第13話 うたた寝

 数日後、杵治が出社しないのを心配して訪ねて来た社員によって死体が発見された。杵治は自らの手で万能のこぎりの刃を右目から脳に貫いた状態で発見された。皮肉にも、警察は早々に自殺と断定して幕引きとなった。下田の一集落を牛耳って来た御棚家は克好以降の跡取りもなく、呆気なく悪運尽きる結果となった。


 警察は消息を絶った妻や、問題ばかりを起こして育った息子の行方などには前向きではなく、親族からの申し出があるまで遺体を管理することになった。そんな事態になっているなどとは知らず、克好は今日も店の暇に任せて処方された薬の力を借りて転寝に耽っていた。それというのも、起きていると先端恐怖症に悩まされ、女の子が指差す幻覚に強烈なストレスを覚えて平常ではいられなくなっていたからだ。


 克好は見知らぬ土地を歩いていた。街頭でビラ配りをしている男が克好にそのビラを渡して来た。そのビラは、自分が手に掛けた女の子の情報集めのためのビラだった。克好はとっさに受け取りを拒否してその場を離れた。暫く歩くと、またビラを配っている男が近付いて来たので、克好は身を翻して男から離れて路地に入った。通り抜けようと出口に向かうと、そこでビラを渡そうとする男が真正面に立った。


「しつこいぞ!」

「これは、あなたに頼まれたものですよ」

「そんなもの頼むわけないだろ!」

「要らないのかね?」

「要りませんよ!」

「本当に要らないのですね?」

「あなたもしつこいな! 要らないと言ったら要らないんだよ!」

「これは、あなたの客が求めていたはずの、影菱仮面が『ジャガー・マークⅡ』に乗った電動式のブリキの玩具なんですが、本当に要らないんですね?」

「えっ !? 今、何て言いました !?」

「ですから、影菱仮面が『ジャガー・マークⅡ』に乗った電動式のブリキの玩具です」


 克好は、店に来た謎の男に起こされて、やっと正気に戻った。


「あなた、薬をやってましたね」

「ち、違います! 病院の処方薬で強い眠気に襲われていたもので…」

「もっといいのが欲しければ、次回お持ちしましょうか?」

「いえ、結構です」

「この品はどうしますか?」


 克好は、謎の男が持ってきた現物を見てはっきりと目が覚めた。確かに影菱仮面が『ジャガー・マークⅡ』に乗った電動式のブリキの玩具だ。信じ難いが紛れもなく本物だ…本物が目の前にある。箱も本体も極めて状態が良い。


「こ、これが、これだけの状態で現存しているとは!」


 克好は絶句した。


「お買いになりますか?」

「…おいくらですか?」


 克好は恐る恐る聞いた。しかし、謎の男は無言だった。


「あの…ネット上では価格設定がされていませんから、数字に出せないほどの超希少な商品であることは分かります。とは言え、ここに持って来られたということは、私にも買えるかもしれない価格だということなんでしょうか?」

「あなたは、いくら出せます?」


 克好は頭がくらくらした。この商品を買うというお客が居ることは確かだ。自分に支払い不可能な高額となれば、間に入るリスクは高い。予約客に購入を取消されたら元も子もない。かと言って、間に入らなければ利益にならない。前回この男が持って来た影菱仮面がオートバイに乗ったブリキの玩具は80万で買い入れて、あのアラカン婦女子に200万で売り付けてやった。恐らくこの商品は200~300万ぐらいの値はするだろう。克好があれこれ値踏みしていると、謎の男は品物をバッグに仕舞おうと手を伸ばした。


「無理ならばこれで…」

「待ってください! 買います!」


 克好は咄嗟に言葉に出してしまった。謎の男は半ば品物をバッグに入れながら答えた。


「では、今すぐ500万、キャッシュで」

「500万!」

「用意できますか?」


 そう言って謎の男は冷徹なまでの無表情で克好を見ていた。


「…お支払いします」


 力ない言葉が克好の口から零れた。500万という額は克好にとって当面の運営資金の持ち金の全てだった。克好は重い足取りで奥に向かい、金庫の前に頽れた。ダイヤルを回す手が小刻みに震えて、中々開けられない。やっと現金を手に店に戻ると謎の男の姿は消えていた。急いで店の外を覘いたが謎の男の姿はなかった。店の中に戻った克好は、肘掛椅子にがっくりと腰を落とした。暫く考え込んでいた克好は、仕方なく金庫に現金を戻そうと奥に向かった。


「ごめんください」


 声に振り向くと、謎の男が立っていた。


「良かった! 帰ったんじゃなかったんですね!」

「はあ?」

「帰ってしまわれたかと思いました」

「私は今来たばかりですが !?」

「えっ !? でもさっき…」

「あなた、何かやばい薬でもやってましたね」

「ち、違います! 病院の薬で強い眠気に襲われていたもので…」

「そうですか…もっといいものをご入用の時は声を掛けてください」


 そう言って謎の男はニヤリとした。克好の言い訳に構わず、謎の男はカバンから品物を出した。それは、影菱仮面が『ジャガー・マークⅡ』に乗った電動式のブリキの玩具だった。克好はデジャブーかと思った。同じことが繰り返されている。夢だと自分はこの後、金庫に走って500万を用意した…が、既に今その金を手に持っている…何が起こっている…克好は混乱した。


「どうなさいますか?」

「え…」

「この品物ですよ」

「ああ…買います!」


 克好は即答した。


「では、今すぐ500万、キャッシュで」


 やはりデジャブーだと克好は思った…謎の男はデジャブーと同じ金額を提示し、さっきと同じく無表情で自分を見ている…克好は手に持った500万を差し出した。


「準備がいいですね」


 謎の男は現金をカバンに放り込むと、カウンターの上に小さな紙袋を出した。


「これ、サービスです」

「何ですか、これ?」

「処方薬などよりずっといい薬ですよ」


 そう言いながら謎の男はさっさと店を出て行った。


〈第14話「ブリキのレアグッズ」につづく〉

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