいそう美人さんな上に強いとは、素敵な女子じゃの」

「いやぁ。お褒めの言葉をありがとう。私も付き合いのある遊女に聞いて面白そうだったんで、参加したかったんだけど、やはりというか、寝坊して遅れてしまってね」

 レイラは聞き覚えのある声に、まさかと思い問い掛けた。

「もしや、お主は道休か?」

「あははは。レイラ殿の言っていた通り、私は遊女としてもいけそうですね」

「くぅ。取り消しじゃ。感謝はするが、その後の言葉は取り消しじゃ」

「レイラ殿、冗談はこの辺で終わりにしましょう。後ろからも数人が、追っかけてくる。高下駄を脱いで走りましょう」

「そうじゃな。時間は稼げたじゃろ。首尾良く巻けられたら、イチと山道の入り口で落ち合う約束じゃ。遠回りになるが、急ぐのじゃ」

 レイラは高下駄を脱ぐと、いっそう速度を上げて逃げた。


「なんだ。下駄を脱ぎおったぞ……おい、あいつは鶴余じゃないぞ。あまりにもチビ過ぎる」

「姑息な真似をしおって、三手に別れろ。一番隊はこのまま、あのガキと遊女を追え。二番隊は取急ぎ戻り鶴余を探せ。まだ、茶屋付近で待機してる遊撃隊と合流しろ。残り三番隊は俺に続いて別な道を通って、山道の入り口に向かうぞ」

 集団のリーダー格の男が指示を出すと三手に別れた。


「道休よ。なぜ、鶴余ではないと分かったのに、わらわを追ってくるのじゃ。あと、チビって言った奴だけは絶対に許さん」

「知りませんよ。私が知っているのはレイラ殿が小さいって事だけです。仕方ない、ここは私が引き受けましょう。レイラ殿は市蔵殿と合流を急いでください」

「でかした。道休、お主は二階級特進じゃ」

「死ぬこと前提ですか。もし、二階級特進になると私は何になるのでしょう?」

「破戒僧から破壊神じゃ」

 道休は、その言葉を聞くと笑みを浮かべて

「『かい』の漢字がちがう。これが勘違いってやつですかね」

 と、レイラに言うと走るの止めて、降り向き直り、男たちと向かい合った。

 レイラは逃げながら後姿の道休に向けて、別れの言葉を告げた。

「道休、わらわが生きてきた中で、断トツで一番つまらん洒落だが死ぬのではないぞ」

 道休は謎に右手の拳を振り上げると頂上で拳を開き左右に振ると、そのまま後を逃げているであろうレイラに別れの挨拶を格好良く決めたが、レイラは既に前だけを見て逃げていた。


 男たちがレイラを追って、茶屋から去って行くのを確認すると、鶴余は店主に礼を告げて茶屋を後にし、そのまま山道へと向かおうとしたが、数人の男が鶴余の前に立ちはだかった。

「読みが当たったな。朝一に行商人から大雨が降ると言われたとしても、わざわざこんな早い時間から店仕舞するのは、可笑しいと思ったんで、様子見してたのさ」

 男たちが鶴余に詰め寄っていくと、遊女に指示を出し終わった、三左衛門と仙十郎が割って入り、鶴余を後ろへとかばった。

「サンザさん。間に合いましたね」

「市蔵の読みが当たったな」

「鶴余さん。ここは僕とサンザさんで食い止めるから、市蔵さんの所に早く」

 鶴余は三左衛門と仙十郎に会釈をすると、全力で駆け出した。

「待て、鶴余」

 男たちが、鶴余を追おうとすると三左衛門は素早く動いて男たちの足を止めた。

「ここは通れません。手荒な真似はしたくないんで、迂回するか、諦めてくれねぇか? あんたらも用心棒サンザの名前位は知っているだろ」


 男たちは、勝ち目のない戦いよりも鶴余を捕まえる事を優先し、真っ直ぐ進むことを諦め、迂回していった。その直後、男たちのどよめきが上がった。

 男たちの目に飛び込んできたのは、鶴余と同じ格好をした女が沢山、通りを歩いたり走ったりしていたのだ。

「なんだ、これは?鶴余と同じ格好の女がたくさんいるではないか」

「くそ、やられた。紛れてるだろうから、仕方ねぇお前ら一人一人確認しろ」

 男どもは、遊女を捕まえては一人一人顔を確認し始めた。

「これで、当分は時間稼ぎが出来るな。その間に鶴余は市蔵と駆け込み寺に着けるだろ」

「まだ、油断は出来ませんよ。何故、今日に限って、鶴代さんの護衛が多いのか気になります」

「たまたまだろ。早く終わって寝たいよ俺は」

 気楽な三左衛門を横目に仙十郎は思い詰めた表情をしていた。


 一方でその頃、弥七は茶屋から持ち場へ行こうと走っていると、身なりの良い袴を着て颯爽と歩く長兄の番頭の姿が見えた。

 今日は大事な取引があるから一日店にいる。と、聞いていた長兄が出歩いているのをおかしいと思い後を付けると、城門の所で止まり、城から出てきたのは美緑姫の女中頭だった。

