第5話暴力男から幼妻を護衛任務(3)

 翌朝、軽く朝食を済ますと市蔵とレイラは陸奥屋に向かった。朝の空気は清々しいが、馬上からも風光るように柔らかい日差しがさしていた。

 レイラは昨日結んで貰った蝶の髪飾りが、たいそう気に入ったようで、今日も朝起きてから市蔵に頼んでは結んで貰い、馬が駆ける度に髪飾りも本物の蝶の如く飛んでいるようであった。


 繋ぎ場で馬を止め、いつものように遊郭の大門の前を通り、陸奥屋に着く少し手前の道で弥七が待ち構えており、今日は朝から店で働いている番頭の長兄らに見付かると面倒だとの事で、三人はぐるっと回り道をし裏口へと向かい離れの座敷へと歩を進めた。


 座敷へと入ると、衣桁いこうに吊るしてある、桃花色をした桜文様の小袖が目に飛び込んできた。

 レイラは衣桁いこうの前まで小走りしたかと思うと、目を輝かせては、両手を胸の前で握り合わせ飛び跳ねて喜んだ。

「くうぅぅ 見事じゃ。弥七よ、さすがは大豪商陸奥屋の子息じゃ。小袖の色も文様も希望通りじゃ気に入った。早速、着てもよいかのう?」

「もちろん大丈夫だけど、一人では着られないだろ?」

「俺が手伝おうか?」

 市蔵が、提案すると、レイラは少し照れ隠しの様に早口に言葉を紡いだ。

「イチ。良いとこの武士のくせに着せられるのか? じゃが、嫁入り前ゆえにご遠慮しておこう」

「なら、女中さんにお願いしてこよう」

 弥七はそう言い残すと、女中を連れてきてレイラの着替えを手伝わせた。


 レイラが女中に手伝って貰いながら着替えをしてる間、弥七は昨日の事を市蔵に伝えた。

「昨日、美緑姫には近々の縁談の事もあるでしょうから、少しでも腕の良い髪結師を紹介します。とは伝えたが、あまり良い顔はしてなかったですね」

 市蔵は興味がなさそうに黙って聞いていた。

「侍女も相変わらず、暗い顔して俯いてばかりでしたよ。美緑姫の口利きで再度、侍女として雇われはしましたが、住み込みではないので、家に帰れば安全って事はないですからね」


 市蔵は、目を瞑り何か考えるようにすると、襖が開き得意気な声が耳に入ってきた

「イチ。どうじゃ? 可愛いじゃろ。似合い過ぎて可愛いじゃろ? もはや尊いじゃろ」

「うん。レイラちゃん似合っていて可愛いよ」

 レイラは少し満足げに微笑み、くるりと回ると市蔵にまたも問いかけた

「イチよ。あまりのわらわの可愛さに声も出ないか? 致し方ないのう。呆けおって・・・・・・って。イチ、目瞑ってる――――――!」


 市蔵は目を開け、レイラを見ると

「確かに可愛いが、レイラ『尊い』ってのは、どういう事だ? ちょっとそこの所詳しく聞かせろ」

「くぎゅうぅぅ。 いや。その、可愛いを通り越して、神々しいというか、惚れるを超して、もはや信仰の対象になってしまうのじゃなかろうかと」

 弥七は呆れ気味に呟いた。

「聞く市蔵さんも市蔵さんなら、答えるレイラちゃんもレイラちゃんだね」


 レイラは、あまり褒めてもらえなかった事に腹を立てたのか、美緑姫の待つ城の奥御殿まで終始不機嫌なままだった。

 いくつかの見張り番所がありレイラの髪色や風貌を物珍し気に見る者はおっても、市蔵に目を止める者はおらず、美緑姫が事前に手回しをしていたのと弥七のお陰で何の苦労もなく通り過ぎることが出来、ようやく美緑姫のいる奥御殿まで辿り着いた。


 三人は門の前で待っていると恰幅の良い女中頭が出てきて、一瞬だけ市蔵を見ると面食らった顔になったが気を取り戻し、中へお入り下さいと案内し、そのまま美緑姫の待つ部屋へと引き入れた。


 奥の間に着くと、女中頭は襖を開け中に入っていった。少しすると中から金切り声が聞こえてきた。

「姫様、またその様な格好をして。昔馴染みとは云え弥七殿は殿方ですぞ、それに髪結師も来ております。すぐにお着替えなさいませ」

 美緑姫は何か言っている様だが、声は聞き取れず、女中頭は戻ってくると、ここでの出来事や見たことは、もちろん他言無用と念を押しては去っていった。


 三人は襖を通り抜けると、そこには長襦袢姿で、烏の濡れ羽色をした長い髪をじれった結びし、気だるげに脇息きょうそくにしなだれかかり、顔は面長で顎の線が細くスッと鼻筋が通っている。切れ長のつり目を挑発しているとも、媚びているとも取って見えるような上目遣いに三人を見る美緑姫がいた。


