第19話 克好の失恋

 もうすぐ立春だというのに、秋田は厳寒の真っ只中である。一日中アンダースローのように吹き付ける雪で、“ レトロに御用! ” の看板が真っ白に覆われていた。奥座敷に大友達也が訪れていた。バイセクのふたりは汗だくの裸体でとこの上に仰向けになり、白い息を弾ませていた。


「風邪引いちゃう。ボク、シャワー浴びるよ」


 達也が起き上がると、克好はかつてのように一緒に浴室に向かった。達也の体を流しながら、克好は久し振りの高揚感に浸った。


「今、どうしてるの?」

「相変わらずよ。最近お金持ちに出会ったから、克ちゃんにもお裾分けしてあげようと思って」

「地獄に仏だよ…達ちゃんは今、ボクのヒーロー」


 克好と左程歳の差もない達也は、高校の頃から美少年だった。当時、達也は40代の女性に声を掛けられたのをきっかけに、今の生活サイクルになった。その女と食事や買い物に付き合ううちに、習慣のように1万円もらったり、服や生活必需品を買ってもらうようになっていた。男の援助交際は性行為目当てが多いのに対し、その女の動機は寂しさを解消したいというだけのものだった。自分のスケジュールに合わせてもらえるし、回数を重ねるうち報酬も増えて行った。高校生のバイトより稼ぎが多い。達也は大学に進学した頃から複数の女性と同じような関係を持つようになり、学費や親の借金に回すサイクルになっていた。大学を卒業する頃になると、女の人数は二桁になった。そして、女たちには “ 共有 ” という無言のルールも出来た。達也は親の借金や奨学金を完済すると、生活が派手になったが、遊興費に事欠かくことはなかった。そればかりか、裕福な女同士が競争し合い、車やマンションをくれるようになって、資産も増えて行った。

 しかし、一人の女が熱くなったことで少しづつ歯車が狂うようになった。女の独占欲が暴走し、待ち伏せ、ストーカー、他の女たちへの妨害が頻繁になり、結婚まで強要されるようになった。他の女たちがその女にルール違反だと迫り、女同士の刃傷沙汰にまで発展したこともあった。しかし今、50を越えた達也のスポンサーたちは皆70を優に超えた高齢者となり、このところ、次々と黄泉の国に去り始め、達也の “ 収入 ” が激減していた。


 そんな中、達也は40代の富豪に出会い、息を吹き返した。


「今回、初めて年下なの」

「さぞ、いい女なんでしょうね?」

「男よ」


 克好の顔色が変わった。


「どうしたの克ちゃん、ジェラシー !?」

「ま、まさか!」

「そうよね…そんなの克ちゃんらしくないわよね。そろそろ、出ようか?」

「そうね…ボクは少し浴びてから出るよ」


 先に浴室を出る達也の後ろ姿を見て、克好は激しい孤独感に襲われた。


 克好は強いシャワーで不安を流し、浴室を出ると、部屋に達也の姿はなかった。テーブルの上に包みとメモが置かれていた。中に500万の現金と結婚式の招待状が入っていた。走り書きには “ 必ず出席してね ” とあった。


