3-12

「……これでいいはずだ」


 木の壁と床に囲まれた作業室。その中で私は呟いた。向かっていた作業台のような広い机に羽ペンを置き、ゆっくりと立ち上がる。

 机にはわずかなスペースを残して、何十枚もの用紙が折り重なっていた。それには大量の式が書き込まれており、私は一度軽く体をほぐしてから、その用紙たちをまとめにかかった。

 余白に適当に穴をあけ、左綴じに重ねる。そして表紙を上にしてから、紐で仮綴じする。表題には「Wonder Squareワンダースクエア」と書き込んだ。

 脳内で、式のみで世界を構築するのは実に骨が折れるものだった。


(あとはこの解式群を万能粒子に伝達すればいい。通信粒子への送信は私自身が行える)


 私はその二つの粒子のうち通信粒子を――あくまで感覚的なものだが――知覚できた。この感覚は物心ついた時からあったものだが、これのおかげで私は肉眼では見えないそれを貪欲に探し続けることができた。

 そして私は結果として二つの粒子の存在をり、解式や解式術を考案し、その粒子を『視る』ことのできる眼鏡レンズというものまで作り出していた。

 学会などにはまだ何も発表していない。

 これは物理学の分野にまで関係する発見だが、一定の成果がなければ私のような自称数学者の言葉に耳を傾ける者などいないだろう。それに私はこの術を私だけの秘密にしておきたい気がしていたのだ。

 解式さえ判明すれば、万物を作り出せる技術。

 それは間違いなく世界の常識を書き換えるものだが、私はそれを恐れていたのかもしれなかった。現に私は、今までもごくごく小さな術をひっそりと楽しんできただけだった。

 しかしこの『ワンダースクエア』の実験が成功すれば、私はそれを成果として、解式術を公にしようと思っていた。

 別に、あの少年の夢を私利私欲のために利用するつもりというわけではない。彼に有効な治療を受けさせるにはまとまった資金がいるだろう。ただそう思ってのことだった。

 そして私はゆっくりと部屋を歩き、部屋の隅にあった姿見の前で立ち止まった。


「……鏡の中へ誘われる、というわけか」


 人の精神情報を別の世界に転移させる。

 そのための入り口としては鏡が一番都合がよさそうだった。鏡の構成物質の微妙な加減の話になるが、条件の揃った鏡は通信粒子が停滞しやすく、粒子の持つエネルギーによって異なる時空、世界を繋ぐことがある。つまりそれを応用すれば、精神情報のみを移動させる鏡を作ることは可能だ。そのための物質を生成する解式構築にはかなり時間がかかってしまったが。

 しかし、古来より神器のように扱われることも多かった鏡だが、オカルトというのも案外理に適った代物なのかもしれない。もしかしたら、あの粒子以外にもオカルトじみた事象を現実にするような物質は存在するのかもしれない。

 と、そこで私は発見した二つの粒子に名をつけるべきだと思った。あれらにも、ことが必要だろう。この実験が終わったら名づけようと心に決める。

 そして私はまだ調整前の、ただの鏡に手を触れた。


「理論は整ったんだ。……これで私も、彼に嘘つきと言われなくて済むな」


 心底安心し、私はふっと息を吐く。

 息を受けた鏡は一瞬曇り――しかししばらくすると、いつもの輝きを取り戻した。

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