第28話 キヨの決意
徳三郎が急逝した。パーキンソン病やアルツハイマー型の認知症を併発し、症状が急に進んでしまった。このところキヨは徳三郎を車椅子に乗せ、病院に連れて行ったり、一緒に買い物に出たりして献身的に支えていた。
徳三郎は息を引き取る二日前に不自由な発音でキヨに初めて涙を見せた。
「オレはおまえを不幸にした」
「何を言うの?」
「おまえのことを何も見ないで…好き放題やって来た」
「・・・・・」
「済まなかった…何もしてやれなくて…」
「そんなことない。あんたのおかげだよ」
「ここんとこ、若い頃の夢をよく見る。おまえは綺麗だったな」
「何言い出すかと思えば…今はこんな婆さんだよ」
「今だって綺麗だよ。もっと大事にしてやればよかった」
「大事にしてもらってるじゃないの」
「後悔してもし切れない…時間を戻したい」
徳三郎は嗚咽した。
「どうしたんだよ、あんた !?」
徳三郎はその夜から昏睡状態になり、そのまま病院で息を引き取った。悲しい死顔での旅立ちだった。自宅の祭壇の前で眠る徳三郎の傍で、キヨは決心した。
キヨから龍三の元に電話が入った。
「龍三さん、今から頼みます。あたしは急用が出来て出掛けなければならないけど、家の鍵は開けとくからうちの亭主を迎えに来て火葬船まで送ってっておくれよ」
「今から出掛けるのかい?」
「ちょっと傍まで急用が出来てね。それから、徳三郎を霊柩バスに安置した後、須又温泉の貸店舗に寄ってもらいたい」
「キヨさんはそっちに居るのかい?」
「寄ったら分かるようにしとくから」
「キヨさんはどこに出掛けるんだい?」
「徳三郎の遺体が火葬船に着く頃、また連絡するよ」
キヨの電話はそのまま切れた。龍三は胸騒ぎを覚え、すぐに英雄に連絡した。
「キヨさんの様子がおかしい。急いでくれ!」
英雄は待機していた火葬船桟橋から霊柩バスを発車させた。
その頃、克好の前にリアルシャドウが現れていた。
「オレを知ってるだろ」
「誰だ、あんた !?」
「恍けるな」
「恍けてない! 誰なんだ、あんた !?」
リアルシャドウは斎藤殺害を克好に見られたと思っていた。克好はリアルシャドウには本当に気付かなかった。
“ レトロに御用! ” のシャッターにタギングする斎藤の腕に戦慄が走った。斎藤は店の前にドサッと倒れ込み、一間置いてスプレー缶を持った腕がその体から離れ落ちた。リアルシャドウは半ば気を失った斎藤の鼻と口をビニールで強く塞いだ。斎藤の痙攣が止まった。いきなりシャッターが開いた。リアルシャドウは慌ててその場を離れた。寝惚けた克好が店の前にゴミバケツを出して、再びシャッターを下ろして中に入った。
「言い掛かり付けんな! 警察呼ぶぞ! 早く出てけよ!」
「用が済んだら出てくよ」
ナガサを抜いたリアルシャドウが克好に向かって歩を進めようとした時、その背を突き飛ばしてキヨが勢い入って来て、克好に叫んだ。
「この人殺し! とっととここから出てっておくれ! 出てかないなら死んでもらうよ!」
出刃包丁を突き出したキヨは克好に突進して行った。克好はキヨを軽く躱した。キヨが躓いて転んだ先に茶葉子のバラバラ死体が散乱していた。キヨは仰天した。
「こ、これは! あんた、何てことしたんだい!」
「松橋さんもそうなりたいの?」
万能のこぎりを握った克好がキヨに近付いて行った。恐怖で身動き出来なくなっているキヨの腕を取り、振り上げた万能のこぎりを勢い振り下そうとしたその腕がドサッと落ちた。赤白い切り口が剝き出しになり、一間あってドッと血飛沫が噴き出した。
「婆ちゃん、逃げなさい!」
「あんた、なんで私を !?」
「あんたには貸しも借りもない。だがあの女の子に借りがある。この男はオレが殺る」
「どいつもこいつも寄って集ってボクを苦しめる! みんな父親と一緒だ!」
「とどめだ!」
リアルシャドウの振り下したナガサが止まった。又してもヨウ子のコントロールに縛られた。
「どうしてなんだ !?」
「克ちゃんは、あたしのおもちゃなの。克ちゃんが克ちゃんを切ってバラバラにするんだよ」
リアルシャドウは一瞬考えたがすぐに理解した。
「なるほど…こいつはあんたをバラバラにして殺したんだな」
「痛かったよ。だから克ちゃんにも教えてあげたいの、その痛さ」
「そりゃいいや。おい、克ちゃんとやら…ここで男を見せろや」
突然、克好は裏から逃亡した。
「どんぐり、行け!」
キヨの叫びで入口で待っていた愛犬のどんぐりが店を横切って突っ走り、克好を追って裏から出て行った。リアルシャドウはキヨを抱き起した。
「婆さん、やるじゃないか。でも、長生きしろよな」
そう言って、ヨウ子の顔をチラッと見て手を振り、押入れから屋根に抜けて去って行った。
「バイバイ、おじちゃん!」
キヨはしみじみとヨウ子を見つめて、目を潤ませた。
「ひどいことをされたんだね。あたしはこのざまだけど、この土地の人たちがきっと何とかしてくれるからね!」
「うん、ありがとう!」
キヨの自宅に英雄の運転する火葬船の霊柩バスがやって来た。助手席には龍三と彼の友人で鬼ノ子実験村に移住した小説家の子之神竜が居た。
薄暗い部屋に白布の徳三郎がいた。その横にキヨの遺書があった。遺書には「夫には申し訳なかったと思います。病気がつらかったと思います。後を片付けてくれる方々にはご迷惑をお掛けします。認知症の介護に疲れてしまい、夫の死後をひとりで生きていく気力がなくなりました。大家の責任を果たして夫の元へ行きます」とあった。
龍三は阿仁川に急いだ。龍三はキヨの行く場所の見当が付いた。阿仁川の “ 雨降り様 ” の崖肌が見えるその場所は、徳三郎が釣りに行こうとキヨを誘い、求婚した場所でもあった。
キヨは、入水自殺しようと幼い頃に夫の徳三郎と遊んだ阿仁川に下りた。川で魚じゃなくキヨを釣ったと大喜びして水に飛び込んで燥ぐ徳三郎の姿を思い出していた。
「徳さんは来るなと言っている!」
キヨは龍三の声に驚いた。
「なんで、ここが!」
「徳さんが呼んだんだ。徳さんは酔うたびに、あんたとの馴れ初め話を嬉しそうにオレに話していた。ここは徳さんとの大事な思い出の場所なんだろ?」
「龍ちゃん、死なせてくれ!」
「駄目だ! キヨさん…この村は善い人が長生きする村なんだ!」
「龍さん、察しておくれよ! 徳三郎がいないんなら生きててもつらいだけなんだよ!」
どんぐりが吠えた。
「どうしても逝きたいんなら…どんぐりも連れて行け」
咬み切ったリードを引き摺ってキヨのもとに寄って来た愛犬どんぐりがキィキィと泣いた。キヨはどんぐりを強く抱きしめて泣き崩れた。
〈第29話「美人局屋」につづく〉
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