「…達ちゃん」


 克好はその場に座り込んだ。肩を震わせるその姿は、完全に女になっていた。後ろに誰か居る…克好が振り向くと、そこに父親の杵治が立っていた。


「なんでここに !?」


 杵治は厳しい形相で克好を見据え、折りたたみ式の万能のこぎりを差し出した。


「これであの玩具を切りなさい」

「玩具 !?」

「あんなもので遊ぶことは許さない。あんなものがあるからいけないんだ。さっさと切りなさい」

「ものじゃない! ボクの大事な友達だ!」

「あれはおまえの玩具だ!」

「玩具じゃない! 人間なんだ!」

「おまえは人間だって切れたじゃないか !?」

「あ…あれは…」

「さっさと切れ !!」

「もう、帰ったよ!」

「居るじゃないか、そこに」


 杵治は顎で克好の傍を差した。すると、帰ったはずの達也が丸太のように床に転がっていた。目を開け、口を開け、もう動かなくなっている。


「達ちゃん !?」

「さっさと切れーッ !!」

「お父さん…達ちゃんを殺したのか !?」

「さっさと切れと言ってるのが分からんのか !!」

「なんで殺したんだよ !?」

「おまえのためだ! そんな玩具があるから、おまえは駄目なんだ! 早く切れ!」

「嫌だ! 絶対に嫌だ!」

「嫌だだと !? あの娘は切ったじゃないか! なんでこの男は駄目なんだ!」

「あの時は…ボクは…子どもだったから…」

「子どものお前に出来たんだから、大人になった今なら楽なもんだろ! ぐだぐだ言ってねえで早くやれ! それとも何か? それはおまえの玩具じゃなく、おまえがそいつの玩具か? おまえはついに、下らん玩具に成り下がったのか?」

「・・・・・」

「…早く、切れ」


 克好は決心して達也の腕に万能のこぎりの刃を立てるた。すると、その姿がヨウ子に変わった。ヨウ子は克好に微笑んだ。


「また切るの?」


 克好は仰天して仰け反った。


「どうしたの? また切るんでしょ?」

「消えろ! あっちに行け!」


 ヨウ子は立ち上がった。


「来るな! 来ないでくれ! もうやめてくれ!」

「切らないの? しょうがないわね」


 ヨウ子はそう言って自分で右腕を千切って克好に差し出した。


「ほら、一番最初に切ったの、この腕だったよね」

「やめろ…」

「次に切ったのは…」


 ヨウ子は構わず、今度は左腕を噛み切って克好の前に放り投げた。克好は後退りすると、その手が這い寄って克好の足首を掴んが。


「放せ、話してくれ! もう消えてくれ!」

「さっさと切れーッ!」


 ヨウ子が杵治の声になった。


「いい年しやがって何がレトロに御用だ! 御用になるのはおまえだろ!」

「子どもだったんだ! 仕方がなかったんだ!」

「仕方がなくてこんなことをしたのか!」


 ヨウ子が激しく首を振って、克好の足下に転がし、その目は克好を睨み据えた。


「この店に特撮ファンなんかひとりも来やしねえ。みんな狂った特撮オタばっかじゃねえか」

「あいつらは偽物のファンだ! 特撮で狂ったんだ。ボクは違う」

「そう、おまえは違う。おまえはあいつらより狂ってる本物の狂人だ。さあ、狂人は狂人らしく償うんだ、このクソヲタ野郎! その万能のこぎりで、自分の両腕、両足、そして首を切ってこの世から失せろ!」

「嫌だ!」

「そうか、嫌か…」

「嫌だーッ!」

「勝手なものだな。人にはやっても、自分には嫌か…」

「許してくれ! ボクにはそんなこと出来ない…」

「私には出来たじゃない…仕方ないわね…なら、手伝ってやるわ」

「手伝う !?」

「切るのを手伝ってやるよ!」

「もうやめてくれーッ!」


 ヨウ子の千切れた腕が克好の両足をギュッと固定させ、足下の首がカッと目を見開いたかと思うと、克好の手は勝手に動き出した。そして、自分の左腕をガリガリと切り始めた。


「痛いっ! いだーーーーーっ !! やめてくれーッ!」

「私も痛かったよ。怖かったよ。苦しかったよ。おまえが憎かったよ!」


 そう言って、ヨウ子の首が克好の目の前に飛んで来た。克好は跳ね起きた。


「夢か…痛ッ!」


 見ると、左腕の鈍い切り口からどくどくと血が噴き出していた。その右手に万能のこぎりを持っていることに気付き、慌てて投げ捨てた。


「な、なんで !? 嫌だ! これも夢なんだろ! 早く覚めてくれーーーッ!」


 しかし、左腕の痛みも出血も止まらなかった。


「夢じゃないのか? やめてくれーッ!」


 克好は傷口を抑えながら、厳寒の闇で、寒さと痛みに震えながら夜明けを迎えた。店の外から聞こえて来る “ トントン、トントン ” というマリ突きの音に合わせて傷に痛みが走った。


「助けて…誰か…助けて…」


〈第20話「特撮オタを吸う店」につづく〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る