花婿と花嫁の事情
フリルが重たい……
かかとも爪先も痛い、何でわたしがこんな事態に陥っているのか……
それは紛れもなくこの皇帝陛下……インシグの責任だ、もとより他国から姉の代わりに人質扱でミルズ国に入った。
しかも自分は神話に準えて悪の女神たる姫神を異名にもっているような人物、それを書館通りに嫁にしようなんて、尋常な考えを持っているとは思えない、そのあげくに婚約パーティだとかに強制的に参加させられるはめに、実際人質なんていう事聞かせてあたりまえなんでしょうけど、下働きさせるとか戦場の最前線に送り込むとかもっと有効的な使い方があるはず
「お前、よくそれで第二王女なんてやってられたな?」
煌びやかなダンスホールの端におかれた椅子に足を組んで優美な午後のお茶をたしなむインシグが顔をひきつらせている
「わたしは、戦場で役に立たない事は覚えない主義なので!────一人でファーストダンスだかを踊れ!」
ピタリと動きをやめて、思いっきりスカートを膝までめくりあげハイヒールを投げ捨てると、脱兎のごとく走り出し、一息にダンスホールの窓辺に手をかける、ここは一階なので逃亡にはうってつけだ。窓から躍り出て、顔をあげると───
「こ、これは…………」
ずらりと庭を囲むように兵士が立っている。
「お前の逃亡なんてこれで何回目だと思っている……何も対策をとられていなかったとでも思ってたのか」
窓から覗くインシグは慌てた様子もない、それどころかパチンと指を鳴らすと、背後からがしりと方をつかまれる
「おやおやまた脱走ですか。ちょうどよかった私の部屋に使われていない鎖と首輪があったので使ってみましょうか」
「この 鬼畜が!」
フィノが高い身長のままモノクルを光らせると逆光のせいでかよけいに恐ろしく感じる
「………この優しい私が鬼畜?………それなら陛下は悪鬼か悪魔か───」
言われたことに若干の焦燥を表すフィノに
「お前かりにも自分の主にむかって──まぁいい。ミエルを中へつれ戻せ、正確、確実、忠実優雅 完璧にダンスマナーを仕込まねばいけない。なにせ三日後にはおひろめだからな」
「はい、陛下───いきますよ ミエル嬢」
こうやって連れ戻されてはダンスを教え込まされるミエルのストレスが発散もされないままに蓄積されていく恐ろしさをまだ誰も知る余地もない
ダンスホールでまた足の運び具合を注意されていると
「失礼いたします、ミエル様にアライナスからお手紙が届いております」
そういってホールに入ってきたのは、メイアだ
「アライナスから───」
アライナスの言葉に一瞬で表情を固くしたミエルに、メイアは手紙を銀の盆にのせて差し出した、ホールにいるフィノ、インシグはじっと見守っている
「インシグ皇帝陛下、中を見なくてよろしいのですか?」
ミエルはじろりとインシグに見やる
「あぁ。お前に届いた手紙ならば。正式にアラナイスからの書簡であればそうはいかないがな」
確かに手紙は簡単なやりとりを表している。
「そうですか」
そのままナイフで開封し、中身を改める、ひらりと赤い花びらを舞い落ちる、花びらは赤だが黄色のまだら模様が何とも奇妙だ
その瞬間ミエルは凍りついたようになる、封筒の中にはそれ以外は何もないようで、側にいたメイアは不思議そうに首をかしげていたが、床に落ちた花びらに手を伸ばす
「触らないで!」
ミエルのどなり声にメイアは全身を硬直させる。これほどまでに怒りを含んだ声をこの場にいる誰も聞いた事がなかった。ミエルはそっと花びらを拾って封筒の中に戻すと
「───これはアライナスの花よ、誰にも触ってほしくない」
封筒の後ろを見てみると、はっきりと姉の名が記されていた。
(あれが動くのね………また懸念材料が増えたわけか……)
「ほう?姉からの手紙だったか」
いつのまにか手紙を覗きこんでいるインシグに
「まさか───アライナスに知らせたのですか?今回の事について」
まだ表情を固くしたままのミエルが責めるように話す
「当然。だな これは国家間の婚約だ知らせないままにしておく方が難しいだろう」
「そうですよ、ミエル嬢。いくら貴方が王女らしからぬといっても、アライナスの父君をおろそかにする事は出来ません。ミルズ国の品位を落とさぬためにも」
二人の男をじっと見据えるミエルには政治の事品位の事、そんなことは細事である。そんなことよりも問題はあの、姉が動くという事態だ、あの姉ならパーティのカーテンが気に入らない、または床が美しくない、給仕の仕草が気に食わない……そういった些細なことで何をしでかすかわからないのだ。姉の気分を損ねたからといって実際に攻めた事があるほどだ───
「ミエル。お前には さっき言ったように正確、確実、忠実、優雅、完璧さを求める。それは俺がそのように今回のパーティを仕切るからだ、一点の曇りも許さないからな」
