第10話 クソヲタとその親
下田を去る最後の日、克好は昨日の悔しさで一睡もできなかった。ベッドの中で特オタに対する憎しみが口から溢れ出し、憑りつかれたように呟いて夜を明かした。
「幼少期に全てが決まるんだよ。子どもが純粋な心で興味を持ったものを、親の勝手なエゴで破壊されたら、どれだけ傷付くか分かりそうなものだ。ボクは、父親に復讐するためにはどんな迫害を受けようとも特撮を愛し続けると決めたんだ。それを何だ、軽はずみな特撮熱に浮かされた連中が、特撮ヒーロー番組をくどくどと語りやがって!
役者の演技どころか、脚本家にまで一端の評論家気取りの上から目線で偉そうにほざいて、その癖、関係者には急に弱腰だし、スキャンダラスな噂があると裏取りもせずにすぐに攻撃側に流される。かと思えば、意見が違う相手には匿名という卑怯な防具を纏って、嘘吐いてまで批判しやがる。正義に酔いながら、自分はと言えば全く逆のことをしてやがる。指摘されたら逆ギレ、逆恨みで激情して、特撮オタどころか特撮俳優までも陥れようと必死こいて、悪役そのものだろ。狂った特撮オタどもにはうんざりだ。あんなやつらと同じ船に乗っていたら、ボクの心は益々病んでいく。まったく大迷惑な人災だよ。
どっか、特撮オタが自滅していく聖域のような土地はないんだろうか…いや、ボクが作らなければならない。やつらは独りよがりのくせに徒党を組みたがる。その連中を誘い出して、一気に掃除をする聖域を作らなければならないんだ。それこそボクの正義だ。ボクが特撮ヒーロー番組から学んだ正義は、ゲスな特撮オタを退治することなんだ。
ヒーロー番組が醸す正義を歪ませて大人になった成れの果ての特撮オタという精神的奇形児は、真面な特撮ファンとは全く異質な存在なんだよ。同じ特撮ファンにすら、その溢れんばかりの異様な姿態を気味悪がられているくせに、調子に乗るんじゃないよ。てめえらのせいで特撮オタはキモイ、自己中と変態呼ばわりされんだよ。
特撮ヒロインの股間の食い込みに妄想を垂れ流して、何が正義を愛する特撮ファンだよ。特撮オタは仲間に風評被害をばら撒く犯罪者以外のなにものでもない。ボクが特撮オタにどんな制裁を加えようと、それは正義であり許されることだ」
克好の憎しみを母の声が破った。
「克好、いつまで寝てるの! ご飯よ!」
克好はやっと我に返った。外は雨が真下に落ちていた。
食卓に向かうと、既に敵の首領が椅子に座り、朝刊を広げていた。克好は、自分を万引きにまで追い詰めたこの父親を、自分の世界を破壊する悪の権化と位置付け、表向き従順に現在まで生きて来た。しかし、社会人になってからひとつだけ譲らなかったことがある。自分の稼いだ給料は、これ見よがしに特撮グッズや関連活動に費やし、正義の反抗をし続けて来た。
今日はやっとその毒親から距離的にも開放される日の最後の朝食だった。母親がいつの間にか朝食のテーブルに着いている女の子を不審げに思った。
「どこの子?」
「何が?」
「その子よ」
「どの子?」
「何言ってるの、あなたの隣に座って居るでしょ?」
克好の食事の手が止まった。
「誰も居ないだろ!」
克好の父親・御棚杵治が一括すると妻の
「お前、どうかしてるんじゃないのか !? 誰も居ないだろ!」
「…はい」
頷いたものの、茶葉子は夫の怯えを見逃さなかった。あの時と同じだった。
杵治は犬を連れた若い女性を見ると、体が硬直する時期があった。杵治には見えても茶葉子には見えない何かに怯える毎日だった。めったなことでそんな弱い態度は取らない夫だった。杵治は極端な男尊女卑思考で、結婚後は茶葉子を暴力でねじ伏せることもしばしばだった。
杵治の威圧的な言葉は、茶葉子のPTSDとなって、少しのきっかけでも思考停止に陥るようになり、結婚生活での忍耐を強いられていた。
克好が生まれると、杵治のDVは治まった。しかし、克好の自我が芽生える時期に入り、父親の思うままにならならない克好に対し、次第に威圧的になっていった。杵治が克好を怒鳴る度に、茶葉子はPTSDがぶり返して思考停止に陥り、、克好が折檻を受けて助けを求めても庇うことが出来なかった。
