3-6

「……えっと」


 近所の目もあるので、とりあえず真希菜は彼を玄関まで入れた。広くもなく狭くもなく。入って右手に小物やら写真立てを乗せた木製のシューズボックスがあるというだけの普通の玄関だが、人二人が会話するくらいならそのスペースで十分だろう。真希菜は廊下から、土間にいる彼を見下ろす。ただでさえある身長差が余計に強調されていた。


「髪整えてないとまた印象が違うね」


 こちらを見上げてクロノは言う。

 風呂の中で、やっぱり昨日のことは全部自分の勘違いとか、妄想だったんじゃないかと考えてもいたが、その推察は朝の三十分ほどで確実に打ち砕かれる結果となった。


「あの、クロノ君――」

「あ、服は替えがあるんだよ。昔貰ったやつがどっさりと」


 別に今それは聞こうとしていない。誰に、なんで貰ったのかとは思ったが、あえて聞かない。

 それよりも、ほかに聞くべきことがあり過ぎる。


「なんで、うち来たの……? ていうかよく場所わかったね……」

「メアリに名乗ったでしょ。『モリモトマキナ』って。僕も日本語は読めるしね。この辺で『森本』って表札、ここだけっぽかったし」

「あー……」

「でもこの辺、本当に道が複雑だよね。把握するのに数時間かかったよ」


 ……アンタ、ホントに方向音痴よねぇ。

 昨日のメアリの言葉が頭をよぎる。が、それをわざわざ口には出さなかった。


「あの……それで、もう一度聞くけど、なんでうちに……?」

「直してほしくて」

「……えっと……腕を?」

「うん」

「また壊れたの?」

「あれからオートマトンとやりあったら壊れた。そいつは壊せたけど引き替えにこんななっちゃった……本来、こんなに脆くないはずなんだけどね」


 最後の一言に真希菜は少し引っかかる。


「……もしかして私のせい?」

「とは言わないけど、どこか一部、部品強度の設定を間違えたのかもってメアリは言ってた。腕そのものはバラバラに壊れたけど、ヴォーパル・インパクトの基幹ユニットなんかは形そのまま残ってたりするからね」


 ヴォーパ……なんだって?

 聞き覚えのない単語に一瞬混乱する真希菜。しかしそういえば彼の右腕に通常の駆動に関係なさそうな『逆構造のトゥールビヨン』を組み立てた気がする。武器か何かだろうか。


「……それで、今から腕を直せって?」

「メアリに頼んで来いって怒られた……僕としても直してほしいわけではあるけど」

「……またあそこ行くの?」

「この街からワンダースクエアに向かうための扉は日が高くならないと使えないから、今すぐってわけにはいかないけど、修理するなら来てもらうしかない。修理ユニットはあっちにしかないし、ALICEだってワンダースクエアからは出られないしね」


 ALICEアリス――あの世界の管理システム。昨日調べ物をする中でその名前についても当然調べたが……特に何というわけでもなかった。外国では一般的な女性名らしいが、わかったのはそれだけだ。あの不思議な世界と紐付くような名前でもない。

 真希菜はしばし彼の言葉を吟味する。

 しかし答えはすぐ出た。


「……嫌」

「どうしても?」


 右手を左手で軽く覆いながら、真希菜は頷く。

 昨日のあれはその場の勢いと、彼が言っていたように偶然……もあると思う。直接機械に触れるより幾分抵抗はなかったと思うが、再びあれをやる気概と技術は自分にはないように思う。

