第16話 白いラムネの魔力

 克好はひとり元日の朝を迎えていた。夜更けから遠くの寺で除夜の鐘が鳴っていたが二桁も聞かないうちに眠りに入ったと思ったら夜が明けていた。実家暮らしでお仕着せの初日の出への合掌、初詣、けばけばしいだけのお節料理など無縁の開放的な朝を迎えていた。元日だからって何の意味もない。昨日が過ぎて今日になっただけだ。克好はいつものように気怠く起き上がって台所に立った。台所に立ったところでやることはいつも同じだった。インスタントラーメンを茹でて腹ごしらえをするだけだ。


 どうしたことだろう…元日だと言うのに店の外が騒々しい。人の声や戸を叩くような音がする。商店会で正月か何かの空騒ぎイベントでもやっているのだろうと思い、無視してラーメンを啜り始めた。飽きた味に茹で過ぎて麺が伸びていたので、一口啜ってやめた。店の表が煩い。戸を叩く音も強くなっている。ムッとしながら店に向かうと、シャッターを下ろし忘れていた。カーテン越しに大勢の人影が蠢いていた。


「すみませーん! すみませーん!」


 克好は表の声にうんざりしながらカーテンを開けると、店が開くのを待ち切れない大勢の客が集まっていた。克好は“ しまった ” と思ってカウンターに振り返った。昨夜貼り忘れた“ 元日から三日までお休みします ” の紙がそのままになっていた。

 克好は店を開けるしかなかった。客たちがどっと中に雪崩れ込んでカウンターの前に列を作った。克好は慌ててカウンターに戻った。


「どうしました、皆さん !?」

「奥園桃子のマシンガンがまだあると聞きましたが、本当ですか!」

「そんな情報を、どこで !?」

「本当にあるなら50万で売ってくれませんか!」

「ずるいぞ! 勝手に交渉するな!」

「そうだ! くじ引きで買う権利を決めてよ!」

「競りがいい! 競りにしてください!」


 特撮ファンたちが一斉に騒ぎ出して収拾がつかなくなった。店内で揉み合う連中も出た。一角の駄菓子コーナーに突き飛ばされる客が出て騒ぎが一瞬静まった。


「お客さん、傷付けた商品は全て買い取っていただきますから、買い物カゴに入れて、カウンターで精算してください」


 突き飛ばされた客は突き飛ばした客を睨んだ。突き飛ばした客はソロソロと買い物カゴを取り出して散乱した商品を拾い始めた。


「皆さんがお求めの商品は確かに一点あります」


 来店者から歓声が上がった。


「この商品は皆さんも当然ご存じのように、『任侠スパイ桜組』という番組でヒロインの奥園桃子が愛用したマシンガンです。ヒロインが海外ロケで失踪するという迷宮事件のいわく付きの番組で、当時発禁となった希少な商品ですので、かなりの高額なグッズです。情報の出処がどこなのか分かりませんが、こうして皆さんが元日からお越しになってくださったわけですから、この中のどなたかに是非お譲りしたいと思います」


 再び歓声が上がった。


「平等を期す意味では、イングリッシュ・オークションが一番いいと思います。先程、50万のお声が挙がりましたが、説明したとおり希少さから判断して100万から始めたいと思いますが如何でしょうか?」


 克好は言ってから“ しまった ” と思った。この頃、咄嗟に後悔する言葉を良く吐く。このスタートの額は低過ぎたと後悔したが既に遅かった。小刻みに声が挙がって、どうにか150万までは達したが、そこで一旦止まってしまった。


「150万が出ました。他にいませんか?」

「151万!」

「152万!」


 克好の心の声の罵倒が始まった。“ クソッ、まだあのアラカン婦女子のほうがマシだな。てめえら貧乏人の偽特撮ファンのくせに、そんな小金でこのグッズを買い取れると思ったのか! ”・・・克好は、今更ながらに店を開けなければ良かったと後悔した。


「160万!」

「160万が出ました! 他に居ませんか!」


 声はそこで沈黙した。店内のあちこちで不快な溜息が洩れた。


「では、160万で競り落ちました。おめでとう!」


 競り落とした男は高揚して茶封筒から160万の現金を出して、震える手で克好に渡した。克好はマシンガンの入った箱を包装紙に包み、不本意ながら男に渡した。男は誇らしげに包みを抱え、羨ましげに見守る特撮ファンを掻き分けて店を出て行った。いや、特撮ファンらは羨ましげに見守っていたわけではなかった。その目は殺気立っていた。そして、まるで何かに憑りつかれたように男の後に続いて店を出て行った。


 マシンガンを競り落とした男は、ゾロゾロと付いて来る殺気立った特撮ファンに振り向いて止まった。すると、特撮ファンらも止まった。男は歩き出した。またゾロゾロと足音が付いて来た。男は走った。足音も走った…急速に走り寄って来た。全員が男を囲んだ状態で走っている。恐怖を覚えた男は慌てて止まった。一人の特撮ファンに突き飛ばされ、男は転んだ。それをきっかけに集団暴力が始まった。たまたま通り掛かった老人が一部始終を見ていた。


