第29話 美人局屋
“ レトロに御用!” の店の貸主である松橋徳三郎が急逝し、妻のキヨが未来を見失う事態になり、時期を早めて
「龍三…見覚えのない奴らが蠢いてるようだな」
「杉渕の報告では忠が片付けたやつはただのタギング野郎じゃないようだ」
杉渕栄作は龍三の後援会の役員で探偵事務所を経営する男だ。かつて鬼ノ子村を襲った “ カマスの国 ” の不法移民者による集落占拠の危機は、この杉渕の確かな情報によって救われた経緯がある。
「長老の懸念が当たってたということか?」
「やつらが来た…今しがた、辰巳から連絡があった」
「また…来たか」
「タギング野郎は、どういう役割なんだ?」
「表向きは特オタのプー太郎を装っているが、本業は “ カマス ” 連中のパシリだ」
「パシリ?」
「美人局で…いや今はハニトラっていうのか? …それで強請り集りの小遣い稼ぎから、禁制品を扱う“ 道具屋 ”やら、復讐請負の着手金詐欺までやる組織的な裏稼業のパシリだな」
“ 美人局 ”とは娼妓が少年を誘い、後から出てきた男が娼妓を自分の妻などと偽って少年を脅したという古の支那のエピソードが語源のようだが、その現代版のハニートラップと言えばテレホンクラブや出会い系サイトを利用する鴨を狙って暗躍する印象が強い。しかし、それはもう時代遅れの認識だ。今やごく親しい隣人が片棒を担ぐ油断ならない時代と言っていい。どの時点からの仕掛けなのか判別不可能なほど微に入り細に渡って、しかも長期計画且つ、その罠は極日常的な流れの中に網の目のように布かれていると思ったほうが無難だろう。加害者より被害を受けた側の後ろめたい心理を巧みに突いた悪質な組織犯罪だ。
「そんなヤバい奴が、何で特オタの溜まり場に絡んで来たんだ?」
「鴨が集まって来るからだろ」
「カモ !?」
「特オタというのは良く言えば純粋な奴らだ。悪く言えば欲にケジメの境を付けられないやつが多い。所謂、騙しやすい人種が群れている。それだけならまだ分かるが、特撮俳優の中には特オタに輪を掛けたバカがいる。素人の特オタが “ オフ会 ” だと銘打てば、過去にしがみ付いて虫のいい夢を描いている隙だらけの錆びた特撮俳優どもが、特オタに持て囃されたくてノコノコやって来る場でもある。それに限界集落一歩手前という場所がいい。こんなところでカモがどうなろうとメディアは無関心だ。余程のことがない限り、表面化するまでには至らないだろう。“ レトロに御用!” は、しばらくは居心地のいい犯罪の温床になる」
昨今、新米議員や二世タレントがターゲットになるスキャンダルが激増し、お茶の間を沸かせているが、話題性のない芸能人のそれは闇から闇に消えつつ、組織の懐を温めている。自業自得とは言え、ハニトラなどの網に掛かった殆どの鴨がその私生活を地獄に落とされ、逆に “ 被害者を装った加害者 ” は法的に堂々と高額の利益を手にしているのが現状だ。
杉渕は、斎藤を直接動かしているのは、克好の下田時代からのオタ仲間である大友達也であることも突き止めていた。そして彼のスポンサーは
リアルシャドウこと高堰忠は、龍三を慕う中学時代の後輩だった。高堰は上京後、平凡ながら家庭を持ったが、不運にも事件に巻き込まれ、一家離散の果てにホームレスを強いられてしまった。
高堰の娘の前に芸能事務所スカウトマンを名乗る男が現れた。それが斎藤である。高堰の娘は斎藤にスカウトされたその足で事務所に連れて行かれ契約書類にサインさせられた。何のことはないAV事務所の出演契約だった。撮影を拒否すると契約違反の損害賠償を持ち出され、追い詰められた高堰の娘はその日のうちにAV撮影で見知らぬ男との初体験に至ってしまった。
数日後、父親のもとに斎藤から連絡が入った。娘の出演するアダルト動画を配信して欲しくなければ製品を買い取ってもらいたいと。寝耳に水の高堰は娘を問い詰めた。娘は自責の念に駆られ、両親の前でそのままマンションから飛び降りて命を絶った。一方的に娘を責めたことに怒りを募らせる妻との生活も一週間と持たなかった。高堰は離婚し、妻の前から姿を消した。
高堰はホームレスをしながら自分の家庭をぶち壊しにした男を捜していた。やっとのことで斎藤の所在を突き止め、彼を追って来たのが、偶然にも自分の故郷だった。高堰は迷うことなく積年の復讐を果たした。高堰は自分の犯行が、組織犯罪の拠点化に対する出鼻を挫く結果になったことは知る由もなかった。
龍三たちは高堰とは別に斎藤をマークしていたが、高堰の思わぬ登場で、急遽当初の計画を早めることになった。
