毒花の贈り物
「一体いつになったら、この部屋から出れるの?」
インシグに言われたように 完璧、優雅、正確に整えられたミエルは人形のように椅子に座らされている。
すでに何時間このままでいるからか、いっそこのまま人形にでもなってしまうのでないのかとさえ思う
「時期に皇帝陛下がお迎えに来て下さいますよ、それまでもう少しお待ちください」
きびきびとした動きでベッドを整えるメイアが応える、リリアーナもせかせかと浴室を行ったり来たりしている
「ところで二人は何をしているの?ベッドも浴室も十分綺麗よ?」
「何を言ってるんです?今日は初夜ではありませんか!しっかり準備しておかないと」
「そうですとも、きっと素晴らしい夜になりますよ!」
リリアーナは夢見る乙女のように目を輝かせている、
「二人とも今すぐ止めて、でないとインシグ皇帝陛下を切るわよ?」
「「矛先が皇帝陛下!?」」
普段使われない筋肉が悲鳴を上げているのに、さらに頭痛までしてきた。といってもミエルはそういった心配は一切していない、インシグも義務でここまでしていることは確認済みだし、お互い異性として認識していないのだからあり得ない事なのだ
コンコン
「はい、すぐに」
リリアーナが今にも浮かれて空中を舞いそうな足取りで扉を開ける。
「今日もご苦労、リリアーナ。我が妃はご機嫌麗しくしているかな?」
「は、はいっ皇帝陛下!」
顔を真っ赤にしているリリアーナは本当に可愛らしい。
部屋に入室し、椅子に座るミエルが視界に入るとインシグはしばし魅入られてしまった、薄く化粧をほどこし、ドレスを着たそれはまるで妖精のようで───それを怪訝そうに見返すミエルは
「もうお時間ですか?さっさと終わらせてしまいたいのですけど。」
「……そうだな、さっさと終わらせに行こうか」
インシグの表情を見て得意満面の笑みでメイアとリリアーナはメイドが待機する会場の隣部屋へと移動する。
差し出されたインシグの腕に手を乗せようとした時
「お前、あれはどうした?」
「あれ?───あぁ、それでしたらここに」
そういって反対の手をヒラヒラさせる
「お前……ふつうはこちらにするんだ、ほら」
指から引き抜いたそれを反対の薬指につける、そのインシグの長い指先が冷たく感じた
「これでいい。これからはこちらにつけろわかったな。」
まだミエルの手から離れない冷たい指先が、インシグにとっても緊張や不安を掻き立てる状況だと教えてくれる
「これから、ずっと?」
思い切り顔をしかめてみせる
からかいと冗談を織り交ぜて話しかける
「あぁ、手放すな絶対に」
「命令?」
陽光色の髪を今日は真っ直ぐに降ろして、白い礼式の軍服を着るインシグの顔は日が傾き始めて逆光になっていても美しかった、それが優しく微笑んだかと思うとミエルの頬に触れた
「我が妃よ、命令だ。従え」
頬に触れたインシグの頬も冷たかった、今ここにいるのは少なからず今日婚約パーティという戦場を共に駆ける戦友だ
ミエルはそう思う事にした。冷たくなる一方の手を握り返し精一杯笑う
「お互いのために今夜だけは従うわ。我が王よ」
凄然と微笑むミエルに向けるインシグの碧の眼差しは強く優しかった。
強く降りだした雨が城のガラス窓にあたる、けれども会場に近づくと賑やかな音楽や人々の話し声、笑い声にかきけされている。
会場の入り口には扉を守る騎士とイナトにフィノが待っていた。実際にイナトと面として向かうのは初めてのミエルは、メイアが言っていたようにエルフの様だと感じた
「あなたがイナト様ですね」
少し驚いたように
「ご存知でございましたか?とても光栄です、ミエル様」
「ええ、わたし付きのメイドが、噂していましたので」
蒼の軍服に身を包んだイナトはすぐにぴんときた、兵装を借りにきたメイドのメイアだという事に
「どういった噂ですか?とても気になりますね~是非そのうちお話をきかせてもらいたいです」
この会場へ入る扉のすぐ横にはメイド達が待機する部屋がある、きっと今の会話も筒抜けだろうとイナトは内心可笑しくなる
(聞こえているかな?メイアは。また話しをしてみたいな)
待機部屋で真っ赤になるメイアは耳をふさいでいたがお互い内心はわからないままである。
「もういいだろう、万事抜かりはないな?」
「はい、陛下。リーディア様もすでに席に着いておられます。私もイナトも控えていますのでご安心ください」
背の高い三人に挟まれるようにして立つミエルは今まで感じた事が無い安心感に包まれていた、ミルズ国にきてから時々感じるそれは、一体感や互いを労わる心そういったもので生きてきた彼ら独特なものでミエルは一度も味わった事のない感情を持て余してしまう。
(この中で生きているからこそ、戦う以外の選択を選べるのかもしれない、信頼、信用それがそうさせるのか───わたしには出来ない……でもそれ以外の方法はないの?本当にわたしの選択は間違ってないの?)