「おまえたち、何をしている!」


 通り掛かって怒鳴ったのは地元の便利屋・藤田源治だった。男に乱暴していた特撮ファンたちは一斉に駅に向かって逃げて行った。


「なんだよ、小心者の集まりじゃねえか…あんた、大丈夫か !?」

「ボクに触るな!」


 男はマシンガンの包みを大事そうに抱え、老人にすら敵意を剝き出しにしてフラフラしながら駅に向かった。


 店で克好はが憮然としていた。そこに謎の男が現れた


「あけましておめでとうございます…いくらで売れましたか?」

「…160万で売れました」

「・・・・・」


 克好は無言の謎の男に不安になった。謎の男の顔が綻んだ。克好はホッとしたが、次の一言で凍り付いた。


「話になりませんね」

「え !?」

「誰がそんな値を決めたんです?」

「特撮ファンたちの競りで…」

「仮にも商売なさっているあなたが、ド素人にあの希少なグッズの値を付けさせたんですか !?」

「・・・!」

「すぐに駄賃を上乗せして買い戻したほうがいいですよ」

「しかし、連絡先が…」

「高額取引の相手の連絡先も把握しないんですか? あきれた経営ですね。あなた方はどこまでも匿名のお付き合いですか?」

「・・・・・」

「あの商品の現在の値がどのくらいすると思いますか?」

「160万より上なんですね」


 克好は恐る恐る受け入れ難い答えを窺った。


「“より上 !? ” …程度の額ではありません。800万です」

「800万 !?」

「あなたは640万を、縁も所縁もない、そしてあなたが軽蔑する偽特撮ファンにくれてやったわけです」


 克好は腰から足に掛けて強烈な悪寒が走り、立っているのがやっとだった。


「まだ駅に居ますよ、きっと」


 自尊心を圧し折られた気になった克好は、自分を好きなように転がそうとする謎の男に急に怒りが込み上げて来た。


「どうしてボクなんかに売りに来るんですか!」

「あなたは誰よりも自分こそが本物の特撮ファンだと自負なさるからですよ。違うんですか? 違うと認めるなら、もう売りになんか来ませんよ」

「・・・・・」

「ほら、もうすぐ内陸線が到着する時間ですよ。急がないとマシンガンが手の届かない所に行ってしまいますよ。上乗せする10万をお貸ししましょう」


 謎の男は10万をカウンターの上に置いた。暫く札束を見ていた克好だったが、意を決して売りげの160万とカウンターの上の10万を持って店を飛び出して行った。


 克好が駅に着くと、内陸線が発車したばかりだった。慌ててホームに駆け寄ったが、電車はどんどん遠くなって行った。がっくりして駅舎に戻ると、競り落とした男がひとりグッズを抱えて椅子に座って居た。克好は歓喜して駆け寄った。


「お客さん、いい話があります! あなたが買ったばかりのそのマシンガンをもっと高く買いたいという人が…」


 そこまで言って、克好は男の異常に気付いた。マシンガンを抱いて死んでいる。開いたままの目は既にこの世を見ていなかった。克好は人を呼びに駅舎クウィンス森吉の温泉フロントに向かおうとして思い留まった。悪魔が囁いたのだ…誰も居ない。ここで男が抱きかかえた800万のグッズを奪い返せば全て上手く行く。克好は男の腕からグッズを引っ張った。抱えた男の腕がびくともしない。仕方なく男の腕をグイッと引くと、ボキッと音がしてマネキンのようにだらりと下がった。震える手でもう片方の腕も引っ張った。ボキッと音がしてだらりと下がった。そっとマシンガンに伸ばした手に、男の涎がタラーッと落ちて甲を舐めた。克好は背骨の芯にざわざわ悪寒が走って思わず叫びそうになったが絶えた。温泉フロントに目をやった。係の中年女性・三沢絹子は暇に任せてうたた寝をしていた。

 克好は人目に付かないよう急いで駅舎の階段を下りかけたが、慌てて駅舎内に戻って身を隠した。駅の駐車場に松橋英雄が運転する中型バスが入って来た。側面には “ 火葬船桟橋送迎車 ” とあった。克好は、バスから降りて来る大勢の客に出会ったらまずいことになる…と思ったが、客は一人も乗っていなかった。建物の裏から駅舎温泉のボイラー係をやっている西根万蔵が出て来て、駐車スペースにバスを誘導し始めた。温泉の宿泊客を迎えに来たんだろうか…何れにしても、ここでもたもたしていたらまずいことになると思った克好は、急いで階段を駆け下りて帰途に就いた。


 その数日後のことだった。ネットサーフィンをしていた克好の目が釘付けになった。週刊 “ 文潮 ” の見出し記事に、奥園桃子の名前が載っていた。それは、彼女が出演した特撮番組のグッズを競り落とした男が行方不明になったという記事だった。もし記事の内容に、駅舎で魔が差した自分のことが載っていたらと、身の置き所のない不安に駆られた。


〈第17話「特撮グッズ患者たち」につづく〉

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