Boy meets Girl その4

 さっきまで風水さんと一緒にうろついていた棟の奥に、分厚い観音開きの扉がしつらえられている。脇についた電子錠にクレジットカードみたいなIDをくぐらせて、真弓さんが扉を押した。


「これ、ほんとに入って大丈夫なの?」

「だいじょぶだよ、たぶん」


 たぶん、の部分が引っかかったけれど、結局僕は扉をくぐった。真弓さんに手招きされるまま、廊下を曲がって、階段を上る。


「その傷――」


 蛍光灯の寒々しい光に照らされて、隣の女の子が貼った絆創膏が白く浮かび上がって見えた。


「ああ、これ? そんなに目立つかな」

「かなり。やっぱり昨日ので、怪我したの」

「まーね。ちょいとばかし不覚を取ったかな、相手が相手だったし」

「いつから、魔法少女だったんだ」


 こうなる前は、根掘り葉掘り聞くまいと思っていたのに、結局口をつぐめなかった。


「結構前から。高校に上がる前かな。カイジュウと初めてぶつかったときに、そうだって分かったんだ」

「そう、なんだ」

「何? 興味あるんだ?」


 ちょっと得意げな感じで、真弓さんが笑う。


「そういうのは、新谷くんのほうだと思ってたんだけどな。明神くんも、男の子だね」

「別に、そんな話じゃなくてさ」


 僕は少し口ごもる。


「……危なく、ないの」


 言ってから、やってしまったと思った。隣の少女の視線がすとんと冷めて、僕から外れる。


「なんだ、お説教か。連れてこなきゃ良かったかなーあ」

「そんなつもりじゃ、ないけど」

「どうかな。大抵みんな、この話をすると文句つけてくるから。あ、こっちね――っとと」


 角を曲がりかけて、誰かと鉢合わせる。


「あら、清花ちゃん。それに――」


 女の人が顔をしかめる。ついさっき会って、別れたばかりの、弥永愛純さんだ。


「あなた、こんな所で何してるのよ」

「え、知り合い? 弥永さん、見学希望だって」

「見学って、ちょっと……」

「いいでしょ、話してた明神くんだよ。ね、ちょっとだけだから。古屋先生も、今日は来てないし」

「まあ、そうだけど。どやされるのは、私だしねえ」


 弥永さんは困った顔をして、僕を見た。僕は思わず、目をそらす。


「うーん……まあ、いいか。今日は残業してる人もいないしね。入ってってもいいわよ」

「やった! さっすが愛純さん、話がわかる!」

「はいはい。頭の固い連中に見つからないうちに、入りなさい。コンソールには触らないように」


 浅く釘を刺して、弥永さんが扉を開けた。マジかよ。セキュリティ意識ってものがないのか?

 そう思っていたのがばれたのか、弥永さんがじろりと僕を見下ろした。僕の背が低いこともあるけれど、この人はかなり背が高い。


「一応言っておくけれど、これは君だから入れてあげるのよ。調子に乗って言いふらしたりしないように。いいわね?」

「あっ、はい」


 今度の釘はかなり深い。僕はどすの効いた弥永さんの声にびびりながら、細長い部屋に足を踏み入れた。

部屋の長辺の部分に、大きな白いスクリーンが埋め込まれている。その反対側には、また、スチール棚が置いてある。

 僕の背後で、弥永さんが扉が閉まると、同時に鍵がかかった。


「そういえば、透くんはどうしたの? 先に帰っちゃったのかしら」

「風水さんは、えーと、昔の知り合いの人と会っちゃって」


 弥永さんはああ、とうなずいて、パソコンに視線を向けた。


「ついてないわねー、あの子も。たまに顔を見せたら、これだものね」

「なになに、誰の話?」

「私の後輩よ。ここを辞めるときに、ちょっとごたついてね。まだ根に持ってるやつが、結構いるのよ、っと」


 弥永さんがキーボードを操作すると、白いスクリーンに映像が灯った。やはり真っ白な部屋が、映し出されている。


「どう、見えるようになった?」

「うん、ちゃんと見えてる。明神くん、ほら、こっちこっち。窓に寄ったほうが、よく見えるよ」


 真弓さんが手を振るのに応じて、僕はスクリーンに近寄った。白い壁だと思っていた部分は、どうやらガラス窓を不透明にしたものだったらしい。とすれば、その向こうに見えているのはそのまま地続きの景色だ。

 僕は窓を覗き込む。


 真っ白な部屋に、巨大な人形が横たわっている。昨日の今頃、学校で僕のすぐ隣に飛び込んできた巨大な人間の形。鈍い照り返しを続ける金属の表皮、なんとなく不安になる非対称のボディ。


「人型……」

「そ。人型異界獣第三号。三号カイジンなんて呼ばれてるわね」


 弥永さんの言葉は、右から左に通り抜けていく。

 鼓動が早くなって、視界が白くちらついた。まずい兆候だ。やっぱりカイジンなんて、見に来るんじゃなかった。


「――さん、姉さん!」


声を上げたのは今日の明神明樹だったけれど、飛んでいった姉はあの日のままだった。当たり前だ。姉さんが死んで、何年にもなる。

人型異界獣第一号がワームホールから“降りてきた”時、僕はそこにいた。一緒にいた姉は、最初のカイジンと一緒に――。


 くそ、落ち着け。落ち着け!


