出立と告白

 「リリアーナそのドレスも詰めてっ」


「メイアもそちらの靴をお願い~」


二人がせわしなく荷作りしているミエルはだまってテラス側から呆れた様子で振り返るすでにカバンケースが山のようになっている


「二人とも、視察にドレスも靴もいらないから……」

「いいえ!視察に行ったとしても野営ではないのですから、絶対に必要になります」

「あぁ~それにしてもミエル様がご同行して下さるおかげで 花音際を見る事が出来てうれしいです」


うんうんと頷くメイアに


「花音際?」

「ミエル様は初めてでいらっしゃいますね、花音際とは春の訪れを祝うお祭りです、毎年花娘が選ばれてパレードを行うのです!」

「そうですよ、それはもう美しい祭りだと評判なのです」

「へ、へぇ~」


乙女な顔をする二人に温度差を感じるミエルの顔はひきつるそれにしても……


「二人に言っておきたい事があるのだけど……

わたしはアライナスの姫神なのよ?それがドレス、靴などわたしの沽券にかかわりますから、何とか一つにまとめなさい!」

「「ええ!?」」

「これは、命令よ、必要な物はシャツ、トラウザー、ブーツあとは最低限の下着があればよし、それ以外の物を入れたら置いて行くから」


せっかく荷作りしたケースの山を前に二人がへたり込む。




 「お兄様が長期不在なんて……心配ですわ」


そういった双子の姉エーデルが俯く


「フィノもジェイドも残るから何も心配することはない、そんな顔をするな」


そうって髪をなでる兄を見上げたアイルは


「お兄様の心配ではなくて、ミエルお姉さまの心配をしているのですわ、くれぐれもお手を触れないようにしてくださいませね」

「まったくその通りですわ、私達の目が無いからといって野獣もどきにならないようしてくださいませ」


双子に見あげられながらインシグの表情は無くなる


「───お前達、俺をなんだと………」

「あら、自慢のお兄様ですわよ」


ねぇ?と二人顔を見合す、リーディアに似て美しい容貌であるにもかかわらず辛辣な言葉を繰り返す妹達にくぎを刺しておく


「……お前達は何か勘違いしているようだがあれは俺の婚約者だ、手を出すも何も勝手だろう」

「まっ!野獣ですわ」

「穢れきってますわ」


視察団の馬車が並ぶ中、見送りに出てきている双子とインシグの生々しいやり取りが木霊する、隊列を組む騎士達も遠い目をしながらも聞き耳を立てている様子だ。


「フフフ、エーデル、アイルもインシグはそんな事しませんよ。この城の事はまかせて存分に仕事してきなさい」


リーディアが進み出て身長差のあるインシグの頬にキスをする、やや屈みがちになっている兄に双子も次々にキスしていく


(ああ言っていても、インシグの事が好きなのね)


微笑ましい光景を馬車の中から見ていたミエルはすでに挨拶を終えて待機している、メイアとリリアーナは馬車の最後の主が乗り込むのを外で待っている


「イナト、みんなを頼みましたよ」

「はいリーディア皇太后様」


にっこりとするイナトはそれを合図に白馬に跨り先頭に躍り出る


「では行ってくる後は頼んだぞフィノ」

「はいこちらのことはお任せ下さい、お気をつけて陛下」


頭を下げるフィノも心なしか心配そうだ、インシグはひとつ頷くと馬車に乗り込む、メイアとリリアーナも一礼し馬車に消える。

インシグはミエルの前に座ると足を組むミエルは外を眺めたままだ、それぞれの横に座るメイアとリリアーナは花の都で行われる花音際に心躍らせている様で何の花を持とうかなど静かに話している、首都から花の都トワトまで5日かかるらしく、道中も何度か宿泊をかさねるらしい。

首都を離れてしばらく走るうちにだんだんと風景が変わってきて田園が多く見えるようになってきた、それからも何時間も走っただろうか小休憩をはさむために小さな町に止まる、ここで一度馬を休めるためだ、馬車に詰められていた四人も外に出て身体を思い切り伸ばす