全てを完璧に───完璧であれば姉は何事も侵さないで帰るかもしれない……
「もちろん、そのためにはお前にはダンスをマスターしてもらわなくてはな」
「ミエル様、わたくしもご協力いたしますからね!」
そういうメイアは最近、ミエルのことを世話の焼ける動物かのように接してくるのでインシグの言葉の裏の意味などおかまいなしのような気がする
「ところで……アライナスからこちらまで相当な日数を要しますが到底間に合わないのでは…?」
フィノの疑問に
「───鉄馬車か?」
インシグの少し驚きを含んだ声に反応したのはフィノだ
「まさか!あれはただの噂でしょう?───アライナスを蔑むただの」
「神話の中で槍の王が乗る鉄馬車」
ミエルが静かにつぶやく。インシグもフィノも信じられない事を聞いたような表情だ
「実在しているわ」
じっと手にした手紙を見つめるミエルの横でメイアが首をかしげる
「申し訳ありません……鉄馬車とは何ですか?」
「人間の命を使って走る乗り物よ。あれがあれば五日ほどでミルズに到着するでしょうね、消費する人間が多ければもっと早いかもしれないわ」
「に──人間の!?」
青褪めるメイアの手は震えている。
「消費、ですか。さすがアライナス、人を人とも思わぬ所業ですね──貴方は下がりなさい」
「は、はい───」
フィノに促されて退出していくメイアが扉を静かに閉める
「鉄馬車はアライナスにしか存在しないが、それは人の命が必要だからか……」
「さぁ?もしここにアレがあったなら、心優しいミルズ王は使えたかしら?」
椅子にもどったインシグが見据える、フィノは窓辺に立ちやはりミエルを観察している様子だ
「確かに……使えるかどうかの前に使うという選択肢はないな」
「鉄馬車は馬車の三倍の大きさがあるから戦場向きではなの、もしアレが戦いに使われるような事があれば今頃、全領土がアライナスの物になっていたわね。──アライナスは神の国だとされていた、それは太古の異物が残されているから。鉄馬車、月輝石の剣、城守の槍、まだまだあるけどあれらは神の叡智を持って作られたとされている」
「それらを駆使すれば、アライナスはなにも恐れる物はないなぜ使わない?」
「………」
「使いたいが、使える者がいない───そういう事ですか」
フィノの的を得た意見にもミエルは静止したままだ
「明後日は血なまぐさい婚約パーティになりそうだな……」
ミエルの周りにある物全てが錘のようだ、あまりに重たくて立ち上がれなくなってしまったらどうなるだろう、誰かにすがる?助けてと叫ぶ?今まで何度考えてきただろう、けれどその度に母を思い出す、打ちのめされ罵られ迫害され、それでも誰かのために立ちあがって、けれども最後まで信じてもらえずに、無残にも殺された。これはわたしが始めた事、それは自分でしか為し得ない事……最後のその時まで。ダンスホールは重たい静けさが漂っていた
アライナス中央区 王立図書館 古書室
「それで、明日の花婿がここで何をしているのです??」
明るく照らされた古書室は白塗りの壁に外からの日差しで本が焼けてしまわないように窓はなく、飾り気もないが置かれた古い木彫りの椅子だけは飴色に光っている。
本を広げるための机も揃いの木製だ、クロームは椅子に腰かけ長いクリムゾンレッドのローブは足元まで垂れ下がり向かいの机で古書を漁る男を見ている
「その花婿の花嫁になる者について何も知らないのでな、こうやって古書を漁っているわけだ、まったく……」
ため息を吐くインシグは陽光色の髪をたらしたまま、服装も一般人が着るようなシャツにスラックス、灰色の外套をまとっているだけだ
「ミエルさんに詳しくお聞きしたらいいのでは?それかジェイドならそういう昔話は熟知していそうな物ですが」
「……クロエになら話ししたかもな?ジェイドは見ての通り、神話から現実になった話しについて詳しく調べ中だ」
横目で黙々と古書をめくるジェイドは小声でぶつぶつ話しながら部屋の隅でうずくまっている
「クロエに嫉妬ですか?やめてくださいよ、女装したつもりもないのですが、ミエルさんが勝手に誤解されているようで───
ま、インシグよりは信頼されていますけど確実に」
「クロームを女だとおもっているから俺と信頼度が違って当たり前だ」
じっとりと睨まれたクロームは飄々としている
「それにつけても、ここがミルズ国唯一の重要古書室ですが、そのような話は神話としか記されていませんよ?この部屋に置かれている蔵書については端から端まで読みましたが、アライナスの事項についてはまさに神話、もしくは子供に話すおとぎ話の様で」
読んでいた書物から目を話し、不思議そうに語るクロームにインシグが
