第6話 昭和特撮アラカン腐女子再び

 克好は入って来た客を見てにんまりした。今日こそお高く留まった勘違いオタの自尊心をズタズタに切り刻んでやれるとほくそ笑んだ。


「いくらなの?」

「この特撮グッズにしては異常な額ですからご無理なさらないでくださいね。ほぼ新品のままの最高の状態ですから、触っていただくわけにも、開封するわけにもいきませんが、ご覧になるだけなら無料です」

「そんなに勿体ぶって…いくらなのよ」


 克好はどうせ買えないだろうと売る気もなく笑いながら金額を提示した。


「200万です」

「買うわ」


 琴音は即答だった。克好の心の声が焦った。“ 買うだと !? バカじゃねえのか、このアラカン婦女子 !? ” ・・・克好の急に強張った顔が琴音にバレた。


「どうしたの !? 高くて買えないわ~と言うとでも思ったの?」

「・・・・・」

「図星のようね」


 高笑いをした琴音は、言葉に詰まっている克好の目の前に200万の現金を置いた。克好の心の声が呻いた。 “ これは現実ではない。何かのジョークに決まっている。私は今、このアラカン婦女子の自尊心をズタズタに切り刻むことになっているんだ! それが正しい流れなんだ! ”・・・克好は無造作に置かれた煉瓦ふたつに憎々しい視線を放っていた。


「何フリーズしてんの? 早く包んでちょうだいよ!」

「あ、はい!」


 克好の計画はあっという間に崩れた。グッズを包む克好の手は怒りで震えていた。その様子を見て、琴音と真尋は軽蔑の眼差しで克好の哀れな姿を舐め回した。


「次はどんなレアものを用意しておいてくれるのかな?」


 克好の心の声が動転した。 “ また来るのか !? これだけボラれても懲りないのか、このアラカン婦女子は! ”・・・しかし、思い直した。 “ いやいや、待てよ…こいつからは延々とぼったくってやればいい ” ・・・克好はなんとか心を立て直した。


「ご希望がありますか?」

「あるわよ」

「どんなグッズをご所望でしょうか?」

「これがオートバイに乗ってる影菱仮面よね」

「ええ」

「影菱仮面が『ジャガー・マークⅡ』に乗った電動式のブリキの玩具があるの…勿論、知ってるでしょ?」

「ええ…現存は確認されていませんが…」

「誰も手放さないからよ。でもここは、レトロに御用するんでしょ? 名前に偽りがなければ、次に来るまでに捕らえているわよね」

「・・・・・」

「無理なの?」

「次はいつお越しですか?」

「さあ、それは分からないわ。でも、無理っぽいわよね、その顔だと」


 カチンと来た克好の心の声がした。“ 顔で判断かよ、その顔で! ブサデブ腐女子のくせに! ” ・・・克好は微笑を湛えた。


「お二人の美貌を追い風に努力してみます」


 その返答に琴音と真尋は克好の顔を改めて見直した。


「あら、お世辞を言えるんじゃないの。でも、顔が強張ってるわよ。その微笑みに怒りが滲んでるわね。私たちのこと、嫌いなんでしょ」

「そんなことはありません。とても有難いお客さまです」


 琴音と真尋は顔を見合わせて冷笑した。


「じゃ、この次に期待してるわ」


 そう言って、またブランドファッションと不快な香水で風を切り、どや顔で店を出て行った。うんざりした克好は、謎の男の訪問に期待を賭けるしかなかった。


 克好の読みは外れた。師走になって年が暮れようとしているのに、謎の男は現れない。そればかりか、昭和特撮グッズのネット販売が思うように伸びない。克好は迷っていた。平成特撮にも手を出そうかどうしようか…それだと店名を変えなければならない。もはや “ レトロ ” は当て嵌まらなくなり、ただの玩具屋になってしまう。開店したばかりなのに店名を変えたら、あのアラカン腐女子になんて罵倒されるか分かったものじゃない。


 悶々としながら克好は毎日空腹を抱えていた。片手鍋ラーメンつゆに女の子の姿が映って以来、克好は台所に立たなくなった。ネットで注文したレンジ仕様のつゆ物も茶碗や皿の汁物も、その表面を見ないように目を瞑って飲む癖が付いていた。更に、常に後ろが気に成って気に成って仕方がなかった。その女の子に指を差されているのではないかと、挑戦的に後ろを振り向く回数が増えていた。


 その夜、克好は空腹だった。湯を沸かし、カップラーメンにそのお湯を注ぐだけだが、その先に起こるかもしれない展開を思うと、台所に立つ気には成らなかった。克好は散々迷ったが、思い切って居酒屋 “ おこぜ ” に食事に行くことにした。


 12月の風が吹く閑散とした夜のシャッター通り商店街を歩きながら、克好は初めて自分が今、限界集落に居ることを実感していた。人が居ない夜のシャッター通りは、時折気まぐれに吹き抜ける風の音と、自分の足音しか聞こえない。克好はオヤッと思った。自分の足音じゃない足音がしてるような気がした。立ち止まってみた。何も聞こえない。克好は一歩踏み出そうとすると、その足が地面に着く前に、別の足音が先に地面に着いた音がした。慌てて振り向いた…誰も居ない。克好は後ろに振り向いたまま歩き出した。どうやら自分の足音が人気のない商店街に反響しているんだと言い聞かせて、速足になった。商店街の切れ目にある居酒屋 “ おこぜ ” が随分遠く感じたが、やっと赤提灯が目前になって、尋常じゃなく息が上がっている自分に気付いた。このまま店に入ったら変に思われる…そう思った克好は店の手前で呼吸を整えることにした。