 ゆっくり息を吸って、吐き出す。心臓のドキドキ言うのが収まって、視界がじんわり戻ってくる。


「よーし、大丈夫大丈夫。落ち着いてきたわね」


 気がつくと、弥永さんに背中をさすられていた。その肩越しに、おろおろしている真弓さんが見える。


「過呼吸ね。ゆっくり息を吸って。よしよし」

「……すいません」

「私が軽率だったのよ、あなたのせいじゃないわ」


 僕はのそりと立ち上がった。真弓さんが泣きそうになっている。


「明神くん……」

「平気だよ。ほんとさ」


 首をねじって、窓を見る。入ってきたときのように、真っ白になっていた。


「弥永さん、もう一回見せてくれませんか」

「駄目。また倒れたら、責任取れないもの」

「さっきはちょっと思い出しちゃっただけです。見ただけで目が潰れたりしませんよ」


 真弓さんが口を開いた。


「明神くん、やめといたほうが……」

「大丈夫だって。マジマジ」


 なおも不安げな顔をしている女性陣に、僕は歯を見せて笑った。見たいと言ったのは僕自身だし、それは嘘じゃない。いつもは仇の顔すら見れないんだ、少ない機会は活用しなくちゃ、顔向けできない。


「お願いします」

「……仕方ないわね」


 プシュッ、と空気の音がして、窓が透明になる。保管されているカイジンの姿が、よく見えるようになった。


「潰れてるんですね、胸……あれ、真弓さんがやったの?」

「ううん。私たちが戦ったのは、別の人型だから。胸は、もともとひしゃげてたんだ」


 心核が完全に破壊されている。くそ、徹底的にやってくれたな。ここの設備で復旧できるか? あるいは、自己修復機能が生きていれば……。


「?」


 僕は顔を上げた。


「明神くん?」

「あ、いえ……弥永さん、なんか言いました?」

「いいえ」

「真弓さんは?」


 クラス長も首を振る。


「空耳かな」


 弥永さんが小さく息をついて、キーボードを叩いた。


「あ……」

「そんな顔をしないで。おしまいよ、おしまい。君は、駅のほうでしょう。もう、バスが出ちゃうわよ」

「え、もうそんな時間? うわ、ほんとだ!」

「清花ちゃん、あなたも同じバスでしょ。案内したげて」

「はい! その前に、荷物取ってきます! 明神くん、ちょっと待ってて!」


 ばたばたと真弓さんは出て行って、部屋には僕と、弥永さんだけが取り残された。


「……あの子、学校でも、あんな感じにしてるの?」

「さあ、どうかな。話すようになったの、最近なんです。でも、クラス長はちゃんとやってると思いますよ」

「そう。ちょっと安心したわ。あの子、結構危なっかしいから」


 弥永さんは穏やかに笑った。


「そうそう、あなたの私物ね。事務所に言えば、今日のうちに返してもらえるわよ」

「あ、ここで預かってたんですか」

「ほんとは隔離区域の中に置いとくんだけど、こっちに来るっていうからね。言いそびれなくて良かったわ」


 ってことは、あのまま帰ってたら面倒なことになってたわけか。薄々感づいてはいたが、この人もかなりいい加減な人だ。


「何よ、その目は」

「いえ、なんでも。それより、一つ聞いてもいいですか」

「何かしら?」

「なんで、僕にアレを見せてくれたんです? よくは知りませんけど、あれも記憶措置とやらの対象なんじゃないですか」

「そうね。異界のものだしね」

「もしかして、僕の姉……の、関係ですか」


 一息で言おうとして、言えなかった。弥永さんが僕を見返す。しばらく、沈黙が降りた。


「まあ、そうね。私たちと同じか、上の世代でここに勤めている人は、あなたのお姉さんがいなければ死んでいたから」


 弥永さんはデスクに肘をついた。


「君が見たいと言うなら、見せるべきだと思った。そうする権利が君にはある。本当の意味でカイジンを理解できるのは、彼らと顔を合わせる魔法少女か、顔を合わせたことのある君くらいのものよ」