「う~ん!さすがに王室用の馬車もあれだけ乗っていると身体が痛いわね」


メイアが腰をさするリリアーナも


「でもおしりが痛くならないのはさすがね」


クスクスと笑いあうミエルは足を伸ばしただけですぐに馬車の中にひっこむ


「ミエル様、何かお飲みになりませんか?」

「いいえ、いらないわ」


リリアーナが気を使ってくれるものの、昨日からまったく食欲が出てこない。また一つ大きなものを背負わされた気がするからだ。馬車で一人になったミエルは窓に頭を寄せて目を瞑る、今頃になって眠気に襲われる。馬車の外では騎士達ががやがやと休憩を取る喧騒が聞こえてくる


「ミエル?」

「………」


インシグが呼ぶが返事はない


「……眠り姫を起こすには何が必要だったか……あぁキスだったか」


ぎしっと馬車に乗り込む気配にタヌキ寝入りをやめる


「はいはいっ起きてますよ!何なんですか!」

「降りてこい、この先の山越えを今日は中止する事になった」

「なぜです?」


眉を寄せるインシグに尋ねる


「街の者の話では、先日降った雨のせいで山道が崩れているらしい、迂回していきたいがそこを通る頃には夜になってしまうからな。出発は明日の朝だ」

「夜道は危険ですものね……じゃぁわたしはここで寝泊まりしますので、どーぞごゆっくり」


そういってそっぽを向くミエルに


「それは無理だな。お前が馬車で寝てるのに俺がベッドで寝てるのは世間体が悪い」


腕を組んで考える素振りのインシグ


「それはよかった、是非そうして下さい」


(周囲に上手く隠しているド鬼畜の本性をあばいてやるがいいわ!)


機嫌を若干もちなおした風のミエルに片眉をあげる


「仕方ない、もっとそっちへ寄れ、俺もここで寝る」

「はぁ!?」

「お前と同じく馬車で寝てれば誰も悪くは言うまい。馬車が好みかとあらぬ噂をたてられても仕方ないが……」


馬車に乗り込むインシグの胸を腕を突っ張って押し返すも、押されてる本人は苦にもせずに乗り込もうとする


「観念して部屋に入ればベッドに仕切りをつけてやろう、どうだ?」

「仕切りってそんなの必要ないわよ!わたしは床だって平気なんですからね!」

「では、交渉成立だな、お前は部屋の床だ」


胸を付いていた手を握られると力任せに引っ張られ馬車を降ろされた。ひどくやつれた顔のミエルに二人のメイドの顔が引きつる。

外を見まわすと小さな町といっても通りは広くきれいに整備されている、騎士達は数が多いので複数個所にわけて宿泊するらしく、何個かの班にわかれながらイナトの指示を聞いている。


「俺達が止まる宿は向こうだ」


通りの反対側に二階建ての建物が見える、外装はレンガに屋根は黄色で何とも可愛らしいまるで絵本の中に出てくる物のようだ入り口を飾る植木には赤い小さな花が咲き客を出迎えている、人通りを抜けて正面まで来てみると、品のよさそうなお婆さんが藍色の簡素なドレスと白いエプロンをかけている。まるでメイドのようだと思っていると


「インシグ様、おひさしぶりにございます」

「元気にしていたか?エレンドラ」

「えぇ、もちろんでございます、王宮を下がらせて戴いた後もぴんぴんしておりますよ」


後ろから付いてきていたメイアとリリアーナが深く膝を折る


「あら、後ろにいるのはメイアとリリアーナ?」

「はい、エレンドラ室長ご無沙汰いたしております」


メイアがうれしそうに話す、インシグの横で首を傾ける、するとリリアーナが教えてくれる


「エレンドラ室長は私達を教育してくださった方で、ずっと王宮でメイドのトップにいらした方なのですよ、その前にはリーディア皇太后様の専属メイドだったのです」


(なるほど)


