Boy meets Girl その5

 明神明樹がめそめそしていた頃、既にボクは“穴”の出現に気づいていた。ボクがまだ残っていることがバレた……と言うよりは、殺したことに確信が持てなかったのだろう。あそこで止めを刺しに来るには、この世界の防衛隊は優秀に過ぎた。


 閑話休題。


 穴が開いたからには、次に来るのは戦士、現地人の言う所のカイジュウ・カイジンに違いない。魔法少女と呼称される戦士による保護を――少なくともボクは――アテに出来ない以上、明樹との接触は急務だったの、だが……。


    ◆


「飛蚊症ってさあ」

「は?」

「飛蚊症だよ。ものを見てるときに虫みたいなのが動いて見えるってやつ」

「ああ、あれか。それがどうしたよ」

「文字が見えるのもそうなのかな」


 前の席に座ってレンズの掃除をしていた玲二が、顔を上げた。


「いよいよ勉強のしすぎじゃねえのか。教科書のインクが角膜に移っちまったんだろ」

「それなら暗記は楽勝になるな」


 僕はちょっと笑った。でも、浮かんでいたのは僕の名前だ。


「疲れてるんじゃねえの。ここんトコ、バタバタしてたからな」

「そうかな」


 目をこすった。また、視界に文字がちらついて見えたからだ。


「いっぺん病院行けよ。カメラはメンテが大事なんだぜ」

「カメラじゃないっての」


 いつの間にか、文字は消えている。飛蚊症で文字が見えるなんて、ちょっと検索しただけでは出てこない。

 病院……保険証は、あの人が持ってるんじゃなかったかな。


「くそったれだよな」


 僕は片手で頭を抱えて、机の上に上半身をつぶした。頬の下で、数学の問題集がべたりと広がる。


「もうちょっと我慢すりゃいいじゃねえか。どうせ大学は東京に出るんだろ」

「受かりゃな」

「どっかは受かるだろ」

「言ってもあと二年はここに釘付けじゃんか。やってらんないよ、ったくさ……」


 玲二がちょっと笑って、レンズを大事そうにバッグに戻した。こうして愚痴を垂れるのは、何度目か分からない。


「そんなに暇なら写真部に来いよ。今なら夏合宿に間に合うし……面白いぜ、写真は」

「やだよ、カメラたけーもん。それに、興味ないやつが入ったってしょうがないだろ」

「まあな」


 カメラバッグのジッパーを閉めて、玲二はロッカーに引っ込んだ。担任が来たときに机に出しっぱなしだと、うるさいからだ。

 僕は問題集とノートに視線を落とした。この時間はノートに変な影を作らずに済むので――。


 影が横切って、僕は顔を上げた。登校してきたばかりらしい真弓さんが、ちょっと手を挙げた。


「や」

「よう」


 僕も小さく手を振って、応える。


 僕らがカイジンを見てから、一週間が経った。学校はまるで何事もなかったかのように元通りになって再開した。その初日に僕らは担任に呼び出されて、あっさり署名を強制された。

 変わったことがあるとすれば、クラス長と僕が挨拶するようになったくらいのもので、後はまるきりカイジンが出た前の続きだ。今日も担任は自分の話したいことばかり話していたし、古文の授業は眠い。


 まあ、そんなものかも知れない。僕に関係なかっただけで、これまでもずっと、カイジュウは出現してたわけだし。


「そんな風に受け容れられてたまるものか。キミ達はもう少し、危機感と言うものを持ったほうがいいな」


 うとうとしていた所にそんな声をかけられて、思わず体が跳ねた。

 ガタン! と机が音を立てて、クラス中の視線が僕に集中する。教壇の先生と、目が合った。


「明神くん、次の文を訳してくれるかな」

「あ、はい。えーと、鎧が良いので貫通しないし、隙間を射ないので手傷も負わない?」

「残念、まだそこまで読んでいません。予習してきたならがんばって起きていてください」

「……すいません」


 ノートに目を伏せて、縮こまる。教室から忍び笑いがもれて、空気が弛緩した。だからかどうかは分からないけれど、教室の一角から伝わってくる嫌な気配を、皮膚感覚が受け止める。どうも僕を痛い目にあわせたい連中がいるらしい。

 今朝、玲二から聞いた話を思い出す。


「お前さあ、一昨日のSEN、見てないだろ」

「おととい? 見てないよ。僕がスマホ持ってなかったの、知ってるじゃんか」

「でも、昨日には返ってきてたろ? クラスSEN見なかったのかよ」

「通知は切ってるんだ」


 玲二はため息をついた。


「お前、『誕生日おめでとう』しなかっただろ」

「え? ああ……」


 うちのクラスでは、どういうわけだかクラス長が、つまり真弓さんがみんなの誕生日を把握している。誰かの誕生日が来ると、SNSでそれを祝うのが習いだった。


「ほんとだ。井織くんのか。ハンド部の」

「……まあ、俺はどうでもいいけどな。イチャモンつけられないように気をつけろ」

「まっさか! 小学生じゃないんだからさ」


 僕は笑って肩をすくめたけれど、玲二の顔は渋かった。

どうやら、玲二のほうが正しかったらしい。また、めんどくさいことになった。


    ◆


 授業が終わって掃除も済めば、もう教室に用はない。写真部にも興味がなければ、家に帰る気も起こらない。

 と、来れば学校の中で時間がつぶせるのは図書館と決まっている。僕は教室の扉を引いて、廊下を抜けた。テスト期間でもない図書館棟は、ひっそり静まり返っている。僕の足音だけが、妙に大きく響いていた。