 僕の顔が、白くなったガラスの窓に映っている。


「二度は顔を合わせたくありませんけど」

「……」

「でも、ありがとうございました。わがままを聞いてもらって」


 扉の外から、ぱたぱたと真弓さんが戻ってくる足音が聞こえてきた。IDを読み込んで鍵の開くまでの、一連のめまぐるしい音。


「ただいま! 行こう、明神くん! もうバス来ちゃってるよ!」

「じゃ、失礼します」

「またねえー」


 弥永さんにゆらゆらと手を振られて、僕と真弓さんは部屋を出た。事務所によって、バス停に来ていたバスに飛び乗る。


「何の話してたの?」

「真弓さんと仲良くしてくれってさ」

「え、ほんと?」

「まあ、大体ね。真弓さんがすぐ帰ってきたから、たいした話はしてないよ」

「そっか」


 真弓さんが少し笑った。急いで乗った割に、バスが出るにはまだ時間があったらしい。車内はがらがらで、エンジンもかかっていなかった。

 僕は風水さんの姿を探した。バスにはそれらしい影はない。先に帰っちゃったのなら、それでいいんだけど。


「今日は、ごめん」


 隣で、真弓さんが口を開いた。


「なんで? 見たいって言ったのは僕なんだぜ。そっちが気にすること、ないでしょ」

「でも、失敗しちゃったし、私――」


 僕は両手を組んで、カエルを作った。スマホは充電が切れていたし、家を出たときは手ぶらだ。正しく、手持ち無沙汰である。


「やっぱり私のせいだよ。勝手に調子乗って、滅茶苦茶やった」

「そういうのは玲二で慣れてる。確かに、倒れたのはちょっとダサかったけどな」


 横目で、真弓さんを見る。膝の上に握り締められた拳が、落ちつかなげに固まったり解けたりしている。


「そんなに気になるなら、また替え玉おごってくれればいいよ」

「……うん」

「誰か死んだわけじゃないんだし」

「うん」

「だから、そんなに気にしないでよ」

「うん……」


 倒れた僕より、テンションが下がっている。この同級生の女の子は、思ったより不安定なところがあるらしかった。僕はちょっとため息をついて、窓のへりに肘をつく。

 さっきまで射していた夕日は、西のビル街に消えつつある。結局、風水さんを乗せないまま、バスは出発した。


 バスが揺れて、カイジンの体が遠ざかる。いくつか停留所を経由するうちに、白っちゃけた蛍光灯の光に照らされた乗客はまた、僕らだけになった。


「……明神くん、怒ってない?」


 久しぶりに聞いた声は、まだ、蚊の鳴くような声だった。


「怒ってないってば」

「そう、だよね。ごめん、何度も。うざいよね、こんなの」

「別に……普通じゃないの」


 なにが? という視線が頬に突き刺さる。


「みんな、そう言うときはあるんじゃない。僕も、玲二が鬱陶しいときがあるし」

「そうかも、知れないけど。私は、そうなりたくないよ」


 信号が変わって、バスがごうんと揺れた。


「実は、僕もだ」


 車内に重力がかかって、バスはロータリーを回った。駅前だ。僕らはちょっと顔を見合わせて、それから、一緒に降りた。




 真弓さんと別れて家に着いたのは、七時を回ったころだった。当然、うちの部屋はまだ、明かりがついている。嫌な時間だ。


「ただいま」


 玄関を開けて、突き当りのドアを開ける。リビングダイニングのテーブルにかけた母が、珍しく顔を上げた。


「どこ行ってたの」


 すでに言葉にトゲがある。僕はすっとぼけた。


「買い物」

「あんた、鍵を開けっ放しにしたでしょう。空き巣に入られたらどうするの」

「ごめん。晩飯、これから?」


 露骨な舌打ちの音が、ここまで聞こえてきた。まあ、返ってくる答えは知っている。


「私たちはもう済ませちゃったから。あんた、冷蔵庫から適当に食べなさい」

「りょーうかい」


 母の後ろを回って、冷蔵庫を開ける。母と一緒にテーブルにかけた妹が、黙って僕を見上げた。

 テーブルの上に広げてあるのは、妹の宿題だ。学校の教科書には見えない分厚い冊子は、塾で使っているテキストだろう。


「よく出来てるわ、今度は全問正解ね」


 母の上機嫌な声が聞こえてくる。僕は冷凍庫から買い置きの坦々麺を取り出して、レンジに押し込んだ。


「がんばりなさい、この調子で……あなたは、やれば出来る子なのよ……」


 レンジのうなりに邪魔されないで、あからさまな声が聞こえてくる。僕は出来るだけ傷つかないように、レンジのタイマーが少しずつ進んでいくのを見つめた。


「あなたは、お兄ちゃんとは違う……私の子なんだからね」


 チン! と音を立てて、解凍が終わる。僕は袋の中からでろんと麺を皿にあけて、再びリビングを横切った。僕を見上げる妹と、目が合う。


「また、今度な」


 口の動きだけでそう言って、僕は自分の部屋に引っ込んだ。熱くなった麺をすすっていると、なんだか無性に涙が出てきた。


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