第27話 人の矛盾は美しいものだと…
克好は悪夢にうなされていた。克好は父親の死を知らない。その父親が夢に登場していた。一方的に話し掛ける枕元に立った父親の金縛りに遭っていた。
「克好…おまえはオレを恨んでいるだろうな。おまえに期待を賭け過ぎたことを後悔しているよ」
金縛りの克好の心は激しく抗議していた・・・“ 今更遅い! 今更遅い! 今更遅い! 今更遅い! 今更遅い!” と何度も叫ぼうとしたが重い空気に閉じ込められた声は響かなかった。
「おまえは病んで育った…とは言え、20代なんて健康なのは身体だけで、心が多少病んでる方が普通だと思っていた。30代になれば、おまえ自身がその心の闇を受け入れられるようになって立ち直れるはずだと思っていた。しかし、おまえは立ち直るどころか、オレを憎むことに無駄な時間を割いて更に病んでいくばかりだった。このまま行ったら、30代あたりで自殺でもしかねないんだろうと心配になった。出来れば、愛する人に出会って、結婚して、子供でも出来たら、本腰で家業を継いで幸せになってくれるんだろうと、淡い期待を持っていた。ところが、結婚どころか…おまえは男に走った。女はレイプで蔑んだ。どれだけ揉み消したか知れん。年を取れば少しは世間並みになると思っていたが、おまえはもう50過ぎた。オレが掛けた期待の傷を、どこまで引き摺るつもりなんだ? ここまで来ると、おまえが病んでいるのはオレだけが原因じゃない。おまえ自身が持って生まれたものだ。克好…おまえは生まれながらにして病んでいたんだ」
金縛りの克好の血管が剥き出した・・・“ 異常なのはあんただ! ボクはあんたがレイプ殺人を犯したことを知っている! 殺して転寝山の山林に捨てたろ! 遺体が発見されて大騒ぎになったら、下請けの男に金で犯人になってもらったろ! みんな知ってんだぞ! ”と克好の形相は凄まじくなった。
「でも、心配するな。オレもおまえと同じだ。人を殺したことがある。それまで完全な自分を演じ続けていたつもりだった。人を殺して初めて、世の中に完全なんて存在するわけがないことに気付いた。オレだって自分の矛盾で苦しんだ。だけど、世の中なんて何もかも矛盾だらけだ。自分を振り返ったら、オレという人間は、女にも金にもだらしない。臆病者で茶葉子に暴力を振るうことで自分の権威を満足させていた。だけど、おまえが救ってくれた。あの雨の夜、おまえも人を殺した。そしてバラバラにしてゴミバケツに捨てていた。オレは何故か救われた気になった。その子のバラバラ死体を、オレが殺した女を埋めた転寝山の山林に捨てた。死体を埋めてオレは思った。人の矛盾は美しいものだと…汚れた自分が人間らしくて愛おしくなった。おまえは…やっぱりオレの子だなと思った。オレはおまえに救われたよ!」
克好の心が萎えた・・・“ やめてくれ! ボクはあんたの子だったばっかりに…あんたの子だったばっかりに… ”と言いながら混乱した。
克好は静かに目が覚めた・・・“ なんでこんな夢を見たんだ ”。悲しい夢だった。暫く起き上がれず、涙が流れたまま横になっていた。克好の心が ・・・“ 誰か…助けてくれ! ” と弱音を吐いた。
「助けてあげる」
ヨウ子の声がした。克好は気怠く声の方に目をやった。ケラケラとヨウ子が笑っていた。
「もう逃げられないよ」
克好は黙ってヨウ子を見ていた。
「いいものあげる」
そう言って、ヨウ子は克好の枕元に万能のこぎりを放り投げた。克好の手が動いた。勝手に動く手は万能のこぎりを握ろうとしている。克好は逆らった。しかし、その手は万能のこぎりに達し、強く握った。万能のこぎりが右腕を切り始めた。鋭い痛みが走り、血飛沫が目を直撃した。
「ギャー!」
克好は飛び起きた。まだ夢の中なのか、本当に目が覚めたのか、克好は暫く茫然としていた。
その日、意外な人物が克好のもとを訪れた。
「母さん !?」
最後に別れた時とは別人のように茶葉子はやつれていた。やっと克好の店を探し当てたらしく、茶葉子は入り口で頽れた。
それから2日が経った。近くの心療医に往診してもらってるが、茶葉子は一向に回復しなかった。克好は床に就いたままの母親の看病がもう手に余っていた。
「母さん、入院しようか」
「そこに居るの、誰?」
「そこって?」
茶葉子は痩せ細った手で足下を指し示した。ヨウ子が立っていた。
「お友達連れて来たよ」
ヨウ子の後ろから女が現れた。杵治に殺された女である。
「あなたは!」
「ある意味、あなたも被害者よね」
「主人が…ごめんなさい!」
「あなたが謝ることはないわ」
「でも、ごめんなさい!」
女に謝った茶葉子の顔が一変した。杵治が現れたのだ。
「あなた !? 来ないで! 克ちゃん、助けて! 乱暴しないで!」
克好はフリーズしていた。もうどうでもいいという思いもあった。母親は自分の幼い頃、父親に折檻されているのを見て見ぬ振りをしていた。助けを求めても助けてくれなかった。あの時のお返しだと思い、フリーズに甘んじた。
目の前であの日の悪夢が始まる…杵治はお決まりのように茶葉子に殴る蹴るの暴力を加え、髪を掴んだ。ゆっくりと、茶葉子の幽体が引き摺り出され、その肉体は抜け殻となった。すると今度は、杵治に殺された女が杵治の髪を掴み、強引に茶葉子の抜け殻に押し込んだ。茶葉子の肉体は激痛の病に蝕まれていた。杵治の幽体は茶葉子の肉体に縛られ、苦しみ始めた。女に初めて微笑みが浮かんだ。
「見てよ、奥さん…ご主人が美しく見えるでしょ」
「ほんとに! こんな美しい主人を見たことがないわ!」
杵治は断末魔に悶えていた。その姿に心癒された茶葉子と女は安穏として消えていった。克好はその手に万能のこぎりを握っていた。
「今度は…父さんの番だね」
万能のこぎりを引く克好は、まるで大好きな果物の皮でも剥くように潤った表情だった。父親の幽体と母親の肉体を同時に切り刻む喜びを噛締めていた。
「次は克ちゃんの番だね」
ヨウ子が耳元で囁いた。克好は万能のこぎりを引く手を止めた。目の前のバラバラになった母親の死体をまじまじと見つめる克好の口から、いきなり吐瀉物が噴き出した。吐瀉物塗れの茶葉子が目を剝き出し、克好に優しく囁いた。
「さあ、克ちゃんの番よ」
克好は万能のこぎりを放り投げて仰け反った。そこに、切り離された茶葉子の左右の手が這って来た。その手が逃げようとする克好の足を掴んだ。克好はつんのめり、ズルズルと元の場所に引き戻された。
「もう逃げられないよ」
ヨウ子は克好に万能のこぎりを差し出した。
〈第28話「キヨの決意」につづく〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます