インシグ

「え?じゃぁデルク殿下にそう言われたんですか?」

紅茶を淹れるメイアが呆けている


「そそれって到底無理なお話なのではないのですか?」


リリアーナもテーブルに菓子を並べる手を止めて青褪めている


「当たり前でしょ……

わたしは本来ならこの城から出てはいけないのだし、ましてや変装したままで皇帝陛下について行くなんて無謀にもほどがあるし、第一わたしが居ない間『ミエル』が不在なんてこともあり得ないわ」


テラスの手すりに腰をかけて空を見上げるそんなミエルに困ったような顔をする


「いえ…そっちの無理ではなくて…お断りする事が無理ではないかと」

「え?何が?」


リリアーナがちらちらとメイアを見やる


「ハッキリ言って。デルク殿下のお話をお断りするなんて無理なんですよ」


メイアがずばり切りこんでくる。

最近すっかり遠慮のなくなったメイアが紅茶をテーブルに置く


「何が無理なの?返事もしないように会わなきゃいいのよ、それだけでしょ」


ふうっと大きくため息をつき一気に捲し立てる


「いいですか! デルク殿下って皇帝陛下の従弟でお立場もお役目も重要な方ですよ。その方が、ミエル様の嘘八百に勘付いていて、それを盾に脅してきていらっしゃる。そこまで狡猾な方がこのままミエル様を野放しにしておくと思いますか?」


思わずテスリから外に落ちてしまいそうになる


「わたしなら、すぐに行動に移してしまいますけどもね、例えば───」


コンコン


「あぁ……ほら」


扉をノックする音でメイアが肩を落とす、リリアーナが返事を返し扉をあけに行く

「あとはミエル様が上手くしてくださいね」

「??」

「ミ、ミエル様、皇帝陛下がおこしです……」

「頭が痛いから帰って頂いて」


もうすでに五日間もストライキを起こし続けるミエルがこうして部屋に訪れるインシグを断わる恒例行事にリリアーナは頭を痛めている


「で、ですがミエル様……」

「陛下、このあたりでいい加減にして頂かないといけません」

「いや、無理を強いてはよくないだろう」

「陛下がそこまでおっしゃるなら致し方ありません……ここはリーディア様に説得していただきましょう」


こそこそと廊下で話しあう会話がテラスまで筒抜けだ、しかもリーディアが出てくるのだけは阻止せねば


「──リリアーナお通して……」

「皇帝陛下、どうぞお入り下さい!」


ぱっと顔を上げたリリアーナが扉を大きく開けると、声の通りの二人が入ってくる、メイアとリリアーナは部屋の端まで下がると頭を下げる


「何か御用ですか」


テラスの手すりに腰かけたままの体制で話す


「可愛い妃のご機嫌を伺いに来たのだがどうかな?」


髪を高く括ったインシグの格好は先日見た乗馬用のもの側に控えるフィノはいつものようにぴしりと兵装を着ている


「良く見えるなら一度医者に診てもらう事をおすすめしますよ」

「そうか、では森まで散歩しにいくとするか、ミエルお前に見せたいものがある」


(話を……きけっ!)


ぎりぎりと歯ぎしりするミエルの何かが爆発しそうになる


「一人で行って、ついでに池にでも落ちて。さらに帰ってくるな」

「失礼します、インシグ様。馬の御用意が出来ました──って……タイミング悪かったですかね…」


開けっぱなしの扉から静かに入室してきたイナトが場の雰囲気をよむ

それを見たインシグはイナトににっこり笑う


「──わ、わたしは厩舎に行っていますね……」

「ここにいろ」


テラスのミエルに近づくと、高い身長でミエルを囲むようにてすりに両手をつくと小さくつぶやく


「ミエル、イナトに嘘をついていた事ここでばらしてもいいのか?大人しく付いて来た方が身のためだぞ」


碧の目で見降ろされる、いつもよりも凄みをました顔にデルクの言っていた事と先ほどメイアの言った言葉を思い出し息を飲む


「俺はな出来る事ならお前に優しくしてやりたいとは思ってるんだがな、どうやらお前がそうさせないらしいな、メイアに嘘を付かれていたと知ったらイナトはどうするだろうな……しかもお前の指示で」


(ここ最近でメイアがイナトに好意を持っているだろう事は気付いていたけど……)


隙間からちらりと部屋の隅にいるメイアを見る、何事が話されているのだろうと気にする様子のメイアが目に入る


「それだけじゃないぞ、デルクも騙しているんだろう?不思議そうにしていたぞ、騎士目簿にもないお前の事を──まさか俺に話してまずい相手だとは思わなかったらしいがな」


てすりに付いた指をとんとんと打つ


「俺に黙っていてほしければ……お願いしてもらおうか」

「……何を……」


ミエルの耳に口を押しあてて何かを呟いたインシグはさっと身を引いて


「やはり、ご機嫌とりは失敗の様だ。下がるぞ」


テラスで固まるミエルは動かない


「ああ、イナト───」

「乗馬に連れて行って下さい!」


大声で叫ぶミエルは怒りで震えていたが、ミエルからのお願いに全員が驚きで静止する


「ん?何だって?ミエル」


ゆっくりと振り向き耳に手を当てる『もう一度』と促されている


「────乗馬に………連れて行ってください……インシグ」

「可愛い妃のおねだりに応えよう、さっさと支度してこいよ、ミエル──そうだイナト馬の準備ごくろうだったな」

「!!」


にやりとするインシグの顔をみてミエルが真っ赤な顔を手で覆う


(やられた………!)