 さすがは三国一の美貌を謡われている美緑姫だけあって、艶やかながら圧倒的な目映まばゆさが場を支配していた。

「狐じゃ! うぬは狐じゃな」

 レイラは指を指しながら、わめいた。

「なら、貴女は子狸ですね。目が丸くて、お顔もまぁるい」

 小馬鹿にしたように美緑姫が笑うと、レイラは臨戦態勢になり、次の言葉の矢を放った

「ふん。まだ十歳だからのう。後、五年もすれば、女狐をも超す美女になるじゃろうな。女狐は五年後は本物の狐になってしまうのじゃな」

「なによ。馬鹿らしい。ってか、子どもが来るなんて聞いてないわよ。どういう事よ弥七」

 美緑姫は、弥七に目をやると隣に空気の様に佇んでいる男に目を奪われ離す事が出来なくなった。


 一瞬の間があって、言葉にならない叫び声が屋敷中に轟いた

「◯♂♀×△」

 美緑姫の顔は一気に紅潮し、言葉にならない言葉を発していると、起きあがり奥の間を走って出ていった。

 残された三人は、どうしていいか分からず、とりあえず待つことにすると、今度はくだんの侍女が現れて、美緑姫は半刻程で戻ってくると告げた。

「おぉ。お主が暴力旦那の嫁か?」

「レイラちゃん。言葉を選ぼうよ」

 侍女はクスクス笑うと、自己紹介をした。

「いえ、本当ですから大丈夫です。私は侍女の鶴余つるよと言います。今回の事で皆様にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳御座いません」

 侍女は深々と頭を下げ、今までの身の上話を三人に聞かせた。

「なるほどな。まぁ、お前は気にしなくて良い。これも仕事だからな」

 淡々と答える市蔵をレイラは睨み付け

「仕事には違いないが、鶴余を助けたいのは本当じゃ。怖くて辛かったろうに。もう大丈夫じゃ、無事に駆け込み寺へと護衛するからのう」

 鶴余は何か言いかけたが、奥の襖が開き美緑姫が戻ってきた。


 小袖は濃藍で裏地は紫、中には小紋文様や飛柄文様などを着ており、それを紅帯でまとめ、扇子で隠した顔には化粧まで施していた。先程とは打って変わって、高貴なお姫様の登場にレイラはぼそっと呟いた

「狐が化けおった」

「子狸さん。貴女は誰かしら? 市蔵は私の元許嫁ですよ」

「ふん。子狸ではない。我が名はレイラじゃ。そして、イチはわらわの現許嫁じゃ」

 レイラは勝ち誇った様に、ニヤリと笑うと美緑姫は、わなわな震え始め手に持っていた扇子をパチンと閉じると無意識か、親指の力だけで真っ二つに割ってみせた。


「息を吐くように嘘をつくなレイラ」

 市蔵は、コツンとレイラの頭をはたくと、レイラは頭を小さい両手でおさえた。

「扇子が可哀想だろ美緑、物に当たっては駄目だ」

「だって、子狸が変な事を言うから、べ、別に現許嫁とかは全然気にしてないけど。」

「思いっきり気にしとるじゃろうが。扇子を親指だけで割るって、どんな怪力じゃ」

「あぁ。こいつは小さい頃から見た目に似合わず怪力で、何度も相撲で負けた事がある」

「ちょ。何、昔の事を言ってくれているのよ。小さい頃は私が市蔵を守ってやってたじゃない。いつの間にか、こんなに背丈も伸びてさ。力も強くなって、いつも何だかんだ助けてくれて顔だって……」

 最後の方はゴニョゴニョと声が小さくなっていった。

「わらわは、お主を『怪力女狐』と呼ぼう」

「はぁ~ なら私は『頭に蝶が止まってる、可哀想な白銀子狸』って呼ぼう」

「別にわらわは、良いが怪力女狐よ。わらわを呼ぶ時はいつも『頭に蝶が止まってる、可哀想な白銀子狸』って、長ったらしく言うのじゃな。どんなに急いででも焦っていても言うのじゃな」

 またもレイラは目は笑っておらず、片方の口角だけを上げニヤリと笑った。


 市蔵は、パンパンと手を鳴らすと場を収めた。

 鶴余は目から涙を流しながら、ずっと笑っていた。

「あぁ~ 可笑しい。こんなに笑ったのは久しぶりです。美緑姫も昔に戻ったみたいにはしゃいで」

「昔に戻ったってなによ。それと市蔵。あんた髪結師で来てるのよね? 後で私にも蝶の髪留めしなさいよね」

「ふん、素直じゃないのう」

「うるさい。もともと、市蔵は私や千代にやっていた髪留めなんだからね」

「分かった。分かった。やってやるから、少し黙ってろ。話が全く進まない」

 ようやく静かになり、具体的に駆け込み寺までの護衛について話し合われた。

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