 するとクロノは帽子をかぶりなおして、言った。


「そっか。じゃ、帰るね」


 嬉しそうでも悲しそうでもない、それで当然というような、平坦な声音。

 もう少し粘ってくるかと思ったので真希菜としては意外だった。真希菜としては自分の希望が通ったので、別に問題はないのだが。

 そしてクロノは踵を返し、真希菜に背を向ける。

 しかしそこで、クロノは急に動きを止めた。その後僅かに首を傾けて、考え事をしているような――それでいて何かをじっと見ているような姿勢で固まる。


「どうしたの?」


 疑問に思った真希菜は彼に尋ねる。

 すると彼は、くるりと向き直って歩み寄ると、真希菜に言った。


「来て」

「へ?」

「ワンダースクエア。やっぱり今すぐ来て」


 言って彼はこちらの手を取る。真希菜は抵抗しつつ、


「え、私いかないって……」

「いいから。行こう」


 豹変した彼に戸惑いつつ抵抗を続ける。


「ちょっと待って。なんでそんな急に……」

「必要になった」


 その物言いに、真希菜はむっとする。


「道具みたいに言わないで」

「そんなつもりはないよ」

「だとしても嫌。第一、トロ臭い私なんて邪魔でしょ」

「まだ根に持ってるの? じゃあそれは謝るから来てよ」

「嫌だって」

「来てって」

「嫌」

「来て」

「嫌」

「来て」

「無理!」

「頑固」

「どっちが!」


 そこで真希菜は思い切りクロノの腕を振り払った。

 だが。


「わっ……!」


 振り払ったことでクロノの手は離れたが、腕を強く振りすぎたせいで真希菜の方がバランスを崩した。右手でとっさに何かを掴んだが、掴んだ何かは自分を支えるにはあまりに頼りなかったようで、真希菜はそのまま背中から廊下に倒れこんだ。

 どたっ、と鈍い音が廊下に響く。


「いったた……」


 真希菜はぶつけた後頭部を抑えて上半身を起こそうとする。しかし重さを感じて、思わずその動きを止めた。見ると、自分は胸元に黒い何かを抱えるようにしている。

 それがクロノであるということに気付くのに、たいして時間はかからなかった。


「ご、ごめんクロノ君」


 引っ掴んだものはクロノのコート、その右袖だったらしい。真希菜は謝りつつも一緒に引き倒してしまった彼を起こそうと肩に手をかける。

 一瞬、機械である彼の体に触れるのを躊躇いかけたが……自分の失態だ。さすがにそんなことを言っている場合でもない。触れると、人のものとは違う独特の熱が伝わってくる。

 しかしそこでふと思ったが、彼の重みは『見た目相応』だった。金属の詰まったロボットのはずだが、あまり重さは感じない。彼の体の材質は重量に関しても特殊なものであるらしい。

 だがそれとはまた別に、真希菜には違和感があった。

 彼が自分で起き上がろうとしていないのである。彼の身体能力は昨日はっきりと見ている。片腕だけとはいえ、一人で起き上がるのに難儀するようには思えない。


「クロノ君……?」

「…………」


 やはりクロノは動かない。

 真希菜は思わず、昨日の出来事を思い出していた。

 体が壊れ、動けなくなっていた彼。

 今日は普通に話ができるので失念していたが、彼は今、人でいえば大怪我をしている状態なのだ。さっきまで平然としていたのを鑑みると痛覚などはないのだろうが、動けないほど損傷がひどいのかもしれない。衣服で見えなくなっているが、腕以外の場所も大きく壊れていたりするんじゃないだろうか。

 だが真希菜はそこで、クロノが小さく肩を上下させていることに気が付いた。

 ふと彼の口元近くに手をかざしてみると、手にはその動きに合わせて吐息がかかる。彼は静かに、穏やかに呼吸しているのだ。ロボットに呼吸が必要なのかは疑問だが。


「クロノ君?」


 その問いかけにやはり彼は答えないが、どうやら彼は故障して動けないわけではなさそうだった。


「もしかして、寝てる……?」


 そう考えるしかないような状況だった。それも、真希菜と転んだと同時に眠ったような感じである。あどけない顔で、目を閉じ、彼はすぅすぅと寝息を立てている。


(……かわいい)


