第22話 玄と龍三
御棚克好が良心の欠片を揺さぶられている頃、ヨウ子の両親の漆原玄と千代は、龍三の故郷の唯一の宿である民宿「シカリの宿」に逗留していた。この数日間、漆原夫妻は龍三とじっくり話を詰めていた。
「命は、誰の命でも大切なものなのか…私には分からなくなりました。ヨウ子のために復讐する自分たち夫婦は、人間としてどうなのかという迷いもあります。もしかしたら、私たちがやろうとしていることは、ヨウ子のためと言いながら、自分たちのためなのかもしれません。あの男を殺したところで、ヨウ子が帰って来るわけじゃない。でも、加害者であるあの男が人権という大義の元で法に守られ、被害者のヨウ子は未来も人権もない世界に弾き出されてしまったんです。私はどうしても納得がいかない。私たちのヨウ子を殺した男が、何の罰も受けずに同じ社会で息をしていることが耐えられないんです。誰にも平等な人権であるとは言え、人を殺した人間が殺された人間と同じ人権なのでしょうか? 人を殺した人間の命に人権を与える価値があるのでしょうか?」
「漆原さんは、憲法が全ての日本国民を守る法律だと思っておられるようだが、それは大きな誤解です。日本国憲法は国民を守るどころか、国をも守れない憲法です。国民は自分の身は自分で守らなければ犬死するしかない。そのことに気付かなければならない。この村は善い人だけが暮らす村。悪い人が消える村です。命は大切なものであるならば、人の命を奪った者は自分の命を奪ったものと見做すのがこの村の掟です。つまり、人の命を奪った悪人は生きながら自死した死人と見做すのです。この村では、悪人には何の権利もありません。この村の掟で悪人の末路が如何なる結果になろうとも、法に抵触しなければ法が罰することはできない。そうやってこの村は善人が残り、悪人が消えて幸せを手にしてるのです。問題は一つだけです」
そう言って龍三は一呼吸置いた。
「漆原さん…あなたは復讐を遂げたのちにその良心が苦しむかもしれない。しかしそれは、子どもを殺された苦しみに比べたら小さいものだ。そしてその覚悟があるのとないのとでは、大きな違いがある。あなたたちご夫婦はお互いを支え合いながら今を生きている。この鬼ノ子村の住民はそんなあなたたちを支えてくれるはずです。その支えで、娘さんの短い一生を素晴らしいものに完結させることで、その先の世界は一変します。ヨウ子ちゃんと共に生きる世界が開けます」
玄には苦渋の思いが滲んでいた。
「…しかし、この世であの子の命を繋ぐことが出来なかった…」
玄の言葉は続かなかった。
「漆原さん…人間というのは凄いんですよ。どんな苦しみを抱えていても、幸せを見つける能力がある。ヨウ子ちゃんだって凄い。亡くなって尚、ご両親に生きる意味の宿題を出している。それは、絶対に答えてあげなければならない宿題なんです」
「そうですね! ヨウ子は生きている…私たちの中で生きています。ヨウ子のこの無念の心が鎮まらない限り、私たちは答えを出すために生き続けなければなりません。ヨウ子は今も、あの男と闘っているんです。私たち親子はあの男の腐った脳が破裂するまで追い詰めます」
「ヨウ子ちゃんはあの男の店がある須又温泉通り商店会の人たちの心の中にも生きています。現に大勢の住民がヨウ子ちゃんの姿を目にしている。あの商店街はクソヲタに取っては蟻地獄です。あの通りに一歩足を踏み入れたが最期、その魂は封印され、二度と商店街から抜け出すことは出来ず、肉体がどこにあろうと死に向かうだけです。御棚家の脳は代々腐っていたんです。御棚克好の腐った脳はもうすぐ破裂して、御棚家は絶える運命です。御棚克好はそのことから脱出することはもうできないのです。法治国家の下では人権で無敵でも、この村の掟により、その法治国家の憲法の下、合法的に蟻地獄に堕ちて行くしかないんです」
宿の戸がノックされた。若女将の千恵子が生姜湯を持って入って来た。
「お布団に入ってから温まると思って生姜湯を…」
「深夜だというのに申し訳ない。私はそろそろ帰ります」
「雨雪になったから濡れるんで、玄関に傘を用意してあります」
「有難い、借りてくよ」
「龍三さんが前に忘れてった傘ですよ」
「そうだった?」
龍三は立ち上がった。
「それじゃ、漆原さん。後は手筈どおりに」
漆原夫妻は強い決意で頷いた。
早朝に “ レトロに御用! ” のシャッターを激しく叩く音がして克好の目が覚めた。何事かと店を開けると謎の男が立っていた。
「どうしたんです、こんな朝早くに」
「用意できましたか?」
克好は謎の男の正体が、自分が殺してバラバラ死体にしたヨウ子の父親であることなど知るはずもない。
「そろそろご返済ください」
「あ、はい…800万ですよね」
「いいえ、810万です。競り落とした男性から商品を引き取る上乗せ額として10万ご用立てしましたよね」
「あ! そうでした、810万でしたね」
「新しいシステムのご商売を始めたようじゃないですか…これからは運営資金はそちらから回せるわけですね」
「あれは会員様の出資金ですから、むやみに手を付けるわけには…」
「経営者ですから運用は自由でしょ。借金を返済できないというのであれば、お互いいろいろ面倒なことになりますからね」
「今、ご返済分をお持ちしますんで、少しお待ちください」
克好は奥の金庫から810万を出し、玄に返済した。
「この様子では、お店が軌道に乗り出したようですね」
「親友の応援もありまして…」
「それは結構なことじゃありませんか…では、次の激レア商品も手に入れられそうですね」
「ええ、激レアファンが待っていますので…今日は何かお持ちですか?」
克好は身を乗り出して聞いた。しかし、玄の反応はなかった。
「今日は何もありません」
「え !? …ないんですか !?」
「ええ、ありません。ご返済いただけると分かっていればお持ちしたんですけどね」
「…そうですか。ないんですね」
「これはあります」
「何ですか!」
玄は鞄から小さな紙袋を出した。
「サービスです」
玄が鞄から出したのは、いつもの “ 白いラムネ ” だった。意外にも克好は喜んで飛び付いた。
「これ、好きなんですよ!」
克好は玄が返るのを待たずに、小さな袋を開けて “ 白いラムネ ” を口に頬張った。
「これを食べると何か気持ちが落ち着くんです」
「…でしょうね」
言うなり、玄は店を出て行った。克好は玄を送りもせず、ラムネを食べ続けていた。
克好は、肘掛椅子に座ったまま身動き一つせずに昼を迎えた。陰気に響く座敷の掛け時計の音が止む頃、特撮オタたちが殺気立って押し寄せて来た。
「競りの結果はどうなったんですか?」
「商品は該当者に郵送しました」
「誰が競り落としたんですか?」
「それは申し上げられません」
「本当に商品は競り落とした人に郵送されたんですか?」
「勿論です!」
「その証拠がない限り、私たちは信用できません!」
「ちょっと待てよ、おまえら!」
「何ヒーローぶってんだよ。口挟むなよ」
「おたく、斎藤さんだよね? 本名は誰か知らんけど。ネットであちこちに火種撒いてる東京西荻在住の斎藤さんだよね」
「誰だっていいだろ」
「遥々東京から来てくれたのは嬉しいけど、ここで炎上の種撒き取材はやめてくれよ、迷惑だから」
「何のことを言ってるのかさっぱり」
「競り落とした商品の件は、店長が送ったと言ってんだからそれでいいじゃないか」
「おまえ、店長とグルなのか?」
「グルって何だよ! 競り落としたのはオレだから間違いないんだよ!」
斎藤は唖然と睨んだ。
「オレが競り落としたのがそんなに気に入らないのか? ルールどおりにやって手に入れただけなんだけどね」
「なら、あんたはそのことを証明出来んだろうな!」
「ブログにアップしてあるよ。オレ、『昭和の特撮偏西風』の管理人だから、疑うなら見ればいいじゃないか、サ・イ・ト・ウ・さん」
一同が揃ってスマホを検索し始めた。そこには確かに本人が『地蔵戦隊アミダマン』の代表武器 “数珠ブーメラン ”を持ってる笑顔の画像がアップされていた。一同は気勢を削がれたように沈黙した。
〈第23話「東京西荻の斎藤さん」につづく〉
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