3-7

 その後、真希菜は事後処理に追われた。

 倒れた父をなんとかリビングまで移動させて介抱しつつ、彼のぶちまけた土産物を片付ける。父は怪我をしているわけではなさそうだったが、とりあえずはそれ以上動かさず、ソファに寝かせておいた。

 そして真希菜は衣服を直し、身だしなみをきっちり整えて証拠隠滅。

 クロノは居られても面倒臭いことになるだけなので、とりあえず家から追い出した。

 登校時に話の続きをすることだけは約束し、それまでどこかに隠れていてと言い聞かせた。もし家に入ってきたら二度と話も聞かないし、ワンダースクエアにも行かないと脅しをかけてある。それで彼が脅されてくれたのかはわからないが、こちらの剣幕もあってか、一応彼は従ってくれた。

 そしてしばらくして、父は無事に目を覚ました。

 

「……えっと、まきちゃん……さっき男の子が来てなかった?」


 目覚めてしばらくたってから、父はそう言った。今、真希菜はリビングから見えるダイニングにいて、父はリビングのソファに腰掛けている。


「な、何それ。男の子なんて来るわけないでしょ」


 現場ははっきりとみられていたはずだが、父の記憶はあいまいらしい。あの光景が相当ショックだったとみえる。言い訳をいくつか用意していた真希菜だったが、これ幸いにととぼけることを選ぶ。


「……そ、そうだよねぇ」

「帰ってきていきなり倒れたんだよ。ホントびっくりしたんだから」


 きちんと着た制服の上にエプロンをつけつつ、真希菜。


「うん……そっか。……あれ、でもそういえば、まきちゃんも玄関で倒れてなかった? それで、そう、あれだ。黒い何かがまきちゃんに乗ってたような――」


 その黒い何かと『男の子』は繋がっていないらしいが、一番説明が面倒な場面はそこそこ覚えているらしい。完全になかったことにすると逆に怪しまれると思った真希菜は必死で思考を巡らせる。


「あ、あれは……そう、く……クロ……ゴ、キブリ退治しようとして転んだの。そしたら上に飛んできてほんと怖かったんだから。あんまり思い出させないで」


 ――クロノ君、ごめん。


 真希菜は彼のカモフラージュに不快害虫を持ち出したことを心の中で謝る。そしてこういう嘘が下手すぎる自分が嫌になった。


「ゴキブリは結局逃がしちゃったんだけど……――って、お父さん?」


 見ると、父は俯いて何やら考え込んでいるようだった。

 それもかなり深刻そうに。

 ……もしかして嘘だと感づかれたのかもしれない。

 しかし父はぐっとこぶしを握り締めると、その場で立ち上がり、叫んだ。


「おのれぃ! 油虫ごときが身の程を知れっ……! どーりでその黒い何か、見た瞬間引っぱたきたくなるよーな衝動に駆られたわけだっ……! くそぅ! 娘のピンチになんで僕は出張なんぞ行ってたんだっ!」


 両手で頭を抱え、本気で絶望した表情で父は朝っぱらから男泣きをぶちかます。

 そしてリビングの隅のスタンドに立ててあったスリッパを引っ掴むと、


「大丈夫、今やっつけてくるから! どこ逃げた! 上か! 下か! いや、玄関先にいたんなら外に出ているかもしれないな……!」


 仮に外に出ているなら放っておけばいいだろうに、父はスリッパ片手に玄関へ向かう。


「ち、ちょっとお父さん、もういいから!」

「娘を汚されて黙ってられる父親はいないっ!」

「大げさ……!」


 真希菜はちょうど取り出していたフライパンを適当にシンクに置いて、あわてて父を止めに入る。家の中で騒がれるくらいならまだしも、今外まで行かれるとまずい。たぶんクロノはこの付近にいるのだろうし、下手をすれば鉢合わせる可能性もある。それで父の記憶が戻ったりしたらせっかく誤魔化した努力が水の泡である。

 というか、こんな早朝から家の周りでドタバタ騒いだら普通に近所迷惑だし変に思われる。父の様子からして、ご近所の草の根分けてでも目標物を探しかねない。


「ね、お父さん! う、上に! 上に逃げたから! もう天井裏とかに行っちゃってるかも。いいから朝ごはん食べよっ!」


 言いつつ、真希菜は父の腕を引く。


「ごめんねまきちゃん、止めないでくれ。男にはどうしても戦わなきゃならん時があるんだ! 大切なものを守るために!」

「今はご近所付き合いのマナー守ってっ!」


 温厚そうな見かけによらず、熱くなったら止まらないタイプの父を真希菜は必死で止める。

 結局、父が冷静さを取り戻したのは、それから十数分経った後のことだった。

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