 彼の寝顔を見つめながら、そんなことを思う。

 が、ぶんぶんと頭を振って真希菜は思考を切り替えた。

 とりあえず彼の上半身を両手で支えて、自分の胸元から離れさせる。

 するとその直後、真希菜の体の上で、彼は目を覚ました。


「……ん……あれ」

「クロノ君……?」

「あれ、何してたんだ。僕は」

「寝てた……と、思うよ……?」

「うん?」


 クロノは頭上に『?』を浮かべるようにして首をかしげる。動きに合わせて帽子がずれる。


「睡眠なんて必要はないはずなんだけど」


 どうやら、クロノですら予想外だったらしい。ロボットである彼には、確かに人間のような生理的な睡眠は必要ないだろう。一時的な機能不全か何かだろうか。


「まぁいいや。……それより行こうよ」


 真希菜の上に乗ったまま、彼は途切れた会話をさっさと引き戻し、身を乗り出してくる。

 顔がぐっと近づいて、それから逃げようとして真希菜は身を引こうとしたが、彼の重みがあるせいで、大して距離は離せなかった。

 と、その時声がした。


「ま、まきちゃん……?」


 その声に驚き、真希菜は若干混乱しつつも声の主を探す。

 見ると、玄関口にはスーツ姿の男が一人立っていた。ただネクタイはしていない。仕事にしては少々ラフな格好で、開いたドアに右手を添えたまま、茫然とこちらを見下ろしている。中肉中背で面差しは物柔らか。そしてどこか青年のような子供っぽい雰囲気の漂う男である。

 左手側には一般的な大きさのスーツケースが一つ。そしてその持ち手を握る彼の左手には、出先で買った品――土産が入っているらしい大量のビニール袋が提げられていた。

 旅行帰りにしては服装が妙であるが、出張など、仕事帰りにしては土産がやたらと多すぎる。そういう意味では変な男といえる。

 だが真希菜は一瞬混濁していた思考が整理されると同時、呟いた。


「お父さん……」


 そこにいたのは紛れもなく自分の父親だった。

 こんな朝早く帰ってきた理由は何だろうとか、クロノをどう説明しようかとか、出張の度に大量のお土産買ってくるけどホント大変じゃないのかとか、一瞬であれこれ思考を巡らせる真希菜だったが、そこまで考えて初めて、何より話さなければならないことが自分の置かれた状況についての弁明だということに気付いた。

 制服のカッターシャツとスカートを着ているが、よく見るとシャツのボタンがこの騒動で上から一、二個外れている。風呂上がりでほんのりと上気した素足がスカートからは覗き、乾ききっておらず結わえてさえいない長い黒髪は、しっとりと頬に、胸元に張り付いている。

 そしてそんな恰好で、一人の男の子を体の上に乗せて(……この場合、彼に押し倒されたように見えたかもしれないが)、玄関で寝そべっているわけである。

 事情を知らない人間が見たら誤解を招きそうな姿であるのは明白だった。


「あ、あの、お父さん、これはあの、違くて……」


 真希菜はあわてて弁明するが、


「マキナ。一緒に来て。昨日のアレ、もう一度してよ」


 と、クロノがまたひじょーに誤解を招きそうなタイミングで、ひじょーに誤解を招きそうなセリフを発する。というか、なんでこんな時に限って名前を呼ぶのだ。

 がたばたどさっ。

 盛大な音を立て、手にしていた荷物ごと父親が卒倒した。糸の切れた人形のごとく、玄関先で気を失う。


「お、お父さん!」


 真希菜は突き飛ばす勢いでクロノを押しのけて父に駆け寄った。

 

 森本健一郎。四十五歳。会社経営者。

 予定より早く帰って娘を驚かしてやろう――そんな子供じみたイタズラ心でわざわざ深夜便を使って出張から戻った彼だったが、その代償は大きかった。

 その娘から玄関先で会心の一撃をもらうとは、誰が予想できただろう。

 合掌。

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