「今日は急で済まない──」

「いいえ、構いませんわ。インシグ様の頼みならば何日でも」


やわらかく笑うと皺が口角をつつむ、良いお歳だろうけども背筋はぴんと伸び、はっきりとした口調が年齢よりも若く見せている


「そういってもらえて助かるよ」

「フフ、それに噂で聞くインシグ様の御婚約者にお会い出来るそうで楽しみです」


インシグが微笑んだまま、メイドに並ぶミエルに振り返る、じっと下から上まで見ると

相変わらずの男装で顔色も悪く、目も座っている


「───ちなみにだが、エレンドラはどういった噂を聞いているのかな?」

「アライナスの姫君だというのはもちろんですが、どうやら月下の細君とか呼ばれるほどの美しさでパーティに参加していた独身男性などは妖精や月の女神だったと懸想する者も多いそうですわね」


エレンドラがうっとりと目を閉じる、その光景を目に浮かべているようだ、三人の視線がミエルに突き刺さる、エレンドラが思い浮かべているであろう人物がまさかいまのミエルだとは思ってもいないだろう



「あ、あぁ。エレンドラ紹介しよう………ミエル=レイネットだ」


(いま、完全に迷ったよね)


半目で虚空を見つめていると、メイアが肘で小突く


「───ミエル=レイネットです…すぐにお忘れになって頂いて結構です、そのうち婚約破棄する予定ですので」


衝撃発言に場が凍る、今まで見た事のない顔でインシグが頬を引きつらせる、自己紹介を聞いたエレンドラも目を丸くしている


「ミ……ミエル、そんなに機嫌を悪くしてしまっていたとは──」

「機嫌?そんなものどうでもいいですね。わたしは半ば脅されて婚約したわけですし?ドレスを着させられたりと他諸々のせいでアライナスの姫神としての矜持がばらっばらですから

御覧の通り、こういった格好のほうが性に合ってますし、剣を振りまわして城では通り魔王というあだ名も頂きました。騎士達からも被害届が出されて居たり、これでも最近までは戦場で先陣きって他国を侵略し歩いたものです、切って奪って踏みにじってが得意ですねむしろ大好物です、騒がしいのもつるむのも嫌いですね、それに───」

「うわぁ!ミエル様そのあたりでおやめ下さい~」


泣きつくリリアーナが片腕にしがみついてくるもミエルはまだ半目で虚空を見つめている

呆けていたエレンドラに


「エレンドラ、いま、ミエルは疲れているだけなんだ、だ、だいじょうぶか?」


呆けているエレンドラを気遣うインシグが顔色を伺う


「まぁ…まぁ…!想像以上の姫君でいらっしゃるのね……」


何かを飲みこんだかのようにしっかり頷きながらミエルを眺めるとにっこり笑って


「まだ先は長いのですから、今日はしっかりお休みになられてください、このエレンドラが美味しいお食事をご用意いたしますからね」


入室を促すと、インシグに続いて両脇をがっちりホールドされたミエル達が入っていく、その四人の後ろ姿を見たエレンドラは腕まくりをしていた




 すっかり日が落ちてきた頃エレンドラが馬車を護衛するために外に立つ騎士達に差し入れを持ってきていた。


「エレンドラ様、ありがとうございます」

「いいのですよ、みなさんもご苦労様です 暖かいうちに召し上がってくださいね」


そういって差し出されたバスケットには焼きたてのパンに新鮮な野菜と香ばしい匂いのする肉が挟まっている、かすかにスパイスの良い香りがただよう、アルコールの入っていない飲み物は、ほのかにレモンハーブの匂いがする。


「あ~これ、とっても懐かしいです、美味しくてわたしは大好きでした」


イナトが目を細める


「貴方もよくインシグ様やフィノ、ジェイドと一緒にお食事しましたものね、夏のピクニックはとても楽しかったわ。川で釣りをしていたかと思ったらボートをひっくり返してしまって貴方達ったら大騒ぎで」

「よく覚えていらっしゃる……恥ずかしいですからお忘れになってください」


幼少期を良く知るエレンドラにはもっぱら頭が上がらないイナトは気恥かしげに笑う

他の騎士達も次々とバスケットからパンと飲み物を受け取ると美味しそうにほおばっている


「ねぇイナト、今日はじめてミエル様にお会いしましたのよ」


それにピクリと反応する


「───そうですか……それで、どうお感じになられましたか?」

「自分の意見をハッキリと言える方だと思いましたよ、随分なストレスをお抱えになっている様子で」


ほんの少し困った顔で微笑むエレンドラに


「ミエル様は正直なお方です、色々と噂はありますが……わたしが見ている分ではお優しい方なのですよ、インシグ様がお倒れになった時も自分の身も危ないというのに一時も休まず尽くしてくれましたし──側付きのメイドにも」