 飯を食いに来ただけなのに、自分の神経の磨り減りように腹が立った。折角落ちつこうとしている隣で “トントン、トントン” と耳障りな音がする。怒鳴ろうと思って振り向いた克好の表情が凍り付いた。そこで女の子がマリ突きをしている。女の子はマリ突きの手を止め、克好をギロリと睨んだ。


「もう逃げられないよ」


 悲鳴の声も出せずに、克好は居酒屋に飛び込んだ。


「いらっしゃい! おや、御棚さんじゃないですか! 来てくれたんですね!」


 ウェルカムの大吉の言葉も常連客の言葉も、克好の耳には入らなかった。真っ直ぐテーブルに着いてガタガタ震えていた。


「秋田の12月は下田で育った御棚さんには寒いでしょ? 熱燗でも入れますか」

「あ、そうですねえ…いや、その前に食事をしたいんですけど…」

「あいよ! 何にします? 丼ものならほぼ何でも出来ますよ!」

「おすすめとかで…」

「今日のおすすめは “ 焼き鳥盛り合わせとんぶり丼 ” です!」

「とんぶり !?」

「焼き鳥丼の上に、秋田名物の畑のキャビア “ とんぶり ” がドカーンと乗っかてるやつですよ!」

「じゃ、それで」


 克好が少し落ち着くと、気を遣って話し掛けなかった常連あポツリポツリと関わって来た。克好にはそれが嫌だったが、もう店に入ってしまったからには仕方がない。最小限度の受け答えで凌ぐしかなかった。目的はここ数日まともに食事をしていなかった腹ごしらえにある。食ったらすぐに帰ろうと思いつつ、本日のお勧めの “ 焼き鳥盛り合わせとんぶり丼 ” が来るのを待った。


 レトロな柱時計の音に、克好は視線を注いだ。すると商店会監事の梅畑がここぞとばかりに話し掛けた。


「あの柱時計…大正時代のものなんすよ。先代がこの店の開店した時からの、いわばこの店の主ですよ」

「あれは…愛知県の瀬川時計ですね」

「さすが御棚さん、詳しそうだね!」

「詳しくはないんですが、偶々あれと同じタイプの柱時計が昔実家にあったんですよ。ゼンマイ式の尾長八角時計で大正6年頃のものじゃないでしょうか?」

「そうなのかい !? 分かる人には分かるもんだね」

「ネットでは2万円前後の値が付いてるんじゃないでしょうか? ちゃんと動いてるのは凄いです」


 大吉が丼を運んで来た。


「御棚さん、これサービスにするよ」

「いや、それは…」

「遠慮するな。親父の形見の時計を鑑定してくれたんだから嬉しいんだよ! 汚なくなったんで、いつ捨てようかと思ってたくらいだから、捨てないでよかったよ、さあ遠慮しねえで食ってくれ! お酒もうまいのがあるからよ。今日はお近付きのしるしもあるし、全部おごりだから」

「それは申し訳ないので、この丼だけごちそうになりますが、あとはちゃんとお支払いします」


 梅畑が口を挟んだ。


「大ちゃんがいいっつってんだからいいんだよ! 遠慮なくどんどんやってくれ!」

「そうそう、あとは梅ちゃんに付けとくからさ!」

「会長、それはねえだろ」

「この間ね、女の子がこの店に来たんだよ」


 克好の箸が止まった。


「…女の子 !?」

「ああ、例のあんたの店の前でいつもマリ突きをしている女の子だよ。あの子、もう亡くなってるよね」

「じゃ、正確には女の子の幽霊がこの店に来たってことだよな?」

「最初は怖かったけど、おっかなびっくり話してるうち、何だか情が移っちまってよ。可愛く思えて来ちゃってね。焼き鳥のつみれと皮が食べたいっていうから…ほら、その丼にも入ってんだけどね」


 その言葉に克好が固まった。手に持った丼の中のつみれと皮をまじまじと見て手が震え始めた。


「そうそう、女の子も丁度今あんたの座ってる席に座ったんだよ」


 克好は慌てて立ち上がった。急に吐き気を催した。


「トイレは、トイレはどこですか !?」

「奥だよ」


 克好はトイレに走った。戸を閉める余裕もなく便器にうつ伏した。何も出ない。この数日、殆ど食事らしい食事をしていなかった克好は、気怠く立ち上がった。ドアの取っ手に手を賭けたが、いつの間にか閉まった戸が開かない。トイレの電気が消えた。激しい悪寒が走った。後ろで女の子が指差しているのを確信した。恐怖で振り返ることが出来なかった。克好は必死に戸を叩いた。


「開けてください! 開けてください!」


 外から戸が開いた。大吉が立っていた。


「御棚さん、これ、引き戸なんですよ。古い建物なんでね」

「…あ…どうも」

「大丈夫ですか、御棚さん?」

「ええ、何かこのところ疲れが出てるみたいで」

「みたいですね。ま、今日は丼食べてゆっくり休んでください」


 克好は、大吉特製の “ 焼き鳥盛り合わせとんぶり丼 ” を間食して店を出た。帰途、シャッター通りは体感温度が一段と下がっていたが、久々の満腹感で少し心が落ち着き、女の子への恐怖心も薄らいでいたせいか、その夜はもう女の子の幻影を見なかった。


〈第7話「影菱仮面の思い出」につづく〉

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