1-13
どこまでも続く鋼の道を真希菜は必至で進んでいた。
あの後、隔壁の向こうから聞こえ出した戦闘音は、真希菜に再び恐怖を植え付けた。だが真希菜はそれが根を張り、自分をその場に縛り付ける前に、何とか足を踏み出した。
歩いて。歩いて。
もうさっきの隔壁は闇に紛れて見えない。淡々とした冷たい道が、行方知れずに広がっている。何かが駆動しているような重い音が相も変わらず響く。行き止まりすらもない道は心をどこまでも空虚にし、そこにはゆっくり、ひたひたと不安と恐怖が注がれてゆく。どれだけ歩いても外界は見えない。この鋼鉄の世界はどこまでも無限に続いているような気がする。
そして真希菜は思っていた。
これが、夢ではないだろうということを。
さっき抱いた死の感覚は
確かあの少年は世界が違うと言った。つまり、仮に常識を取っ払って考えるなら、ここは異世界である可能性が高い。どうやら自分はあの窓を通じて、別の世界に転移してしまったらしい。ありえないことではあると思うが。
しかしそんな状況に置かれていながらも、ある程度冷静に状況を分析できているのは不思議でもあった。人間、自身のキャパシティを大きく超えた状況になれば、逆に理性的になれるということなのだろうか。
……いや、仮にそうだとしても、それだけではないだろう。彼の影響はたぶん大きい。
今しがた抱えられたときの、彼の腕の感触がまだ体に残っている気がする。それがこの滅茶苦茶な状況で唯一確かなものである気がして、辛うじて平静でいられる、そんな感覚。彼の手が機械だったと知っても、この感覚に嫌悪感はなかった。彼の体に――機械義肢に、なぜか恐怖は感じなかった。
「あれ……?」
――と。そこで真希菜は、ヘンなものを見つけた。
それは通路の前方、ど真ん中に落ちている、金属の球体。
(…………?)
またあの化け物が現れたのかと思ったが、大きさが手のひらより少し大きい程度しかないようであったし、どうも違うように思う。
そして真希菜は恐る恐る近づくと、それに目を凝らした。
(なんだろ、これ)
何かと問われれば、それはもう金属球としか答えられないような代物だった。
ありふれた銀玉を大きくしたような見た目で、綺麗に磨き上げられつややかだ。それそのものはなんの変哲もない物体である。しかしこんな通路にぽつんと置いてあると異様だ。鏡面となっている表面では通路の灯りがぼんやりと反射しており、そこには自分の顔が不恰好に引き伸ばされて映り込んでいた。
(…………)
真希菜は屈み、もう一度まじまじとそれを見てみる。が、やはりそれは何のことのない球体であった。
しかしそれ以上真希菜は手を出さなかった。球を無視して歩を進める。
常識で測れない場所であるのは明白なのだ。どんなものでも不用意に関わるのは危険である。
だが、しかし。
「ちょっと。無視ってどういうことよ」
「!?」
後方からの声に真希菜はびくりと足を止める。
振り返るが、通路には誰もいない。
「気のせい……」
「なわけないでしょ。失礼な子ね」
「…………」
真希菜はありえないと思いつつも、例の銀玉に視線を移す。
「もぅ。せっかく待ってたってのに」
声は確かにこの球体から聞こえてきていた。キーの高い、しかしはっきりと男性の声。
「えと……どちら様……」
「相手の素性を訊ねるなら、まず自分の名くらいは明かすものよ」
「……も、森本です……森本真希菜」
「ふぅん。マキナちゃん。いいお名前ね」
言ってその球体はどこか満足そうにくるくる自転する。……と言っても表面がつややかすぎて、この薄明かりの中では本当に回っているのかどうかはわからなかったが。
「それで、あの、あなたは……?」
「アタシはメアリ。よろしくね」
今度は左右に揺れるように転がりながらメアリが答える。
「……この銀玉はなんなんですか」
真希菜は通話先の人間に話しかけるように銀玉に向かって声を出す。
しかし、
「話がかみ合ってないわね……アタシはメアリだって言ってんでしょうが」
と、言葉に合わせ、怒りを示すように銀玉がその場で跳ねる。
「…………」
通信機の類かと思っていたがどうも違うらしい。
「…………」
見たところ、彼女(?)には視覚や聴覚のような器官は見当たらないが、こちらの姿や声は認識しているらしい。いったいどんな仕組みになっているのだろうか。おまけに彼女の動きはどちらかといえば金属球というよりゴムボールのほうが近い。動くたびに微妙に球形が崩れるのだが、見た目含めたイメージはまるで水銀のようである。そしてそこまで分析してから、真希菜は軽い頭痛がした気がして思わずこめかみを押さえた。
「……だいたいどんなコト考えてるか想像はつくけど、自分の常識が全てだと思わないことね」
メアリはそういって今一度真希菜の足元まで転がってくる。
確かこういうロボットを、どこかで見たことあると思った真希菜だったが、それがなんであったかは思い出せなかった。
「えっと……それじゃ、あの……メアリさん」
「なぁに?」
「あなたはここのひと……なんですか」
「そうねぇ。強いて言えば、案内人ってとこかしらね」
案内『人』であるかはさておくとして、彼女はここの住人であることを否定しなかった。他にもそうした者がいるのかは知らないが、この世界にも住む者はちゃんといるらしい。完全に先入観でしかなかったが、あの黒い少年以外にまともに会話ができる者がいるとは思っていなかったので少し意外だ。