「イナト、イナトも彼女の事を世間の噂とは違うと感じているのですね?インシグ様やメイア、リリアーナと同じように」


高い身長であるイナトの胸下まで伸びる髪を優しくなでながらエレンドラは話す


「近隣諸国を侵略している姫神としてのミエル様も真実ですが……こうして目の前にいるミエル様もまた真実なのではないでしょうか……少なくともわたしはそう思うのです」

「私もまだお会いしたばかりですが……彼女が話したときに一度もミルズ国の悪口がなかったのよ──あの臆病なリリアーナがミエル様には言いたい事を言えているのにも驚いてしまったの。使用人のメイドが身に触れても振り払いも叱りもしなかった。普通の御令嬢なら鞭うっているところでしょうね」

「ええ、本当に………」


そう言ってイナトとエレンドラは明りが付いた二階建ての家を見た


「さて、私は家に戻ります、久しぶりにあの子たちのお世話ができてうれしいのよ」

「ありがとうございます、エレンドラ様、あ。あとでバスケットお返しに伺います!」


去っていくエレンドラに手を振る、それに答えるエレンドラも小さく胸の前で手を振り返した



 この街には高い建物があまりないおかげか、空の星が一段ときれいに見える、夜鳥が低音の鳴き声を発している。太陽が姿を隠してからは外を行きかう馬車も人もあまりないらしく静かだ



「ここにもいつか雪が降って……そしたら一段と綺麗でしょうね」


ミエルの呟きにメイアがきょとんとしている


「ミエル様ったらここら一帯は雪だなんて降りませんよ、南に近いですからね」


朗らかに笑う


(そう、今まではね…………そう、それもまだ不確定要素が多すぎる、だから三年かかるのよ)


部屋で待機しているメイア以外はみんなエレンドラの手伝いに一階に行っている、宿というよりは民家に近いここでは一階の物音もよく聞き取れる。

食器がぶつかる音、なべが沸騰する音、何かを切る包丁の音、人の笑い声どれも心地よい。一般家庭は皆こんな感じなのかと想像する、目を閉じれば、厨房で料理をする母、側では幼いミエルが手伝う…そんな光景もあったかもしれないのだ


「ミエル様ご用意が出来ました!」


ノックとともに入ってきたリリアーナの声で我に帰る


「申し訳ないけど、わたしはいらないから皆はいただいてきて」

「ですが、昨日から何も召し上がっていませんし、少しはお口に入れた方が…」

「戦場では何日も食べない事もあるのよ?平気だから行ってきて」


階段を降りてきた二人に気付くとすでにテーブルについていたインシグが


「ミエルはどうしたんだ?」

「それが…お召しにならないとおっしゃって──」


エレンドラが皿を運んでくる


「まぁ、お身体の具合でも?それともお食事が気になったのかしら」


慌てて手を振りながらリリアーナが


「そんな事ありません!ミル様は好き嫌いはありませんわっいつも使用人と同じものを頼むくらいですし」

「そうです!質素すぎるほどで……」


インシグが天井を見上げると陽光色の髪を掻き上げる


(しまったな、やりすぎたか───)