「そこだ、重要古書しか置かれていないはずのここに、なぜ神話、もしくはおとぎ話風情の書物が安置されているのか……むしろ重要な事柄、もしくは神話にしておかなければならない事実があるからじゃないのか?」
インシグの発言にクロームの紫色の瞳が大きく開かれる、部屋の端にいたジェイドも聞き耳を立てていた様子で、書物を閉じると
「……そうだ…どれもこれも真実なんだよ、けれど、もし、これが……全て技術さえあれば使えてしまえるものであれば、大変な事になる……」
「鉄馬車、月輝石の神剣、城守の槍、魔蛇、リャクナの瞳、上げればきりがないですが、すべて書物通りだとするならば、我々は戦争を繰り返してきた、世界は今頃ほろびてるでしょうね」
机に両肘をつき口元を隠すインシグの指先が冷たくなっていく、ミエルは存在すると確かに言ったのだ、実際には明日自分の目で鉄馬車を見る羽目になる
「ミエルは真実を述べた、何かを隠してはいるが、今まで俺達に嘘をついた事はない。───今言える事は、アライナスには継承されてはならない遺物が存在している。けれどそれら全てを使いこなせているわけではないという事……」
「忌むべき遺産ってことだね……やっぱりアライナスは滅びなきゃいけないんだ」
クロームもインシグも険しい顔をしながらもジェイドの言葉を飲み込んだ。
多くの犠牲を払って挑んだ戦いで誰もが戦争をしないと心に刻んだ、解決する方法は血を流すことではないとそう思っている。だからといって受け身では自国は守れない事も十重承知だ。
(ミエルは戦いを選ぶという。俺は戦いを選ぶことがなければいいと願う。中途半端なだけではないのだろうか……戦いを選んだ末にアライナスは今、落ちぶれ破滅に向かおうとしている、それは誰の為にもならない、なら願う事だけで何を得られるだろう──)
「俺は───選択しなくてはいけない──」
碧の目が長い睫毛に伏せられて影を作っている、眉間にしわを作るその顔には疲労が見える
「インシグ───俺は、甘い事なんか言わない。戦わない方法を選ぶんだとしても絶対に後悔しない方法を選んでよね」
いつも猫背にしている背も真っ直ぐに伸び迷いのない目でジェイドはインシグを見据える。その二人をクロームは見守るだけに収めておくことにした。
婚約パーティを明日に控え、ミエルは足の爪先から頭のてっぺんまでメイアとリリアーナに磨きあげられ、定位置の長椅子にぐったりと横たわっている。
朝食昼食夕食も明日はコルセットを絞めるのでスープだけという苛酷な一日だったのだ。
「元より細身のミエル様ですから、もっと絞めれば美しさが三割増しですわ」
という微妙な励ましをリリアーナからもらって、ミエルが目を剥いたのは言うまでもない。長椅子から見上げる空は雲が広がり、ぽつりぽつりと雨が降り出している、雨は明日には強さを増すだろう。
こんな日は嫌でも思い出してしまう、不気味に笑う姉の顔、雨の音、戦場から戻ったばかりで立ちすくむ自分、血だまりの床、燃やされた母屋、母の墓標、グラスから漂う甘ったるい香り……
次々と現れては消えていく、これ以上思い出したくなくて毛布を頭まですっぽり被る
(あの人は他人の幸せを許せない、明日もわたしをあざけりに来るだろう事は予想できる……手紙の毒花は警告だわ───母を殺した毒花)
来るとわかっていても、今更ながら何も出来ない自分をいらただしく思う、ミエルには社交界や政治に関わる物事に関して疎い、それが後手に回ることもやっと知る事が出来た。学ぶべきことはたくさんある
続き扉をノックする音で物思いから抜け出す
「まだ起きているか?」
「皇帝陛下、何用でしょうか?」
扉前まで言って話す、何のしきたりかは言うまでもないが、正式に婚約が終わるまでは互いの部屋に入る事は出来ないのだとか、それをインシグに言えば、続き扉からは入ってきてないからしきたりを破ってはいないだとか言葉遊びが返ってくるのでミエルはそれ以上追及はしない
「明日は婚約パーティだからな、お前に渡しておかなければならない物がある。表の扉前に置いておいたから明日は身につけてこい、いいな」
「───どのみち拒否権なんて無いのでしょう。わかりました、おやすみなさいませ」
「あぁ、ミエルお前に拒否権が無いというのは大変喜ばしい事のひとつだな。───お前はどのみち付け焼刃に物事を覚えたにすぎない、明日は俺にまかせておけばいい」
(ん?)
「付け焼刃ですみませんねぇ!せいぜい明日はわたしに足を折られないように気を付けなさってください!」
くぐもった笑い声が扉越しに響く、そのインシグのいつになく優しい顔をミエルは見る事は出来ない
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