甘い環境に浸って、全てを暴露してしまいたくなる。けれどそれは逃げ道を利用してしまう自分の卑怯さを露見させただけで何の助けにもならない。
「─今夜だけは皇帝陛下の役に立って見せるわ───」
イナトとフィノを見上げる。二人は驚きで言葉を失っているようだ。ミエルは今だけこの居心地の良い環境に身を投じてみせようと覚悟を決めた。
「クックック…これは姫神が見方すれば怖い物はないな!扉を開けろ!」
茶化した様子でインシグが入場を促す、扉をフィノとイナトが開け放つ、会場のまぶしいほどの月光石の光が差し込む、インシグのエスコートで足を踏み出す。
このどこかに姉がいる……
やはりここは戦場だ。
会場に足を踏み入れるとそこは会場の二階部分にあたり、真っ直ぐに階段が一階まで続いている、会場はミドレイ城と同じでクリーム色を基調とした神殿造りにように太い柱の上部にはアーチ状に天井が連なり、一段と明るい月光石が会場を余すところなく照らし出している
アーチ状の天井からは、オレンジ色の花と濃い緑の葉を持つ蔓花が垂れ下がり、グラスに注がれた色とりどりのカクテルやワイン、食べ物を給仕する者、一角では音楽を奏者達が、真っ直ぐ正面には幾分かの階段を経て玉座が二席用意されている。その傍らにはリーディア皇后が座っているのが見える。インシグとミエルが階段を降りる姿を見て来賓達はざわめきだす。
インシグが見栄えもよく令嬢達の心をわし掴みにしているのは有名どころだが、まさかアライナスの姫神がこの様ない出立ちだと誰もが想像もしていなかった
蒼銀の髪を肩で揃え、髪飾りには丸くカットした月光石を連ならせ、首から肩そして指先まである氷雪のような薄い青色の布地には首元から肩先、そして指先には真っ白な緻密なレース、胸から腰まで入ったダーツは華奢な身体にピッタリと寄り添い裾をふわりと広がらせ、カットされた氷雪色の生地の合間からは真っ白なチュールが流れるように幾重にも重ねられている
カットアウトされた胸元にも緻密なレースをあしらい、粒の月光石が淡い光を放っている、薄く化粧されたその肌は透き通りそうなほど白く、大きなアイスブルーの瞳は長い銀色の睫毛に縁どられ、唇は淡いピンク色に輝いている────
誰もがミエルに見惚れ感嘆している、さらさらと流れる髪がなびくたびに月光石の光を反射してミエルの瞳に新しい光を映す。会場のざわめきを得意そうに眺めるリーディアとインシグが思う
(この子が私の自慢の義娘よ)
(誰もが息をのむ、俺の妃だ)
そんな中ミエルを射殺すように見る者が、そしてその背後にいる美しい男に目を奪われている。ナスタは側にいた侍女に耳打ちすると何かを言われた侍女はすぐに踵を返して会場を後にした。
長い階段を降り切って、さらに壇上の玉座までたどり着くと、リーディアが抱擁してくるので素直にこたえる、リーディアの体温が暖かくてほっとしてしまったのは内緒だ。
リーディアがそっと
「大丈夫よ、私がついていますからね」
と言ってくれたのでなおさら安心してしまい、おもわず笑みがこぼれる、それにまたリーディアが笑みを深くするのでミエルは俯いてしまった。
「皆、今宵はお集まり下さり感謝致します。紹介致します、我が隣にいるは アライナス第二王女ミエル=レイネット 我が妃に迎える方です」
