第15話 特撮グッズという麻薬

 店の運営資金が底を突いた克好は、店番をしながら肘掛椅子に座り、途方に暮れていた。謎の男が現れたことによって、手に入るはずのない超レアな特撮グッズで一儲けした現実は一瞬で泡と消えた。悪い夢でも見たような脱力感に襲われていた。強盗に遭ったことを警察に届けようにも、強引な営利運営を晒すことになるのは気が進まなかった。愛海一派の犯行であることは分かっていたが、もしこれで彼らの妨害が終息するなら、このままでいいのかなとも思えた。


 しかし、これからの店の運営は自転車操業になる…などと悶々としながら店の外に目をやった…また現れた。女の子がこちらを指差して満足げに微笑んでいる。しかし、克好は恐怖を覚える感覚も、立ち向かう気力も失せていた。

 ふと、カウンターの隅に置いた処方薬の袋に目が行き、手を伸ばした。そういえば、病院に行ったはいいが、処方された薬を一度も飲んでいなかった。見ると一日三回の錠剤と症状が出た時の頓服薬が入っていた。“ 飲んでみるか ” と思った時、弱い風が微かに顔を撫でた。見ると、いつの間にか女の子がカウンターの前の小さな袋を指差して微笑んでいる。そこにあるのは見慣れない小さな紙袋だった。“ そうだ、あの男が処方薬よりずっといい薬だと言って置いて行った何かの薬だ…何の薬だ? ” ・・・女の子に目を戻すと既に居なかった。


克好は謎の男が置いて行った小さな紙袋から薬を出した。ラムネのような包みの中に白い錠剤が10個並んで入っていた。恐る恐る一個を口に入れて見た。すぐに融けた…甘い。ラムネそっくりだった…いや、ラムネだ。克好は謎の男に担がれたと思った。暇に任せて、ひとつ、またひとつと抓むうち、ラムネを掴もうとする指が空振りした。全部食べてしまった。


 店内が混んでいた。どうしたというのだろう…いつにない混み具合だ。来店者の中には店頭イベントで見た顔もある。何気に麻生真尋を探したが居なかった。殆どは県内か近県の特撮ファンだろう。東北地方の方言が漂っている。克好は、真尋が居たところで困ると思った。あのアラカン婦女子如きに、また上から目線でレアな特撮グッズを要求されたところで、もう提供できる状態ではなくなった。

 ところが、この日以来、次第に観光目的の特撮オタらの来店が急増した。かつて心霊スポットとして話題になったこともある片田舎の商店街にある克好の店が、特撮ファンをどんどん引き寄せるようになった。克好の心配とは裏腹に、店の売り上げが増え、どうにか自転車操業だけは免れて大晦日を迎えることが出来た。

最後の来店客が店を出た夕暮に、店を閉めようと肘掛椅子から立ち上がろうとした克好が中腰で止まった。入口に謎の男が立っていた。


「ご繁盛のようですね」

「ええ、お陰様で何とか…」

「いいモノがあるんですが…」


 冴えない克好の表情を読んだ謎の男は、言葉を止めた。


「欲しいのは山々なんですが…今は…その…」

「随分儲かったはずじゃありませんか?」

「はい…儲けさせていただいたんですが…」

「どうしました?」


 克好は言葉に詰まった。謎の男は構わずカバンの中から特撮グッズを取り出してカウンターの上に置いた。


「こ、これは! 有り得ない! これが存在するなどあり得ない! 凄い!」


 克好は懐事情とは関係なく、その目が勝手に輝いた。凡そ60年ほど前に日本のテレビ史上初の海外ロケが行われた『任侠スパイ桜組』という番組でヒロイン役の奥園桃子が颯爽と悪を倒したマシンガンの特撮グッズだ。この番組の主演の桜組・組長の團國彦は80歳を越える高齢の身ながら、数年前にこの須又温泉でのイベントに参加し、他の俳優や多くの特撮ファンとともに謎の死を遂げていた。

