第26話 カツラの呪い

 久し振りに謎の男が訪ねて来た。


「お待ちしてました!」

「表のシャッターはどうしました?」

「落書きされまして」


 現場検証が済み、克好は早速シャッターの色に合わせた塗装を施したばかりで、乾燥させるため半開きにしていたが、却って不自然な状態になっていた。


「今日はお持ちですね?」

「ええ」


 謎の男はシャッターのことはそれ以上聞かず、すぐに鞄から品物を出して説明を始めた。


「これは、萩野宮ナナ子主演の『女戦団ユーレンジャー』のリーダー・菊姫が撮影で実際に使用した幽霊に変身した時のカツラです」


 克好の目が輝いた。


「消えた菊姫のカツラですね!」


 克好は知っていた。


「呪いのカツラが出て来たんですね!」

「あなたはご存じかも知れませんが、このカツラには購入者には注意してもらわなければならないことがあります」

「・・・ !?」

「番組の打上げの時に、萩野宮ナナ子さんが話したということですが…このカツラはいつも萩野宮ナナ子さんのバッグの中にあったそうなんです」

「ご本人が管理なさってたということですね?」

「正確には…自分で管理せざるを得なかったということです」

「・・・?」


 萩野宮ナナ子が初日の撮影を終え、結髪さんは鏡の前で彼女から菊姫のカツラを外してウィッグスタンドに乗せた。


「お疲れ様でした」

「いつもありがとう、由美さん」

「カツラ、大丈夫でした。どっか違和感があれば調整します」

「全然大丈夫!激しいアクションシーンにも、しっかりフィットしてたわ」

「良かった!」

「由美さん、これからも宜しくね!」


 萩野宮ナナ子はそう言って帰途に就いた。自宅に戻り、バッグを開けて “ あれ !? ” となった。撮影所のメイク室で外し、結髪の由美が確かにウィッグスタンドに乗せたはずの菊姫のカツラが…入っている。

 翌日も、その翌日も…外してメイク室のウィッグスタンドに乗せたはずのカツラが自分のバッグに入っていた。萩野宮ナナ子は気味悪くなったが、やっとゲットした初レギュラーの仕事を、陳腐な怪談話で汚したくはなかった。そのため、誰にも言わないと決め、仕方なく自分でカツラを管理させてもらうことにして誤魔化したまま、やっとクランクアップを迎えた。


 最後の撮影を終えて自宅に戻った萩野宮ナナ子は、恐る恐るバッグを開けた。そして、ホッとした。カツラが入っていなかった。その後、萩野宮ナナ子はこの特撮ヒーロー番組を機に次第にその頭角を現し、今の座を築いた。


 菊姫のカツラは、萩野宮ナナ子の知らない所で話題になっていた。クランクアップの日、菊姫のカツラは消えた。結髪の本城由美がレギュラー陣の衣装から小道具まで盗み出し、自分の車のトランクに運び込んだのだ。彼女はその類の窃盗常習者だった。それらがマニアに高値で売れることを知っていた。当時は番組が終われば衣装や小道具は廃物扱いだった。特撮ヒーロー番組は “ 子ども番組 ” と呼ばれて低い評価だった時代で、今のような新人の登竜門でもなく、番組ファンの子どもを持つ奥様方のイケメンヒーロー熱も皆無だった。

 本城由美の売却した衣装や小道具は、マニアの手を渡るうちに値も釣り上がって行った。ただ、彼女は一品だけ手放さなかったものがあった。それが、菊姫のカツラである。


 番組終了から2年ほどして、そのカツラを付けた彼女が水死体で発見された。報道で遺体のカツラが謎とされたことにより、それが菊姫のカツラだと気付いたのはやはりマニアたちだった。菊姫のカツラは、警察から遺族に返され、いつしか遺族からマニアの手に渡っていた。それが分かったのが本城由美と同じようにカツラを付けた水死体で上がった特撮ファンの報道だった。しかし、番組自体が風化していたため、テレビのワイドショーで取り上げられるレベルの話題ではなかった。そして、菊姫のカツラの消息は途絶えた。


「購入者にはくれぐれもこのカツラを被らないよう忠告してもらいたい」

「分かりました…で、いかほどでお譲りいただけるんでしょうか?」

「これは御代はいただきません」

「・・・ !?」

「その代わり、今回は私の質問に答えていただけますかな?」


 克好は謎の男の話が理解できていなかった。


「君が特撮番組で得たものは何だね?」

「得たもの !? …得たもの…得たものは “ 自分 ” でしょうか…ボクは父親の勝手なエゴで特撮グッズを破壊され…いや、破壊させられて傷付きました。だからボクは、父親に復讐するためにはどんな迫害を受けようとも特撮を愛し続けると決めたんです」