低く通る声で話すインシグはまさに一国の王である、堂々とし威厳を持ち厳格に場を従える
来賓客はグラスを片手にインシグの言葉に聞き入っている、稀に令嬢からすすり泣きが聞こえたりもするが……
「この婚姻により、世は和平への一途を辿ると信じ。血を流しあう時代を乗り越えようとする第一歩だと考えている、以前我が国ミルズは小国とされ貧しい時代もあった、だがいつしか人が集い、助け合い、与えあい大国となった───手を取り合い平和な世を皆で創ろうではないか」
そうインシグが述べるとどこともなく拍手があがり、やがて大きなうねりとなって会場を拍手が包んだ。乾杯の合図でグラスが煽られ、会場の音楽がさらに一層大きくなる。
椅子にかけると、次々と挨拶に訪れる、大海原をこえた先の国の王子、褐色色の肌をした大柄な人々、大公と名乗る方々、貴族、まだまだ諦めませんからとハンカチをかかえる令嬢達には、さすがのインシグも困った様子で、リーディアとミエルは目配せして笑いあった。
それを壇下から見るイナトとフィノも穏やかな雰囲気に笑みをこぼしていた。一通り挨拶も終わりを迎える頃、緑のドレスをさばきながら優雅な足取りで壇下に躍り出る令嬢がいた
「────ナスタ王女」
その声を聞いた途端に眉を吊り上げ、ミエルを睨みつける
「あら、いつから躾が悪くなったのかしら。私の許しもなく口を利くなんて。」
ナスタの発言にミエルは黙りこむ。そうだこの人の気分を害してはいけない
「そう、それでいいのよ。
今宵は婚約おめでとうございます。哀れなミルズ王に同情致しますわ、このような人間を私の代わりだと宛がわれさぞかしお嘆きでしょう?」
ナスタの発言に誰もが眉をひそめる、側に控えるフィノの絶対零度の態度にもイナトの気迫にも物怖じせずにふてぶてしく述べる言葉は止まるところをしらぬようだ
「でも、それも仕方ありませんわね、ミルズ国は自国の平和の為にアライナスの加護が必要なのですから。いくら着飾っても中身は鬼人、血の匂いが大好物の化け物。ああ、それでも捨ててはいけませんことよ。戦場で使うだけの価値はありますもの、ねぇ?」
ミエルに向けられた蔑んだ言葉も目線もすでに慣れ親しんでしまっている、だからこそ傷つきもしない。右から左へ受け流す。
「だまれ、低能な王女よ」
「おだまりなさい、低能の王女よ。この場をどこだとわきまえているのかしら」
突然、ミエルの両脇から同時に発せられた声にどう反応してよいか迷う
「ここはアライナスではない、それ以上言えばお前の首を刎ねてやろう。」
インシグの淡々とした声にナスタは叫ぶ
「ここで?私の首を刎ねるですって……!いいえ!出来ないわ、そこにいる姫神はアライナスに忠誠を誓っているの、もしそうなればその子が盾になってでも止めるわ」
フフフとリーディアが笑う、それをもきつく睨むナスタに
「いいえ、この子は私が止めます、それに会場を良くごらんなさい、貴方に味方してくれそうな方はいらっしゃって?皆声をそろえて発言するでしょうね、ここにアライナスの王女は来なかった。とそうやって無かった事にも出来ますのよ」
イナトの手はすでに帯剣している剣に添えられている。
「お前───なぜ私をかばわないの。」
非難めいた声色でミエルを睨むナスタに
「───今、発言の許可を頂きましたので。それにこれは父王が下した命令だからです」