 少しばかり話してたかと思うと、長兄は通りに戻り、急ぎ足に去っていった。

 弥七は、直ぐに城番に金を掴ませて、何か聞こえて来なかったか聞くと

「これはあっしのひとり言ですが、何やら陸奥屋の若旦那は山道に用事があるような事を言ってましたな」


 弥七は急いで、長兄の後を追い山道の手前で追い付くと、長兄に問いただした。

「若旦那、今日は大事な取引があると伺ってますが、どうしてここに?」

「弥七よ。お前こそ、どうしてここにいる?」

「わたしは、散歩です」

「相変わらず、分かりやすい嘘をつくなお前は。それでは一人前の商人としてやっていけないぞ」

「勉強させて頂きます」

「まぁ、良かろう。結論から言う。鶴余とやらを連れ戻せ」

「それは若旦那の命令でも聞けません」

「弥七、分かっておるのかお前は? 私は正直、鶴余と藩士の事はどうでも良い。ただ陸奥屋が絡んでるとなると話しは別だ。代々の当主が盛り立ててきた陸奥屋を潰す気か?」

「なので、もう私は陸奥屋の人間では御座いません。責任を取りますので、勘当してください」


 長兄は内心怒り狂っていたが、生粋の商人根性が冷静さを取り戻させた。

「甘えた事を言うではない。半人前のお前に取れる責任などない。あるとすれば、鶴余とやらを連れ戻し、陸奥屋の看板をこれ以上汚させない事だ」

 弥七は唇を噛み締め、長兄を見つめると、突然土下座をした。さすがに長兄が驚いていると、地面に頭を擦り付けたまま話し始めた。

「兄さん。陸奥屋の看板を汚してしまった事は、死んでも償いきれない。本当に申し訳が立ちません。僕は大豪商と呼ばれ、優秀過ぎる兄二人の下で不自由なく商人としての勉強をさせて頂きました。でも、このままじゃ僕は何にもなれない。大豪商の看板に甘え、兄二人におんぶにだっこのままだ。何か自分だけで、やり遂げてみたかった」

 長兄は完全に冷静さを取り戻し、冷たく言い放った。

「それが結局は陸奥屋の名前を語り、陸奥屋のお金と人脈で成し遂げようとしてるとは滑稽過ぎて笑えんな」

「仰有る通りです。僕には何もない。いくら学んでも、いくら奉公しても三男坊は三男坊です」

「甘えるな長男だろうが、三男坊だろうが商才がなければ店が傾いてしまう。俺はそうならない様に必死に学んだ。才能がお前よりない分、お前より努力したと言える自信がある」


 弥七は長兄の言葉に、驚き顔を上げた。

「弥七は商才がある。お前に任せて仕入れた反物は上級武士の奥方たちに好評だ。独自に築いた金平糖や地酒の流通も今は陸奥屋の大事な収入源の一つだ。先程はあえて半人前と言ったが、お前は十分に一人前の商人だ。優しすぎて馬鹿正直な所は致し方ないが、それもお前の人間的魅力であろう」


 弥七は大粒の涙を流しながら意を決して答えた

「勿体ないお言葉ありがとうございます。それでも、私は陸奥屋の看板も兄さんたちの力も借りずに何処まで出来るか試したいのです。行商人としてでも0から始めてみたいのです。こんな馬鹿な私をどうか許してください」

「どうしても陸奥屋には戻らんのか?」

 弥七は頷く事しか出来なかった。

 長兄は、今までの厳しい顔から笑顔になると、呆れた様に話した。

「馬鹿正直は治らんのだろうな。陸奥屋大番頭より、ただ今を持って、陸奥屋手代、弥七を勘当といたす。以後、陸奥屋に立ち寄ること一切ならず。何処へでも行くがよい」

 そう言い終わると、静かにもと来た道を去っていった。弥七は長兄の後姿が見えなくなったあとも、ずっと頭を地面に擦り付け涙を流していた。

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