「なら、インシグ様がお連れしてくださいますわね?ご婚約者の扱いは本人が一番よくわかってらっしゃいますでしょう?」


曇りなく磨き上げられたグラスをきっちりと並べながらエレンドラが話す


「さあ、メイアもリリアーナもこちらへ来て待っていましょう?」


二人と入れ替わるようにして立ち上がったインシグが階段を上がっていく、きしきしと音を立てる木造の内装は暖かい茶で統一されている

ドアを開け、中にいるミエルを呼ぶ


「ミエル、食事の時間だ」

「………本当にいらないの」


溜息を吐き、部屋に入ると窓辺に置かれたロッキングチェアで揺れるミエルが窓の外をじっと眺めている


「言いたい事があるなら言ったらどうだ?子供じゃあるまいしストライキなどやめてほしいな」


腕組みをしながら向かい合うようにベッドに腰を下ろす


「別に──食欲が無いだけ、そのうち食べたくなるでしょうよ」

「─────」


長い沈黙が流れ、それでも二人は動こうとしない


「───ただ……こういう雰囲気は好きじゃない」

「こういう雰囲気?それは、俺とこうしている時のことか?」

「そうじゃなくて、嫌それも好きじゃないんだけど。わたしは──希薄な流れに身をおいているほうが合ってるから」


片眉をあげて、腕を組むインシグはまだわからないといった風でいる


「何故なの?どうしてわたしにこの国に関わらせようとするの?みんなそうだわ。メイアもリリアーナもわたしを姫神として見ようとしない。わたしは普通には生きられないのそれなのに───わたしを牢屋に入れてでもいいからほっといてほしい」


外を見るその横顔は険しい


「ミエルは具体的にどうしてほしいんだ?」


チェアの前までいき両膝をついたインシグはミエルの手を握るとじっと見つめる


「───わからない……する事も決まっているいつだってそのために走ってきた、なのに貴方達がかきまわすからよ……」

「それは、心から謝罪するよミエル、けれど覚えておいてほしいメイアもリリアーナも慕っているからこそなんだ」

「っ……わからない!」


(わかりたくもない!この平穏に飲みこまれて動けなくなる自分が怖くなる)


頭を振り続けるミエルの頬を両手でがっちり押さえつける


「わかっているはずだミエル、皆貴方を慕っている……」


頬を包む大きな手に自分の手を重ねるとそれを引きはがそうと力をいれる


「ミエル」


優しい声で名を呼びその身体を引き寄せる、腕の中でもがくそれの背を辛抱強くさするインシグは何度も名を呼ぶ

長い時間そうしていると大人しくなったミエルの寝息が聞こえてきた、起こさぬように抱き上げロッキングチェアに腰を下ろす、膝の上で眠るミエルは猫のように丸くなりインシグに寄りかかったままである


「慕っているの中に俺も数えてくれていればいいがな……」


そっと額に顔を寄せると健やかな寝顔をひたすら見続けた


(晩餐会、婚約、ナスタ王女の一件、デルクで脅す、乗馬での出来事───何をしたとしてもミエルをここに繋げておきたくて画策してきた……どこまでしたら貴方は俺に落ちるかな)


それはまるで空に浮かぶ月を落とそうとしているかの様でインシグは自嘲めいた笑いを浮かべる


(今日ここに来てはっきりしたミエルは人の温かさに恐怖を持っている、それらに流されないようにしようとあがいている、だが何故あがく必要がある?アライナスに忠誠を誓っているからか……?

いつかミルズを侵略しようとしているからか?それならばまどろっこしい和平などする必要もないはず。何がここまでミエルを追い込む?)


窓の外は暗闇に包まれ家々に灯っていた明りも消えている。外で番をする騎士達が持つランタンの月光石がぽつぽつと照らすだけである。


コンコン……


「インシグ様、入っても宜しいですか?」

「エレンドラか…どうぞ入ってくれ」


入室するとミエルを抱くインシグがゆっくりとチェアを揺り動かしている。その表情は穏やかで慈しみ溢れている


「申し訳ありません、お食事は終えてしまいました。何かお持ちいたしましょうか?」

「いや……いいよ、せっかく用意してくれたのにすまなかったな」

「とんでもありません、インシグ様はその方を大切にされているのですね」

「大切にしたいとは思っているんだがな、なかなか上手くいかないものだ──」


ベッドから上掛けをはぎ取るとエレンドラはそっと二人にかける


「インシグ様はきちんとお気持ちを伝えたのですか?」

「───プロポーズはした」

「そうですか……それでもこの方にこれほどまで拒まれるとしたら、潔く諦めるのも手ですわね。誠心誠意、真心込めて生涯只一度のプロポーズでしたのに……」


そっぽをむいたインシグにくすりと笑って部屋を出ていく


「お部屋の明かりは消しておきますね、おやすみなさいませ」

「ああ……」


パタンとドアを閉めると廊下に出たエレンドラは笑いをこらえる、あの様子ではまともなプロポーズをしていないと気付いてしまった




 ランタンに月光石をともしたメイアがみんなが寝静まったとあとにそっと一階におりてくる


(ミエル様がいつでも食べれるように小分けにしておこう)