部屋にいる全員がやれやれと首を振る、リーディアを母にもつインシグは百戦錬磨の王なのだと改めて痛感する面々がいた

メイアとリリアーナが用意した乗馬用の服は鮮やかな青に金ボタンのミエルにしてみれば派手な物だったがこれしかないと言われれば従うしかない白のズボンにブーツを履かされ重い足取りで厩舎に向かうとイナトとインシグが馬を並べているのが見える、一方は青毛の軍馬でデルクの馬だ、もう一方は白毛の馬だ。


「遅かったな」


さほど着飾ってもいないミエルをみる


「ソレハソレハスミマセン」


(今日は意識を封印するのよ、そうこれは悪夢、悪夢なのよ)



自分に言い聞かせると深呼吸をする


「それでどちらに乗ったらいいですかね、さっさといってさっさと帰りたいので」

「では、こちらの馬へお乗りください、僭越ながらわたしの馬ですが大人しいので扱いやすいかと思います」


手を貸そうとイナトが進み出るが、鐙に足を駆けると身軽に乗る下でイナトが見上げながら手綱を調節し始める


「イナト様、わたし、今日、矜持を一つ捨てました。」

「えっ?あ、はい?」


隣で馬に乗るインシグに聞こえないように正面を向いたままに話す


「それもこれも……単にメイアの為です。覚えていてね」


そういうとちらりと目線をあわせる


「………はい」


驚いたままのイナトが手を止めている、それを聞くと手綱をイナトから取り上げる


「自分でできるわ───馬をありがとう」


その途端に腹をけり、嘶きと共に駆けだす、ミエルが初めて笑いかけたその後ろ姿を呆然と見送る

風を切る、流れる草木の香りに酔う、森に入ってもスピードは落とさない、倒れる樹木も軽く飛び越えて駆ける木々の間から射す日光の暖かさ


(自由だわ……!)


この瞬間は何もかもを忘れていられる、強い自分でなくても誰も気にしない、見もしない

視界の先に崖がある、ぎりぎり手前で手綱を引くと馬が大きく前足をあげるそのままに体制を変え踵を返す、後ろから追いかけるインシグと鉢合わせするが、無視したままに来た道を駆けだす


「ミエル!───あのっ…じゃじゃ馬が!」


城が見えてきたありで道を外れて駆けだす、こちらには滝へと続く平原が広がっている事をミエルは知っている、さすがイナトの馬だけあって素直で素晴らしいスピードがある、馬の息が切れてきたところでミエルが足を止めて背から降りる。滝が目の前で流れがけ下へと落ちていく、水しぶきが身体にあたる


「ミエル!」


やっと追い付いてきたインシグに振り向く


「見せたいものとはなんです?」

「もう、見てる」


ミエルは首をかしげながら周りを見渡す、そこには平原に滝下に広がる広大な森、城、遠くには街が見えるさらにその奥には平原、山々点々とある町だ。


「お前に見せたかった、ミルズ国を。」


馬を降りると繋がれてない二頭はじゃれあうように駆けだす


「なぜ」

「お前の国でもあるからだ。」

「────わたしの国はアライナスよ、ここじゃない」


頭を振って否定する


「お前の国だ、見てみろ、もうすぐあそこ一帯で大規模な工事が始まる。お前が指示した工事だ」


指さされた方向を見やる、改めて見させられた事で自分が指示した事の重大さを感じる


(わかってた、わかっていたけど、それは……この国を背負うとかじゃない…)


「わたしは───覚悟をもって生きているつもり、だけど、この国を背負うつもりはないわ」

「そうだな、だがもうお前はこの国を動かしたんだ。多額の金も大勢の人間も」


肩を強く掴まれる


「見ろ、目に焼き付けておくんだ」


(これ以上は背負えない……前に進めなくなってしまう…)


それでも目の前に広がる景色を見渡す、風が吹くたびに目尻からこぼれたものを攫ってゆく滝からあがる水しぶきと重なって曖昧にしていく


「おれは明日、ここを発つ。一緒に来いミエル。責任を持って見届けるんだ」


二頭のじゃれあう馬を見る──


「返事は城に帰ってからするわ……先に戻って」

「──わかった」


指笛を吹くと青毛の馬が駆けてくる、景色を眺めるミエルを残し、インシグは駆けて行った。

 心配そうにイナトの白馬が側に寄ってくる、その頭を優しく撫でながら


「もう少し、自由にしておいで、お前も繋がれっぱなしじゃつらいでしょう」


話しかけると、軽快な足音でまたどこかへ駆けていく

滝のすぐそばまで歩くと轟音をとどろかせる水の流れに身震いする。


(ここでなら思い切り叫んでも聞こえないかも)


すうっと息を吸い込む



「─────────!」

「────────、──────!」




ミエルの声は滝の轟音でかき消されていった

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