第18話 ヨウ子に誓ったこと

 謎の男は墓地に居た。幼児バラバラ死体遺棄事件の犠牲となった女の子の墓前に花を供え、静かに手を合わせた。


「もう少しだね、ヨウ子」


 彼の名は漆原玄。ヨウ子の父である。漆原玄は、まさか自分が幼い娘の葬儀で喪主になるなどとは思ってもいなかった。況してや喪主の挨拶など考えたくもなかった。葬儀屋が置いていった喪主挨拶の文例集には親や妻が亡くなった例ばかりで、子どもを亡くした親の挨拶例など載っていなかった。何も思い浮かばないまま、ご焼香の参列者に目をやった。誰もが棺の小ささに胸を詰まらせている姿を見て、必死に堪えている涙が勝手に出ようとする。しかし、あの棺の中はバラバラのヨウ子が入っているんだと思うと、悲しみより強い怒りが込み上げ、涙は引けた。


 参列した玩具屋の主夫妻がご焼香に立つと、外は俄かにヨウ子の殺された日のような雨脚になった。、夫妻は漆原夫妻の前で一礼した。玄は玩具屋の主に鋭い視線を上げ、睨み据えた。玩具屋の主は目を逸らして狼狽え、ご焼香の手を激しく震わせて、摘まんだ抹香を辺りに散らばせてしまった。玩具屋の主の妻は慌てて夫を引っ張り、葬儀会場から逃げるように去って行った。


 玩具屋の主は、ヨウ子の訴えを利用して、目の前で万引きをした克好を怒ることもなく、御棚家に慇懃無礼に玩具代の請求に上がって、その都度口止め料を貰っていた男だ。どの面下げてご焼香に来れたのか知らないが、ヨウ子の霊前で狼狽えたあの不様が取り敢えずの怒りの抑えどころにはなった。


 葬儀で何がつらいかと言えば、保護者がヨウ子と同じ年頃の娘を連れて来る姿を見ることだ。ヨウ子と一番仲の良かった愛梨沙ちゃんが目を腫らして泣きじゃくりながら、慣れないご焼香を上げてくれている。どんな思いやりの言葉より心に沁みる…つらく重苦しい空気に支配されたまま、腹立たしいほどゆっくりと時は過ぎて行った。


 斎場で火葬されて、出て来たヨウ子の骨の何と少ないことか…玄は一気に息も出来ないほどの悲しみが込み上げて来た。バラバラ死体で腐敗がひどく、遺体への最後のお別れすら出来なかった。あの愛らしいヨウ子から一気にこんな少ない骨になってしまった。葬儀を終えて、気が付けば妻や兄弟たちと昼食に向き合っていた。骨壺にどうやってお骨を入れたか…記憶が消えていた。祭壇の遺影、位牌を見ても誰が死んだんだろうと思うほど、今置かれた実感が湧かなかった。白いしけ絹包みに包まれた小さな骨壺が目に眩しい。


「玄…本気なのか?」


 玄の伯父が徐に聞いて来た。集まっている兄弟やその配偶者たちも心配そうに玄の返答に固唾を飲んで見守っていた。玄は伯父の言っている意味が分からなかった。


「何が?」

「喪主の挨拶で言ったことだよ」

「オレ、何か言ったっけ?」

「覚えてないのか、参列者が皆驚いてたぞ。気持ちは分かるけど…あれは…」

「何て言ったんだ?」

「覚えてないのか !?」

「…覚えてない…何も」


 一同は、肩透かしを食らった面持ちで溜息を洩らした。


「…そうか」

「実は、葬儀の途中から記憶がない。ヨウ子のちっぽけなお骨のことしか覚えて…」


 玄はそこでまた強烈な悲しみに襲われて、話すどころか呼吸もままならなくなった。妻はとっさに背中から夫を抱き締めた。


「あなた…ヨウ子の復讐をするんでしょ! 喪主の挨拶でヨウ子にそう誓ったでしょ!」


 妻の言葉で玄の脳が激しく動き出した…そうだ! オレは復讐を誓ったんだ! 何も言いたい事なんかなかった。葬儀に参列してくれたお礼を述べた後、ヨウ子に復讐を誓ったんだった! 思い出したぞ! 悲しんでる暇なんかないんだ! すぐに準備に取り掛からなければならないんだ!…玄は集まっている一同に正座した。


