第2話魅惑と困惑の城下町

 眠気を誘うには十分な春の日射しが、柔らかく集落を包み込んでいたさなか、毎度遠くから鳴る鐘の音は昼八つを知らせていた。

「レイラ、仙十郎。 城下町まで付いてこい」

「合点。 おいらは馬の準備をしてきます」

 仙十郎は、屋敷を飛び出すと裏にある馬小屋まで飛び出して行ったが最後の最後まで、レイラに舌を出し悪態をついていた。


 応じる様に矢継ぎ早に仙十郎以上の罵詈雑言を浴びせていたレイラは息を切らしていた。

「なんなんじゃ。あやつは、おなご相手に。本当に侍だったのか怪しいもんじゃ」


 市蔵は帯を直しながらレイラに語りかけた。

「許してやってくれ。単純だが気は良い奴だ。 ここはあいつと年が近いのは少ないから嬉しかったんだろ」

「ふん。旦那さまが言うのなら、許してやろう」

「旦那様ってのは好かん」

「ふむ。わらわの旦那さまには違いないが、『ご主人さま』『御前さま』何と呼べば良いのじゃ? 『市蔵さま』は『蔵』《ぞう》が呼びにくくて億劫じゃ」

 帯を閉め終わると、レイラに向き直り「それなら『イチ』でいい」と、表情を緩めた。


「大将、出立の準備が出来ましたよ」

 市蔵とレイラが戸口を出ると、二頭の手綱を持ち仙十郎が待ち構えていた。

「よし、行くぞ。レイラは俺の前に乗れ、仙十郎は後ろから付いてこい。先日のように遅れるなよ」

「馬術もしっかり鍛練していましたので、成果を見せましょう」

 三人は馬に跨がると、生い茂る木々からこぼれる木漏れ日を浴びながら山道を下っていった。


 案の定、仙十郎が遅れ、城下町には四半刻程で着いた。

 武士や町人が行き交い、活気のある商人の声があちらこちらから聞こえ、様々な人と物が集まっていた。


 市蔵らは繋ぎ場で馬を停め、陸奥屋を目指すと、途中に巨大な溝が掘られ、堀の中と外を繋ぐ唯一の出入口がある大門の所で、大門から此方に向かってくる男と出会った。

 男の名前は道休どうきゅうと言い、市蔵と同じ集落に住む仲間であった。


 道休はレイラを値踏みする様な目付きで

「おやおや、これは市蔵殿。珍しい女子を連れているではないですか。この遊郭に? なるほど、数年もあれば立派な太夫になれるだろ」

「な なんと無礼な。貴様こそ、華奢で髪も豊かで長く、女みたいな顔をしおって遊女にお似合いじゃ」

「褒め言葉をありがとう」

「褒めてないわ。こやつは何なのじゃ?」

「流れに流れ、集落に住み着いた。罪を犯し破門された元僧侶だ」

 レイラは呆れたように呟いた

「世も末じゃな」

「度々の、お誉めの言葉をありがとう」

 憐れむ様に道休を見つめるレイラだった。


「大将、早く行きましょう。日が暮れちまう。道休さんも、たまには帰って来てくださいよ」

 仙十郎の言葉に、道休は心外そうな顔をしていた。

「私は諜報活動で遊郭に来ているのだよ。遊びじゃないのだよ。遊びじゃ」

「ふん。一生、諜報活動でもしてるが良かろうに」

 レイラの捨て台詞を残して、場を立ち去った。


 奥州街道があり近隣では一番の城下町とだけあって、各通りには色々な店が並んでおり、レイラは美しい着物や反物。美味しそう桜餅や落雁らくがんに目を奪われてはいちいち感嘆の声を上げていた。


 仙十郎はここぞとばかり得意気に

「へぇ 城下町に来たことなかったのかい?」

「ない。わらわは、ずっと離れの屋敷に閉じ籠っていた。こじんまりとした障子戸から見える景色だけが全てであった。 じゃから、ここは人や物がたくさんあって面白いのう」


 仙十郎は訝しげな視線を向けた。

「屋敷? 何処の屋敷だよ?」

「わからん。わらわには、そこが誰の屋敷かも、誰が住んでおったのかも知らされておらぬのでな」

 物悲しげな表情をしたレイラに市蔵は優しく語りかけ

「よし、用が済んだら、茶屋で休んでから帰るか」

 レイラは笑みを浮かべた。


 少しの間、大通りを歩いていると辻(交差点)に辺り、その四隅の一つに龍や兎、唐獅子をかたどった瓦がのってある店があり、呉服は勿論のこと両替商や酒造を営む、藩御用達の大豪商陸奥屋であった。御用商人であり現当主の三男坊が弥七である。


 楼門を抜けると、眉間にシワを寄せ熱心に小袖を吟味している弥七の姿があった。弥七は市蔵らに気付くと、待ちきれんとばかりに駆け寄ってきた。

「市蔵さん。金子は取り戻せたのかい?」

「あぁ。ここに入っている」

 市蔵は巾着を手渡した。と、同時に弥七は中を確認し出した。金子を数え終わると安堵の表情を浮かべ感謝した。

「本当にありがとう。雑用程度のお使いなので丁稚に任せたが、まさか盗まれるとはね。長兄の番頭から直接頼まれたんで、丁稚に任せたとも言えなかったよ」

「これくらい大したことねぇ。弥七からはいつも酒や金平糖を頂いてるからな、お互い様だ」


 金平糖に反応したのかレイラの目がランランとしていた。

「お主の扱っている金平糖は美味じゃった。至福の時を味わえたぞ」

 市蔵はレイラとの経緯を話した。弥七は一通り聞き終えるとレイラに話し掛けた。

「レイラちゃん。良かったら金平糖を持って行ってくれないかな? 仕入れを間違えてしまい、少し余っているんだ」


 レイラは嬉々とした表情のまま独り言のように呟いた

「天にも上る心地とは、この事じゃな」

「心地ではなく、そのまま天に召されてくれ」

 今まで黙っていた仙十郎の呟きをレイラは聞き逃さず

「仙十郎よ。先ほどのお返しで、わらわの金平糖を上げても良かろう。と、思っとったのに残念じゃ」

「レイラ様。今のは天照大神的な意味で最高の女神に相応しいとの事です」

「ほう。そういうことなら、お主は邪神じゃな」

 レイラは鼻で笑い、何か言いたそうな仙十郎に追い討ちをかけてきた。

「なんじゃ、仙十郎よ。犬の遠吠えか、吠え面かくのかどっちにするのじゃ? どっちにしても犬じゃがな!!」

 語尾だけ異様に力を込めたレイラの目は笑ってなく、片方の広角だけが上がっており見下すように仙十郎にとどめを刺した。


 魂が抜けた仙十郎をよそに、雑談は続いた。

「先ほど、真剣に小袖を吟味していたようだが?」

「あぁ、藩主様のご依頼でね。また美緑みろく姫に縁談話が来た様でさ」

 一瞬考えた様に目を閉じ市蔵は答えた。

「またか。あいつ縁談しては断りの連続で、さぞ叔父貴も困っているだろうな」

「まぁ。そうなっているのも、市蔵さんに原因がありそうだけど」

「もう、ずいぶん昔の事だ。俺にはどうする事も出来なければ、どうこうしたい訳でもないさ。 用も済んだことだし帰るぞ」

 レイラはしっかりと金平糖を受け取ると、その場で早速幾つかを口に放り、満面の笑みで陸奥屋を後にした。


 繋ぎ場で馬に乗り、市蔵らは帰り道である峠に向かった。

 ほとなくして、縁台に赤色の布を掛け赤い野点傘が差してある茶屋に到着し、縁台に腰を掛けた。

 三人は揃ってみたらし団子とお茶を注文したが、仙十郎は不服そうに

「ここの茶屋は老夫婦何ですよね…… ほかの街道沿いや観光名所に近い茶屋だと可愛らしい茶屋娘が多いのに」

「なんじゃ。仙十郎、色気付きおって。 貴様みたいのが揃いも揃って、釣はいらねぇよ。とか言いつつ駄賃を多目に渡して格好つけるのだろうな。じゃがな茶屋娘からしたら、何文くれたかは覚えていても、上げた奴の顔などは覚えてなどおらんぞ。残念じゃな」

 レイラが一気に喋りあげると、隣の縁台から男達の笑い声が聞こえてきた


「珍しい髪色をしたお嬢ちゃん。男は皆そんなもんだ。美緑姫の様な三国一の器量持ちから茶を頂いたら全財産上げても足りないくらいだ」

「おい、滅相な事を言うもんではない」

 仙十郎は怒りをあらわにし男達をたしなめた。

「何もそんなに怒らんでも、俺らにとっちゃ姫様など、雲の様な存在だからなぁ」

 男達はそう言い残すと、残っていた茶を一気に干し城下町へと向かって行った。


 レイラは、団子を頬張りながら市蔵に尋ねた。

「そんなに美緑姫というのは美人なのか? 知り合いなのじゃろ?」

「お前と一緒で黙っておれば、器量良しの姫様だ。 そして、産まれる前からの俺の元許嫁だ」

 レイラは幾分か驚いた表情をしていたが、それよりも最初の言葉が気に障ったのか声を荒げた。

「イチ。黙っておれば。とは、どういう事じゃ!」

「こういう事だよ」

 市蔵の代わりに仙十郎がすぐさま答えた。レイラはまだ団子が入っているであろう頬を膨らませた。

「さっ。 もう陽が暮れてしまう。帰ろうとするか」

 三人は馬に乗ると山道を駆け上がり帰路を急いだ。

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