城から持参してきた日持ちのするパイを切り分けて包みんで小分けにする、ミエルが美味しいと言ってくれたそのパイは実家から送られてきた甘酸っぱい赤い実で地元で採れるそれは特に甘さがあり好評なのだ、それを手ずからワインで煮込みパイ生地にカスタードクリームと共に焼あげる。

すると玄関の外で物音がする、覗き窓からそっと見ると、イナトが何か置いている様子だ


「イナト様?」


玄関を開けるとイナトも驚いた様子で


「メイアさん、まだ起きていらっしゃったのですか?」

「え、ええ、ミエル様の食欲がお戻りになられないので……パイなら食べて下さるかと思って明日の為に用意していたところです、イナト様はここで何を?」

「ああ、これをお返しに行くと約束していたのですが、思いのほか遅くなってしまったのでここに置いておこうかと」


ほらと片手に持ったバスケットを持ちあげる


「そうだったのですね…イナト様はまだお休みになられないのですか?」

「今晩の寝ずの番はわたしですからね」


にっこり笑うイナトに総裁という立場でもそういった事をするのだと感心している


「あっ、じゃぁもし宜しければ、パイを持って行って下さいませんか?たくさん作ってしまったので、お口に合うかわかりませんが」

「それは嬉しいですね、寝ずの番なんてしていると変な時間に空腹になることもあるので助かります」


表情を明るくするメイアがおまちくださいと言い残すと中へ戻っていく、玄関のドアを開けたままでドアホールで待つイナトは自分の幸運を喜んでいた


「お待たせしてすみません…たくさんありますので番をする騎士の方もよろしければお食べ下さい」


綺麗に包まれたそれを受け取る


「ありがとうございます、しっかり見張っていますのでメイアさんもゆっくりお休みくださいね」

「はい、イナト様もご無理なさらないでくださいね、おやすみなさい」


そう言ってメイアがドア閉めようとすると、イナトの手が滑りこんできてメイアの手を掴むイナトの顔を見上げると金の目が細められる


「忘れてました。」


掴んだ手に口を運ぶとしっとりとした唇を当ててくる、そのままに


「挨拶を忘れるなんて騎士失格ですね?お許しください」

「え?」


手にイナトの吐息がふれて全身が栗立つ


「メイアさんおやすみなさい、良い夢を」


そっと手を離すと後ろに数歩さがり、さっと踵を返して去るその姿をメイアは呆然と見ていた


(余計に寝れなくなっちゃうじゃない……)




 くらりくらりと揺れるのと規則的な音が心地よくてミエルがまどろむ。これは嫌でも今自分がいる状況を認めなくてはならない、子供のように駄々をこねたあげくにインシグに抱きしめられているうちに眠ってしまうなんて


(馬鹿じゃないのわたし!)


膝から降りようと動くミエルをしっかりと抱きなおすインシグはすっかり眠ってしまっているようだ。まともに顔を見られるはずもないないミエルは起こさないように静かにしておくしか出来ない、窓の外は暗闇で朝まではまだ時間がかかりそうだ。

インシグの手が緩んだら逃げようそう心に決めた。簡単なシャツを着て腕まくりしているその腕はほどよく鍛えられていて手は剣を持つためか繊細な指先を持つ割には骨ばっている、ミエルを抱いて指を組むそこには婚約指輪が光っている


(律義に婚約をしたこの人は本気で和平を望んでいるんだわ……)


パーティが終わってからミエルは一度も指輪をしたことはない、只放っておくことも出来なくてチェーンに通して首から下げているそれを探り当てて月明かりに翳してみる。

月の白い光と目の前に垂れているインシグの陽光色の髪の色が宝石に反射している


「綺麗……」


ぽつりとつぶやいて、チェーンが通ったままの指輪を指に通して先ほどのように幻想的に反射する光を見る、頭の上からはインシグの寝息が聞こえる、ぱぱっと目の前で手を振るチェーンがしゃらりと音を鳴らすがまったく起きる様子はない