猫の様な目をこれでもかと見開き、怒りで震えながら踵を返していく姉の背を見送り、小さくため息を零す。
(何て馬鹿な事を……これではいけないのに……)
ミエルは唇をかむ。あまりに強く噛んでしまっていたのか口の中に鉄の味が流れる。
ふと手が差し出されたことに気が付き見上げるとインシグが立ち上がっていた
「ファーストダンスの時間だ。いくぞ」
無言で手を添える、二人で壇上から降りると自然と会場の真ん中が空き来賓客は円を作るように避けてゆく。ゆったりとした曲調に変わった音楽にあわせて踊りだすと
「なかなか鮮烈な人間だったな、お前の姉は。」
ステップを踏みながら話すインシグに目線を合わす
「わたしの姉ですからね───でも反省してるわ、あんな態度をとってしまって、何をしでかすか──」
目線を来賓客達に向ける、きっとどこかで見ているに違いない姉を探す、そのとたんにぐっと腰を引き寄せられ驚く
「気にするな。イナトもフィノも騎士達も目を光らせている。お前は俺に集中していればいい」
見上げれば月光石で照らされて、陽光色の髪がゆらゆらと揺れる、碧の目がゆっくりと細められると口角が上がりインシグが笑っている事に気づく、そうすれば周りの人たちの気配も次第に薄くなった気がする寄り添った身体から鼓動だけが大きく聞こえる。
「皇帝陛下──」
「フィアンセがその呼び方ではおかしいだろう」
次第に曲に合わせてステップも難しくなっていくミエルは覚えた事を必死でこなそうとするも足がもつれそうになる、そうなるとふわりと足が浮くインシグがリードしつつミエルの身体を持ちあげてくれるからだ。軽々とミエルを持ちあげるその腕は見た目以上に鍛えられているのだろう
「あなたって見た目弱そうなのに、力はあるのね」
皮肉たっぷりでインシグを見上げる
「どうやらダンスは苦手な様子だからな、特別なリードが必要だろう?
」
少し口元を歪めて笑うインシグが綺麗でミエルは思う
(口調はともかくとしても、この人はいつでも優しい……顔も綺麗で身体も心も整っているんだから、早く良い人が見つかるように祈るわ───それでも三年はこの婚約を演じなければいけないのだけど……ごめんなさいね……)
やがてファーストダンスの曲が終わると、周囲に次の曲を踊るために来賓客が集まってくる、インシグとミエルが中央で礼を取るとすかさずインシグ目当ての御令嬢が次のパートナーをつとめようと群がってくる、おしのけられる形でミエルは踊り場から離れる。
人々にのまれてミエルの姿を見失ったインシグの腕には勝ち残った一人の令嬢がしがみつきステップを踏み出そうとしている
「ああ。困った人だ───」
ミエルが消えた先を見ながらも苦笑いを浮かべながら、令嬢と踊りだすインシグに令嬢は顔をほてらせうっとりしている今しがたの発言も自分に向けられているのだと勘違いしたらしい。可笑しくなってインシグはさらに笑ってしまった
大きな事項はファーストダンスでほぼ終わったのでミエルはほっと一息付き、壇上のリーディアの所まで戻ろうとする、背中に激痛が走りよろめくも、そっと振り返ると羽根扇を持つ姉が鋭い大きな瞳でミエルを見ていた。
「───な、にを……?」
羽根扇の持ち手からポタリと血が落ちたのでミエルははっとする。持ち手部分は針のようにとがり鈍く光っている、背中を刺したのね……!