今、食卓に居る見知らぬ女の子は、杵治にだって見えていることは分かっていたが、茶葉子は夫に又何か起こっていると直感しながら黙った。
この朝食を済ませれば、克好は家業を継がずに遠くへ巣立って行く。最後の父親への反抗だと、茶葉子は内心ホッとしていた。しかし、そうなれば、夫の自分に対するDVが再び始まるだろうことは、茶葉子には予測出来ていたので、克好が巣立ち、夫が出掛けたら、今日限り身を隠そうと心に決めていた。
茶葉子は今朝と同じあの雨の夜のことを思い出していた。
克好はまだ小学6年生だった。遅く帰った杵治は玄関の横に置かれたブリキのゴミ箱から黒い液体が漏れているのを不審に思って蓋を開けてみた。ゴミ袋を開けると子どものバラバラ死体が入っていた。その袋の中には克好に命じて切断させたブリキの玩具と万能のこぎりが入っていた。
杵治は車を飛ばした。自分の所有する
「許してくれ! 堪えてくれ!」
杵治の前に現れた女は、この土地で起こったレイプ殺人事件の被害者である。犯人は現在服役中だが、被害者であるその女は未だ今生をさ迷っていた。
朝食を終えた克好はテーブルを立った。
「ごちそうさま」
克好は豪雨の中、いつも通りに家を出た。100メートル程歩いて自分の家の方に振り返った。丁度、父親の車が家を出るところだった。克好はとっさに路地の隙間に身を隠し、父親の車が通り過ぎて行くのを見送った。
克好は、敵の首領のアジトからの脱出に成功した。杵治も茶葉子も、克好がいつものように下田の特撮グッズ店に出勤するものと思っていた。しかし、下田の店は昨年限りで閉めていた。母親に本当のことを話せば父親に筒抜けになった。母親は父親に隠し事を持ってはならない存在で、それが息子を追い詰めることになろうとお構いなしに父親の知るところとなり、体罰に至った。中学生になった頃から克好は両親に相談することを一切やめた。
成人した克好は御棚家から脱出する機会を狙っていた。不動産業の父親の後継話には一切耳を傾けなかった。父親他界の相続の折りには全てを売却しようと考えていた。克好にとって御棚家は悪の枢軸である。殲滅しなければならない標的だった。
克好はいつものように特撮情報サイトをネットサーフィンしていた時、目を引いた書き込みがあった。所謂、2ちゃんねるの晒しスレの中に、秋田の片田舎での特撮オタ連続凍死事件のレス記事を見付けたのだ。特撮オタだけが死亡した集落がある…“ これだ! ” と思った。自分が店を開くには家からも距離的に遠い絶好の場所かもしれない。インチキオタ狩りをするのは自分に与えられた使命だと思っていた矢先、この記事が目に触れるというのは何か必然性があるに違いないと思った。下手に世間の誤解を生むような風評加害者の特撮オタどもの奇行が、自分の父親のような偏見に満ちた特撮嫌いの首領を生み出してしまう。自分はクソヲタの犠牲者だ…それからの克好の行動は早かった。
克好が秋田の片田舎を往復して、開店の準備をしていた頃、御棚家のことを嗅ぎ回っている人物がいた。御棚家に関わる忌まわしい噂は、それまでにも何度となく流れた事があるが、その度にタブーなこととして地元の見えない力が働いて消えていった。
祖母の自殺…いや、それは酒癖の悪い祖父の手に掛かって殺されたのだが、警察は明らかな暴力行為を立証できる証拠は見当たらないとして、御棚家の申告のまま自殺で処理された。酔いに任せた祖父は祖母の首にロープを絡め、物置の梁に吊り下げて怒鳴った。
「ボケやがった役立たずは処分するしかねえ! もうあの世に行け!」
克好がまだ幼い頃、土地で起こったレイプ殺人事件が起こった。逮捕されて実刑となり、服役しているのは杵治の会社の下請けの男だった。今、残された妻子は裕福な生活を送っている。当時から言い知れない違和感は噂となって溢れ出しては閉じ込められてきた。しかし、噂は地べたを這うようにこびり付き、徐々に綻びを来し始めていた。
「あの家は呪われている」
〈第11話「重い口」につづく〉
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