「……可哀そうな人……でも三年だけわたしの物になって──そしたら終わりにしてあげる」


胸に頭を寄せて呟く、まだ翳した手の指で輝く指輪から目が離せないでいると、ミエルが動いた所為か、抱く腕が強くなるも寝息は先ほどと変わらない


「おやすみなさい──」


瞼を閉じると額にインシグの頭の重みを感じるも嫌な感じはしない、むしろ不思議と安堵感に包まれると再びまどろみに落ちていく

 ミエルが再び寝るのを待っていたインシグは目を開ける左指に輝く指輪が碧色の目に映る


「三年だけ───?終わり───?……」


光を映した碧の目が窓ガラス越しに暗闇を見つめる。

窓ガラスに映る自分は室内の暗に溶け込んで仄暗い底から覗く悪魔のように見えた腕に抱くミエルの髪に唇を埋める


(決して離さない)


毎時間ごとに衝動が強くなる自分がいる。歪んできているという自覚はある、けれどもそれを止める術がないいっそ、閉じ込めて、何も見せずに、何も知らせずに、傷つけても隠してでも自分の物にしたくなる


(死ぬまで俺の物だ)



 瞼に日差しを感じてミエルは目を開ける、窓からは朝日が差し込み空は突き抜けるような青さだ


「起きたか」



上から聞こえる声にはっと顔を上げると、近い碧の目がこちらを見ていた。

まだ膝にのせられているこの体制で一晩明かしてしまった。立ち上がろうとしたミエルを抱きとめるインシグは


「このままで───」


左手を手に取ったインシグは指で輝くそれを見たのに気付いて手を振り払おうとするが指輪に口づけを落とされる


「何を……!」


横目でミエルを見たままに指輪に通されたチェーンを口で噛むとぷつりと軽く音がする

口に咥えられたチェーンがゆらゆらと揺れているその姿があまりに妖艶でミエルは固まる手にした左手を引っ張られたかと思うとインシグの顔が迫ってくる

瞬間暖かい何かが触れて目を見開く、その先には少しふせた長い睫毛の隙間から碧色の目が見えるつかの間の後にそれがゆっくりと離れていく自分の震える口に冷たい何かを咥えさせられている事に気づく、しゃらりと揺れる感触でチェーンだとわかる


「貴方を愛している」

「───!」


チェーンを口にしたままのミエルはさらに大きく目を開く、ほんのすこし眉間に眉をよせて長い睫毛を徐々に上げていくインシグの顔をじっと見つめる


「俺をくれてやる、もっていけミエル」


朝日で輝く陽光色の髪が光って透ける、いつものようなインシグではない。

体中に震えが走るミエルが引かれた手に力をいれてもびくともしない、ゆっくりと再び口に押し当てられる角度を変えて深くなるそれにミエルはきつく瞼を閉じた

息苦しさで思わず舌を噛んでしまったミエルの口の中にじわりと血の味が広がる、わずかに口を離したインシグは


「…お好きなように?」


背中を抱いていた手を後頭部にまわされ髪を強く掴まれ真上を向かされる態勢でさらに深く呼吸を奪われた


「皇帝陛下、ミエル様おはようございます、お支度のお手伝いにまいりました」


ドアの前で話しかける声にミエルはびくりと身体を揺らす


「────まだ寝てらっしゃるのかしら…?」

「もう一度お声かけしてみましょうか」


メイアとリリアーナの話し声がしていてもインシグは離してくれない


「──!」


動かせる右腕でインシグの背中を叩くそれでもびくともしない

コンコン、今度はドアをノックされる



「───支度はいい、下で待っていてくれ」


ほんの少し掠れた低音で答える


「は、はい!申し訳ありませんでした、下でお待ちしております」


バタバタと階段を降りていく足音が遠ざかっていく、離れたインシグの顔の下で息を切らすミエルを涼しい顔で見下ろすインシグの唇には赤い物が滲んでいた


「……先に下に行っている」


立ち上がったインシグは抱きあげたままのミエルをベッドの淵に座らせると部屋を出ていく。静まり返った部屋に一人呆然とするミエルは震える手を見ている、頬に暖かい朝日があたるとまるでインシグの温もりの余韻のようで今頃になって顔が熱くなるのがわかった



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