「あれ――」


 不意に、妙な感覚が襲った。教室でも感じた、あの嫌な感じだ。全身がピリピリして、体がかゆい。


「後ろだ、バカめ!」


 耳元で甲高い少女の声が怒鳴って、僕は反射的に振り向いた。


「ッ!」


 とたんにこめかみに衝撃を感じた。とっさに手を触れると、ぬるりとした血の感触。床に転がったコーヒーのスチール缶が目に入った。


「ヒューッ、大当たりィ!」


 辺りをはばからない笑い声と、手を叩く音が聞こえる。垂れてきた血をぬぐうと、愉快な仲間で通っているクラスの三人組の姿が見えた。真ん中で缶を投げたらしいヤツが、これ見よがしに笑顔を作る。


「いやあ、悪ィな。よく見えなかったんで当たっちまった。いやマジで、ごめんな!」


 僕も笑顔で返した。


「いいよ、気にしないで。ボーッと歩いてた僕も悪かったしね」

「そうそう、次からもっと廊下の端を歩けよな。ジャマなんだからよ」

「井織くんはハンド部の次期キャプテンだもんね」


 ついでに言うと、後ろの取り巻きもそうだと、僕は知っている。一番近い井織の顔を見ないようにしながら、僕は続けた。


「ザコの投げる球が当たっちゃ大変だ。こっちが避けなくちゃ危ないぜ」

「なんだと」

「おめでとうされなかったらリンチかよ。イマドキ、小学生でもそんなことしないぞ」


 井織とは、目を合わせなかった。後半は、声が震えていない自信がない。第一、井織が最後まで言わせてくれなかった。小学生でも、まで言った辺りで拳がまっすぐ飛んできて、それで――。


「あ……」


 パン、と弾けるような乾いた音がしたのは分かった。井織が廊下に転がったと飲み込むまでに、少し時間がかかった。それは僕が殴り返したせいだというのを理解するのには、さらに時間がかかった。


「あ」

「え?」


 取り巻きの二人と僕は、思わず顔を見合わせた。突き出した拳の先がしびれている。思わず、僕は井織に駆け寄った。


「ちょ、ちょっと、大丈夫? 反射的に手が出ちゃって、つい……」


 でも、そんなに大げさにやられたアピールすることはないだろう。先に仕掛けてきたのはそっちなんだし。


「この――お前、よくも!」


 良かった、元気いっぱいだ! これ以上関わりあうべきじゃないほどに!

 僕は駆け寄った勢いのまま、井織を飛び越えて取り巻き二人の横をすり抜けた。


「待て! なに見てんだ、追っかけろ!」


 井織の声が聞こえる。待てといわれて待つヤツはいない。それにしても――。

 僕はいつから、こんなに足が速くなったんだ?

 廊下の風景が吹き飛んでいく。施設管理委員で運動不足の僕が、いつの間にか、三人のハンドボール部を置き去りにしていた。


「くそ、どこ行った!」

「階段使ってるトコは見てないぜ。どっかに隠れてるんじゃないの?」

「まだ外に出てないってころだろ」

「見つけたら教えろ。俺が直々にボコる!」


 物騒な声を、僕はとっくに上ってしまった階段の上から聞いていた。しばらくは戻れそうにない。幸いなことに荷物は全部持ってきているから、適当に時間をつぶせばいいわけだ。やることは変わっていない。

 僕はポケットから屋上の鍵を出して、開けた。初夏の夕方に吹く風がこちらに抜けて、ブレザーの裾がバタバタといった。


「ようし。やっと人気のない所に出たね。これで落ち着いて話が出来るというものだ」


 耳元で、また声がした。


 僕は、気が狂ったのかもしれない。階段を上るとき、ほとんど僕は飛び上がっただけで屋上のドアまでたどり着いた。それに、この声だ。頭にアルミホイルを巻いている一部の人たちの主張が正しかった、と考えるよりは、僕が壊れてしまったと考えるほうが腑に落ちる。


「ああ、キミがそう言う反応をするから、ボクもあまり色んなことは出来なかったんだ。思ったより、他人の意識の中で何かしようとするのは難しいな」


 うるさい。


「それでも、キミの精神の均衡を保つことを前提に、ボクは色々試してみたんだよ。古式ゆかしく視界に文字を浮かべてみたり、姿を紛れ込ませてみたり。前者は思ったよりうまくいかなかったし、後者は景色に溶け込みすぎた」


 うるさい!


「そして、今やっているのが頭の中に直接呼びかけるやり方だ、が……」


 声が途切れた。


「これも失敗みたいだな。仕方ない……」


 体から空気が抜けるような虚脱感を覚えて、がくっと膝をついた。手のひらから、そしておそらく体中から、輝く粒子が流れ出している。粒子は僕の目の前でわだかまると、一つの像を結んだ。

 おろぼげで小さな、人の形。それから、すこし丸みを帯びて少女の形。ばさりと下がった黒い髪と、ふわりとした黒い服が、一日の終わりの陽光を吸収した。

 

「原始的だけど、直接顔を合わせて話すことにしようか。明神明樹くん」


 赤色に染まった屋上に、大きな人形のような女の子が現れる。


「手始めに、後ろの扉を閉めてくれたまえ。誰かにボクの姿を見られると、大変に困る」


 大きな人形が、尊大な口調でそう言った。初夏の風が、再び屋上を吹きぬける。かくりと頭を下げて、人形は言った。


「ボクの名前はキンセイ。キミ達の言葉で言えば、カイジンだ。以後、よろしく頼む」


 やっぱり、僕は気が狂ったのかも、知れなかった。

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魔法少女は北北西に進路を取るか? ネパレイド @maruhafoods

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