「この化け物が。私にたて付いた事許されないわ。
ね、お前にあげた花覚えていて?」
「毒花……」
「あの溝ねずみの駆除にも使ったものよ。でも改良を加えて大切に育てたのよ?お前にもいつかあげたいと思っていたの。せいぜい苦しめばいいわ!」
とくとくと徐々に速まる鼓動を感じ胸に手を当てる、そうだあの毒と同じ症状だ、耳触りな笑い声が群衆にのまれて見えなくなるもミエルは蒼白な顔をして見つめていた、背中が熱さを増してくるも周りにいる誰もミエルの血に気づかないおそらく背にあるレース飾りに隠れて見えていないのだろう、壇上に戻り空席になっている三つの椅子の一つに腰かける
(何としても無事にこの式を終わらせないと……皆が心血注いできたのだから……)
自分の耳に聞こえる鼓動の早さが増してくる、息も上がりつつあるそれを表に出さないように必死に耐えている最中もダンスに誘おうと次から次へと男性達が押し掛けるのを、なんとか断わる。
(今ダンスなんて踊ったら死ぬわ……!)
ふと会場のひときわ盛り上がっている場所に目が行く。そこにはにこやかに笑うインシグとリーディアが褐色の男性達と談笑している様子がある。給仕がカクテルをそれぞれに渡している
グラスをお互いに持ちあげ何かを祝杯しているようだ。
(どこにいても目立つ人ね───太陽みたい)
そんな事を想っていると視界が歪む、だいぶ毒がまわってきているようだ。うつろになった目を隠すためにじっと目を閉じる
「ミエル嬢?」
壇下から声をかけてきたのはフィノだ。
「──何でしょうか?フィノ様」
「どうかしましたか?顔色が悪いですよ───?」
さすが目ざとい男だ、厄介なまでに
「何でもありません。」
インシグがいる方向へと目を向ける、確かにナスタを怒らせてしまったのは自分だ、だけども父王の命令でここにいる私にまさか致死性の毒を盛ってくるとは予想以上だ、ふっと先刻のやり取りを思い出す、怒りに満ちたナスタの燃えるような瞳
(怒らせたのはわたしだけだった?……この場にいる全員があの時───)
同時に祝杯をあげるインシグとリーディアが脳裏に浮かぶ。壇上を勢いよく駆けおりると
「どちらへ?ミエル嬢!」
二の腕をフィノが慌てて捕まえてくる、振り払う間もなく
「インシグとリーディア様が危ないわ!毒よっ」
小声でそれでもはっきりとフィノに聞こえるように話す、フィノは青い目を見開き二人へ向き直る、小さく舌打ちしたのが聞こえるも
「まずいですね……!今あの国の王子達と話ししている最中とは──!イナトも鉄馬車までナスタ王女を送りにいっているし…」
フィノの言っている事がよく頭に入ってこない、ミエル自身に入った毒のせいで朦朧としているせいか
「な、何がまずいの!?早く、しないと、さっき給仕からとったグラスを飲んでしまっているのよ!?」
「あの褐色の肌の王子、あれは海を越えた先の国の王子で……こちらの大陸とは主義が違うのですよ…今格下の者が話に割り込めば、外交問題になりかねないのです」
初めてみるフィノの焦りは早口のおかげでよくわかった
「なら、わたしが行くわ──」
「ミエル嬢、あの国は女性軽視でもあるのです!貴方でも問題です……私は給仕を集めて情報収集します、どうかこのまま椅子にお戻りください!いいですね!」
背を押される形で椅子に戻される、フィノは素早い動きで壇上を後にした。黒依の長い軍服と黒銀のボタンが会場の先に消えていくそれを見送るミエルの鼓動は激しくなり、息も荒くなってきている
「インシグ…………!」
小さくつぶやきインシグの方向にじっと目を向ける、陽光色の髪がさらりと揺れてミエルの方を向く。
碧の目がしっかりとミエルを見ると、人垣をわけて向かってくる。ミエルも思わず立ち上がりインシグのほうへ向かって歩き出す、長い距離に感じるもようやくインシグの差し出した手を取る事が出来たのは会場の中央で、気が付けば周りにはダンスを踊る人達で溢れている
「インシグ気をつけて!毒を盛っているかもしれない!」
碧の目がじっとミエルを見下ろす、少しも驚いた様子のないインシグに苛立つ