「それじゃ、メアリさんはここがどういうところか知ってるんですね?」
「ええ。あなたよりかは知っていると思うわ」
それを聞いて、真希菜は思い切って聞いてみた。
「あの、それじゃあ帰る方法教えてください。私、元の場所に帰りたいんです」
「そうねぇ……」
すると金属球――メアリは、何かを思案するように小さく公転し始めた。
が、あるとき、ぴたりと止まって。
「教えてもいいけど、条件があるわ」
その言葉に、真希菜は表情を硬くしてメアリを見下ろした。
……ありがちなものだ。いったい、何をさせられるのか。
若干の後悔を抱きつつも真希菜はメアリの言葉を待つ。
そしてしばらくたって、メアリは沈黙を破った。
「クロノを助けてくれないかしら?」
「黒野……さん……?」
「なーんか勘違いしてそうだから言ってあげるけど、英語表記よ? ――あー、えっと、カタカナって言った方がいいのだったかしら? ……っていうかあんたたち自己紹介もしてないの?」
メアリはまくし立てるようにそこまで言ってから、小さくその場で跳ねる。怒っているらしい。しかし言葉の間違いを指摘されて思ったが、なぜ自分は明らかに異質なものである彼女と日本語でコミュニケーションが取れているのだろう。
「えっと、あの、その人ってもしかして……」
「あなたがさっき会った男の子。あの子よ」
「……あの場所、見てたんですか?」
「当然。案内人というからには、ここの事象には精通していないとね。まぁ、あの辺りのは耳の感度が悪いものだから、話し声までは聞こえなかったんだけど」
そういえば彼女は会ったとき、『待っていた』と言った。こちらがクロノと出会ったことを知っているらしいので、その言葉には一応納得はいくが……彼女はどこにいたのだろう。この通路に隠れるような場所はなさそうだし、ここまで一本道だ。こんな銀玉、目にすることはなかったと思うのだが。
するとメアリはまるで真希菜の考えを見通したかのように、その種明かしを始めた。
「ま、ここでの出来事なんてね。アタシにかかれば大抵お見通しなのよ」
言うと同時、真希菜の足元の床に音もなく小さな穴が開いた。円形にくりぬかれたようになった床には小さなレンズが露出しており、それはきゅいんと音を立てて目標物にピントを合わせる。
そしてふと見ると真横の壁からも、よく見ると天井からも、いつの間にか同じような穴が開いていて、それら複数の『目』は、まるで大量の監視カメラのようにじっと真希菜を見ていた。
「これがアタシの目、そして耳。ああそうそう――こっちから話すこともできるわよ」
言葉の途中から、メアリの声は通路全体に響くようになる。声の出力先を変えたらしい。
そして彼女はレンズをさらに多数出現させてみせる。
「まぁ、情報を捌ける量には限度があるし、それぞれ感度に差があったりするけどねぇ」
「…………」
それはかなり不気味な光景であった。それに機械の目だ。真希菜としても恐怖がなかったわけではない。
が、その目には射すくめるような威圧感ではなく、何かを見守る暖かさが宿っているような気もした。そしてメアリは展開させていた複数のレンズのいくつかを閉ざし、真希菜に聞く。
「それで、どうするの? 取引には応じるのかしら?」
真希菜はふとレンズに視線を向けるべきか、球体に視線を向けるべきか迷って――結局球体を見て、言った。
「あの……助けるって、どういう……?」
「そのまんまの意味よ。あの子の体はもう限界なの。今のままじゃあの子はたぶん、機械兵――オートマトンには勝てないわ」
「オート、マトン……?」
言ってから、あの巨大なロボットのことなのだろうと察しがついた。
「ま、あの子のサポートをして欲しいってことよ。あなたならできるかもしれない」
「私……なら?」
「さ、これ以上のヒントはなしよ。あとはあなたの意志で決めなさいな」
内容にはいくつか不明な点があったが、メアリはこれ以上の情報を出す気はないらしい。知らないものに手を出す恐怖に、真希菜はすぐに首を縦に振れずにいた。それに
しかしそれでも、何の手がかりもなくここを歩き回るよりは彼女と共に行動したほうが建設的であるように思う。先の少年――クロノに再び会えれば彼女に頼る必要はないかもしれないが、その彼が危険だというのではそれも叶わないかもしれない。
それに彼がピンチだというのも気にはなる。本当なのかはわからないが……仮に事実であったなら、彼はあの化け物に負ける――いや、殺されることになるのだろう。自分が見捨てたことによって彼がそうなったのではさすがに寝覚めが悪すぎる。経緯はどうあれ、自分は彼に助けてもらったのだから。
真希菜はしばらく思案していた。が、あるとき思い切って口を開く。
「……わかりました。私にできることなら、協力します」
その決定はどちらかといえば消去法に近い形で導いたのものだった。混乱も手伝って、半ば捨て鉢気味に、という感も否めない。
しかしメアリは真希菜の決定にご満悦なようで、ごく小さく二度、その場で跳ねた。
「OK。契約成立よ。よろしくね。マキナちゃん」
そして彼女は通路全体に響く声で叫んだ。
「クロノォ! 今いる場所からずっと左手側に進みなさい! でかい部屋に着いたら待機! いいわねぇっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます