第21話 ひとり減った
阿仁前田の駅舎で内陸線を待つ特撮オタらは誰もが無言だった。柴内弘子の声が響いていた。 “ 特撮番組は決して教育番組の類ではありません。特撮番組のヒーロー俳優さんの中には、そのように自負なさる俳優さんもおられるようですが、それは大きな勘違いです。悪く言えば番組に依存した売名行為に他なりません。…大人になりなさい。特撮ファンである皆さんの使命は、出演者に媚びることではありません。特撮ヒーロー俳優とのツーショット写真を収集して何の意味がありますか? もし、真の特撮ファンを自負なさるなら、そういう自己満足はおやめなさい。…大人になりなさい…大人になりなさい…大人になりなさい ”
柴内弘子の言う特撮番組は教育番組だと自負する特撮ヒーロー俳優とは、自分が長きに渡ってマネージャーを務めた俳優の故・村木志郎であることは誰もが想像付くことだった。ファンへの徹底したサービス精神と思っていた彼の姿勢を番組に依存した売名行為とまで言い切ったのには深い根拠があるに違いない。確かに村木志郎は共演者との確執は絶えなかった。一秒でも他共演者より画面に映ることに固執した。しかし、マネージャーの柴内は彼のそうした姿勢を早い時期から懸念していた。画面に長く映ることに力を注ぐのは伸びる俳優のすることではない。共演者を立てることで自分が立つ術を学んでほしかった。それより何より、村木が自分の訛りに対して目を瞑っている姿勢や、特撮番組のヒーロー役に胡坐をかく態度には危機感を持っていた。現に、京都撮影所ではそんな態度は通用せず、スタッフから激しいいびりを喰らって叩きのめされたこともあった。その類の失態をウェブ上に晒されなかったのは、マネージャーである柴内の裁量に他ならなかった。
“ レトロに御用! ” に集まった特撮オタ連が村木の失態を知る由もなく、村木こそ特撮ヒーロー俳優の頂点だと思っていた気持ちが、柴内の話で消えかかっていた。“ 特撮グッズは歴史です。番組自体の歴史以上に、その時代の世論が反映されている歴史の副読本でもあります。歴史の副読本としての特撮グッズに価値を見出して…大人になりなさい…大人になりなさい…大人になりなさい ”
「どれぐらいなら手に入れられるかな」
「250万でも結構きつい額だよ」
「じゃ、キミはあきらめるしかないね」
「何もあきらめるとは言ってないよ」
「だったら、キミはいくら出せるんだ?」
「あなたの魂胆は分かるよ」
「魂胆 !?」
「逆にあなたはいくら出せるんですか?」
「500万ならどう?」
「出せるんですか、500万…皆さん! この人、500万出すそうです!」
「出すとは言ってないよ。500万ならどう? って聞いただけなんだけど?」
「なんだ、出せもしない金額を言っただけか?」
「出せもしないって決めつけないでほしいんだけど?」
「じゃ、出せるのね」
「いちいち何だよ、キミ…ボクにからんでるの?」
「別に? いい加減なことを言うから確かめてるだけなんだけど?」
「いい加減って決め付ける根拠はどこにあるの?」
そう言ったまま、男は床に倒れ込んだ。別の男がどうしたのかと抱き起すと、それを見た女が悲鳴を上げた。男の腹部から出血している。
「こいつ、しつこいから…」
そう言って不敵に微笑んだ男の手には、血の付いたサバイバルナイフが握られていた。特撮オタの一人が誰にとなく囁いた。
「思い出した! あいつ…イベントやサイト荒らしのサイコパス野郎だ!」
「そうだ! どこかで見覚えがあると思ったが、やっぱりそうだったか!」
「おまえ、“ クニジ 王 ”だろ!」
「クニジ王だったらどうなんです?」
「おまえがここに来てたことが知れたら御棚さんのお店は大炎上なんだよ!」
「ボクには関係ありません」
「流石はサイコパス野郎だな。“ ボクには関係ありません ” だってよ 」
「じゃ、サイコパスってどういう人間か説明して見てくださいよ」
一同が黙った。クニジ王とは特撮ファンにも特撮俳優にも巧みに近付き、美人局で弱みを握り、強請り集りの果てに役に立たなくなるとネット上に不名誉を晒して炎上させるという悪行を繰り返していた男だが、或る日突然、HN《ハンドルネーム》のクニジ王の本名・中尾邦治はもとより、職業から何から人物像を晒されて影を潜めていた男である。
「じゃ、普通の人とサイコパスの違いは?」
一同は黙ったままだった。
「サイコパスの説明も出来ないで、ボクをサイコパス呼ばわりするなんて、結構なバカの集まりなんだね。じゃ、特別に説明してあげるよ」
クニジ王は急に早口になった。
「普通なら自分にも他人にも愛情を注ぐよね。それともキミたちも結構身勝手なナルシストだから自分にしか愛情を注げないのかな? でもサイコパスは誰にも愛情を持てない…自分にもね」
そう言って、ナイフで自分の首筋を切った。血が噴き出したクニジ王は更に早口になった。
「サイコパスは、ルールに従う気もないし、人を騙すし、嘘を吐きたいし、操作もしたいし、誰の安全も考えないし、傷付けたいし、カッとなりやすい。バイセク野郎の御棚の計画とかもだるい。それに、こいつ座敷に上がった時、靴下が臭かった。ボクにそんなものを嗅がせんのかよと思ったから片付けてやったんだよ、みんなのためにさ。 “ あのクニジ王 ” って何だよ。“ あの ” って何だよ。言ったやつ! おまえも減らしてやろうか!」
「ついにやっちまったな、クニジ王! ここはネットじゃない! 悪態を吐いたところで、それは全部おまえに帰って行くんだぞ!」
「てめえだって無責任な匿名の外野のくせに!」
自分の血に塗れたクニジ王が、サバイバルナイフを振り翳した。一同は慌てて駅舎からホームに散って行った。追い駆けようとしたクニジ王はグラグラとへたり込んで両膝を突いた。
「みんな、なぜ逃げるんだよ。ボクのお蔭で競争相手がひとり減ったじゃないか…」
千夏と由紀子は丁度その場にが出くわしてしまった。
「首から血吹いてる人が居る!」
そこに内陸線鷹巣行きが到着したので、ホームのオタたちは我先にと大騒ぎで車内に乗り込んだ。発車の警笛が鳴り、千夏と由紀子も訳が分からぬまま、跪いて揺れている “ 物体 ” を避け、慌てて列車に飛び乗った。
内陸線が発車すると、温泉のフロント係が通報したらしく、警察官や救急隊員らが “ 事件 ” の起こった駅舎内に駆け込んで来た。出血して倒れている男の前で、無表情でゆらゆら揺れている中尾邦治が確保された。
パトカーが駅を出るのと入れ違いに、克好は柴内弘子と駅舎の階段を上がった。12時27分発の急行もりよし2号に乗るためだ。駅舎内は一部立ち入り禁止になり、鑑識官らの作業が始まっていた。
「何かあったのかしらね」
「大変だったんですよ」
駅舎温泉のフロントの三沢絹子が話し掛けて来た。
「人が刺されたんですよ」
「喧嘩ですか !?」
「痴話喧嘩みたいですよ」
「痴話喧嘩で !?」
「この土地の人たちじゃないみたいですけどね…」
それだけ言って三沢絹子はフロントに戻って行った。克好は、まさか自分の店の客同士が起こした事件だなどとは思いも寄らず、鑑識現場で塞がった駅舎を抜けてホームのベンチに腰掛けた。
「穏やかな田舎だと思ってましたが、事件ってどこでも起こる時は起こるもんですね」
「煩わしい思いをさせて申し訳ありません」
「御棚さんが謝ることはないわよ。あなたには関係ないんですもの」
関係大有りだった。間もなく電車がホームに入って来た。内陸線終着鷹巣駅から奥羽本線経由で午後3時半頃秋田に着いた克好は、予約していた店での遅めの昼食で柴内を持て成し、夕方の新幹線こまちで送り出した。克好はそれまで傷の痛みを耐え抜いて、やっと店に戻った。
床に入った克好が沈むように一気に眠りに入ったのも束の間、“ トン、トン、トン ”と耳障りなマリ突きの音で目が覚めた。音の先に目をやると蛇口から垂れている水滴の音だった。気怠い体を起こして栓を閉めた。“ トン、トン、トン ”…まだ音がする。背中に居る…振り向くとヨウ子がマリ突きをしていた。
「…やめろ」
マリ突きをやめたヨウ子が、克好にマリを差し出した。
「あんたの番だよ」
そのマリが万能のこぎりに変わった。
「もう逃げられないよ」
〈第22話「玄と龍三」につづく〉
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