「聞いてるの!?」
「ああ、聞いている。ただこの場所では騒ぐな、いいな」
そういうなり無理やりダンスを強行してくるインシグにミエルは慌てる、毒がまわってきているので足元もおぼつかないし心臓も痛いくらいに脈打っている、繋がれた手、腰にまわされた腕がインシグの熱さと鼓動の早さを伝えてくる。かすかにだがリードする身体が震えている
「………まさか……」
「あの女、中々の手練らしいな。テューブラッドの給仕にまぎれこませるとは。俺があの国相手に断われない事がわかっていたんだろう、まぁそれでも即効性のある毒ではない所がまだ幼いな」
淡々と話すインシグの顎につうっと汗が流れる
「だ、だめよ──早く解毒しないと手遅れになるわ」
「ああ、このままダンスを続けろ、様子をみて会場を離れる。お前もそう持たないだろう」
背に添えられたインシグの手が傷口をなぞる、ぬめりとした感触で気付いたのだろう
「リーディア様は?飲んだの?」
「いや、さすがだ上手い事言って逃れた」
じわりとダンスの中から外れてきていたインシグは、フィノが合図する扉前までくると俊敏に身を滑り込ませる。
メイアとリリアーナも待機している。フィノはすぐさまインシグに肩を貸し自室へ運ぶ、インシグはすでにじっとりと汗をかき、呼吸も速まっている
「ミエル嬢!これはいったい何の毒ですか!?」
「ナスタ王女が……創りだした毒よ。おそらく解毒剤は役に立たない……メイアわたしの部屋にあるナスタ王女からの手紙を持ってきて」
「は、はい、今すぐに!」
駆け出ていくメイアを背にしてミエルは、ベッドに寝かされるインシグを見つめた
「医者はまだか!!」
「はっはい!確認しに行ってまいります!」
叫ばれた騎士も駆けだしていく、騒然とする室内はさながら戦場の様だ
「ミエル様!これを!」
隣室にあるミエルの部屋から手紙を持ったメイアが戻ってくる、封筒の中から花びらを取り出し、全員に見えるように持ちあげる
「これが毒よ───わたしも盛られた事がある。一枚なら時間経過で回復するけど、2枚なら意識障害、3枚で生死をさまよう事になる……遅効性の毒よ。
特徴としては心臓の不整脈、発熱、眩暈、頭痛、吐き気───わたしの母を殺した毒──」
リリアーナが震え泣き出す、フィノも絶望的な状況に目を見張る。ドレスの下ではミエルの足ががくがくと震えだしている、倒れてしまいたい……
「ミエル嬢、貴方も盛られた事があるといっていましたが、その時はどうしたのです?」
冷静に話そうとしているフィノに
「最初に盛られた時は生死をさまよって、奇跡的に助かった、ただそれだけ。2回目は戦場で倒れて意識が戻った時には何日も経過した後だった、それからは盛られるたびに倒れる時間は少なくなっていった。それだけ」
「では、何か特効薬や解毒剤を飲んだわけではないのですね……」
荒い息を吐くインシグはベッドに横たわり
「フィノ………ミエルを責めるな……あれを断われない時点で……ナスタの勝ちだ、それよりもミエル───」
手を伸ばしたところでインシグは気を失った
「陛下!!」
フィノが呼びかける、騒然とする室内に
「医師をお連れしました!!」
老いた医師を半ば引きずるようにして部屋に入ってきた騎士の息もあがっている。
「お願いします!」
フィノがベット脇に医師を案内して診察を始めさせる、胸をはだけさせながら手を当てたり脈をはかり
「毒を飲まれたのはいつですかな?」
「飲まれて半刻もたっていません。カクテルに盛られていたようで量はわかりませんが。毒はここにあります、花です」
医師の一つの質問に対して、フィノは今わかりえる全てを話した、ミエルが持っている毒の花を見て医師は眉をひそめる
「姫君がもっておられる花は今まで見たこともありませんな……いまミルズ国にある解毒薬は全て持参してきました、陛下に見られる症状を抑えられるものを投薬していくしかないですな……」
フィノは片手で顔を覆いうなだれる。
長い夜が始まった
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