第7話 影菱仮面の思い出
雨が降っていたあの日、小学6年生の尾棚克好は昭和特撮人気番組の影菱仮面がオートバイに乗ったブリキの玩具の残骸を手に、少女と向かい合っていた。
雨に濡れたまま路地裏に佇んで、その玩具を抱き締めた。少女は克好を咎めた。
「もう逃げられないよ」
少しすると、玩具屋の店主や警察官ら大人たちがドタドタとやって来た。
「この子よ。この子が盗んだ」
少年は逃げた。大人たちが居って来る。今起こっていることがこの雨で全部消えればいいと思いながら少年は必死に走った。突然、少年の腕が大人の手で捕らえられた。少年は叫んだ。
「放せ! 放せよ! 放せよ!」
少年・克好はそこで悪夢から覚めた。息が上がり、雨に打たれたほどに寝汗を掻いていた。窓の外を眺めると雲間から陽が射していた。克好は重い体を起こした。
「気が付いた、克好? お父さんが呼んでるから着替えて行きなさい」
克好は追い駆けて来る警察官に腕を掴まれ後、玩具屋の主人は克好を父親の元に連れて行く途中で、克好は気を失った。克好の父親はこの辺一帯の大地主で、玩具屋の店舗の大家でもあった。盗み癖のある克好を警察に引き渡すわけにもいかず、これまでも仕方なく父親の元に克好を連れて来ていた。父親は玩具屋の主人にそれなりの報酬を支払ってことを治めていた。
克好が着替えて父親の書斎に行くと、机の上に菱形仮面のブリキの玩具が置かれていた。
「これはどうしたんだ?」
「・・・・・」
父親は克好をじっと見据えた。一気に重苦しい空気が充満して来た。
「何が不服なんだ」
「・・・・・」
「これで何回目だ?」
「…ごめんなさい」
「聞き飽きた」
そう言って父親は克好に折りたたみ式の万能のこぎりを開いた。
「これで三回目だから、どうすれば許してもらえるか分かってるね。自分でけじめを付けなさい」
「ごめんなさい! もう、しません! ごめんなさい!」
克好は激しく拒んだが、父親は無視し、のこぎりと菱形仮面のブリキの玩具を克好の足下に放った。
「早くやりなさい」
克好はそれまでにも2回、玩具屋から特撮グッズを万引きしていた。父親は跡継ぎの息子が特撮番組に強く傾倒していることを好しとしなかった。特撮グッズ以外に克好が欲しがるものは何でも買い与えたが、特撮グッズだけは頑として受け付けなかった。
克好が初めて特撮グッズを万引きして来た時、妻が止めなければ父親は克好を殺していただろう。その時、手に持ったのが万能のこぎりだった。克好の頬にはその時に父親から受けた傷跡がある。以来、克好は鏡を見なくなった。鏡を見ると後ろに鋸を振り上げた父親の幻覚が現れて襲って来た。
「早くやりなさい!」
克好の恐怖と不安は麻痺し、無表情になった。父親にいわれるままに影菱仮面のブリキの玩具を斬り始めた。不快な金属音が響いた。
「鋸の刃が滑ってるだけじゃないか! もっと力を入れて切りなさい!」
克好は心の中で “ ボクが悪いんじゃない ” と何度も繰り返した。そのうち “ こんな玩具があるからいけないんだ ” と怒りが込み上げて来た。すると手に力が入った。克好の心の声が弾けた。 “ いけないのはボクじゃなく、この影菱仮面の玩具があるのがいけないんだ。この玩具さえなければ、ボクはいい子なんだ ”・・・と。
気が付くと影菱仮面が単車に乗ったブリキの玩具はバラバラに切らていた。克好は思った…“ これはボクがやったんじゃない。誰かがやったんだ ”・・・と。
父親が克好の足下にゴミ袋を放り投げた。克好は今までと同じように、影菱仮面のブリキの残骸をゴミ袋に詰め、床を掃いて拭いて、やっと父親から解放された。
克好はゴミ袋を出しに玄関を出ると、あの少女が立っていた。克好は怒鳴った。
「告げ口しやがって…黙ってろよ!」
「やだ!」
「黙ってろ!」
「やだ!」
克好は心が麻痺した…“ 無表情になった。ボクが悪いんじゃない。この女の子がいけないんだ。この女の子さえなければ、ボクはいい子なんだ ”・・・と呟き続けた何度も繰り返した。
気が付くとまた雨が強くなっていた。目の前にはその雨で現れるようにバラバラになった女の子から血が流れ出していた…“ これはボクがやったんじゃない。誰かがやったんだ ”・・・と思った。克好はブリキの玩具を入れたゴミ袋を再び広げ、その中に女の子のバラバラ死体も入れて、大きなブリキのゴミバケツに放って蓋をした。
強い勢いで雨が落ちて来る。克好は空を見上げた。そして、血だらけの両手で顔を洗った。後ろに気配を感じて振り向くと、今バラバラにしたばかりの女の子が克好を指差して立っていた。
「もう逃げられないよ」
「何でそこに居るの !?」
克好はあわててゴミバケツを開けた。女の子のバラバラ死体は元のままだった。次の瞬間、いきなりゴミ袋を突き破って女の子の腕が伸び、克好を指差した。克好は慌ててバケツに蓋をした。また後ろに気配を感じた。そして後ろで指を差しているであろう女の子に恐る恐る振り向いた。女の子は微笑んで立っていた。
「もう逃げられないよ」
瞬間、女の子が指差しながら克好の目と鼻の先まで寄って来てフッと消えた。克好は立ち竦んだまま動けなくなった。
「克好!」
克好はギクッと振り向いた。母親が立っていた。
「風邪引くわよ。早くお家に入りなさい。お風呂で温まったら夕ご飯よ」
夕ご飯と聞いた途端、克好は嘔吐した。動悸が激しくなり、また背中に気配を感じた。また指を差している…女の子が背中で指を差している幻影がくっきりと浮かび、慌てて振り向いた。雨に打たれた大きなブリキのゴミバケツが不気味にそこにあるだけだった。
「どうしたの、克好? さっさとおうちに入りなさい」
母親に言われるままに克好は家に入って行った。一段と雨が勢いを増して来た。大きなブリキのバケツの錆びた底の隙間から、血が滲み出し、一本の筋になって路地の側溝へと流れ出していた。
〈第8話「『レトロに御用!』の店頭イベント」につづく〉
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