「みんなには、今日限りオレと縁を切ってもらいたい。オレは阿修羅になる。ヨウ子の復讐を果たさなければ死んでも死にきれない」

「そういうことは警察に…」

「警察に何が分かる。法に何が裁ける! 裁くのは父親のオレだ!」

「玄!」

「もう何も言わないでくれ…決めたことだ」


 妻の千代が間に入った。


「私もこの人と道を共にします。今までお世話になりましたが、ご縁がなかったものと…」

「そこまで言うなら、もう何も言わないよ。でもな、おれ達はいつだっておまえたちの味方だってことは忘れんでくれ」


 伯父の言葉に皆が頷いたが、玄と千代は無言で俯いたままだった。


 お通夜、告別式が夢の中の出来事のように過ぎた。一通りの後片付けも済んで、玄夫妻は沈黙の中に沈んでいった。時間が出来ると、地獄が始まった。娘のことだけを思う日々が続いた。妻とふたり、ヨウ子を守れなかった後悔が襲い、強迫性障害に悩まされた。時間が解決してくれると只管自分に言い聞かせたが、その時間の長さは気が遠くなるほどの長さだった。復讐するにしたって、何から準備していいのか途方に暮れていた。


 そんなある日、千代は松橋龍三のことを思い出した。千代は龍三が劇団結成の時の創立メンバーの一人だった。玄との結婚を機に退団して久しかったが、当時、龍三が特撮オタの悪質な誹謗中傷に悩まされていたことを思い出した。

 夫の調査によれば、加害者であることがほぼ間違いない御棚克好は、金の力で法律と警察と弁護士の分厚い壁に守られ、のうのうと暮らしている。御棚克好の包囲網を突破できるとすれば、特撮オタであることで親や交友関係に歪みを生じさせているということだ。敵を知るために龍三の協力が不可欠と思った千代は、思い切ってひとり秋田の龍三の後援会事務所を訪ねることにした。


 龍三は千代のために帰省し、事務所で待っていてくれた。


「千代さんが退団するのは痛手だったが、結婚の喜びの方が勝ったんで仕方なくというところだったね。懐かしいね」

「その節はわがままを快く受け入れてくれて本当に感謝しています。そんな身勝手をしておきながら、今回また身勝手なご相談で…」

「ご主人の言うとおりにしたらいい」


 龍三は間髪入れずに結論を告げた。その一言で千代は救われた。


「千代さんの結婚を応援したんだ。結婚後のことも応援するよ…何だって応援する」


 千代はこれまで張り詰めていた重圧が一気に解れた思いだった。


「…夫の目的を…どうサポートしていけばいいのか…」

「復讐が犯罪として成立しなければいいんだ。相手の弁護士だって、警察だって法律に基づいて動く。我々も法律に基づいて動くだけだ」


 千代には龍三の言っている意味が分からなかったが、龍三には千代の夫の目的を達成させてやるだけの充分な勝算があった。

 タイミングのいいことに、後援会の理事・松橋恒夫が地元不動産屋の松橋竹男から、御棚克好が特撮関連の店舗を出すんで借りたいという話が来ていることについて相談を受けていた。ゴミクズオッター通りの怪事件があったばかりである。特撮関連の事情には精通していた龍三の後援会は、竹男にしてみれば、賃貸契約仲介後にまた何か問題が起こった場合の保険のつもりの協力要請だった。


 この地一帯の集落が、かつての限界集落化から息を吹き返したのは、阿仁川火葬船構想が実現したお蔭である。当時、集落一帯の人々は口々に念じた。『ここは火葬船桟橋のある村。善い人だけが暮らす村。悪い人が消える村』…善い人だけが暮らし、悪い人は消える村なのだ。この内陸線・阿仁前田駅を9駅下ったところに比立内駅がある。かつて鬼ノ子村と呼ばれた頃に、村の長老の松橋貞八の指揮で火葬船構想が実現した。その後、龍三は貞八から集落の掟を受け継いだ男なのだ。


「千代さん、下田を引き払ってこの地に身を隠す気があるかい?」


 千代は絶句した。復讐のリスクは大きいとは思っていたが、龍三の言っている言葉には恐ろしいほどに現実感があった。


「夫と相談してみます」

「復讐は急ぐ必要はない。じっくり話し合って決めてたらいい」


 玄夫妻はそれから間もなく、下田をたたんで龍三の元に飛び込んで行ったのだ。


〈第19話「克好の失恋」につづく〉

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