 件の番組女優であるこのマシンガン愛用の桜組ヒロイン・奥園桃子は、最終回の海部外ロケ先で、撮影の途中に謎の失踪を遂げて迷宮となった事件の、今や伝説的女優である。視聴率も上々で番組延長が予定されていたが、彼女の失踪で番組は敢え無く打ち切りとなった。その後、発売中だった特撮グッズのマシンガンは発売禁止となって回収された商品である。そういう意味で、謎の男の持って来た奥園桃子のマシンガンはかなりのレアグッズなのだ。謎の男は、絶句している克好の心を見通していた。。


「どうします?」


 しばらく無言だった克好のかすれた声が空をさ迷った。


「強盗に遭いまして…買い求めたくても…どうにもならないんです」

「そうでしたか」

「折角お持ちいただいたのに申し訳ありません」


 と言いながら、克好の目は奥園桃子のマシンガンに釘付けになっていた。


「お譲りしても宜しいですよ」

「え !? 今、何と仰いました !?」

「お譲りしても宜しいですよと申し上げました」

「しかし、ボクにはこの商品を買う資金がないんですよ?」

「お貸ししましょう、この商品を買い求める金額を。あなたがいくら儲けるかは私には関心ありません。このマシンガンを機に、あなたの裁量で利益を上げて、次に私が持ってくる特撮グッズを買い求め、更に利益を上げられるよう頑張ってください」

「本当ですか! …しかし、この商品の価格は一体如何程ですか?」

「ゲームをしましょう」

「ゲーム !?」

「私はこの商品の値をあなたには申しません。しかし、あなたはこの商品をいくらで売っても構いません。売れた後、数字合わせをしましょう。それがお貸しする条件です」

「もし、私の販売価格が低かったら…」

「その分、あなたに損益が出るということですね」

「・・・・・」

「どうします?」


 克好は判断に困った。暫くその様子を窺っていた謎の男は、いつものように徐にそのグッズをカバンに仕舞おうとした。


「待ってください!」

「あなたが特撮に命を賭けている人間なら、迷う事などないはずです。迷う分、あなたも偽物なんじゃありませんか? 迷うということは、あなたが軽蔑する他の特撮ファンと、あなたも同じ人種だということになりますよ」

「違います! ボクは他の特撮ファンとは違います! そのマシンガンをこのカウンターの上に戻してください!」


 謎の男は克好をじっと見ていた。


「お願いします! ボクにチャンスをください!」


 謎の男は再びカバンの中からマシンガンを取り出して、カウンターの上に置いた。


「いいですか? このゲームは後戻りはできませんよ。特撮ファン界の恥の権化であるクソヲタなる人種のようなことをすると、あなたの人生がただでは済まされなくなりますよ」

「はい!」


 勢いよく返事はしたものの、既に克好は後悔していた。この男のゲームに乗るべきではなかった。一体、このマシンガンをいくらで売れば利益を生み出せるというのだ。利益を生み出せなかったら次はどうなってしまうのだろう。損益を返す当てなどない。どう考えてもこのゲームは不利だ。どうして乗ってしまったんだろう…などと不安が錯綜していると、謎の男はカウンターの上に小さな紙袋を出した。


「これ、サービスです」

「何ですか、これ?」

「処方薬などよりずっといい薬ですよ」

「ああ、これラムネですよね。先日頂いた時は何かと思いましたよ。ヤバい薬なんじゃないかとね」


 克好は力なく同調を得る意味で微笑んだが、謎の男は無表情だった。


「売れた頃にまた来ます」


 そう言って謎の男は店を出て行った。大晦日の商店街はこれから多くの人々で賑わう時間帯のはずだが、シャッター通りの須又商店街には時折重い根雪がまばらに吹き込んで来るだけだった。

 克好は謎の男が置いて行った小さな袋を開けた。やはり前回と同じラムネが入っていた。“チッ、こんなものを大層にサービスだなどと…”と思いながら、克好は不機嫌にひとつ、ふたつと口に運んでいた。


〈第16話「白いラムネの魔力」につづく〉

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