「私は失ったよ」

「失った…何をですか?」

「私の命より大切なものだよ」

「自分の命より大切なものなんてあるんですかね」

「あるんだよ。君は人の命をどう思う?」

「どうと言われても…」

「自分の命はどうなんだい?」

「そりゃ…大切たとは思いますが…」

「じゃ、他人の命はどうなんだい?」

「正直、自分の命ほどぴんとは来ないかな」

「君なら、そうだろうね」

「え !?」

「特撮グッズに夢中になっている君の仲間の命はどう思うんだね」

「彼らは仲間なんかじゃありません!」


 克好は何かのスイッチが入ったように多弁になった。


「彼らは軽はずみな特撮熱に浮かされた只の迷惑者です。何も分かっていない癖に番組についてくどいし、役者の演技どころか、脚本家にまで一端の評論家気取りの上から目線で偉そうにほざいて、正義に酔いながら、自分はと言えば全く逆のことをしてやがる。特撮オタどころか特撮俳優までも陥れようと必死こいて、悪役そのものだ。狂った特撮オタどもにはうんざりです。あんなやつらと同じに見て欲しくないです」

「いっそ、やつらの命は消えたほうが世の中のためだと?」

「ボクがここに店を構えたのは、軽薄な特撮オタどもが自滅していく聖域を作ろうと思ったからです。やつらは独りよがりのくせに徒党を組みたがる。その連中を誘い出して、一気に掃除をする聖域を作らなければならないんだ。それこそボクの正義だ。ボクが特撮ヒーロー番組から学んだ正義は、ゲスな特撮オタを退治することなんだと…」

「君は父親への復讐を特撮ファンにすり替えているんじゃないのか?」

「違います! ボクの父への復讐は真剣に特撮を愛することです。だからこそ、風評被害をばら撒く犯罪者以外の何ものでもない彼らに、ボクがどんな制裁を加えようと、それは正義であり許されることだと思ってます。ヒーロー番組が醸す正義を歪ませて大人になった成れの果ての特撮オタという精神的奇形児は、真面な特撮ファンとは全く異質な存在なんです」

「君が蔑んで止まない特撮オタども以外に、君は制裁を加えた者はないかね?」


 克好は謎の男の本意を図りかねていた。“ 特撮オタども以外に制裁を加えた者 ” に覚えはあった。しかし、この男が自分の幼い頃の残虐な過ちについて知っているわけはない…この男は、菊姫のカツラを提供するために自分にどんな代償を求めているんだろうと疑念が広がった。


「あの、ご質問の意図が…」


 謎の男は克好の質問を無視し、カバンから箱に入った菊姫のカツラをレジカウンターに置いた。


「もし、このカツラに直接触ってしまったら、水のあるところには近付いてはなりません。宜しいですね」


 そういうと、謎の男はいつものラムネの小袋を置いて足早に店を去って行った。


 その夜、克好はバスタブの鏡の前でシャワーを浴びながら、菊姫のカツラを被った自分をうっとりと眺めていた。その姿が、菊姫役で活躍していた若かりし頃の萩野宮ナナ子の潤い溢れる姿態に変わっていった。克好の両の手は、その体を弄り始めた。鏡の萩野宮ナナ子は次第に喘ぎ始めた。更に弄ぼうと、その手を股間に滑らせた時、激しく視野が揺れた。息が出来なくなった。どうやらバスタブの湯の中に沈んでいるようだ。這い上がろうとしても何かに抑えつけられて立ち上がることが出来ない。どれぐらい湯を飲み込んでしまったのか、両手両足をバタつかせているうち、何かの弾みでカツラが外れた。勢いバスタブから上半身を乗り出すと、菊姫のカツラが排水溝に吸われそうになりながら、淫らに広がってその不気味さを晒していた。

 ふと見ると、半開きになったバスルームのドアの向こうにヨウ子が立っていた。ヨウ子は菊姫のカツラに話し掛けた。


「克ちゃんは、あたしのオモチャよ!」


 すると菊姫のカツラが勢いヨウ子に向かおうとしたが、急に閉まったドアに醜く張り付いて床に落ちた。ドアの向こうでヨウ子の笑い声が遠ざかって行った。


 克好はゴム手袋をはめ、菊姫のカツラを注意深く乾かして箱に納めながら、謎の男の忠告を無視したことを後悔した。


「…本物だったのか」


 克好の口の中にはラムネが溢れていた。


〈第27話「人の矛盾は美しいものだと…」につづく〉

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