「竜さんには以前にも、昔この地域一帯は、“ カマスの国 ” の不法移民者どもに占拠されそうになった話をしたと思う。最初、子どもたちが次々に居なくなったんだ。神隠しと云われたが、“ カマスの国 ” の不法移民者どもによる人身売買目的の人攫いだ。そしてやつらは、民家の軒を借りて売春宿や賭場を設け、場所代で大家を潤わせると、軒を貸す家が増えた。 “ カマス ”の繁華街のような地域が出来て、見る見るいかがわしい店が何軒も軒を連ねるようになったんだ。地元民も道楽に耽り、借金を抱えて家や田畑、土地を失うものが激増し、軒を貸したつもりが母屋まで奪われて、頻繁に地元民の一家心中が起こるようになった。恐らく一家心中に見せた皆殺しだったんだろうがね。そこで立ち上がったのがマタギ衆だった。長は鬼ノ子村の生ける伝説の長老、松橋貞八さんだ。危機には超人的な鼻の利く人だ。今回の阿仁前田の件も杉渕の情報が入る前からその危機を察知していた。早くから “ キヨの店を張れ ” という指示が出ていた。特に異常はないと思っていたが、辰巳の猟犬のギンが斎藤に強く反応した。ギンは“ カマス ” の国の人間を嗅ぎ分ける犬だ。それで奴らがまた来たと確信した…その矢先に斎藤は高堰の手に掛かったんだ。“ カマス ”一味殲滅のためには、高堰を警察から守り抜かなければならない」
真っ白に覆われた冬の田園を、今日も内陸線が走っていた。乗客の表情はいつになく険しかった。その視線の先には、派手な毛皮のコートの女が、強面のボディガードらに守られて座席の一角を占領して座っている姿があった。大友達也のスポンサーの李美雨である。
「斎藤がドジ踏んだのね」
李美雨はボディガードの張本を見た。張本は微笑んだ。
「…そう」
李美雨の乗った車両の端の席に大鼾をかく老人が乗っていた。愛犬ギンを連れた辰巳である。李美雨が嫌な顔をした。張本が顎で指示すると、部下の木村が辰巳の傍に行った。
「お客さん…お客さん…お客さん!」
辰巳は一向に起きず、大鼾のままだった。
木村が辰巳の肩に触れようとした時、いきなりギンがその間に立ち塞がって唸り、牙を剥いた。辰巳は大鼾のままだったが、木村たちを背にしたその目は開いていた。木村は張本の顔を窺ったが、張本は木村を睨んだままだった。木村は仕方なく大声で辰巳を起こしに掛かった。
「おい、じじぃ! 鼾が煩えんだよ!」
乗客らは冷めた目で木村を静観していた。
「あんたらも鼾が迷惑だろ! おい、じじぃ!」
木村が辰巳の肩を乱暴に掴んだ。その瞬間、肩に掛かった木村の腕がギンの牙で激しく持って行かれ、車両の通路に投げ飛ばされた。ギンは狂暴に唸りながら木村に近付いて行った。気の抜けた秋田訛りの車内アナウンスが流れた。
「間もなく阿仁前田~、阿仁前田~、お忘れ物のないようお気を付けてお降りください。阿仁前田~阿仁前田でございます」
辰巳は何事もなかったように大欠伸をしてからさっさと降りて行った。ギンは木村から胤を返して辰巳を追った。李美雨らも慌てて車両を降りた。
犯罪組織の胴元がわざわざ秋田の片田舎まで出向く程に、克好の店には重要な意味があったのだ。
ここ数年前から、この地域一帯の水源のある山林が、何者かの買占めに遭っていた。行政は相も変わらずそうした変化には無防備・無策だった。土地を離れる跡継ぎが、先祖が守って来た山林を無駄に税金の掛かる厄介な所有地として手放すケースが激増していた。“ カマスの国 ” の思う壺だった。
しかし、やつらはミスを犯した。かつて“ カマス ”殲滅に蜂起した長老・松橋貞八の住む鬼ノ子村にもその触手を伸ばしてしまったことで、貞八に俊足の断を下させてしまった。
李美雨一行が克好の店に向かう頃、克好は人気のない荒れ果てた須又温泉の浴槽の中に潜んでいた。
「おまえって役に立たねえな」
克好はその声に驚いた。
「なんでここへ !?」
現れたのは大友達也だった。
「計画が台無しだよ、克ちゃん」
「・・・ !?」
「克ちゃんに投資した資金が台無し…だから、死んで?」
「資金 !? あのお金でボクを助けてくれたんじゃなかったの !?」
「どこまでクソヲタなんだ、君は…これ以上生き恥晒すなよ」
「・・・・・」
「自分でも分かってるだろ? ボクがここに何しに戻って来たか」
「ボクを殺しに来たの !?」
「殺したくなんかないよ」
「そうだよね、達ちゃんがボクにそんなこと出来るわけがない」
「違うよ。自分の手を汚したくないんだよ。だから自分で死んで? ねっ、克ちゃん?」
「達ちゃんをヒーローだと思っていたのに…」
「そんなものどこにもいるわけないでしょ」
「…親友だと思っていたのに」
「お互い、充分楽しんだでしょ…もうすぐ、ボクのスポンサーが来るんだよね。それまでに克ちゃんを片付けとかないとボクの命が危なくなっちゃうんだよ。克ちゃんが自分で死ねないなら…仕方ないよね」
大友はポケットからドリンク剤を出した。
「これ飲んだらすぐだから…ねっ、克ちゃん!」
金縛りに遭ったような克好の口元に、大友の手でドリンク剤が差し向けられた。
「克ちゃん、いいお顔してるわ」
克好の唇が無抵抗に開いた。すると、大友の手が止まった。
「克ちゃんは、あたしのオモチャよ!」
ヨウ子が現れた。彼女のコントロールで、そのドリンク剤が大友自身の口に運ばれた。
「や、やめろ!」
強引に開けられた大友の口にドリンク剤がドクドクと流された。呼吸が激しくなった大友は、吐こうとするが、その動きは次第に鈍くなっていった。
「バイバイ!」
目を剥いて動かなくなった大友の姿に克好は釘付けになった。
「克ちゃんはこれでね」
ヨウ子は克好に万能のこぎりを放り投げて、ご機嫌にスキップしながら消えていった。
〈第30話「超・激レアグッズ」につづく〉
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